第6話 頼朝という男【後】
敵陣とは思えぬほどあっさりと二階へ侵入を果たした時、階下で玄関扉が開閉する音が耳に届いた。
窓から見てみると、頼朝が出ていく姿が見えた。
「なんだよ、頼朝の奴。出かけやがった」
教経は呟いて体の力を抜いた。無人の家の中では気配を消している必要もない。
「ま、都合がいいか……さて、頼朝の部屋はどこだ?」
今いる部屋は明らかにガキの部屋だ。机の上に無造作に放られた中学英語の教科書から見ても、義経の部屋に間違いない。
ここで義経の弱みを探すのも楽しそうだが、頼朝が帰ってくる前に家捜しを終えてずらかりたい。やはり本命は頼朝の秘密だ。
教経と通盛は一度廊下に出て、対面の部屋の襖を開けてみた。義経の部屋と同じ大きさの和室だ。机とベッドと箪笥があるところは義経の部屋と同じだが、義経の部屋よりは落ち着いた感じがするしきちんと片付けられている。本棚にはぎっしりと難しそうな本が並んでいる。
ここが頼朝の部屋だろうかと思い足を踏み入れてみたが、押し入れを開けると段ボールがあり、そこにリコーダーやら習字セットやらが仕舞われていて、「みなもと のりより」と名前が書いてあった。
「ここじゃねぇのか」
とすると、残りはこの部屋の隣の部屋しかない。教経は襖に手をかけて一気に開いた。
「ご開帳〜……っと」
調子のいい声が思わず尻すぼみになる。目の前の和室は義経と範頼の部屋よりも若干小さく、そして物が何もなかった。あるのは小さな桐箪笥と文机だけだ。
「ここが頼朝の部屋?」
ベッドがないのは布団派なんだとしても、あまりにも殺風景すぎる。文机の上もきちんと片付けられていて筆の一本も転がっていない。
「物欲がないのか? 天下人の癖に」
ぶつぶつ呟きながら仕方なく押し入れを開けてみる。上段にはやはり布団が仕舞われており、下段には小さな本棚と桐の箱が置かれていた。
本棚に並んでいるのは分厚いアルバムばかりだ。引き出して開いてみると、幼稚園児の義経の写真がびっしり貼られていた。他のアルバムも義経と範頼の写真ばかりだ。頼朝本人が写っている写真が全くない。
桐の箱を開けてみると、十数冊の大学ノートが仕舞われていた。一冊取ってぺらっとめくってみて、教経は絶句した。
『○年○月○日 範頼が大学に合格』
『○年○月○日 範頼が風邪を引く。三十八度二分。意識朦朧』
そんな調子でつらつらと綴られる記録。
これはまさしく弟の成長記録。
そんなものが十数冊もあるということは、恐らくは彼らが幼少の頃から記録してあるに違いない。
最低限の衣類と布団の他には弟の成長記録しかない二十五歳の男の部屋。
やだキモい。
教経はハッキリとした寒気が背筋に這い上がってくるのを感じた。教経の肩越しに同じ物を見ている通盛が何を思っているかはわからないが、恐らくは自分と同じように言い知れぬ恐怖を感じているのであろう。
平家一の勇将と呼ばれた自分をこれほどに恐怖させるとは、源頼朝恐るべし。
いますぐに何も見なかったことにして逃げ出したい教経だったが、敵陣に侵入して相手に怯えさせられただけで帰るなど武士の誇りが許さない。
これだけ細やかな成長記録があるのだ。せめて義経と範頼の弱点でも見つけてやろうと、教経は寒気を堪えて重なったノートを一冊ずつめくり始めた。
通盛も同じ考えらしく、無言のまま無言のままノートをめくる。あまり詳しく見たくはないのでぱらぱらと雑にめくるだけだったが、教経はふと気づいた。
義経の成長記録が書かれたノートと、範頼の成長記録が書かれたノート。範頼のノートの方が圧倒的に多いのだ。
単純に範頼の方が年上だから、ではない。義経の記録が入学式や誕生日など折節のイベントごとに即して綴られているのに対して、範頼の記録は「熱が出た」「転んだ」と、日常の些細なことに至るまで書かれている。
源頼朝が尋常じゃないブラコンだという噂は聞いていたが、噂によるとどちらかといえば末っ子の義経の方を過保護に育てていると言われていたはずだ。だが、この成長記録を見る限り、義経よりも範頼の方に過剰な愛を注いでいるように見える。
中学生の末っ子よりも大学生の弟の方が可愛い二十五歳の男。
やだ怖い。
二の腕に出現した鳥肌に今度こそ逆らわず、教経はノートを閉じた。
自分の兄は極端に無口だが、まともだ。これほど常軌を逸した兄を持つ義経と範頼には気の毒だが、自分達兄弟はいたってまともで健全だ。まともな兄を持ってよかった。
心の底からそう思って通盛の方へ目をやると、彼は手にしたノートを他のノートと見比べて若干腑に落ちない顔をしていた。いつもの無表情と変わりないように思えるが、教経にはその微妙な変化が読み取れる。
「どうしたの?」
尋ねると、通盛は手にした二冊のノートを広げて見せた。通盛が手にしていたのはこの中でも一番古いノートで、片方には義経の赤ん坊時代の様子が書かれている。
「これが何?」
重ねて問うと、通盛は双方の一番最初のページを示した。教経は眉をひそめながらノートに顔を近づける。ややあって、教経も通盛の言いたいことを理解した。
義経のノートは赤ん坊の頃から始まっている。だが、範頼のノートは記述が三歳の頃からになっているのだ。
「ということは」
教経は息を飲んだ。
もう一冊、あるというのか。範頼の赤ん坊時代のノートが。
そして、ここにそれがないということは、よもや持ち歩いているのか頼朝が。
自分の想像ながら、あまりの衝撃に教経は己の考えを改めた。
(そうだ! このノートをつける習慣を始めたのが、範頼が三歳の頃からなんだ! きっとそうだ! だから、それ以前のノートは存在しないんだ!)
そう考えればノートが存在しない理由に納得が出来る。範頼が三歳の頃にいったい何があってこの異常な習慣が生まれてしまったのかという最大の謎は残るが。
どっちにしろ、とりあえずキモいし怖い。
これ以上ここにいても得られるものは鳥肌と悪寒だけだ。引き揚げよう。
そう決めた時、ノートの下に何やら新聞の切り抜きのような物が見えて、教経はそれを引っ張り出してみた。
「なんだこりゃ? 火事の記事ばっかじゃねえか」
切り抜かれている記事は、どれもこの付近で起こった火事や小火騒ぎを伝えるものばかりだ。古い記事は十数年前のもので、教経は眉をひそめた。
「ああ、そっか……源範頼は確か……」
前世の戦いをおぼろげに思い出して、教経は鼻を鳴らした。
「天狗に乗っ取られた弟と、御霊に食われかけた弟か……頼朝の奴も苦労してんだな」
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