第2話 四月八日の出来事【後】
***
地を蹴った教経が斬りかかってくる。
(速いっ!)
身を引こうとした義経だがその隙もなく、薙刀の切っ先が容赦なく繰り出される。一撃、二撃はどうにか受けたが、三度目の突きで体勢を崩された。続く攻撃を不安定な姿勢のままどうにか刃で防いだが、完全に押し負ける格好になっている。
「くっ……!」
義経が呻くと、教経は残酷な笑みを深くした。
「どうした? こんなもんじゃないだろ。天狗の力を見せてみろよ」
重なり合った刃をぐぐぐと圧される。義経はよろけそうになる足を踏ん張ってなんとか耐えた。
その時、校舎の向こうから抜き身の刀を携えた江三郎が走ってくるのが見えた。
「義経っ!」
主君の形勢不利を見て取って加勢するつもりの江三郎だったが、教経は一つ舌打ちをするとそちらをきっと睨んだ。
「邪魔だ!」
教経がそう叫んだ途端、江三郎の体が吹っ飛んだ。
「!」
見えない衝撃波のようなものに弾き飛ばされた江三郎は、校舎の壁に叩きつけられて地面に倒れ込んだ。ダメージが大きいらしく、そのまま立ち上がれずにいる。
「江三郎!」
義経はきっと教経を睨みつけた。
「てっめぇ! いったい何をしやがった!」
義経の怒声に、教経は面白くなさそうに唇を尖らせた。
「何って、御霊の力にきまってんだろう」
「御霊……っ」
当然のように口にした教経に、義経は頼朝から聞かされていた話を思い出した。
源氏と平氏の強者達は、御霊と呼ばれる神の魂をその身に宿して戦っていた。もちろん、自分達にも御霊は宿っている。ただし、自分達の御霊は、今は封印されているため使うことが出来ない、と。
それを聞いた時、範頼は「誰に封印されたのか、どうやったら封印は解けるのか」と熱心に頼朝に詰め寄っていた。範頼には、前世で御霊を使って戦った記憶がきちんとあるらしい。
だが、義経にはどうもピンとこなかった。範頼のように、前世の自分が御霊を使っていたという記憶が残っていなかったせいだ。
戦場で神の力を奮って暴れ回る自分の姿など、想像できなかった。
頼朝は、いつか必要な時が来たら封印は解けると範頼に言い聞かせていた。でも、平氏の連中が御霊を使って攻撃してきたらどうするんだ、自分達も御霊の力を使えるようにならないと、と範頼は御霊が封印されている事実に焦っているようだった。
そんな範頼に、頼朝は言った。
その時が来るまで、平氏の連中が自分達に御霊の攻撃を加えることは絶対にない。だから安心しろ、と。
その時、というのがいつなのか、義経にも範頼にもわからなかった。だが、頼朝の有無を言わさぬ迫力に圧されて、それ以上は聞けなかった。
(その時って……)
刃越しに教経の顔を睨みつけながら、義経は眉をひそめた。
(今が、「その時」ってことなのか……?)
倒れたままの江三郎の姿を視界の端に捉えて、義経はそう考える。
だが、御霊の力とやらが義経の中に蘇ってくる気配は微塵も感じられない。
「ほらほら、どうした? このままじゃ殺られちまうぞ。本気出せよ」
余裕の口調で言う教経に、義経はヤケクソ気味に叫んだ。
「うっさい! 殺す気なんかない癖にっ……!」
最初から、教経の攻撃には殺気が込められてはいない。江三郎を吹き飛ばした時だって、加減しているように見えた。どういうつもりかは知らないが、ここで義経達を殺す気はないのだ。
「ふぅん、意外と冷静だな。天狗ともあろう者が」
「何言って……?」
眉をひそめる義経に、教経は不敵な笑みを浮かべて薙刀を持つ手に力を込めた。圧し負けた義経の眼前に刃が迫る。
「ほら、どうした? いい加減に本性を見せろよ。天狗の……ぶっ!!」
教経の台詞が途中で遮られた。義経の肩に乗っていた弁慶が、教経の顔面に思い切り体当たりしたのだ。
教経が怯んだその隙に、義経は後ろに飛び退いて教経と距離を取る。
「ちくしょう! なんだこの生き物!?」
教経が弁慶を払い除けてそう言うが、それに答える術は義経にもない。
義経は江三郎の側まで後退して刀を構え直した。
教経も再び薙刀を構えて笑みを浮かべる。だが、その教経の耳に低い声が響いた。
『教経』
「!」
命じるような響きに、教経は不承不承、薙刀を下ろす。急に戦意をなくした教経の様子を見て、義経は眉をひそめた。
警戒を解かない義経に向かって、不満そうに頭を掻きながら教経が言った。
「ストップがかかったから、今日はここまでだ。おい、次やる時は天狗の力を見せろよ、源義経」
薙刀を背に担いで、教経は身を翻した。
「平教経の名を覚えておけ。今生では俺が勝つからな」
そう言い残して、歩み去っていく。
教経の背中が校舎の向こうに見えなくなって、ようやく義経は全身の力を抜いて息を吐いた。そのままずるずると地面にへたり込む。
「義経……大丈夫か?」
「うん……なんだかわかんないけど、助かった……」
教経にはたき落とされた弁慶も地面を弾んで義経の元に戻ってきた。弁慶が肩の上のいつものポジションに収まるのを見て、義経は刀を鞘に納めた。
「平……教経か……」
強い風が吹いて、桜の花びらが舞い上がった。
「やな新入生……」
義経は溜め息と共にそう呟いた。
***
広大な平家の敷地の一角、平
知章はこの静かな廊下を歩くのが好きだった。主が不在のせいか、この館は人が極端に少ない。知章の他には宗盛の息子達が住んでいるだけだ。本家の賑やかさとはかけ離れているが、他人が嫌いな知章にとっては都合がいい。いつも不機嫌そうに眉根を寄せている知章だが、今はそれなりに心が落ち着いていた。
「おっじゃましまーっす!」
突然の甲高い声と共に、脇腹に激しい衝撃を感じるまでは。
「
知章の腰に抱きついた少女が彼の腹に頬ずりする。強烈なタックルのごとき勢いで抱きつかれた知章はげほげほ咳き込んだ。
「あ、蕨じゃねえか」
声を聞きつけたのか、
「大丈夫か、知章」
能宗が心配そうに知章を見て、彼の腰にしがみつく蕨を引き剥がした。
「……何の用だ?」
自由になった知章は蕨を睨みつけた。油断していたとはいえ、避けられなかった自分にも腹が立つ。
「あ、そーそー。聞いた? 教経の奴、今日から中学生なんだって! でもさー、あいつってばランドセル死ぬほど似合わんかったから、やっとこさ制服着られてよかったよねー」
知章の怒りなど何処吹く風で、蕨は楽しげにどうでもいい話題を提供する。知章は舌打ちした。
「用がないなら帰れ」
「何よー? この家の主は宗盛様でしょー? ご不在の今は嫡男の清宗が主なんだから、客に出て行けという権利は清宗にしかないわよ」
「ああ、出て行け」
知章の態度に口を尖らせた蕨だが、頼みの清宗にもあっさり追い出されそうになる。
「ちょっとタンマー! 用事があって来たんだってば! 忠度様からのご命令ー!!」
蕨の言葉に、彼女に背を向けて去ろうとしていた知章の足が止まった。清宗と能宗の目つきも変わる。
武闘派である自分達に下りてくる命令など、転生してからは初めてのことだ。
案の定、蕨の口から発せられたのは、知章が長年待ち望んだ命令だった。
「今夜、源邸に向かえ」
知章は口元をぎゅっと引き結んだ。
約八百年前、激しく戦った源氏と平氏。
その魂は、時を経て現代に生まれ変わり、戦いを続けている。
転生した源義経の真の戦いの日々は、この日から始まったのであった。
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