第117話 バスカービル Cyber Canine "Baskerville"

 迷わず倒れ伏したラガマフィンの元へ駆け寄った。監視カメラの映像を見ていた副官だ。軍服をまさぐり、探り当てた小型リモコンを掴み出した。タオの読み通り、ラガマフィンは施設の電動扉を操作するハッキングツールを使っていた。

 即座に「開く」ボタンを押す。ロックが外れる金属音が遠く響き、搬入口の二枚の扉がスルスルと開いた。猛然とスタートダッシュをかけ、横一列に隙間なく並んだ大型バイクの防弾シールドを、ハードル走さながらのフォームできれいに飛び越え、横並び三列に置かれた蓄電池の右手の通路に駆けこんだ。

 搬入口まで約七十メートル、命がけの逃走になるという自覚が足に翼を与えた。

 

 突如として身を翻し広場を駆け戻る姿に、大滝は反射的に隘路の方角を見やった。路地から銀色の陰が躍り出る。陽光を反射して銀色の矢のように男の後を追った。四つ足獣特有のしなやかな動きだ。

 サイバードッグだッ!だから搬入口を開けたのか!駆け抜けて扉を閉める気だ。手近の鉄柵を登って逃げなかったのは、背後からレーザーや実弾の集中砲火を浴びるからだ・・・

 世界最速の歩行型ロボット、サイバーカナイン略称CK9の狩猟犬「バスカービル」は、主に対ゲリラ戦に投入される特殊兵器だ。破壊力には欠けるものの、ロボット兵を大幅に凌ぐスピードと、機動歩兵をも上回るアジリティを誇る。山岳地帯などの複雑な地形にも易々と対応できるのが強みだ。索敵、捜索、救助、攪乱、情報収集能力においても、マシン型ロボットの追随を許さない。

 公共の場に軍用ロボット犬が現れるとは、この街はどうなってるんだ?繰り返される暴力沙汰に感覚が鈍麻した住民は、ロボット犬がうろついていても素知らぬ顔か?

大滝は顔をしかめた。事態の異様さはいや増すばかりだった。


 軽々とバイクの車列を跳び越える様は、さながら野生のインパラそのものだ。人間離れした男の走力をも遥かに上回る十メートル近い跳躍を見せた。元より四足動物の運動能力は人類の比ではないが、ロボット化によりさらに強化されている。CK9の走力はチーターを上回る。わずか二秒半で百メートルを走り抜けるのだ。

 逃げ切れるか!?

 大滝は手に汗を握った。


 と、男のシャープな走りに、わずかな齟齬そごが生じた。

「振り向くなッ!」

 実戦でCK9と対峙した経験が蘇り思わず胸でつぶやいた。いつの間にやら男に感情移入している。だが、その念は届かなかった。

 耐レーザースーツのおかげでダメージは軽微だ。しかし、両太ももを撃たれた衝撃に反射的に背後を振り向いた刹那、両目に焼けるような痛みが走った。CK9の額から発する二本のレーザーは、数十メートル先の動く標的の両目をも的確に捉える。人が手にしたレーザー銃ではまず不可能な離れ業だ。

 高収束レーザーがホログラスを瞬時に溶かして穴を開け、熱エネルギーの一部が眼球に達した。

 し、しまったッ!

 タオは両目を押さえてよろめき走った。視力を損なわれたが最後、トップアスリートも一瞬で凡人以下の存在に成り下がる。辛うじて残った視力を頼りに、中央の蓄電池の下へまろぶように這いこんだ。


 狩猟犬は蓄電池の前で立ち止まった。しきりに蓄電池の周囲を覗きこんでいるが、攻撃の素振りは見せない。

 組みつかれると軽量のサイバードッグは不利だ。反撃を警戒して狭い空間には入りこまない。オペレーターは捕獲モードに切り替えたな。ラガマフィンとは違う。プラウドは生け捕りを狙っている!

 次の瞬間、自分でも説明のつかない情動に突き動かされ、大滝は部屋を飛び出していた。廊下に隠し置いたGPS送信機を拾い上げ、ワークパンツのポケットに放りこみ、廊下の端にあるドアを一撃で蹴破った。非常階段を飛ぶように駆け下りながら、イヤーモジュールでロペス軍曹を呼び出す。

「フリオ、どこだ?」

「車に戻ったところです」

「例のGPSだが、俺の居場所は分かるか?」

「はい・・・マップ上の信号を捕捉しました」

 突発的な事態を察した軍曹は機敏に対応した。世界の戦場を巡り、危急の後方支援には手慣れている。

 二人は阿吽の呼吸で短いやりとりを交わした。

「来れるか?」

「すぐ向かいます」

 軍曹は淀みなく答えた。検問を抜ける手立てを思いついたらしい、と察した大滝は即座に指示した。

「よし!マップを見ろ。俺は蓄電池集積場に入る。東側が搬入口だ。バスカービルを止める方法はあるか?」

 CK9が出たのか!

 軍曹は驚きに目を見張ったが無駄口は叩かなかった。

「調べます。通話はホールドで!」

「頼むぞ、フリオ」

 非常階段を駆け下りた大滝は、広場へ通じる道路には出ずに廃ビルの陰に張り付いて身を潜めた。ラガマフィンが私設監視カメラを大通りに仕掛けているのは、先刻承知だ。


 待つまでもなく通信が入った。

「後五分で着きます。バスカービルの武器系統は、デフォルトで遠隔操作です。通信波を遮断すれば、機能AIは待機モードに変わります。オペレーターはバスカービルのホークアイカメラを使っているはずです」

 テキパキとかいつまんで音声入力で連続検索した情報を伝える。

 戦場でも何度か経験した。普段は心配性で判断に迷い勝ちなフリオが、危急の際には実に果断に決断を下す。そういう時、あいつの頭脳は一段と冴えわたる・・・

 大滝は口を挟むことなく聞き入った。

 エアカーを半自動操縦に切り替えた軍曹は、肌身離さず持っている軍用情報検索端末「ホワイトボックス」のホログラムに目をやった。ボックスと言ってもベルトに装着可能なほどコンパクトだ。軍曹自ら改造を加えて、イヤーモジュールのマイクを介した音声操作も可能だ。

 バスカービルの情報に次いで、地区の住所から地図、風景写真、蓄電池のモデル、仕様図が一瞬にして映し出された。

「蓄電池は防磁プレートで覆われていますが、パワーコンディッショナーの防磁カバーは取り外せます。電磁波の主な発生源です。カバーを外したら、電磁波が周辺に拡散します。三十メートル圏の通信波を確実に攪乱できます。パワコンは電源ケーブル側の底部です。電動ドライバーでネジを取り外してください」

 大滝はワークパンツに装着した携帯用小型工具キットを確認した。打ち続く異変を受けて、一段と用意周到になった軍曹が手配した備品だ。

「よし、今俺がいる通りに車を回すんだ。プラウドの支援部隊が着く前に、奴を救い出す!」

 奴とは誰だろう?プラウドに追われているのか?

 軍曹は首を傾げたが、一刻を争う事態に余計な詮索は無用だった。


 大滝はワークシャツの下からレーザー銃を抜いた。

 サイバードッグの操作には専用機器が必要だ。オペレーターは本部か車内にいると見て間違いない。ならば、速攻あるのみだ!

 廃ビルの陰から肉食獣のように飛び出した。一気呵成の先制攻撃は、まるで前世からやり慣れているかのように性に合う。しかも、市街戦は機動歩兵が得手とする戦況だ。長年の経験から監視カメラの設置場所も容易に見当がついた。近代市街戦では監視カメラの有無が戦術を左右するため、習い性と言うべきか、広場を徒歩で抜けた際に、ラガマフィンの監視カメラを逐一確認していた。

 連中が設置した場所は車が通行可能な通りだけだ。国がエネルギー特区に設置した監視カメラは無視していい。オペレーターに気づかれなければ、CK9に食いつかれる恐れはない。

 型通り両手で銃を握り姿勢を屈め、人気のない二車線の道路を小走りに進んだ。通りの左右に設置された監視カメラを次々に撃ち抜く。戦闘時に欠かせない研ぎ澄まされた集中力は健在だ。ホログラスの照準機能を使うまでもなかった。


 搬入口に忍び寄り、金属製のスライド扉に背中をつけて鉄柵の間から広場の様子を窺った。サイバードッグの姿は、居並ぶ蓄電池の陰に隠れて見えない。プラウドのオペレーターは監視カメラの異常に気づいても、男を置き去りにCK9を動かすはずはない、と読んだ通りだった。

 身を屈めたまま身体を回転して速やかに搬入口を抜け、巨体にそぐわない滑らかな動きで右手の蓄電池の下に転がりこんだ。

 CK9から距離を置くため、蓄電池の右端に沿って這い進む。蓄電池と蓄電池の間の通路も匍匐前進のまま、一つまた一つと蓄電池の下を潜り抜けた。地表温度は50℃を優に超え、全身が汗と土埃にまみれたが気にも留めずに這い進む。

 戦地で身に着けた観察力と状況判断は、ほとんど本能と化して、考えるまでもなく半ば自動的に状況を把握して行動できる。真夏の大地と蓄電池が発する熱に紛れ、CK9の赤外線捜索は付近の人の動きを判別できない、と判断していた。


 移動した蓄電池の下から、男が潜む蓄電池を左手前方に見えた。搬入口側の通路にうずくまるCK9の姿を、斜め後方から視野に捉えた。頭部を両足の上に構えている。生身の犬そのままの体勢で蓄電池の下を注視していた。

 頃合いだ!

 三十メートル圏に搬入口の電動扉が入らないよう、距離を測るのも忘れなかった。男が持つリモコンが使えなくなれば扉を閉められなくなる。パワコンの下部に移動するや、仰向けになり電動ドライバーを握った。一メートル四方の防磁カバーから、太いネジを次々に抜き取る。蓄電池群の冷却コンプレッサーが発するブーンという鈍い振動音に紛れて、作業を気取られる恐れはない。

 最後のネジを外し固定用ラッチを解除すると同時に寝返りを打ち、片開きの分厚い防磁カバーを避けて身をかわした。「ブンッ」という唸りと共に、一陣の風のような物理的な衝撃を伴って、電磁波が四方に拡散した。


 顔をしかめて衝撃波をやり過ごし、蓄電池の下から様子を窺った。バスカービルは伏せた状態から、一転の姿勢に変わっている。イヤーモジュールの通信待機音もぷつっと途絶えた。

 よしッ、遠隔通信が切れた!CK9のオペレーターも当然気づく。こちらに急行して来る。

 伏せている限り、CK9の視野に入る恐れはなくなった。男が潜む蓄電池の下へ音も立てずに匍匐のまま移動する。日陰になった仄暗い空間を、背後から慎重に這い進んで近づいた。

 声をかけようとした刹那、男はどうやってか気配を感じ取った。不意に寝返りを打って仰向けになり、上半身を半ば起こして大滝の方へ視線を向け、損なわれた視力でおぼろげに人影を認知した。

 その手に握られた物を見た瞬間、大滝の背筋が凍りついた。


 瞬間、時が止まった・・・


 左脇に右手を伸ばして銃を抜き、モードを切り替えざま発砲していた。一連の動作の間、周囲のすべてはスローモーションで進行して、頭の中には思考は一片も浮かんでこなかった。身体が勝手に動いた。

 およそ人間の五感ではあり得ない超常感覚が大滝の意識に生じていた。細いニードルに小さな安定翼が付いた麻酔弾が、回転しながら男の首元に吸いこまれる様が暗がりにはっきり見て取れた。

 防弾スーツで覆われておらず皮下に骨がない部位は、ほんの五センチほどの幅しかない。男は首を深く前傾していたため、実際には二センチ足らずだ。たとえホログラスの照準を使ったとしても、これほど精密な射撃は望めないだろう。

 男は首に右手をやり事態を察した。その手を戻して左手でグリネードの安全レバーを握ったままピンを引き抜く、と見えた直後、ガクッと力が抜けて身体が仰向けに伸びた。

 握っていた安全レバーが跳ね上がり、グリネードがその手からポロリと落ちて地面に転がった。


 大滝は唐突にトランス状態から覚めた。日常感覚が戻ると同時に、感情と思考がせわしなく動き出す。恐怖と焦りに駆られて大急ぎで這い進み、転がったグリネードをつかみ取った。

 すでに汗と埃まみれの上に冷や汗までかいたが、幸いピンは完全には引き抜かれていなかった。ふーっと安堵のため息が漏れた。

 身動きの取れない狭い空間で、破片手榴弾が爆発したらと思うと身の毛がよだった。男も大滝も判別のつかない血まみれの肉片と化していたに違いない。

 ピンを固定し直して、ワークパンツのポケットに押しこんだ。CK9に投げつけたところで、待機モードでも自衛機能は機能する。たちどころにグリネードを認識して、起爆前にやすやすと破壊圏から逃れてしまう。

 すると、この男は追っ手もろとも自爆する覚悟だったのか・・・そうまでして何を守ろうと言うのか?

 答えは明らかだった。

 ミュータントの遺伝子だ!虎部隊は未だかつて一人として生け捕りになっていない。追い詰められると自爆するからだ。

 虎部隊ミュータントのゲノムには、身体から離れるや血液や毛髪の遺伝情報を崩壊させるエピジェネティック・スイッチ、言わばDNAの自爆機能が組みこまれている。生け捕りにして臨床的に生体内分析を行う以外、ゲノム情報は突き止められない。


 気づくとホログラスの下のふちにびっしり汗が溜まっていた。死の淵を覗きこんだ実感が、遅ればせながらひしひし胸に迫った。

 時間が止まる体験は、これが三度目だ!前回はオクトパス戦車と遭遇した時だ・・・

 だが、感慨に耽っている場合ではなかった。わずか五メートル先には危険極まりないロボット犬が控えている。プラウドもこちらへ向かっている。

 時間がない!

 砂交じりの灼熱の地面と、低く唸りを上げる蓄電池の間の狭くほの暗い空間にうつ伏したまま、焦燥に駆られた大滝はギリギリと頑丈な歯を食いしばった。


 麻酔薬を使う羽目になるとは想定外だ。気絶した男を抱えてサイバードッグをかわす算段などにわかには立てられない・・・



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