第114話 虎の尾を踏む Tread On The Tiger’s Tail
西の都。
人口三千万人の巨大都市メガロポリスと周辺のスラム街の境は、名だたる非合法組織プラウドの根城である。メガロポリスの政財界にも深く食いこんで、互いに利用し合っては、不法な利益を一般市民から巻き上げてきた。
だが、外部勢力との抗争に非人道兵器を使用したと報道されてからというもの、世論の手前、警察と公安による捜査と監視は、かつてないほど熾烈を極めた。プラウドの下部組織ラガマフィンからも、見せしめに逮捕される者が続出した。ここで、組織が弱体化したと噂が流れた日には、縄張りを虎視眈々と狙う周辺の組織暴力団はじめ、大小のならず者集団につけこまれるのは目に見えている。
追いこまれるほど虚勢を張るのは、暴力を得手とするボス猿タイプが集まる組織ににあり勝ちな示威行動だ。ラガマフィンも例外ではなく、組織を総動員してこれ見よがしに縄張りを闊歩して警戒に当たっていた。
しばらく鳴りを潜めていた虎部隊が再び出現した、との噂が広まったのはそんな折のことである。
もっとも、虎部隊のアジトが破壊されたと知るのは、日米中の政府と諜報機関の上層部のみで、当のプラウドでさえ把握していなかった。虎部隊がすでに撤収したとも露知らず、この界隈は一段と不穏な空気に押し包まれている。
血の気の多い若手ラガマフィンは、虎部隊と聞くととりわけ激しい敵意をむき出しにする。そこには功名心をくすぐる歴史が絡んでいた。
都市伝説ともなった過去のいわゆる「レッド・マンデー事件」は、彼の国のミュータント兵士を、史上初めて民間人が倒した逸話として、世界的に知られている。ラガマフィン側にも多数の死傷者が出たが、当時は地域のいち武装自警団にしか過ぎなかったラガマフィンが、一躍勇名を馳せた出来事でもあった。
事件は日中政府が折衝を重ねて決着を見た。外国の特殊部隊員を民間人が襲うというおよそ常識では考えられない事態だったが、中国側のスパイ容疑を不問に付すことを条件に、休暇中の中国軍人の逸脱行為が原因と発表して、両国政府は手を打ったのである。
事件の真相を知るラガマフィンの幹部と戦闘の生存者は、その後プラウドに引き抜かれた・・・
「難儀やな~・・・プラウドの連中はなんやねん!大卒やら弁護士やら会計士やら、高等教育を受けたお高く止まった野郎ばかりや!汚れ仕事は、全部おれらに押しつけくさってからに!」
何かといえば根性主義に走るラガマフィンの幹部たちは、全天候スーツなど柔な堅気連中が着るものだ、と決めつけ頑として受けつけない。張りこみ任務とあって、定番の戦闘服ではなくカジュアルな服装だっただけでもいくらかましとは言え、下っ端の三人組はすでに汗まみれだった。
初夏の蒸し暑い日に、コンクリートまみれの街中を、いつ現れるとも知れない標的を求めて所在なく歩き回るのは、実に割が合わない仕事だ。二時間も何の成果もなくうろつき回った挙句、小太りのラガマフィンは早くも音を上げた。
「このくそ暑いのに、退屈な張りこみなんざお断りや!だいたいやな、シマのショバ代を回収するんが、わいらの仕事やないか?今日は日曜やで。ほんまやったら、今ごろは冷房の効いた店におってな、店主の奢りでアイスコーシーを飲んでやな~、地元のねえちゃんたちと仲ようしてるはずや」
お宝の号外は破られるわ、またも痴漢扱いされるわ・・・散々な目におうただけで沢山や!虎部隊の連中が大騒動を引き起こしたばっかりに、とんだとばっちりだ、とふて腐れた。
すると、仲間の二人がとりなすように口々に言った。
「なんなかんち言いなんな。聞いたで~、この虎部隊のデータは、お前がシンから預かったんやて?頭が切れるやっちゃ!俺らが虎部隊をとっつかまえたら、プラウドに認められるでー、シンはそこまで考えてくれてるんや」
「そうや、シンはお前を気にかけてくれてるんとちゃうか~?あいつはプラウドに引き抜かれても、ちっとも変わらへん。下積みの苦労を知ってるさかいな。ほんま、見上げた奴っちゃ!」
三人は気心の知れた幼馴染同士だ。ズバズバ本音を言い合っては、時に殴り合いの喧嘩にもなるが、必ず元の鞘に収まる。腐れ縁というやつだ。
絆の強い地域社会にしばしば見られる現象だ。都市部にありがちな丁寧だが冷たく距離を置く人間関係とは大きく異なる。こうした地域共同体には、人間関係の安全弁がいくつもあって、下手な核家族社会よりも遥かに健全な対人関係が自然に育まれる。言うなれば、人類本来の小規模な群れの心理力学がうまく機能する。
言われてみたらその通りかもしれへん・・・わいも将来設計せなあかん歳や。おかんにも心配かけっぱなしやし・・・
仲間の言葉に気を取り直したラガマフィンは、しようがないと口をつぐんだ。
そう言や、虎部隊のロケット弾の直撃を食って、シンの兄貴はマイカーを蒸発させられたんやった・・・そりゃ頭にくるわな~と、思いつつ、ふと目を上げた瞬間、固唾を呑んだ。興奮気味に、しかし小声で二人に話しかける。
「おい、顔を動かすんやないで・・・十一時方向や。手配写真にヒットしたど!」
広い大通りの路面は、荒れ果てたまま放置されている。エアカーなら路上を通過できるが、ラガマフィン一味はスラム街の周囲に私用検問所を設けて、通行を監視している。対立組織の襲撃を警戒しての措置だが、一般車両からもちゃっかり「車両通行費」を巻き上げている。
そのせいで、歩道には通行人が少なからずいたが、日曜でも車両の往来は週日とさほど変わらない。歩きながらでも十分に視界が得られた。
二人のラガマフィンは、歩みを止めずにホログラス越しに左手に視線を送った。ホログラスが認識モードに切り替わり、有線で連携したイヤーモジュールから発信音が聞こえた後、「データ一致」と自動音声が響いた。
「そや、タオイェイとかいう奴っちゃ!間違いあらへん!」
左手首に付けた時計型AIに触れて、改めてホログラスを確認した仲間が声を潜めた。
「よーし、このまま歩き続けるんや。さりげなくやで、ええな!」
「そ、そや、さりげのう、さりげのう歩くんや!」
三人はホログラス越しに、タオこと
虎部隊が相手となれば、緊張したラガマフィンたちの動きがぎこちなくなるのも、無理からぬことだった。「組織」の「コマンダー」にして虎部隊に潜入する敏腕スパイは、三人組のさりげないへっぴり腰に目ざとく気づいた。
地元のチンピラに目をつけられたか・・・
野球帽を被り服装もカジュアルに決め、ホログラスも掛けている。しかし、顔認識の詳細データと、変装シミュレーション・モンタージュが、日米の諜報機関から裏組織に漏れたらしい、と即座に見当がついた。
何しろ、極東地域の荒仕事に幾度も関わった身だ。中国を警戒する各国諜報機関が、民間組織と情報を共有して警戒に当たっても何の不思議もなかった。
一瞬、逡巡したものの、タオは目下の任務に固執した。
大滝はほんの数ブロック先にいる・・・GPS信号の移動速度から見て、スラム街の外に車を駐車して、徒歩で北側からこの地区に入りこんだ。
むろん、真正のプロを単独尾行するべきではないのは重々承知していたが、止むにやまれぬ事情があった。
白人至上主義の「組織」は、東洋人の補強を軽視してきたため、この度の一連の危機では、典型的な人材不足問題を露呈したのである。
他に凄腕の部下はいない。下請けの末端工作員風情では大滝の尾行は荷が重い。俺がやるしかない!手間をかけてGPSを仕こんだのも、距離を置いて追跡できるからだ・・・
タオは功を焦っていた。
日本最悪の犯罪多発地帯に立ち入った以上、大滝には後ろ暗い用向きがあるはずだ。是が非でも確認しなければならない、と強迫観念めいた衝動に駆られる。シティの二の舞を演じる訳にはいかないのだ。失敗しようものなら、ダレスの逆鱗に触れるだろう。
己の戦闘力には何の不安もない。一見、何の変哲もない長袖長ズボンのカジュアルな服装だが、その下には耐レーザー性を高めた防弾スーツを纏い、武器も隠し持っている。
軍隊が保有する重火器ならいざ知らず、ラガマフィンのハンドガン程度では、レーザーか実弾かを問わず、「コマンダー」を倒すのは至難の技だ。相手の数的優位など取るに足らない。闇雲に攻撃をしかけた挙句、同士討ちを引き起こすのが関の山だ。
それほど、異種すなわちスピーシーズの対人戦闘能力は高く、虎部隊をも凌駕するほどだ。事実、一敗地に
いや、正確には二度だ。マグレブでも未知の武器を使われ取り逃がした・・・
数々の謎に包まれた新人類の正体を暴こうと、ダレスが躍起になるのも当然だ。大滝はその新人類と繋がる最重要人物だ。プラウドごときに尾行を邪魔されてたまるか!
いざとなったら、チンピラどもを始末して撤退するまでだ、と心を決めた。
虎の尾を踏んだらどうなるか、思い知らせてやる!
一見ひょうきんにさえ見えるタオの童顔が、戦闘の予感に厳しく引き締まった。暗殺者の獰猛な殺気が、ホログラスに隠れた黒い瞳に黄色い炎となって燃え上がる。戦闘を控えた高揚感が、このところの鬱屈した気分を一気に吹き飛ばした。
この周辺は、日本最悪の犯罪多発地帯だ。裏組織同士の抗争事件も後を絶たない。多少手荒な真似をしたところで、世間の注目を惹く恐れはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます