第110話 I💗NT I Love NewType

 メリンダは指先を温めようと無意識に揉み手をした。ストレスが昂じて自律神経失調を来たし、手足が冷えて仕方がない。

 増発便の地下鉄はさほど混み合ってはいなかった。通路を挟んで正面にメトカーフが腰を下ろし、うつ向き加減に膝の上で指を動かしていた。ホログラスに映る仮想キーボードは、視線の先に浮かび上がる。

 入力の素振りは尾行がいるから?だから、内野席に来なかったのね!

 有能なメリンダはすぐさま事態を正確に把握した。視線だけ巡らせ車内を見渡すと、場違いな黒服の二人組が目についた。左右に離れて立っていたが、ホログラスの下からメトカーフを監視しているに違いなかった。

 FBIだわ!なぜマーカスを追うの?

 捜査局のプロファイルなら頭に入っている。FBIの特徴に気づいて首を傾げた。もっとも、今は新たな謎に心を煩わせる余裕はない。


 メトカーフの席に見知らぬ若者が現れた時も、すぐさま事情を察した。

 席を交換したんだわ!

 さっそく声をかけ、雑談しながらざっと観察した。

 訛からして南部出身、たぶんテネシーかケンタッキー州ね。「I💗NY」のロゴ入りTシャツ、ヤンキースのユニフォームレプリカとお決まりの野球帽、ジーンズにはCUNYと記章の刺繍。どれも真新しい・・・市立大学の新入生だわ。サマープログラムから大学生活を始めるのね。見るからに人が好さそう。純朴で親子関係も良好に違いない・・・親切な相手にはすぐに心を開くタイプだわ。マーカスが目をつけるのも当然ね。

「わたしはシーズンチケットなの」と話を誘導したところ、「内野席と交換しないかと持ちかけられた。運が良かった」と若者は目を輝かせて、懐からチケットを取り出したのだった。難なくメトカーフのメッセージを読み取った。座席番号の上に、見慣れた筆跡の書きこみがあった。

 ケーズバー?

 健康不安説ほどキャリアに響くものはなく、政府高官はおしなべて健康に人一倍気を遣う。閣僚クラスともなれば健康管理スタッフが付くのだが、補佐官は自己管理しかなく、メリンダもメトカーフと同じく自然食愛好家だった。

 無農薬食材が売りのケイタリングサービスだわ!

 スタジアム広場の屋台と、簡単に推察がついた。

 

 カップの底から回収したアセンブリの用途にも、すぐに思い当たった。人の目では感知できない極小口径の高輝度光送受信機だった。IDとホログラスとイヤモデュールは、虹彩認証が必要な個人空間ネットワーク(PSN)で連携している。同期するや、アセンブリの添付アプリが自動的にPSNにインストールされた。

 仮想キーボードのタッチパッドを操作して、メトカーフのアセンブリにロックオンした。電波を使わずに双方向通信を可能にする。言うなれば、暗号化したモールス信号だ。電波のように傍受される恐れがないのが利点である。IDの文字音声変換アプリを使い、イヤーモジュールでこともできる。

 実地で使われるのは今回が初めてかも知れない・・・

 メトカーフは感慨深く思った。ネバダの無人機迎撃(*)にヒントを得て、他ならぬメトカーフがアイデアを提供したデバイスである。試作品製造を民間企業が請け負った、と国防総省の担当者から聞き知っていたが、メッセンジャー絡みで手にすることになろうとは思いもよらなかった。

 だが、感慨にふける時間はない。地下鉄高速線は一時間で三百キロを走破して、ニューヨーク州ブロンクス地区からワシントンDCに到着する。


 通信を確立するや否や、メトカーフが切り出した。

「時間がないから要点を伝えてほしい。乗降客に信号が遮られても、発信タイミングは自動調整される。ホログラスさえ見えれば通信は続く。いいかな?」

「OK」

 メリンダは端的に返したが、襲撃の話から始めるのは避けた。抑えている感情が噴き出すのが怖かったのだ。

「パールが転倒したのは事実ですが、身体に異常ありません。ただ、過換気症候群を起こしました。すぐ回復したのです、が」

 途中で何度かタイプの手を休めた。

 いかにも伝え辛そうだ。文字で伝えるには会話より言葉を選ぶが、原因は他にある。感情を抑えようと懸命だ・・・

 言語プロファイリングに長けたメトカーフは、過酷なストレス体験の兆候を難なく読み取った。

 衝撃的な体験の直後、強い性格の人間ほど気を張って健気に振舞うものだ。政府高官となればなおさらだ。しかし、感情を押し殺した挙句、半年も経てから強烈なPTSDに見舞われる例は決して珍しくない・・・


 メリンダはメトカーフの懸念を先刻承知していた。

「パールは初回のカウンセリングを終えました。わたしも近く受けます」

 普通に話ができないのが、むしろ幸いかも知れない・・・

 メリンダはふと思った。

 面と向かってあの出来事を打ち明けたら、わたしは泣き崩れてしまうに違いない・・・テキストなら冷静に伝えられそうだ!

 そう考えたことで踏ん切りがつき、今度はスムースに入力できた。

「実は、駐車場で何者かに襲われたのです。相手は一人でしたが、最初は何が起きたか分かりませんでした。姿が見えなかったのです。カメレオン迷彩を使っていたようです。八人のシークレットサービスが次々に倒れました」

 FBIの目をごまかすため、メトカーフは膝の上で指を動かし続けたが、実際に入力したのは「NWS」と「LIST」(**)だけだった。

「警備を全員倒してから姿を現しました。黒いクロークを着ていました。ですが顔は人間ではなく、蛇か蜥蜴そっくりでした。本物かわかりませんが、怖くてたまりません」


 爬虫類の顔をした襲撃者か!

 さすがのメトカーフも想像するだにゾッとなった。

 ハイパーコスプレを用いた変装に違いないが、状況からして底知れぬ恐怖と激しい嫌悪を抱いて当然だ。メリンダに必要なのはもたれて泣きすがれる肩だ。こういう時は、暖かい抱擁が医学療法を超えた慰謝を与えてくれる・・・

 だが、今は何とか持ちこたえてほしい、と願うしかなかった。


 メリンダは続けた。

「病院でパールは蛇恐怖症だと打ち明けてくれました」

「フォックスはユダヤ系移民が改名に用いる名字だ。カソリック信者と聞いたが?」

 メトカーフは努めて客観的事実にメリンダの注意をふり向けさせた。感情的な反応は逆効果だ。

「高校時代に改宗しています。蛇恐怖症の原因は不明ですが、カソリックと関係あるかも知れません」

「蛇への警戒心は動物の本能だ。人の蛇恐怖症も決して珍しくないが、襲撃犯は国務長官の恐怖症を把握していたようだね」

 その言葉にメリンダが敏感に反応した。

「問題はそこです。事件後、国務次官が駆けつけ、ホテルと市警と病院に口止めしたのですが、手際が良過ぎるのです」

 不自然なほど迅速に、水も漏らさぬ緘口令が敷かれた。それに、最初に駆けつけた警備員二人の存在も、市警の報告書には記載されていない・・・

 もしや、偽旗作戦では?

 いやが上にも疑惑は高まるが、まずは襲撃のあらましを書き綴るのだ先だった。

 メトカーフも適宜「LIST」と返しながらを傾けた。


「・・・わたしたちをチンパン人と呼んだのです。遺伝子のgeneと、日本語のという言葉をもじった造語です」

 強欲で押しが強い政治家や企業人を揶揄する造語だ。己の面子めんつと所属する群れの中の序列だけを重視する。政治家の公僕意識や企業家の社会的責任は念頭になく、出世と成功のため手段を選ばない手合いである。

 広義には、貪欲な争いを止められない人類全体を指す。

 なるほど「Chimpan-gene」か・・・人類に対する侮蔑的表現なのは間違いないが、言い得て妙だと、メトカーフは内心で苦笑いした。なにしろ世代が替わるや、過去の教訓をきれいさっぱり忘れ去り、悲惨な争いを繰り返す愚かな種だ。動植物も好き放題に殺しまくり、環境を破壊して止まない。

 遥かに歴史の長い他の生物たちの目には、脆弱なくせに霊長類を自画自賛する傲慢不遜な成り上がり者にしか見えまい・・・

 客観的に俯瞰すれば、人類こそが最凶最悪の外来生物に他ならないのは明らかだ。


 メリンダは書きつのった。いったん書き始めると、思いのほかスラスラと進んだ。

「・・・手は白っぽい鱗に覆われ、指先に黒い鈎爪がありました。何か掴んでいたので、咄嗟にパールを押し倒しました。武器だと思ったのです。ミッチェル中佐襲撃事件を知らせてくれましたね?一緒に届けてくれたスタングレネードは、降りる際に車体の下に装着しました。おかげで追い払えました」

 胸元に隠したスイッチを押すと、閃光手榴弾は駐車場に音もなく落下して、メリンダの方向へ転がり、本人を巻き添えにしない距離で炸裂した。

 もさすがに錯乱状態に陥ったらしいわ。そのまま逃走したもの・・・


 テキスト通信で助かった・・・

 意表を突かれたメトカーフは思った。さもなければ、動揺を見透かしたメリンダに怪しまれたに違いなかった。

 ミッチェル襲撃事件のあらましは、日曜日にヨガ教室のメモで知ったばかりだ。メッセンジャーは、ホワイトハウスの警備主任を再度盗聴したらしい、とメトカーフは推察した。

 だが、メリンダにはまだ伝えていない。今日伝えるつもりだった・・・しかもメッセンジャーは、私の名でスタングレネードも届けたのか?襲撃を予想していたのだ!

 けれども、一方的なやり方を微塵も不快と感じない。メッセンジャーから見れば、メトカーフもまた不確定要因だからだ。

 事前に知る者が少ないないほど良いのだ・・・


「ですが、掴んでいたのは武器ではなく、プロパガンダプレートでした。意外でした」

 プロバガンダプレートとは、家畜用電子タトゥーとして開発された技術を、スポーツ応援やデモに使うフェイスペイントに応用した製品である。紋章や文字やロゴを身体表面にワンタッチで転写できる。極めて鮮明で消滅するまでの時間も設定可能だ。ただし、消去用プレートが必要な暗号化モデルについては、畜産業者のみ使用が許可されている。

「プレートは二枚に切り離せるタイプでした。近寄って確認したので間違いありません。ところが、なぜか市警の報告書に載っていないのです。でも、確かに見ました。一枚には"I💗NT"、もう一枚には円形の紋様がありました」

「"I💗NT"は、ミュータント支持者たちが使うロゴだ。二十世紀の日本のアニメに登場するニュータイプに由来する。意味は新人類そのものズバリだ」(***)

 親日家のメトカーフが返信した。

 出来過ぎている・・・と、メリンダも感じた。


「円の中に、黒と白が交互に並んだ同心円が輪を成して幾重にも描かれていました。上端には小さな黒丸が二つ並んで、その間に赤い"Y"が見えました」

 危急の事態においても、メリンダの観察眼は確かだ。メトカーフはふと思いついて尋ねた。

「同心円錯覚の一種かも知れない。上下を逆にしたらどう見えるだろう?」

 メリンダは息を呑み、ホログラスの下で長い睫毛をしばたいた。

「そう言えば、グルグルと回転して見えました。"Y"ではなく蛇の舌ですね!」

 とぐろを巻いた蛇は、頭を敵に向けたまま身体を巧みに回転させる。攻撃前の威嚇と言われている。

 何てこと、パールの頬に蛇のタトゥーを入れようとしたんだわ!フォックス家の先祖には、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所で入れ墨を刻印された犠牲者もいる。タトゥーを捺されたりすれば、蛇恐怖症と相まってどれほどショックを受けるかわからない!

 とてつもなく悪辣非情なやり口だった。

 パールを政権中枢から追い払いたいんだわ! 


 メトカーフも同じ感想を抱いた。そもそも、先週のミッチェル襲撃も今回の事件も、メディアはさておき、参謀士官にさえ伝わって来ないのは異例だった。

 もっとも、反ミュータント連盟の盟主ミッチェルの襲撃と、ミッチェルに反発するフォックス襲撃は、黒装束と機械音は共通しているが、手口と犯人像が大きく異なっていた。

 だが、いずれの事件も、大統領にプライムに対する敵意を煽るには、またとない好材料になる・・・ミッチェルの言動に懐疑的な国務長官を排除して、一石二鳥を狙ったか?

 当然のようにダレスの関与を疑ったメトカーフだったが、メリンダの言葉に動かしていた指が思わず止まった。


「・・・逃走する犯人の足をこの目で見たのです。靴の前半部が異様に横に広がっていました。まさかと思いますが、変装ではなく本物のミュータントだったら?何者かが蛇か蜥蜴の化身を作り上げたのでは?」

 あまりに飛躍した突飛な推測にも思えるが、足の形まで変装する必要があるだろうか?・・・

 メトカーフは自問自答した。

 蛇の化身と言えば、蛇神アポビスか?・・・邪悪さが故にセトと同一視された古代エジプトの悪の化身だ。もっとも、NTには別の解釈も成り立つ。「Non Terrestrial」だ。地球外生命体を意味する。たとえば、陰謀論に登場する荒唐無稽な爬虫類人だ・・・


 その瞬間、とある仮説が脳裏に閃き、メトカーフは目をカッと見開いた。

 ファットマンだ!

 先週の面接の折、天才ハッカーの言葉に胸にわずかに生じた違和感の正体を、ついに探り当てたのである。突拍子もない仮説にもかかわらず、ジグソーパズルの二つがピッタリ合わさった、と直感的に確信した。


 しかし、そんなことがあり得るのか!?


 メリンダもFBIの存在も忘れ、メトカーフは身体を硬直させた。驚天動地の発見が心胆寒からしめたのだ。最前までの大船に乗った気分もどこへやら、泥船で荒海を漂っているように寄る辺がなかった。


 私の妄想であってほしい・・・



* 「デザート・イーグル ~砂漠の鷲~」第2話「ハッカーの巣」

** "No Worries" "I'm Listening"「大丈夫だよ」「聞いているから」

*** 機動戦士ガンダム

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