第112話 風雲急 Upheaval
フォックス国務長官の襲撃事件は水曜日の出来事である。当日深夜、国務次官が概要を報告した緊急会合では、大統領と政府高官らは疑念と憂慮を押し殺して、世論とメディア対策を協議するに留まった。
だが、二度目の緊急閣僚会議では、不可解なテロ事件の裏側が明らかになった。
火急の事態に違いない!
日曜日の午前中に慌ただしく招集された会議とあって、高官たちは固唾を呑んだ。合衆国の国務長官が襲撃されるという由々しき事態を受け、議会が承認した内閣閣僚に加え、大統領が指名した副大統領以下の閣僚級長官のほぼ全員が出席した。
事件被害者のフォックス国務長官とダグラス補佐官は欠席した。国防長官の補佐を務めてきた統合参謀本部のダレス補佐官も姿を見せなかった。
国務長官の代理を務める国務副長官には、国務次官が補佐に付いた。合衆国インテリジェンス・コミュニティの実質的な指揮権は、各情報機関の長が握っている。そのため、国家情報局長にはフーバーCIA長官が補佐に付いた。
要人へのテロ攻撃を受け、国土安全保障長官が事件のあらましを報告した後、襲撃犯が海外から潜入したとの見方を示したため、緊急会議はライデッカー国防長官の独壇場となった。
「幸い国務長官は無事でしたが、我が国の高官に対するテロ行為は極めて由々しい事態です。ニューヨーク市警が、引き続き事件の捜査に当たっています・・・」
ドナルド・ライデッカーは一瞬、渋い表情を見せた。
大統領に進言して国土安全保障省(DHS)を介入させたが、どうしたことか市警の殺人課が、つい先ほど被害者の身元をいち早く特定したのである。
ニューヨーク市警はプライドが高い。厄介な連中だ!マスコミに流されては不都合な事情が災いして、DHSは市警との合同捜査を余儀なくされるはずだ・・・
その件で、息子のバロン・ライデッカーのメンツが潰れるのは目に見えていたため、国防長官は二重に憤りを感じていた。
だが、それぐらいならどうということはない・・・
胸に重くのしかかる心配ごとを振り払い、長年培ってきた集中力を振り絞って報告を続けた。
「残念ながら、犯人を追ったホテル警備員は、今日未明、二名とも死体となって発見されました」
なんと、殺人事件に発展したのかッ!
どよめきが一気に会議室に広がった。
シークレットサービス三名が重傷を負っただけに、悪質な政治テロと見越していたが、民間警備員が犠牲になったとなると、事態は一段と緊迫の度合いを深める。ライデッカーの説明が、一同の懸念に追い討ちをかけた。
「遺体は原形を留めていませんでした。極めて残忍かつ異常な状況ですが、武器を使った形跡がなく、殺害方法は特定できていません」
バラバラ殺人とは・・・
会議室のどよめきは一転して治まり、衝撃と畏怖の緊張感に室内の空気が冷たく張り詰めた。
と、ローズ・ジュニアがギロッと目を剥いて尋ねた。
「ミッチェル中佐が襲われた件と関係があるのか?」
あっけらかんとした表情をしている。人の痛みには殊に鈍感なうえに想像力に欠けるため、血生臭い惨状を思い浮かべることができないのである。
ミッチェル襲撃事件は一週間前の土曜日の出来事である。月曜日には中佐がホワイトハウスを訪れて、大統領と国防長官に面会したと、すでに閣僚たちは伝え聞いていた。
「大統領、ダグラス補佐官の証言と照らし合わせたところ、犯人の服装や機械音が酷似していると判明しました。同一犯の可能性は否定できません。二つの事件とも、周辺が警備されていたにもかかわらず、テロリストの侵入および逃走経路が掴めない点も共通しています」
民間組織に反発した何者かが起こした侵入事件と、国務長官襲撃というれっきとしたテロ攻撃がにわかに結びつくとは思えない。だが、国防長官の言葉は、高官らの疑念を吹き飛ばすに十分だった。
「ミッチェル中佐の襲撃事件を公表しなかったのには、
ライデッカーはそこで言葉を切った。
ロボット兵のプロトタイプを、素手で引き裂いたのか!?
犯人は明らかに人間ではない!
確かに、公表すれば世間は騒然となるだろう。余計な手間が増えるだけだ・・・
居並ぶ閣僚たちは驚嘆と畏怖の念をこめて互いに顔を見合わせた。しかし、ローズ・ジュニア、ブレジンスキー副大統領、フーバーCIA長官の三人は先刻承知と見えて無表情に聞き入っていた。
「今回の襲撃では、テロリストはカメレオン迷彩を用いて、シークレットサービスの意表を突きました。やはり素手で八人を行動不能にしたのです。うち二名は、味方が取り落としたレーザー銃を投げつけられて気絶しています。このことから犯人が銃を使えなかったという推測もできます・・・」
一同がにわかには発言の意味を理解できずにいると、ライデッカーは続けた。
「・・・と申しますのは、テロリストは蛇の顔に鉤爪が生えた手をしていた、とダグラス補佐官が証言したからです・・・大統領、前回の会議でお伝えした通り、フォックス国務長官はストレス性心理的外傷と診断されました。その後の聞き取りで、蛇恐怖症と判明しました。つまり、テロリストの姿が引き金となり、パニック障害を起こしたと考えられます」
「なんと、蛇の顔かッ!?・・・それは変装していたということか?」
ローズ・ジュニアの血色の良い赤ら顔も、さすがに心なしか蒼ざめている。ライデッカーはわずかに首を傾げて答えた。
「現時点では何とも申しあげられません、大統領。もちろん精巧な変装は可能ですし、蛇恐怖症の国務長官を脅かそうとしたとも考えられます。しかし、警備員を惨殺したとなると釈然としません。殺害は目的でなかったのか?それとも国務長官をバラバラに引き裂くつもりだったのか?なぜレーザー銃を撃たずに投げたのか?・・・」
ライデッカーの言葉は、大統領以下の恐怖心を巧みに扇動していると、メリンダであれば見抜いたはずだった。
「少なくとも、ヒューマノイド型ロボットではありません。ロボットであれば、閃光弾の影響を受けないからです。また、中国の虎部隊とは考えられません。特殊部隊は効率を優先します。原始的な攻撃や殺害方法は使いません。AIの分析でも、中国が我が国に直接テロを行う動機もメリットもなく、蓋然性は認められませんでした」
じわじわと聴衆のイメージを膨らませて、可能性を絞りこみ結論へと誘導する。あたかも聞き手が自分で考え出したかのように錯覚させる手だった。
「まだ不明な点が多く、事件の全容解明にはまだ時間がかかりそうです。犯人が何者かまだ不明ですが、襲撃者は、我われ新人類こそが人類に取って代わる優越種、と口にしています。また、中佐の襲撃犯も、我われへの敵意を煽るな、と警告しています。状況から見て、"我われ"とはミュータントもしくはその類の者たちを意味していると考えます」
ローズ・ジュニアは、ドングリ眼で国防長官を見据えていた。感情に訴えるミッチェルとは異なり、理路整然としたライデッカーの説明は、この男の鈍い頭では飲みこむのに時間を要するのだ。
他の高官たちも押し黙っていた。彼らは陰謀論者ではなく現実主義者だ。蛇の顔に鉤爪のミュータントなど到底信じ難いが、政権中枢きっての実力者にして長老格のライデッカーの言葉には重みがある。
「国務長官に対するテロが、フーバー長官やミッチェル中佐が報告した未知のサイボーグ、もしくはミュータントの犯行であるとすれば、二名の警備員は、我が国では初の人工兵士による犠牲者となります。冥福を祈るばかりです・・・」
ライデッカーは殊勝な言葉で発言を締めくくり着席した。
ミッチェルのようなカリスマ性のある自己陶酔型扇動者ではなく、フーバー同様、計算づくで人を操る法廷弁護士タイプのマニピュレーターだ。天性の扇動者ほど劇的な効果は望めないが、我が身に脅威が迫っているとなれば、知的な閣僚たちもいやが上にも理屈より危機感が先に立つ、と計算づくの発言だった。
CIA長官が示唆したプライムのサイボーグ・ミュータント開発疑惑は記憶に新しい。合衆国の首都にまで、怪物まがいの人工兵士の魔の手が伸びているのか!?
高官たちの中には、フォックスとダグラスがそうであったように、爬虫類人という言葉を想起した者も少なからずいた。
その後、政権中枢の警護強化策を決定して、緊急会議は一時間足らずで終了した。
ライデッカーは大統領と副大統領と言葉を交わした後、足早に閣議室を後にして、ホワイトハウス西館二階に並ぶ大統領スタッフの居室へ向かった。高級ホテル並みに整えられた部屋に入ると、着替える手間も惜しんで円形のセルフォンを手にした。うららかな陽射しを浴びた鮮やかな新緑が窓から望めるのだが、気が急いたライデッカーの目にはまったく入らない。
応答したのはエドワード・ダレスだった。
「ドナルド、閃光グリネードでエンプレスを錯乱状態にしたのは、いったい何者だ!?」
開口一番、ダレスがライデッカーを問いただした。辛辣な口調には年長者に対する敬意など
「それが・・・まだわかりません。考えられるのはダグラスですが、可能性は低いと思います。入手は容易ではないうえに、イブニングドレスにグリネードは隠せません・・・駐車場の車両はすべて点検しましたが、閃光弾が炸裂した痕跡はありません。ドローンなど外部からの侵入は、あらかじめブロックされていました・・・」
ライデッカーは蒼ざめて、急に年相応の老人の顔に変わっていた。緊急閣僚会議の間も、頭の中はこの問題で一杯だったのだ。
七十三歳の政権きっての実力者が、倍も年下の補佐官にひれ伏さんばかりにうなだれ、神妙にセルフォンを耳に当てている様は、ホワイトハウス内ではおよそ誰しも想像できない光景である。
しかし、ダレスは容赦しなかった。「スペシャリスト」の心情など知ったことではないのだ。
「閃光グリネードが間近で炸裂すれば、人間は錯乱状態に陥る。闇の属性を持つエンプレスも、生命の危機を触発されたに違いない。ホエザル、ラングール、ヒヒなどの猿や、ライオンの群れでは、新たにリーダーになったオスが、前のボスの子供たちを皆殺しにする。その刺激でメスたちが発情して交尾が始まる・・・同じことが起きたのだ!エンプレスはあの二人に交尾を迫ったが、人間相手では不可能事だ!二人は何を求められたさえ分からなかったに違いない・・・結果、エンプレスはイラついて、二人を惨殺し内臓を食らった。交尾後にオスを食い殺すクロゴケグモやサソリやカマキリのメスと、似たような事態が起きたのだ」
ライデッカーはごくッと息を呑んだ。
喉元まで出かけていながら、言い出せずにいた質問の答えが明らかになる・・・
「いいか、この私が君の息子のチームに潜入して、異臭と汚泥まみれの地下道を六時間も徘徊する羽目になったんだぞ!だが、間に合わなかった。エンプレスは冬眠に入っていた!目覚めるまでの期間は、プリーストにも分からない。国務長官に対する君のちっぽけな競争心が招いた失態だ!」
ダレスの鋭い声が鞭のように響いた。しかし、激しい叱責を受けたライデッカーは、恐れおののくどころか、ホッと胸をなでおろした。
バロンは無事だッ、よかった!
電話口のダレスに悟られないよう、息を潜めてだったが、思わず目を閉じ深々と安堵のため息をもらした。
「組織」の掟では、エンプレスに対する武器使用はご法度だ。麻酔弾さえ迂闊に使用できない。冬眠に陥っていなければ、発見した者が食い殺される恐れがあった。エンプレスを制御できるのは「プリースト」だけだ・・・
ライデッカーがダレスに同行を依頼したのは、エンプレスの確保は言うまでもないが、息子を守りたいという痛切な親心からだった。
怒り心頭に発したダレスは、格下のライデッカーとその息子のことなど元より眼中にない。まして殺害された組織の末端工作員など使い捨ての駒でしかなく、怒りの矛先はすでにライデッカーから、閃光グリネードを使用した敵に向いていた。
「あの二名は我われのコマンドだ。エンプレスは、駐車場の格子戸を持ち上げて下水道に逃げこんだ。二人はその後を追った。コマンドが二人がかりなら、1トンある格子戸を閉じるのは難しくはない。だが、スタングレネードを使ったのは、断じて彼らではない!精査して犯人を突き止めるんだッ!」
弱肉強食を絵に描いたような苛烈な階級制度は如何ともしがたい。役に立たないと見なされたが最後、下手をすれば粛清される・・・
息子の無事を確認してほっとしたのも束の間、ダレスの激しい剣幕にライデッカーは固唾を呑んだ。しかし、ダレスが激高した理由は察しがつく。重大な疑惑が頭を掠めたのである。
閃光グリネードを使用したのが新人類一味の仕業だとしたら、連中は我われについてどこまで知っているのか?
ダレスはとっくに同じ疑念を抱いていた。ダグラス補佐官の盗聴は失敗した。プロファイリング・デバイスが察知した補佐官の不審な表情も相まって、疑念を深めたダレスは、国務長官の排除を画策したのである。退任に追いこめば、自ずと補佐官も排除できると計算して、ライデッカーの提案に乗ったものの、思わぬ邪魔が入り不本意な結果に終わった。
またしても、プライムに先を読まれたのか!?プライムはエンプレスの存在ばかりか、動向まで把握していたのか?・・・そんなことはあり得ないッ!
このところ治まっていた迷信的な恐怖が、再びダレスの脳裡に蘇る。
「ドナルド、今回の汚名を返上したければ、電磁パルス爆弾の完成を急がせろッ!うるさ方の国務長官が戻る前に外堀を埋める、いいな!」
プライムへの恐怖は激しい怒りに取って代わり、国防長官を言い含めるダレスのつるっとした端正な
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