第105話 甘く危険な香り Bewitching Scent

「こいつは、シームレスコンテイナーじゃねえか!何が入ってんだ?」

 しばらくぶりに連絡があったと思えば、事もあろうにトイレで待ち合わせか?それも男子用だ。しかも、運搬用小型ロボを持って来て、とメールにあったが、見るからに危険物質と分かるトランクを持ちこみやがった・・・

おまけに、このにどうやって潜りこんだのかも見当がつかないときていた。これほど奇想天外な女には会ったことがない、とシンが目を丸くしたのは無理からぬことだった。


「知らないっちゃ。うちは預かっただけだから・・・」

 キャットは返事に詰まって、さすがに平素よりトーンダウンしていた。

 サンクチュアリに殺傷力のある武器は持ちこめないため、とりあえず森の中にトランクを隠して神殿に戻り、出かけると伝えた。を持ってのテレポーテーションには成功したが、伽耶から渡されたアセンブリで、事前に人の気配の有無を確認しなければならなかった。

 タイミングを逸すれば鉢合わせするから、気持ちが急いたっちゃ。後のことを考えてなかった・・・

 楽観的な性格が災いして、時として後先考えずに動く癖がある。

 困ったっちゃ・・・

 どう説明したものかと、キャットは頭を捻った。嘘をついたり口先で誤魔化すのは、どうにも苦手で咄嗟には言葉が出ない。


 その様子をつぶさに見て取ったシンが、おもむろに口を開いた。

「このトランクだけでも数百万の値がつく・・・なあ、キャット、お前、俺よりずっとやばいに首を突っこんでないか?」

 キャットに会うと、どういうわけか守護者めいた気分に囚われてしまう。

「うちは大丈夫だっちゃ。あんたはどうなの?」

 キャットは幾分か救われた気分で言った。

 修羅場をくぐってきただけに、シンには年齢より大人びた一面がある。根掘り葉掘り取りただす気はないらしい。


「まだ油断できない。警察の方はほとぼりが冷めたが、噂じゃ虎部隊の奴らがうろついている。俺が顔を出せるのは、今のところブラックマーケットだけだ」

「シン、ブラックマーケットにこの男が来たら、トランクを渡して欲しいっっちゃ!」

 折よくブラックマーケットの話が出た。

 早速、キャットは話を切り出して、アナログ写真をシンに手渡した。ご丁寧に両目の高解像度拡大写真も付いている。

「こいつは・・・お前を俺に預けた男じゃねえか!」

「だっちゃ。変装して来ると思う。でも、この写真を読み取って、目の辺りを認識ソフトにかければわかるっちゃ」

 キャットは伽耶の意図を察して手回し良く説明した。話し終えると、じっとシンの目を見つめた。

「・・・ああ、たぶん問題ない。まあ、渡すだけならお安いご用だ・・・けどな、お前、本当に大丈夫なんだろうな?」

 シンは苦み走った精悍な顔をしかめた。

 あの時は失神したように眠っていたのに、なぜこの男を覚えているんだ?

 他にも機関銃のように質問したくなるほど、疑問が山積しているのだが、面と向き合うとなぜか言い出せない。どうした按排でか、傍で見守るというスタンスに追いこまれるのだった。

 こいつの目に見つめられると、どうにも抵抗できない・・・どういうこった?


 この上なく魅力的な女と二人きりで密室に居るのだが、キャットと出会って以来、ギラついた欲望に駆られなくなったのも不思議だった。

 ガツガツしたところを見せたくないと、とりたてて意識しているわけでもなかった。自己分析とは無縁だが、それでも自分がキャットに崇拝に近い想いを抱いているのは認めざるを得ない。

 参ったな、こいつは・・・えらいこった!女に惚れるとは。

 シンは内心で頭を抱えた。


「じゃあ、確かめてみて!」

 と、今度はシンの様子をうかがって、キャットが唐突に言った。

「確かめるって、どうすんだ?」

 物思いから覚めたシンが訝し気に尋ねると、予想外の答えが返ってきた。

「うちにキスして」

 シンは豆鉄砲を食らった鳩のように面食らった。

「なんだ!?また、誰か盗聴してるってのか?」(*)

「ちがうっちゃ・・・」

「ま、まてよ。いきなり言われたってな・・・第一、ここは男子トイレだぞ」

 雰囲気もへったくれもあったもんじゃない・・・いや、なんで男の俺が言ってんだ!?

 泡を食ったというのが正直な感想だった。


「ふ~ん、案外奥手だっちゃね~」

 キャットがからかった。青い目をクリクリさせながら、思わせぶりに身体を寄せた。

 贅肉などこれっぽっちもないが、間近で見ると驚くほど量感にあふれていた。若さの象徴であるコラーゲン組織が、全身に充実し切っている。短いTシャツの胸はつんと張りつめ、短パンから白い脚がすんなり長く伸びていた。

 どこを取っても女らしい曲線と艶やかな肌に、否応なく視線が引き寄せられた。

 なんで、こいつはこんな格好で来たんだ・・・

 突然、キャットの薄着姿を強く意識したシンは、ドギマギして息を呑んだ。驚異的な清らかさを湛えた美少女が、淫蕩なサキュバスに変身したほどの衝撃を感じたのだ。


「ば、バカ言えッ!誰が奥手だってんだ!だいたい、女からせがむんじゃねえよ!商売女じゃあるまいし」

 これだから女は怖い・・・豹変しやがる!品を作るのは女の手妻だが、まさか近づき難い女神的な存在の美少女が、こうも臈長ろうたけていようとは思ってもいなかったのである。

「へ~、シンって、と付き合ってるっちゃね~」

 キャットはお構いなしにシンを追いこんだ。何と言っても、千年間の女としての経験のいくばくかを明確に記憶している。その上、新人類のオーラをちょっぴり解放すれば、フェロモン現象も起きる。落ちない男はいない。

「う、うるせぇー」

 藪から棒に迫られちゃ、心の準備が・・・

 シンはうろたえた。しかし、持ち前の負けん気がムクムクと頭をもたげた。

 なんで、俺が追いまくられてんだ!?こうなったら・・・

 イライラがつのって、ついに開き直った。場数なら踏んでいる。いったん決心すると行動はスムースだった。

 右腕でキャットの腰をソフトに、しかし力強く抱き寄せ、左手を後頭部に当て乱れた髪を押さえて顔を寄せた。


 怒涛のように意図していなかった展開に引きずりまれたのは、キャットも同じだった。着替える手間を惜しんで、サンクチュアリからすっ飛んだが、何も誘惑しようと意図的に軽装にしたわけではない。

 自然派の第二世代は、コットン100%の衣類を好む。たまたまTシャツと短パンを着ていた。女ばかりの神殿だから、初夏の暑さに軽装でいたところで、誰にも気がねはいらない。それだけのことだった。

 キャットは、ぼんやりと頭の片隅で思った。

 こんなつもりじゃなかったのに、なぜか口が勝手に動いた。もう止まらないっちゃ・・・

 第三世代がこんなに動物的だとは、自分でも意外だった。


 逞しい男の腕にくびれた腰を捕らえられ、もう逃げられないと被虐的な諦念と共に、妖しい衝動がこみ上げてくる。新人類の力なら人類の男を退けるのは容易だが、むろんあらがうつもりはない。

 荒っぽく髪の毛を掴み止められると、キャットは目を見開いてシンを見つめ、やがて観念したように閉じた。ほんのりピンク色をした唇が半開きになり、男の口づけを待ち受けた。


 シンは息がかかるほど近くまでそっと唇を寄せた。辛うじて触れる程度の微かなキスで女をじらした。

 上手だっちゃ・・・

 つーんと両胸と下腹部が疼き、キャットはため息が漏れそうになるのを堪えた。過去千年の転生の度の記憶に、魂も消し飛ぶほど快楽の絶頂を極めた体験が刻まれている。いったん覚えた愉悦の感覚が鮮烈に蘇る。

 あ~、ダメダメーーー!

 疼きは全身に広がってゆく。全身が性感帯になったようだ。

 懐かしいわ、この感触。冬眠に入って以来何十年も忘れていたわ・・・

 大人の女の昔に返ったキャットは、ずるずると快楽の深淵に引きずりこまれた。

 ふーん、と甘いため息が鼻から漏れた。

 

 脳も身体も激しく反応してはいたが、しかし、キャットの意識は透徹して観察者として止まっていた。

 キャットが両手でシンの首をかき抱いた。ソフトなキスから一転激しく二人の唇が互いを求めあった瞬間、は起こった。


 過去生がフラッシュバックして弾けた。


 シンは驚嘆した。「走馬灯のように」と言うが、それ以上に違いない。思考が止まり時間経過も意識できない。白昼の明晰夢に没入していたのが数秒か数分か、後で振り返っても判然としなかった。

 気づくと、目を大きく見開いて肩で息をしていた。眼前のキャットの顔は、静謐とも言えるほど穏やかだ。


 二人を突き動かした激しい情動は、跡形もなく消えていた。


 な、なんだ、今のは!?まただ・・・アーケードでこいつに言われてキスした時と同じだが、今回はあの時よりずっと長かった・・・

 シンは目をパチクリさせて茫然と突っ立っていた。

 そっか!過去生を見るために、情熱的なキスが必要だったっちゃね・・・

 キャットは胸でつぶやき、やおら口を開いた。

「シン、誰か来る前にここを出たほうがいいっちゃ」

「・・・ああ、そうだな」

 シンは瞬きしてのろのろと答えた。気持ちを切り替えようと頭を振った。謎が増えたが、本能的にキャットには尋ねない。

 こいつは前世からの因縁ってやつに違いない!

 いかに突拍子なくとも、疑いの余地なく腑に落ちたのである。


 運搬ロボットを近づけると、自動的にトランクを挟みこんでキャリアに載せた。重量135キロという表示にも、今のシンに驚きはない。

 ふっと笑みを湛えて、ぶっきらぼうに言った。

「気をつけろよ、キャット・・・」

 剽悍なワルの顔貌が引き締まった。尽きせぬ純粋な想いが、こぼれるように温かい笑みになって漏れる。キャットがどうやって出入りしていようと、もはや気にならなかった。

「ありがとう。気をつける。あなたもね、シン」

 キャットも華やかな笑顔を返した。

 あなたと呼ばれたのは初めてだ・・・妙に大人びてやがる。聖女にして色女にして・・・オパルとか言う国の王女か?アルビオラと言ったな・・・

 鮮明に残る走馬燈のような白昼夢の記憶を辿りながらシンは思った。

 敵わねえな・・・

 そして、限りない憧憬と情愛をこめて、改めてキャットを見つめた。

 やっぱり、彼がソウルメイトね・・・馴れ初めは他愛のない出来事だった。当時はロイと言う名だったわ・・・

 千年前の記憶が白昼の明晰夢を通じて蘇り、言葉にならない想いを反芻するキャットの目が潤んだ。


 どちらともなく歩み寄った二人はひしと抱き合った。心身の波長がぴったり合ったような一体感を感じる。熱に浮かされ快楽を貪り合うだけでは、決して得られはしない至高の瞬間だった。

 あの日、互いの胸に芽生えた恋心は、千年の時を経てもなお、清澄で一途な輝きを放っていた・・・



* 「青い月の王宮」 第46話「シン」

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