第104話 世界一高価な物質 The World Most Expensive Material

  このところ、これと言って物騒な任務もなく、キャットは文字通り猫のようにくつろいで過ごしている。折しも夏休みに入り、匠も再びサンクチュアリに戻って来た。ここでの生活に慣れるためもあるが、シティでは異能力や格闘技の訓練はやり辛いという事情も手伝った。

 キャットはこの展開にすこぶる満足していた。

 とは言え、サンクチュアリの毎日は忙しく明け暮れる。自給自足のコミュニティでは、穀物や野菜や果実類の栽培から、建物や電子機器の維持管理まで、多彩な作業をこなさなければならない。仲間と軽口を叩きながらせっせと身体を動かした。

 仕事が一段落すると、匠が研究論文をまとめているそばで、ゴロゴロ喉を鳴らしては、時折構ってもらおうとちょっかいを出した。そうこうするうちに、アロンダがシティから跳んで来る。近況報告と匠の訓練のためだ。

 平穏無事な日々も、それなりに慌ただしいのである。


 匠がアロンダに首根っこを掴まれて訓練に引っ張り出されると、残されたキャットは「あ~あ」とため息交じりに唇を尖らせた。

 サンクチュアリで唯一の男性なのに、アルファメイルどころか結婚飛行まで役立たずの雄アリみたい。居候扱いだっちゃ・・・でも、二人は本当に仲睦まじい。

 キャットは、またため息をついた。シンはどうしているのだろうと、つい恋しくなってしまうのだ。アロンダと匠が千年前の鞘に収まり、貴美とアキラも運命の再会を果たした。それはそれで嬉しいのだが、ひとり取り残されたような孤独感がついて回る。


 第三世代のキャットは、第二世代とは特徴的な違いを抱えている。人類同様、遺伝的に受け継いだ「チンパンジーの脳」に支配されがちだった。

 好戦的で感情的で、そう、寂しがりやの・・・と、いくら新皮質の理性で理解したところで、内側に位置する旧皮質の優位は揺るぎはしない。

 第二世代の方が、実は進化の次の段階に達している。チンパンジーの脳に左右されない平和的な種だ。

 種と言うより、次元が異なる存在だっちゃね。ママ上とうちも冬眠するまでそうだった。人類の未来を担うのは第二世代だもの・・・

 キャットは、三度みたびため息をついた。


 午後は監視塔で見張りの任務に回った。梅雨の中休みで、初夏の陽射しが燦燦と降り注いでいた。三時にケイコと東西の監視区域を交代した直後、東側に広がる森に小さな光の煌めきを捉えた。キラキラッとキャットの顔を射る。

 伽耶だ!

 鏡の反射に即座に気づき、回廊の反対側に立つケイコに「すぐ戻るから」と声をかけて、塔の縁に飛び乗り三角錐状に広がる屋根の陰に立った。ケイコも心得たもので、指でOKマークを作って「了解」と答えた。


 慎重に目測するのも忘れなかった。

 平地とは違うっちゃ。跳び過ぎれば、地面に激突して木っ端微塵・・・になるかどうか実は誰も知らないけど。伽耶もうちら第三世の三人も、そんな危険な実験をする気はない。

 それに、リープの光速移動も実証できていなかった。実験したところで、距離が短過ぎて、現代の科学技術では経過時間を精密に計れないのだ。

 そもそも、第三世代特有の異能力であるリープとテレポーテーションは、伽耶に言わせると、三次元プラス時間の枠組みでは分析できないらしかった。

 キャットは第三世代に覚醒してまだ半年も経ていない。言うなれば、第二世代になったばかりの匠と同じ初心者だ。慎重に距離を見定めてから、短めにリープをかけた。地表から二メートルほど残して跳び、猫のように音もなく着地した。


 伽耶は神殿から目の届かない木陰で、キャットを待っていた。

 初めて目にするスーツ姿だ。へぇ~、スーツを着ると見違えるっちゃね~!ずいぶん大人っぽく見える。大企業のトップだから、当然だけど・・・

 キャットは物珍し気に伽耶を眺めた。

「伽耶、おかえりッ!」

 弾んだ声をかけると、上品なグレーのスーツを着た伽耶は、足元の大型スーツケースを持ち上げて言った。

「ただいま、キャット。これをシンに渡して頂戴」

「なんだっちゃ、これ?」

 受け取ったケースは見かけよりずっしりと重い。ノングレア調で材質は炭素鋼と思しいケースには継ぎ目が見当たらない。

「世界一高価な物質よ」

 伽耶が言った。

「高価って、いくらだっちゃ?」

「値がつかないでしょうね。ついたとしても、日本の国家予算では足りないわ」

 伽耶は何の衒いもなく言った。

「えーッ!」

 スーツケース一個で百五十兆円ッ!?

 思わず素っ頓狂な声が漏れた。

 いけない!

 キャットは慌てて口に手を当てた。神殿の第二世代たちは、聴覚も人類より鋭いから注意が必要だ。

「そんな・・・プラウドに渡してもいいのッ?」

 うわずった声を潜めて異を唱えた。ナーバスになると、決まって標準語が口をついて出る。

 カヤコープの全資産を売り払っても買えっこない。あのベイツ財団だってたぶんムリ・・・

 つまり、買ったんじゃない、とピンときた。


「シンなら信頼できるわ。ずっと地下に籠っているのでしょう?前にヘッドギアを使って金庫にテレポートしたわね」

「うん、ロボティックマウスの疑似感覚を使った。でも、アキラさんが細工した監視カメラは取り換えられたから、金庫室にはもうテレポートできないよ」

 伽耶はかぶりを振った。

「あのマウスを手に入れた後(*)、シンは大金庫のある地下に入ったの。その 途中、化粧室に立ち寄っていたわ。個室に入った時、かさばるからポケットから出したのね。運よく部屋のデータが残っていたの」

「えッー!?男子トイレにテレポートするの?」

 そりゃ、監視カメラはないけど・・・

 場所が場所だけに、妙齢の乙女としてはしかめっ面にもなる。もっとも、地下ならシンにメールを送っても傍受されないから好都合でもあった。

「だけど、跳んだ途端、用を足しているラガマフィンに出くわしたら?女痴漢じゃすまないよ。テレポーターの存在がバレたら大変だっちゃ!」

 伽耶はいたずらっぽく笑って、スーツのポケットから薄い汎用通信機を取り出した。

「大丈夫よ。アキラが赤外線センサーを個室に仕掛けてくれたの。信号は有線で地上の送信器につながっている。このアセンブリで、事前に人気ひとけのあるなしを確認できるわ」

 

 相変わらず先をお見通し・・・さすがだっちゃ!アロンダから伽耶がナーバスになっていると聞いて気を揉んでいたのだが、これも杞憂だったみたい。

 キャットは胸をなでおろした。跳ぶ場所は気に入らない、が総じて良い風の吹き回しだった。

「じゃあ、シンに会えるっちゃね!」

 衝動的に伽耶に抱きついて「やったー!」と叫んだ。百五十兆円の代物が何なのか、どうやって手に入れたか、尋ねもしなかった。

 どうせ、答えっこないっちゃ・・・


「プラウドの本拠地は要塞並みね。警察も虎部隊もダレスの部下も迂闊に踏み込めないわ」

 伽耶の言葉通りだ。プラウドは伝統的な暴力団でも新興武装組織でもない。れっきとした企業体で、小規模な軍隊に匹敵する武器を隠し持っている・・・

 キャットはこっくりうなずいた。男子用個室トイレは最低のデートスポットだけど、ま、いいかと思うことにしたのだが、それには訳があった。

 もう三か月にもなるが、ずっと頭にこびりついている現象を解明する絶好の機会が巡って来たのだ。

 喧嘩別れを偽装したキスの瞬間、蘇ったうちらの過去生を確認したい!

 あの盗聴騒ぎの後(**)、立て続けに事件に巻きこまれたため、二人はじっくり話し合う時間さえなかったのだ。


「キャット、シンに伝えて頂戴。兵器闇市にこの男が現れたら、大尉が注文したと言って、トランクを渡してほしいと」

 伽耶が手渡したアナログ写真には、サービスカーキを着た三十代の白人男性が写っていた。

「軍人だっちゃね、誰なの?」

「モビールスーツの専門家よ」

「モビールスーツって、あの機動歩兵の!?大尉って大滝ね!」

 キャットは胡散臭いと顔をしかめたが、伽耶はいたって真面目な顔で言った。

「ええ、軍曹はシンを呼び出してあなたを渡した本人よ」


 うちが焼き殺されかけた時だっちゃ。麻酔を打たれて眠っていたから覚えてないけど・・・

 汚染地帯で逆襲に遭ったキャットは、大滝への不信感を隠さない。たとえ過去生で伯父だったとしても、現世とは関係ないと割り切っている。慈悲深い第二世代の頃とは明らかに違う反応で、敵に対して容赦がなくなり、キャットの攻撃性は高まっていた。

「なんで機動歩兵にこのトランクを渡すっちゃ?だって、これ武器でしょ?シームレスケースだもん」

 百五十兆円ともなれば、高信頼性代替核弾頭(RRW)を搭載した長距離弾道ミサイルなら約一万機の予算に匹敵する。

 いったいどんな武器、ううん、兵器なの?

 キャットは身の毛がよだつのを感じた。しかし、伽耶は笑顔であっけらかんと言った。

「今にわかるわ」


 ま、またそれなの~・・・お得意のフレーズが出たっちゃ!

 アロンダから大きな秘密を抱えて悩んでいると聞いていたが、今の伽耶にはそのような気配は微塵も感じ取れない。

「伽耶、こんな兵器、渡してどうするの?」

「何もしないわ。後は大滝とバトルプロセッサに任せるの」

 えェ―、何もしないってなんなの!?ママ上に聞いていたけど、バトルプロセッサって、どこにあるの?

 伽耶は言葉に詰まったキャットに、温かい眼差しを投げた。

「大丈夫よ、キャット。お願いね」

 賛成できないけどね・・・でも、いつもクールな伽耶があんな優しい目をするのは珍しい。どこか変わったみたい・・・

 ほだされるように反論する気が失せたキャットは、しぶしぶながら言った。

「わかった。シンに渡すっちゃ・・・伽耶は?これからどうするの?」

「イタリアに戻るわ。まだ調査があるの」

 伽耶は再び優しくキャットを見つめ、直後にオーブに包まれて忽然と消えた。


 とてつもない出来事が起きそう・・・

 さすがのキャットも背筋が凍りつくような恐怖を感じる。心なしか手にしたスーツケースがひどく重たく感じられた。

 きっと、過度のストレスって言うだっちゃ・・・

 試しに左手に持ち替えて、「ううん」と首を横に振った。


 これ、マジでめっちゃ重いやんけッ!


 思わず笑いがこみ上げてきた。あっさり気持ちが吹っ切れたのだ。

「伽耶が言うんだから、うまくいくに決まってるっちゃ。それに、やっとシンに会える!」

 覚醒したてなのも同じなら、天然ボケなのも父親と瓜二つなのである。



* 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第10話「ストリート・ファイター」

** 「青い月の王宮」第46話「シン」


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