第103話 点と点 Connecting The Dots
スローモーションの世界は、思考が止まり観客の声も届かない。
静寂を縫って大滝はエンドゾーンへひた走った。時間が間延びしたが、驚きも疑問も思い浮かばない。頭の中は空白だ。
自動人形のように動く身体を、分離した意識が他人事のように観照していた。
背後をチラっと振り返り、追っ手から遠ざかる方向を見定める。刹那にミシガン大学のキッカーと目が合った。
サイドラインの奥、プレースキックの練習用ネットが置かれたスペースで、ヘルメットを脱ぎぽつねんと
突如、時間が元通りに動き出し、スタジアムの喧噪が怒涛のように耳に飛びこんできた・・・
大滝は無意識に拳を握り絞めた。太い眉の直下で切れ長の目が鋭く光っている。
あのキッカーは、トップガンのミヤザキだ!
今の今まで気づかなかったが間違いない!芸能番組で盛大に取り上げられたのを見たばかりだ。フルネームはアキラ・ミヤザキ・ミヤマか?名前からして深山貴美とも接点があるはずだ。
故障した撮影ドローンに、後年のトップガンとはな・・・どうやら、六年前に因縁は定まっていたらしい。
運命など信じない大滝にしては、奇妙なほど自然に得心が行ったのである。
世界がスローモーションで見えるとなれば、もはやフットボールを続ける意味はなかった。フェアな勝負ではなく、勝ったところで面白くも何ともない。
ならば、いっそフェアプレーとは縁がない戦場で己の力を試したい!
時間が緩やかに進む現象がこの先再現する確信はなかったが、大滝に迷いはなかった。何かに突き動かされるように決意を固めたと言ってもよい。
六年後の今日、多くの謎が未解明だが、あの時の決断は間違っていなかった。俺には何かやるべきことがある!
そう言えば、先ほどの夢でも同じ言葉が心に蘇った・・・
明晰夢の謎が胸に去来して、大滝は顎を片手で撫でながら宙を見据えた。
サウロンと呼ばれたが、俺はなぜあの男の視点からすべてを見たんだ?・・・まさか、過去生じゃあるまいな?
降って沸いた妄想を即座に振り払う。
バカな!
現実主義者の大滝には、全くもって受け入れ難かった。まして、ロペス軍曹は筋金入りの合理主義者ときている。シティのカウンセリング後、軍曹に瞳の色が変わったと指摘され、行きがかり上、記憶が消えているとは伝えたが、明晰夢のことまで打ち明けるのは時期尚早だ。ローズボウルで時間が止まった経験も、まだ話せそうにもなかった。
心を決めた大滝は、きっぱり言った。
「ジャッキーの件は心配無用だ。俺はイカレちゃいない。だがな、まだ説明がつかないのだ。何か掴むまでしばらく様子を見る」
持ち前のふてぶてしい落ち着きを、あっさり取り戻していた。
ロペス軍曹は素直にうなずいた。ローズボウルと今日の出来事のつながりは判然としないままだったが、ジャッキーさんじゃないが知らぬが仏なのかも知れない、と思う。自分を巻き添えにしないよう大滝が配慮しているのも、察しがついていた。
しかし・・・
一抹の不安が胸を
「ミシガン大学守備チームが大滝のランに備えて訓練したように、USCのAIもイーズリーらの動きを分析して、攻撃シミュレーションを組み立てた。大滝はシミュレーションに従って動いたまでだ」
あの神業をスポーツ評論家はこぞってそう分析した。USCのヘッドコーチも否定しなかった。軍曹も今の今までそう考えていた。
だが、大尉の話しぶりからすると、どうやらそうではなかったようだ。となると、奇怪な出来事は当分終わりそうにない・・・
重苦しい予感に打ち震えたが、気持ちを切り替えようとすぐさま大滝に話しかけた。
「ジャッキーさんから伝言があります」
「なんだ?」
「気晴らしが必要と伝えてくれと。ただ、何と言いますか・・・女性には近づかない方がよいと」
いかにも伝え難い様子で言葉を選んだ。
大滝は珍しく神妙な顔になった。
あの夢は性欲とは程遠い。まったく異質で底知れない衝動に駆られた。だが、いずれにせよジャッキーの言う通りだ。思えば日本に来て以来、男どもはちょろかったが、女には騙され、叩きのめされ、挙句の果てに記憶喪失と碌なことがない・・・これぞ、女難ってやつか?
苦笑したがすぐ真顔に立ち返った。ふと思い当たったのである。
女と言えば、ミヤザキを発見したのは、確かファッションモデルだった・・・軍事演習での事故は秘匿される。有名モデルのパイロット救出劇がメディアで報道されるのは、異例中の異例だ!
こういう時、軍曹は雑学から報道まで頼りがいがある情報屋だった。
「トップガンのミヤザキを発見したのはモデルだったな?」
「ナラニキリシマです。ハワイ在住の日本人です・・・先月、シティを訪問しています」
期待通り、ロペス軍曹は素早く情報を捕捉した。
「シティをか?」
大滝の眉がぴくッと動いた。
「SNSに投稿があります。ナラニキリシマ『ローマの休日』、大学生とスクーター相乗り・・・なかなかの別嬪ですね~」
何の気なしにモニターに目をやった大滝は、唖然として息を呑んだ。
大学生はヒダノだッ!
見間違えようがなかった。シティでの暗殺未遂の際に本人を目視で確認している。黒いコンタクトレンズに隠れた大滝の目に、青い焔が燃え上がった。
時として、大尉に流れる異質な血を感じる・・・
精気が
常人ならとっくに気を病んでおかしくなるところだ。汚染地帯で死んだと言ったが、実際、大尉の血液は破壊的なダメージを被っていた。ジャッキーさんの首を絞めたと聞いて、てっきりあの時の心理的トラウマが原因かと思ったが、あっさり元に戻った・・・
機動歩兵のストレス耐性はむろん常人のそれではないが、大滝は他の歩兵たちとも一線を画すほど強靭なメンタリティを折にふれて露わにする。物ごとに動じた姿はおよそ目にした覚えがない。
屈強の特殊部隊員と言えども、過酷な戦場を転々とするうちに、心を病む例は枚挙にいとまがない。最先端脳医学による治療も虚しく、自ら命を絶つことさえある。そのため戦闘任務後は、トラウマがもたらす脳細胞の損傷や異変の検査と精神鑑定が義務づけられている。
ところが、大滝について言えば、これまで有意なトラウマを検出した試しがなかったのである。軍曹が知る限り、特殊部隊員が過酷な任務から帰還後に受けた検査で、トラウマ反応ゼロは過去に例がない。
異常性格者でもない限りあり得ない!だが、機動歩兵は採用前に例外なく厳しい脳探査と心理鑑定を受ける。大尉は人格障害とは無縁だ。だが、人間離れしているのも事実だ・・・
「フリオ、虎部隊のアジトから助け出した娘を覚えてるな?」
大滝の声に軍曹は我に返った。
「もちろんです、大尉」
忘れようがなかった。キャットという娘を解放した後、時を経ずして同じ国道でロケット弾攻撃を受けた車両三台が焼失している。日本中を震撼させた異常な事件は記憶に新しい。
中東の激戦地を目の当たりにしてきたが、銃さえ規制されたこの平和な国で、事もあろうに燃焼爆弾が炸裂するとは、フェイクニュースを疑ったほどだ。
地元ギャングの抗争と報道されたが、もちろんマスコミ報道を鵜呑みにするほど、軍曹はお人好しではない。
娘を引き取りに来た若い男は、明らかに堅気ではなかった。虎部隊、組織犯罪集団、機動歩兵のそろい踏みと知れば、関連を疑わない方がおかしい。日本政府の隠蔽工作の裏に、アメリカ政府、CIA、Yakuzaが関与しているはずだ。
「あの時、女のセルフォンを使ったな?番号を覚えているか?」
大滝が尋ねた。シティの姉弟に接近すると決まって邪魔が入る。残された手掛かりはあの娘だけだった。
「それが、電話番号はすべて非表示でした。連絡には折り返し機能でSMSを使いました。分かったのはシンという名前だけです」
軍曹はいったん間をおいて、付け加えた。
「・・・ですが、居場所はわかります」
「どこだ?」
「メガロポリスの商業区域とスラム街の境です。プラウドはブラックマーケットを不定期開催しているのですが、シンという若者は、どうやら武器オークションを仕切っているようです」
大滝は眉をひそめて軍曹を見つめた。
「裏組織の内部情報まで調べたのか?やるな」
「それが・・・言いにくいのですが、武器兵器の見本市や闇市を覗くのが趣味でして・・・」
軍務で世界を転々としながら、軍曹は各地の武器闇市にも危険がなければ顔を出して来たのだが、服務規程に反するため大滝にも隠していたのである。
アブナイやつだな。軍に知れたら不名誉除隊ものだ・・・
大滝は半ば呆れ半ば感嘆した。
生真面目で大人しいフリオが、無政府主義者で武器マニアとはな。人は見かけによらないもんだ。
しかし、そうなるとシンとやらに接触するには、フリオを巻きこむしかなくなる。このルートは使えない・・・
大滝はあっさり計画を断念した。自身で闇市に潜入する気はさらさらない。機動歩兵は北米連邦軍および米軍の軍事機密に相当する。発覚すれば服務規程違反では済まないのだ。
となると、相手の出方を見るしかなさそうだった。
おかしい!
大滝は思わず「う~む」と唸った。それほど驚いたのである。
忘れていた!
汚染地帯であの娘が走り寄って来たところを捕えた時のことだ。装甲の手足には触覚センサーがあるが、電撃で機能停止していた。だが、視覚には影響がなかった。娘はカメレオン迷彩を使っていたが、機動スーツのアイシールドには通用しない。カムフラージュ迷彩を識別する機能が備わっている。
虎部隊のアジトと同じボディスーツを着ていたぞ!世界最悪の放射能汚染地帯に、あんな恰好で入る者はいない!
アポカリプスの直後、残された財産目当てに入域した無防備な略奪者たちは、数年から数十年を経て、大多数が放射能内部被ばくが原因の疾患で死亡している。
臓器に不均一に蓄積する人工放射能核種の影響も、かつては均一と想定して推定するしかなかった。しかし、AIシミレーションの進歩と生体内ラジオオートグラフの実用化により、ナノメートル範囲に生じる膨大な内部被ばくが実証されたのである。
均一分布する自然放射性物質カリウム40とは桁違いの被ばくが局所に起きる。誰しもが知る有名な話だ・・・
大滝は汚染地帯で謎の電撃を受けた後、短刀で刺されて人事不省に陥った。奇妙な夢だけは鮮明に覚えていたものの、あの時点では他の記憶が判然としなかったのである。
報告書をまとめた時も思い当たらなかった。参謀本部も気づいていないだろう。防護服を着用した相手を赤外線識別で生体認証して、キャットと同定したと解釈したはずだ・・・
すぐさま別の疑問が頭に浮かんだ。汚染地帯での記憶が鮮明に蘇ったのだ。
あの後、深山貴美と
軍曹の訝し気な視線をよそに、腕組みをした大滝は唐突に切り出した。
「フリオ、覚えてるか?確か数年前、プライムが妙なミュータントの存在を予測したな」
軍曹は少しばかり驚いた。
「はッ?・・・ああ、新人類レポートですね?」
「手に入るか?」
「さあ、どうでしょう?日本政府は新人類の存在を否定しましたから・・・」
軍曹は言葉を濁した。明らかに乗り気ではない。
「お前にしては珍しいな。政府を信用するとは」
大滝は目を細めて、幾分からかい気味に言った。麻酔が切れてほぼ常態に戻っていた。
「いえ、信用はしていませんが、あまりに馬鹿げていたので・・・」
ロペス軍曹はもっぱら科学技術に焦点を合わせている。
生物の進化は日常的に起きているが、それは継ぎ接ぎ的な変化に過ぎない。新しい種の誕生となると、途方もない年月と大掛かりな環境の変化が関わる。遺伝子操作ならともかく、自然進化した超人類となると眉唾ものだ・・・
「・・・ですが、調べてみます!」
軍曹は過去の経験から即答した。大尉を巡る謎は増える一方だ。このまま手をこまねいているより、大尉の直観に従う方が賢明だった。
「頼んだぞ、フリオ」
大滝はニンマリして軍曹の肩を叩いた。
流れに任せると決めてみれば、さっそく立て続けに収穫があった。この数カ月、相次ぐ謎に頭を悩ませてきたが、ようやく点と点がつながった。
プライムが俺を日本に送りこんだのが、そもそもの事の発端だ(*)。果たしてプライムとどう結びつく?
こいつは面白くなってきやがった!!
大滝の目はかがり火のように生き生きと力強く煌めいていた。
* 「青い月の王宮」 第29話 「人工知能の罠」
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