第102話 キッカーの謎 ID The Place Kicker

 夢の世界に引き摺りこまれ、たまたま揺り起こしたジャッキーを巻き添えにしたらしい、と大滝は感づいたのだが、どうにも説明のしようがなかった。夢と現実が交錯して記憶は曖昧模糊としている。若い娘の首を絞めた理由もおよそ見当がつかない。

 過去数カ月、不可思議な出来事に次々に見舞われた。大滝の得手とする直接行動では解決できない。と言って、未知の要因をいくら考えたところで答えは出ない。まるでシーツが身体にまつわりついたように動きが取れずもどかしい。


 しかし、明晰夢がある閃きをもたらした。

 滝に落ちたあの夢だ。溺れかけて戦いを放棄して身を任せた・・・ならば今も流れに任せればいい!

 それは天啓のようでもあり、自己救済のみを信じてきた大滝には新鮮な驚きだった。狡猾で用心深く楽観主義には縁がない特殊部隊員が、天任せの気楽さに身を委ねる気になった。

 頭を整理するためにも、発端となった出来事を見直してみるか?落ち着くところへ落ち着くはずだ。フリオに何を伝えるべきか、自ずから明らかになるだろう・・・

 そう考えた大滝は、目を上げて軍曹を見やった。


「試合の映像はあるか?最後だけでいい」

 あのスーパープレーを、他ならぬ本人と共に視聴する日が来るとは!

 感激したロペス軍曹は、いそいそと軍用IDを操作した。大部屋の大型モニターを起動してから、慣れた手つきでヴァーチャルキーボードを操り、ものの数秒でネット投稿から動画を見つけ出した。

 この手の映像はモグラ叩きのように、著作権法違反で消されたと思えばまた現れる。動画サイトも心得たもので、裏でテレビ局と取引をかわし、特定の企業CMを違法動画にリンクして広告収入につなげている。

 「アイキドー、オータキ!」と、派手に銘打ったタイトルが躍る。大滝の父親が空手家なのをもじったらしかった。


 スロー再生では、大尉の動きは流れるようにスムースだ。なるほど合気道と通じるものがある。

 巧みな包囲網にサイドラインへ追いやられ、中央へカットバックするスペースを失った。最初のタックルは弾き返したものの、動きが鈍ったところへ、計ったように二人のディフェンダーが相次いでタックルをかけた。にもかかわらず、風のように間をすり抜ける様は、相手の動きを事前に把握していたかのようだ。

 何度見ても神業としか思えない!


 軍曹は感動も新たに、夢中になって思わず解説を入れた。

「身体を右に捻って衝撃を逸らせ、右手で相手を後方へ払ったんですね?腰に飛びついたDBは、自重で振り子のように外へ飛ばされました!」

 大滝はうなずいた。

「俺はライン際で辛うじて持ちこたえた」

「身体が起きて突っ立った状態でした。そこへイーズリーが襲いかかった。体勢は万全で体格も引けを取りません。普通なら逃げおおせない状況でしたが、捕まる直前、右手でヘルメットを押さえつけ、左に一回転してすり抜けました。ここです!」

「ケニーはしぶとい。腰は掴み損なったが両脚にしがみついた。身をよじって振り切ったが、背後から足元をすくわれ、頭から転倒しかけた」

 生中継の時もこの場面で肝を冷やした!軍曹は手に汗を握った。


 身体が伸びきって倒れこむ寸前、咄嗟にボールを持ち替えた大滝は、左手をターフに着いて一瞬体重を支え、辛うじて右足を踏みこんだ。這いつくばるようにたたらを踏み、ヘルメットが地面すれすれをかすめた。両手と両足以外が地に着けば、即座にゲームオーバーだ。二歩、三歩と、蹴躓けつまずくようにつんのめり、必死に脚を運ぶ様が鮮明に映った。

 爆発的な膂力を発揮して危うく体勢を立て直すと、一気に独走態勢に入った。「あーッ、とッ、突破したッ!まさか、アン、ビ、リーーーバーブルッ!!オータキが走る、30ヤード、20、10・・・タッチダウンーーー!トロージャンズ!なんということだッ!」

 アナウンサーの絶叫と、スタジアムを揺るがす観衆の声が木霊した。


 大滝が尋ねた。

「上空からの映像はどうした?」

 実は試合映像を見るのは今日が初めてだ。「あの瞬間」を境に心境が一変して、フットボールへの情熱が薄れてしまったのである。

「それが、試合当日、映像コントロールセンターのAIが故障して、スタジアムの撮影ドローンは、軒並み使えなかったのです。NCAAは急遽、報道衛星を手配して上空から撮影したそうです。高解像度が得られず、結局放映されなかったと聞いています」

 事情通の軍曹は即座に答えた。

 大滝は怪訝そうに眉をしかめた。サイドからの映像では、俺が二人と同時に動き出したとは分かりづらい。ドローンなら確実に捉えたはずだが・・・

 故障は偶然なのか?微かな疑惑が胸に沸いた。


 大滝はおもむろに口を開いた。

「試合後、ハイズマン賞はリックが受賞した。マスコミやネットは人種差別ではないかと騒いだが、俺は納得していた。あのゲームは負け試合だったからだ。試合には勝ったが戦略では負けていた。わかるな?」

 一瞬考えを巡らせた軍曹は端的に言った。

「・・・キッカーですね」

 大滝は大きくうなずいた。

「さすがだな、フリオ。チームのAIもポストゲーム分析で同じ結論を出した。秘密兵器の存在を、ミシガンはシーズンを通して隠していたんだ。最後のフィールドゴールで、守備陣はキッカーにプレッシャーをかけようと必死だった。キッカー側のOLBもブリッツをかけた。中盤の空きスペースで、相手レシーバー二人とタイトエンドが交錯して、混乱したバックスとセイフティが振り切られたんだ。ノーマークのレシーバーをリックが見逃すはずもない。あのキッカーが俺たちを追い詰めたんだ」

 守備チームが焦ったのは無理もない・・・と大滝は思った。

 一点差でリードして残り時間は一分を切った。ミシガンのフィールドゴールは60ヤードだ。守備陣が殺到するため、キッカーは助走が取れない。飛距離にして78ヤードでは、まず決まりっこない。だが、あのキッカーはフィールドゴールを三本とも成功させていた。うち二本は48ヤードと52ヤードだ。それもど真ん中に楽々と届いた・・・


 軍曹は無言でうなずいた。

 フィールドゴールは三点だ。残り時間一分では、一点を追うミシガンが、フィールドゴールをフェイクしてタッチダウンを狙うはずがない。そう思いこんだUSCは、まんまと裏を掻かれたんだ。両チーム攻撃陣の最終プレーは、甲乙つけがたい常識外れのスーパープレーだった・・・末長くローズボールの歴史に残るだろう。


「だがな、フィールドゴール以上に、絶妙なキックオフがボディブローのように効いた。キッカーは都合七回キックオフを蹴ったが、ことごとくこちらの5ヤード圏内に落ちた。しかも、フェアキャッチを強いられた。すべてだ!」

 大滝は回想した。あれほど正確無比のキックオフを見たのは、あの試合が最初で最後だった。

「インフロントキックでしたが、見事に縦回転がかかって平均的なキックより明らかに高度が出ていました」

 軍曹も感慨深げに言った。


 敵ながらあっぱれと言う他ない。あれだけ滞空時間が長ければ、キッキングチームが目前に迫る。誰も触れることなくエンドゾーンまでボールが届けば、タッチバックとなり20ヤード地点から攻撃できる。だが、リターナーは運を天に任せてボールに触れず、エンドゾーンに転がるのを祈る訳にはいかない・・・

 キックオフは10ヤード以上飛べばフリーボールだ。エンドゾーン手前なら、先に押さえたチームが攻撃権を得る。

 フェアキャッチを、と大尉が言うのももっともだ、と思う。

 七回ともリターンを諦めたUSCは、タッチバックだった場合と比べても、都合105ヤードほどもロスした計算になる。すべてタッチバックとしても、あんな接戦にはならなかったはずだ。AI予測によるオッズ通り、USCが10点差で勝利していただろう・・・


「しかも、キッカーは小柄だったが、フィールドゴールを空振りした後、ブリッツをかけたOLBを、きれいにブロックしてのけた。リックは余裕を持ってロングパスを投げられたんだ。いつもフィールドゴールのホルダーをやるからな。二人の呼吸もぴったりだった」

「マスコミはキッカーにほとんど注目しませんでした。ハイズマン賞候補QBの直接対決と、劇的な幕切ればかり取り上げて・・・」

 軍曹は言葉少なに語った。試合後、大尉が物議を醸したのは記憶に新しい・・・

 数日後、大滝はNFLには行かない、と突然の声明を発表したのである。

 マスコミもファンもNFLのお偉方もブーイングの嵐だった。試合前まで本人もNFL入りを希望していただけに、当然、なぜだ!?と大騒ぎになった。ハイズマン賞を逃したあてつけではないか、とうがった見方まで飛び出した。

 二十世紀末に活躍した不世出のスーパーRBバリー・サンダースが、大記録を目前にしながら、突然NFLを引退した逸話が引き合いに出されるほど、フットボール界を騒がせた出来事だった。大滝はまさに「大柄なバリー・サンダース」と異名を取っていたのである。

 ストイックで物静かな挙動まで似通っていた・・・


 だが、あの騒動の話は気まずい。気を回した軍曹は、話題を変えようと手元のホログラムに目を落とした。

「あのキッカーですが、留学生でした・・・ただ、ローズボウル以外、プレイデータが見当たりません。選手登録によると身長180cm、体重75キロ。日本人です。子供時代、プロサッカーJリーグのジュニアチームでプレイしています。16歳で渡米。当時は工学部の二年生でした」

「そう言えば、試合の前日、スタメンが公表されたが、チームのAIはデータ不足でキッカーを分析できなかったな」

 年間最多得点を挙げるのは、ランニングバックでもレシーバーでもない。フィールドゴールとポイントアフタータッチダウンを担当するプレースキッカーだ。ローズボウルの決勝点も、USCのキッカーが決めた一点だ。

 したがって、プレースキッカーの分析は極めて重要だ。ところが、肝心のキックの映像もデータも一切ないとは。ヘッドコーチも俺たちも嫌な予感を感じた。

 そして予感は的中した・・・


 理工医薬系学部は実験や実習が多く、練習にフルに参加するのは難しい。また、東洋人は一般に体格が小柄で、フットボール界では少数派だ。

「理工系で一軍か?珍しいな。東洋系もだが・・・名前は?」

 大滝は何気なく聞いた。印象に残るキッカーだったが、目下の問題には関係がない。あの後の騒動で名前も覚えていなかった。

「A.M.マイヤマです。変だな・・・名前がイニシャルだけです。教養課程修了後にミシガン大学を退学しています」

 マイヤマ?

 大滝は目を見張った。

 ミヤマかッ!?

 ロペス軍曹はまだ日本語に慣れていない。英語読みに即座に気づいた。

「顔写真はあるか?」

 軍曹は首を傾げた。試合前のスタメン紹介映像にも顔写真がない。国歌斉唱の時もなぜか映っていない。試合中の映像は、どれもヘルメットを被ったままで顔が見えない・・・

「それが、NCAAにも大学アラムナイにも写真が残っていません・・・名前だけです。カメラシャイなんですかね~?」

 

 そんなはずはない!

 六年前の記憶の断片が、不意に脳裏にフラッシュバックしたのである。瞬間、大滝の顔に驚愕の色が浮かんだが、すぐさまふてぶてしい笑みに取って代わった。


 やはり、ローズボウルがすべての始まりだったのだ!

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