第106話 二人の王女 Princesses Of Opar

 白金の輝きを放つ髪に、金色の縁取りがついた深紅のマントが馬上で揺れる。目の色に合わせた青い乗馬服には、胸にオパル王朝の紋章の刺繍が縫い付けられていた。

 ペペ・デラ・ルナ・ブルー(*)。「青い月の申し子」と民に祝福されたアルビオラ・アテナイアは、掛け値なしの美少女に成長した。

 今日、端麗な王女の名は、近隣諸国はもとより遠く北欧、中東、北アフリカまで広く知られている。十代半ばの政略結婚も珍しくない時代とあって、オパル女王夫妻が娘たちを連れて諸外国を訪問する度に、各国の若き王位後継者たちは、こぞってアルビオラに熱い視線を注ぐのだった。

 姉のマヤもエキゾチックな美貌で人々を魅了したが、アルビオラは明るい性格も相まって特段の人気を集めていた。


 しかし、人目を惹く派手な外見とは裏腹に、アルビオラは穏やかな気質に勝る娘だった。父サマエル・アトレイア公爵の性格を受け継ぎ、天真爛漫で慈愛に満ちている。むしろ、養女で姉にあたるマヤの方が、勇猛な戦士であるニムエ・アテナイア女王に性向が似通っていた。

 けれども、気性は正反対と言えるほど異なる二人の王女は、実の姉妹でもこうはいくまいと周囲が感心するほど極めて親密だった。


 二人は今日も仲睦まじく馬で遠乗りに出かけた。マヤはサウロンの愛馬ランポの、アルビオラはニムエの愛馬バレーノの仔を、それぞれ譲り受けている。

 北方の民族の面影が濃いアルビオラに比べ、マヤは南欧ラテンの風貌に直毛の黒髪、きめの細かい白い肌が一種独特の異人種めいた雰囲気を醸し出す。

 アルビオラとマヤが揃うと、際立った類似点は青い目である。

 姪にあたるアルビオラはともかく、養女のマヤがサウロンを髣髴とさせる碧眼を持つ事実は、時として前国王にまつわる黒い噂を人々の胸に去来させたが、それさえ除けば、二人が新緑の中を颯爽と馬を駆る姿は、さながら一幅の絵のように見る者の目を和ませるのだった。


 北に向かってひとしきり早駆けした二人は、やがて小さな川に辿り着いた。湧き水が渓流となり、やがてエメラルド・フォールズに行きつく。澄み切った水のせせらぎは、初夏の陽射しを反射してキラキラ輝いていた。

「薬草を探して来るわ。この辺に珍しい種類が自生している、とパパ上に聞いたの」

 アルビオラは緑と土が萌える匂いを愛でるように深呼吸をすると、思いついたように言った。

「わかった。馬たちに水を飲ませるわ」

 マヤが答えると、アルビオラは軽々と馬から降り立ち、森の中へ姿を消した。


 薬草採取には興味が持てない・・・

 マヤの胸はもやもやしていた。

 薬草の効能を馬鹿にしているわけではない。ただ、異能を使いさえすれば簡単に癒せるのにと思うと、もどかしくなるのだった。

 能力を使う衝動に駆られるもの。パパ上やビビの薬師事業とは距離を置くしかない・・・

 と、心につぶやく。

 瀕死のダニエルを救って以来、マヤはヒーリング異能を再び封印していた。狭量な村人の拒絶に懲り、王家でも警戒されるのを恐れたのだ。

 マヤの心中をおもんばかったダニエルは、ランポの一件を宰相と公爵にだけ打ち明けた。マヤを見守るには、事実を告げる必要があると判断したのである。

 しかし、他の者たちは養女の異能力にはまったく気づいていなかった。


 養母ニムエに疎んじられているのも頭痛の種だ。

 勢い、ダニエルをはじめ軍人と過ごす時間が増え、もっぱら戦闘術の訓練でつのる鬱憤を晴らす日々が続いていた。幸い、ニムエの国務は多忙を極め、国防軍の訓練には滅多に顔を出さないため、訓練に熱中している間は悩みを忘れることができた。

 公爵とアルビオラは、敢えて干渉せずに様子を見守っていた。自立した気性のマヤが同情を嫌う、と悟っていた。


 憮然と川面を見つめるマヤに黒馬が鼻面を寄せた。ランポがそうであったように、主人の心情を敏感に察して潤んだ目で見つめる。

 マヤは馬の首を抱き寄せ、滑らかなたてがみを撫でながら物思いに耽っていた。

 答えを求めて心はとりとめもなく彷徨う。

 なぜわたしは母に捨てられたのだろう・・・サウロンが父親だから?

 拒絶された悲しみと懊悩が、怒りと恨みに変わっていくのを自覚すると、そら恐ろしい・・・

 こんな自分は嫌ッ!支えてくれる公爵とビビとダニエルのためにも、わたしは変わりたい!


 突然、微かな怒鳴り声が響いた。マヤの鋭い耳は、遠く慌ただしい声を敏感に聞きつけた。

「ここにいて!」

 馬たちに声をかけ、一目散に森に向かって駆け出した。少女の動きは小動物のように素早い。森を抜けるには馬より走った方が速かった。

 小高い丘陵を縫って峡谷に出た。険しい崖が山間やまあいを形成している。亡きサウロンが壮絶な攻防戦の末に、ポイタイン軍を撃退した古戦場だ。


 森から抜け出たマヤの目に、崖淵に佇む少年姿が映った。長いを手にしていた。川での漁に使うが、物騒な武器にもなる。

 三つ又に分かれた鋭い先端を目にして、マヤは血相を変えた。

 ビビの姿が見えない!

 急いで走り寄ると、少年は気配に振り向いた。


「我らをオパルの王女と知ってのうえでの狼藉ろうぜきかッ!」

 今にも剣を抜かんばかりに、文字通り激しい剣幕でマヤがにじり寄る。

 少年は顔をしかめて、マヤを睨み返した。黒い巻き毛の下から覗く黒い瞳は、いかにも気が強そうだ。南欧ラテン民族の力強い情熱を秘めている。十三歳のマヤより、いくらか年かさに見えたが、みすぼらしい身なりに裸足だ。

 近くの村の民に相違なかった。


「なッ、なんだ、って?・・・俺はこの子を助けようとしてんだ!」

 面食らってはいたが、王女と聞いても恐れ入った様子は欠片かけらほど見せず、心外だとマヤに食ってかかった。

 マヤは油断なく少年を見据えながら、切り立った崖から下を覗きこんだ。

 二メートル半ほど下方の岩棚に、アルビオラの姿が見えた。足場は辛うじて人が立てるほどの幅しかない。

 目が合うと、アルビオラは肩をすくめて見せた。むろん、怯えた様子などこれっぽっちもない。

 薬草を取りにこんな所へ降りたのね?

 合点がいったマヤは、少年に言い放った。

「助けなどいらぬ!妹は自力で這い上がれる」

「自力で登れるもんかッ!早く助けねえと落っこちて死ぬぞ!立ってるのもやっとだ」

 少年は引かなかった。マヤはムッとして、二人は崖っぷちで睨み合った。


 あーあ、これじゃ埒が明かないわ!

 困ったアルビオラは、狭い足場から声をかけた。

「ねえ、二人とも手を貸して!」

 少年とマヤは顔を見合わせたが、すぐさま我がちに膝をついて崖下を覗きこんだ。

「手を出すな!わたしがやる」

「バカ言え!女の力で引き上げられるもんかッ」

「バカとはなんだ、無礼者!」

 カチンときたマヤが言い返した。王家の養女となって十年、今ではすっかり威厳が板についている。

 が、少年は一向に恐れ入らなかった。

「バカだからバカって言ってんだッ!お前じゃできっこねえ!下手すりゃ二人して落っこちてぺしゃんこだ!」

 二人は崖っぷちでしゃがみこんだまま、互いに相手を押しのけようと肩で小突きあった。

 アルビオラが呆れて、持ち前のソプラノで黄色い声を張り上げた。

「ちょっと、マヤ!これをお願い。根っこを傷めないよう気をつけて」

 伸ばした右手には、一束の可憐な緑色の草が握られていた。

 マヤは腹ばいになって、左手で薬草の束を受け取り、すぐさま立ち上がると平然と服に付いた土を払った。


「ねえ、あなた、名前は?」

 アルビオラは続いて少年に声をかけた。

 なんだ?落っこちて死ぬかもしれねえってのに、悠長なやつだ!

 のんびりした口調に、少年はあっけに取られた。

「ロイだ。おい、俺の手につかまれ!」

 四の五の言ってられなかった。少女が少しでもバランスを崩したら、眼下の岩盤に落っこちて一巻の終わりだ。

 少年は素早く腹ばいなった。傍らの木の根元を左手でしっかり掴んで、右手を崖下へ伸ばした。辛うじて少女の手首を右手が捉えた。少女も少年の手首をしっかり握り返した。

 よし、これなら手が滑る心配はねえ。途中まで引っ張り上げれば、この子は空いた手で崖っぷちを掴める。

 が、待てよ、念には念を入れねえと・・・

 顔を捩じって、二人を見下ろしているマヤに向かって怒鳴った。

「おい、お前も手伝えッ!俺の手が離れたら、妹は落っこちるんだぞ」

 やれやれ、しかたないわね。異能力を悟られるわけにはいかないもの・・・

 マヤはため息をついて、やおら少年の背中に片足を載せてぎゅっと踏みつけた。

「き、貴様!手を貸せと言ってんだッ!足で踏むバカがあるかッ!」

 なに考えてんだ、こいつ!

 少年はマヤを睨みつけ罵声を浴びせた。

「女の力では引き上げられないと言ったではないか。さっさと助け出すがいい!」

 マヤがにべもなく言った。


 こ、この高飛車冷血女めッ!

 挑発された少年は怒りに任せて力をこめ、アルビオラを一気に引っ張り上げた。

 案に相違して少女の身体は楽々と崖上に引き上がり、弾みを食らって少年はもんどりうった。

 まるで藁人形のように、軽々と少女の身体が浮き上がったのである。

 ど、どうなってんだ!?

 地面に転がった少年は、訳が分からずキョロキョロ辺りを見渡した。見ると、助け出した少女が傍らにすくっと立っていた。

 なんちゅう身軽で素早いヤツだ・・・

 少年は驚いたが、青い長袖からのぞく白い手を目の前に差し出され、反射的にその手を握ってのろのろと立ち上がった。


「ロイ、助けてくれてありがとう。力持ちね。わたしはアルビオラ。こちらが姉のマヤよ」

 マヤにアルビオラ?名前なら知っている。本当に王女か!

 なんてこった・・・

 金髪の王女は親し気な視線を送ってきたが、黒髪の王女は胡散臭そうに鋭い眼光で睨んでいる。二人そろって青い瞳で見つめられ、どぎまぎした少年は落ち着きなく汚れた両手をズボンで拭った。

 こいつら、すげえ美少女だ!噂以上だ。

 しかし、黒髪の方は陰険そのものだ。どうやら悪口は言わないほうが良さそうだった。


「べ、べつにどうってことねえ!男だからな。女子供を守るのは当たりめえだ」

 きまりが悪くなった少年は、照れ隠し半分に乱暴に答えた。

「近くの村に住んでいるのね。歳はいくつ?」

 アルビオラはコケティッシュに顔を傾げた。

 粗削りで精悍な顔立ちに漂う、歳に似合わぬ哀愁を帯びた猛々しさが、少女の多感な心の琴線を打ったのである。

「十五だ」

 ロイはぶっきらぼうに言った。

「そう・・・国防騎士団に志願できる年齢ね。考えてみてちょうだい」

と、アルビオラが言った。

 マヤは呆れたと言わんばかりに、横目でちらっとアルビオラを見やった。

 自分もかつては村の子供だったから、下賤の者と見下しこそしないものの、村人の仕打ちに傷つき、気さくに民に接する気にはなれないのだ。

 そんな自分につい苛立って、アルビオラを促した。

「ビビ、行きましょう。薬草が萎れてしまうわ!」

 アルビオラはうなずいて、器用に鋭い指笛を鳴らした。マヤもそれに倣った。

 ほどなくして二頭の馬が木立を抜け、二人の元へ軽やかに走り寄った。

「では、ロイ、ごきげんよう!」

 憎からず想う心を流し目にこめてそなたに投げかけん・・・

 アルビオラは愛馬に飛び乗った。マヤは傲然と少年を無視して後に続いた。


 何だ?馬がいるなら引っ張り上げるのは簡単だ。なぜ俺にやらせた?王家の連中の考えることはわかんねえな・・・

 しかし、あの王女、まるで体重がないようだった。

 少女の温かい手の感触が残る右手を、ロイはじっと見つめた。

 アルビオラ姫か・・・騎士団に俺なんかが入れんのか?


 何にせよ、弱い者を救うのは気持ちが良いものだ。

 早くも騎士になった気分で、少年は昂然と胸を張った。



* 「青い月の王宮」第55話「ペペ・デラ・ルナ・ブルー」

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