第107話 国務長官襲撃 Attack On Secretary Of State

 オムニクラフト、俗称タンクラフトは、国賓や政府高官が移動手段に使う防弾・防レーザー・防電磁波仕様のエアビークルである。広義には、緊急退避行動に備えて、高度リミッターが外された重装備エアカー全般を指す。

 黒光りする車体は、汎用エアカーより二回りほど大型で、「タンク」と呼び習わされていた。戦車と呼ぶのはいささか大袈裟としても、こと耐テロ装備にかけては科学技術の粋を尽くした高級車であることには変わりない。

 しかし、言うまでもなく、車外に一歩出ると人は無防備になる。


 フォックス国務長官はダグラス補佐官と共にタンクから降り立った。

 慈善事業の資金集めパーティに招待された二人は、イブニングドレスで華やかに装っている。

 パール・フォックスは五十台前半で180cmと背が高い。典型的なアングロサクソンのがっちりした体形に、戦闘的な顔立ちの女性だ。かたや、メリンダ・ダグラスは三十台前半で身長は170㎝に届かず、イタリア系の顔立ちはキュートな印象を与える。

 一見対照的に見える二人は、極めて有能で心身共にタフな点では互いに遜色がない。脳も身体も強靭でなければ、政府高官の熾烈な出世競争に勝ち残れない、と言うが、二人してその生きた証のようだ。


 警護には、長官のタンクに同乗する運転手ら三名に、二台のエアカーに分乗した各三名の計八人のシークレットサービスが同行した。いずれもお決まりの黒スーツにホログラス姿だ。全天候ハイテクスーツ全盛の二十二世紀末にも、政府機関は頑なに伝統的なスーツ着用を貫いている。大衆とは一線を画して、権力と優越感を誇示するアイコンとも受け取れる。

 ハッキングを警戒して、警護ロボットは同乗させず、AIの自動操縦も極力使用しないため、要人の安全は一重に警護官の能力にかかっていた。大統領専用車「ビースト」には、通常およそ五十台の車両と百人のシークレットサービスが警護に当たる。比べて、お忍びの公務という事情から、今日の国務長官の警護は手薄だった。

 しかし、ここニューヨーク市内の高級ホテルは、貴賓用地下駐車場を人払いして、合衆国行政府ナンバースリーの到着に備えた。市警の警官隊もホテルの外を取り囲み、厳戒態勢で臨んでいた。


 二人はホテルの入口に向かって歩き出した。

 フォックスが物思わし気に言った。

「ホテルの警備は随分ものものしいわ。ミッチェル中佐が襲撃されたというあなたの未確認情報は正しかったようね」

 昨日、ミッチェル中佐が慌ただしく大統領に面会していた。その場には国防長官とダレスが同席したらしい。またしても蚊帳の外に置かれたフォックスは機嫌が悪く、当然の疑問を抱いてもいた。

 彼らはなぜ中佐が襲撃されたと公にしないの?

「はい、襲撃が事実なら、大統領が特別警戒を指示した理由も理解できます」

 メリンダは言った。

 外国訪問時にしか政府高官に同行しないシークレットサービスが、今日の警護に限って随行したのも異例だった。

 それも特別捜査官ばかり。ミッチェル中佐が襲撃され、大統領は相当神経質になっているらしいわ・・・

 メリンダは少々そわそわしていた。反ミュータント連盟の創立記念パーティ会場での事件は、メトカーフ大佐から伝え聞いた情報だった。昨夜、宅配を頼んだ中華料理のパッケージに、暗号メモが隠されていたのである。

 でも、他にも同梱品があった・・・

 顔に緊張の色が浮かび、その手が無意識にドレスの胸元に触れた。

 

  その時だった。前を歩く警護官がつんのめって、コンクリートの床に崩れ落ちた。何の前触れもなく突然の出来事だった。

「どうした、アーロン!?」

 二人の警護官が駆け寄って、倒れた同僚のそばにしゃがんで声をかけた。

 何ごと?貧血でも起こしたの?

 フォックスとダグラスは驚いて立ち止った。二人が倒れた警護官を気遣って様子を見ようと近づいた瞬間、目前で不意に「うげッ」と呻き声を吐き、片膝を着いた警護官が横ざまに倒れた。続いて、まるで何か固い物で張り飛ばされたように、もう一人の顔が右に傾いで白目を剥いた。そのまま右側に力なく転げた。

 失神したように、二人してピクリとも動かない。


 一瞬、全員が立ちすくんだ。

 だが、シークレットサービスはすぐさま我に返った。

 襲撃だッ!

 瞬時に軍用レーザー銃が各々の手に現れた。素早く国務長官と補佐官を取り囲んで、六人は四方に目を配った。要人の安全確保が最優先する。仲間を助けるのは後回しだった。


「波動銃か?」

「わからない!車は遠過ぎる。中に入るぞ!」

 緊迫した会話に、パールとメリンダは息をひそめ、身を小さく縮めていた。すっかり怯えきって、きょろきょろ辺りを窺った。顔面から血の気が引いている。交渉や駆け引きの場ではこの上なくタフな官僚と言えども、生の暴力沙汰に直面すれば、本能的な恐怖がまず先に立つ。

 世の男性諸氏にはなかなか想像し難いが、女性は物心ついた時分から、自分より大柄で力が強い男性という存在に対し、半ば無意識に本能的な警戒心を抱いている。一般人の男が、不意に大柄な格闘家の一団と遭遇したら抱くであろう恐怖心に通じるものがある。

 二人は圧倒的な身体能力の差をひしひしと感じ取って、己の無力さを自覚して怯えていた。


「姿勢を低く!一緒に動いてください!」

 前方右側に位置したシークレットサービスが、辺りを見回しながら声をかけた。二人は無言でうなずいた。

 次の刹那、その手からレーザー銃が吹っ飛んだかと思うと、ドスっと低く鈍い音が響き、首が大きく傾いでシークレットサービスは声もなく床に長々と伸びた。

 一撃で失神させられた。敵は戦闘術に長けている!

 警護官たちは直感した。

 左側にいた警護官は、同僚が襲われた瞬間、陽炎かげろうのような襲撃者の姿をわずかに捕捉して、いち早く事態を掌握した。

「カメレオン迷彩だッ!」

 叫びざま、当たりをつけて飛びかかった。取っ組み合いになれば姿が見えなくとも戦える、と的確に判断したのだ。

 しかし、敵の恐るべきパワーまでは察知できなかった。掴みかかった直後、襲撃犯の背後へ枕のように軽々と放り投げられた。コンクリートの壁に激突して、ドサッと床に落ちた。弱々しい呻き声が漏れたが、全身打撲のショックからか固まったようにうずくまり動かなくなった。


 あまりの事に、パールとメリンダは激しく息を呑んだ。

 目に映ったのは人間の身体が五メートルも宙を飛ぶ信じがたい光景だけで、敵の姿は茫洋として掴みどころがない。残る四人のシークレットサービスは素早く前に進み出て、女たちをかばって背後に押しやった。

 焦った警護官たちは口走った。

「どこだッ?」

「くそッ、赤外線スコープは車内だッ!」

 ホログラスには赤外線捜索機能がない。

「影だ!影までは消せないッ!」

 特別捜査官の一人が気づいた。妻が国防高等研究計画局に勤務している関係で、ハイテク兵器に詳しい。あいにく駐車場の照明はディムライトで仄暗く、複数の光源が交錯して床に映る影は判然としなかった、それでも、必死に目を凝らすと、あたかも海面を走る風の紋様のように、スーッと滑るように影が映ろうのが一瞬目に入った。

 

 瞬間、四人は一斉にレーザー銃を連射した。

 赤いマーカーが写ったコンクリート壁に、ポツポツと穴が穿たれたが、襲撃犯に命中した気配は感じられなかった。人間離れしたスピードで影は消え失せた。

 高速移動する蜘蛛のように朧げな影だった。おまけにまったく音を立てない。

 恐ろしく素早い!柱の陰に隠れたか?(*)を逃がすなら今だ!

 シークレットサービスのリーダーが部下にささやいた。

「行け!二人を連れて走れ!」

 レーザー銃を構え、後ずさりしながら目を配る。二人が後方に回り、二人が女たちを誘導した。


「こちらへ、早く!」

 パールとメリンダを押しやるように、ホテルの入口に向かって走り出そうとした瞬間、何かが後方に位置した二人の頭部に立て続けに命中した。

 二人のシークレットサービスは一言も発せず昏倒した。二人が床に崩れる音に交じって、乾いた金属音が響いた。

 目にも止まらぬスピードで相次いで飛来したのは、軍用レーザー銃だった。

 残る二人は、唖然として目を見張った。

 仲間が取り落とした銃だ!いつの間に拾い上げた!どこから投げた!?

 恐るべき投擲力だった。

 信じられない事態に、残る二人は目を皿のようにして、あたふたと辺りを見渡した。

 パールとフォックスは、文字通り凍りつきその場に立ち尽くした。

 むろん、襲撃に備えて退避・防御訓練を受けてはいるが、相手が透明人間では、肝心の逃走経路を見定めようがない。

 透明人間の襲撃はまったくの想定外だ!


 警護官の一人が、イヤーモデュールに手をやった。応援を呼ぼうとした刹那、その身体が宙を舞った。プロレスのボディスラムのように身体が一回転して、コンクリートに叩きつけられた。

 骨が軋む不気味な音が響き、激しい衝撃に息が止まった。うずき声を絞り背中を逸らせたが、それも虚しくガクッと力が抜けこうべを垂れた。

 ただ一人残った警護官は、垣間見えた影を目がけてレーザー銃を発射した。

 が、直後に「うッ!」と苦痛の叫びをあげ、身体を二つ折りにして瞬時に嘔吐した。力なく銃を取り落とし、よろめいて嘔吐物の上にバッタリうつ伏せに倒れた。

 強烈な蹴りを腹部に受けたのだ。


 パールとメリンダは、恐怖に足がすくんで身動きできない。高度な訓練を受けた八人のシークレットサービスが、見えない敵に瞬く間に蹂躙された。

 孤立無援の二人には、ホテルの入口がとてつもなく遠く見えた。


「走って!」

 メリンダがかすれ声で辛うじてパールに声をかけた瞬間、そいつは姿を現した。一瞬、陽炎のように影が揺らいだ瞬間、二人の前方に怪異な姿が立ち塞がった。

 逃げ出すのもままならず、二人はじりじりと後ずさりした。助けを呼ぶのも忘れて襲撃者を見つめる。

 恐怖のあまり、真円のように目を大きく見開いていた。



* 警護対象者を意味する警察官の隠語(日本語)

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