第100話 野盗死すべし Thugs Must Die
「俺には何かやるべきことがある」
その想いは堅忍不抜の信念のように、折にふれて心に蘇って来るのだった。
この川岸でヒグマを倒した。あの日から・・・
この日も、もやもやとした気分を持て余したサウロンは、ニムエと言い争った挙句、独り王宮を飛び出したのである。
気づけば、またこの川べりに来ていた。
「兄上、従者も連れずに狩りに行かないで、って何度も言ってるでしょう!」
前国王夫妻の両親は不審な事故で亡くなった。内戦が勃発したのはその直後のことだ。戦場でなくとも、命を落とす危険はいつだってついて回る。
ニムエが心配するのも無理からぬことだった。
ポインタイン王国を撃退して和平にこぎつけたものの、内戦と戦争が打ち続いたオパルは復興にはまだほど遠く、国内情勢が落ち着いたとは言い難い。
とりわけ、前国王の弟にあたるデビアス伯爵は、国内の豪族と手を結び穏然とした勢力を誇っている。若き国王と王女は、王座を虎視眈々と狙う身内との勢力争いに、否応なく巻きこまれた。
戦国武将としては比類のない名声を全土に轟かせてはいるものの、こと政治となるとサウロンは門外漢でしかない。何かにつけて宰相のプロスペロに頼る始末だった。(*)
しかし、オパル王を執拗に悩ませたのは、近親者との勢力争いでも、根っから性に合わない
ようやく平和な生活が戻ったと思いきや、熾烈な戦いの日々に紛れていた不可解な衝動に突き動かされるようになったのである。だが、その正体は漠として掴みどころがない・・・
「重要なことを忘れている!」と、焦りにも似た想いが重くのしかかり、やり場のない未知のエネルギーが身体の中を駆け巡り始めると、居ても立っても居られなくなるのだった。
「水を飲むか、ランポ?」
サウロンは巨大な黒馬に声をかけて鞍から降り立った。
狩猟とは名ばかりで、三日月刀を忍ばせると、着の身着のままで城を後に、あてどもなく馬を走らせたのだった。
ランポは潤んだ丸い目でサウロンを見つめ、もの問いた気にブルルっと鼻を鳴らした。
「大丈夫だ。ちょっとイラついただけだ」
漆黒の鬣を撫でながら、サウロンは自らに言い聞かせるように声をかけた。その言葉が通じたのか、軍馬は頭を垂れて川の淀みから水を飲み始めた。
ふと辺りを見渡すと、川岸に粗末な水桶が転がっているのが目に入った。
中に水が残っているが・・・不審に思い歩み寄って木製の桶を拾い上げた。ぬかるみに複数の足跡が入り乱れて残っている。まだ新しい。
少年時代に狩人として身に着けた識別眼は確かだ。付近の地面を仔細に眺めてつぶやいた。
「女が一人。男が・・・六人か。妙だな。水桶を残して行くとは」
靴跡から見て女は村人らしい。が、男たちは狩猟用の頑丈なブーツだ・・・
サウロンの目が鋭く光った。国内を騒がせる凶悪な噂を思い出したのだ。
奴らは野盗だ!さては、村の女をかどわかしたか?
青い瞳が怒りで燃え上がった。
ポイタインから
「民を手にかけるのは許さん!」
内に秘めたやり場のない衝動が、瞬時に残虐非道な野盗への怒りに転化したのである。
「ここに残れ」とランポに声をかけ、獲物を追う大型肉食獣のように、足跡を辿って森の中へ消えた。
野盗は拉致した女を連れている。そう遠くへ行っていないと読み通り、小一時間で居場所を突き止めた。一味が野営する森の空き地から野卑な声が響いて来る。
「へへへ、たっぷり可愛がってやっからな~」
「日が落ちたら村に案内するんだな。逆らったらぶっ殺すぞ!」
捕えた女の手首を縄で結わえて口に猿轡を噛ませ、代わる代わる衣装の下に手を差し入れては、白い女体をまさぐって盛んに歓声を上げていた。
屑どもめがッ!
怒髪天を突いたサウロンは、すかさず三日月刀を抜いた。躊躇うことなく空き地に足を踏み入れる。
草を踏む音に男たちは慌てて立ち上がった。早くも剣を抜いて、狂暴な目つきで闖入者を睨みつける。
乱世の時代、密かに忍び寄る手合いは敵と相場が決まっていた。
サウロンは歩みを止め、野太い声で呼びかけた。
「お前たち、その女を放してさっさと立ち去れッ!」
誰かと思えば、黒い狩猟ズボンに白い長袖のシャツ姿の小ぎれいな若造だ。なんだ、この道化は?正義漢ぶって因縁をつけやがって!
男たちは顔を見合わせ、一様に薄ら笑いを浮かべた。狂暴で好戦的な本性が透けて見える荒くれ者揃いだ。
髭を蓄えたがっちりした体形の男が、侮蔑をこめて歯を剝き出した。集団のリーダー格だ。
「誰だ、てめえ!?俺たちに喧嘩を売る気かッ?」
見れば相手は剣さえ持っていない。若造は図体こそでかいがこっちは六人だ。
余裕の笑みを浮かべていた。
野盗は野犬の集団にも劣る。訓練された兵士とは異なり、規律や名誉や自制心には縁がない。あるのは己の欲望を満たす衝動だけだ。
素早くサウロンを取り囲んで、粗野で残虐な本性も露わに口々にせせら笑った。
「食後の腹ごなしにちょうどいいさね、おらおら、かかってこいよ!」
「てめえの女か?心配すんな!俺たちが面倒をみてやっからよ!」
「そのおもちゃで何を切ろうってんだ、小僧?野菜か?」
ポイタイン軍兵士であれば、相手がサウロンと見極め、蜘蛛の子を散らすように逃走したはずだ。
身のほど知らずめ・・・
サウロンは顔をしかめた。戦うしかなさそうだった。
しかし、武器は短刀一本のみ。傍目から情勢を見れば多勢に無勢だ。圧倒的に不利と映る。が、サウロンは卓越した戦士であると同時に、海千山千の狡猾な戦術家である。瞬時に攻略方法が頭に閃いた。
閃くと同時に先制攻撃をかけた。敵の意表を突く速攻こそが、サウロン王の
何の前触れもなく三日月刀を下手で投げる。現代ソフトボールの剛速球ピッチャーにも真似ができないだろう。肘から先を巧みに使って投じた短刀は、一閃の光と化して、狙い
サウロンの前に立ちはだかり哄笑していた山賊が、「グぇっ!」と呻きを発して後ろにたたらを踏んだ。
喉に柄元まで埋まった短刀が首の背後まで突き抜けている。突然の衝撃と苦痛に、恐怖に大きく目を見開いたまま、声を詰まらせて地面に倒れこんだ。気道から脊髄神経までが断ち切られ、首から下が麻痺したのだ。
苦痛の呻きと共に口から鮮血がとめどなく流れ出し、不精髭を真っ赤に染めて地面に滴り落ちた。野放図に犯してきた悪業の数々のつけが、地獄の苦しみとなって一気に払い戻され、山賊は恐怖と苦痛に目を見開いたまま悶絶した。
三日月刀を投じると同時にサウロンは突進した。先制攻撃の狙いは山賊の長剣だった。あっと言う間に、賊が取り落とした長剣を拾い上げていた。その動きには一瞬の遅延もなく、意表を突かれた野盗たちは、あまりの早業に身動きもできなかった。
長剣を手にした今、サウロンには戦いの帰趨が明確に見えた。五人の盗賊の命は風前の灯に等しい。
賢明な兵士なら敵の力量を悟って逃げる。勝ち目のない相手に立ち向かうのは、女子供を逃がすためなら賞賛すべき勇敢な行動だが、闘争心に任せて犬死するのは負け犬でしかない。
だが、こやつらは兵士ではない・・・
サウロンが危ぶんだ通り、果たして野盗たちは
衝動に任せて動く噛ませ犬は、冷静な判断力など持ち合わせないのだ。遅かれ早かれ、強敵に相まみえて無残な死を遂げる運命にある。
「野郎ッ!」
「やっちまえ!」
「ぶっ殺せッ!」
口々に威勢の良い罵詈雑言を吐いて、相次いでサウロンに切りかかった。
オパル王はつむじ風のように動いた。
正面から切りかかった男が剣を振り下ろした瞬間、身をかがめて左脇をすり抜け、剣を横に薙ぎ払って男の腹部を半ば断ち切った。
太い骨に当たれば、質の悪い野盗の剣は折れると計算済みだ。
男はよろめいて、血まみれの内臓がはみ出る腹を押さえながら、なす術もなく崩れ落ちた。衝撃と畏怖に、怯えた目を皿のように見開いて苦痛に喘ぐ。サウロンの先制攻撃は疾風のように凄まじく敏捷で、自分に何が起こったのか、にわかには理解できない様子だ。
「く、くそったれッ!」
「ぶっ殺してやるッ!」
絶叫を発した山賊が左右から迫った。
瞬時に仲間を失っても、サウロンの卓越した力量を推し量れず、獰猛な衝動だけに支配されて、剣を槍のように構えて闇雲に突進した。
サウロンは瞬足のフットワークを見せた。左右には目もくれず、前方で機を伺う野盗目がけて猛然と襲いかかった。
目を疑うスピードで、突然、眼前に迫った巨漢に野盗は泡を食った。
焦って袈裟懸けに剣を振り下ろすのが精いっぱいだった。
訓練も受けず、実戦と言えばごろつき同士の刃傷沙汰か、弱い者いじめが
楽々と剣をかいくぐったサウロンは、野盗の右側をすり抜けざま、再び腹を断ち切った。
左右から突進した二人は、敵を見失い危うく刺し違いかけた。慌てて剣を逸らせて立ち止まった時には、仲間は三人に減っていた。
腹を押さえてのたうちまわる野盗をしり目に、サウロンは悠然と向き直った。
圧倒的な身体能力と技能に加えて、経験値の差は歴然としている。複数の武器と鎧兜に身を固めた戦場と状況は大きく異なる。剣を折ったり、返り血を目に浴びれば一気に劣勢に立たされると知り、サウロンは巧妙かつ狡猾に動いた。
残るは前方に二人、背後に一人。
仲間の惨状にさすがに肝を冷やしたと見え、三人はじりじり後ずさって距離を取った。鈍感な頭でようやく過酷な現実を認識したのだ。
一人で三人を葬るとは・・・こいつは手練れの剣士だ!
敵がたじろいだと見るや、黒い蓬髪の下でサウロンの目が爛々と青い輝きを放った。ニンマリと形相を崩して朗々と吠えた。
「次に死ぬのはどやつだッ!」
地鳴りのような咆哮に三人はすくみ上った。一人がようやく正体に気づいて口走る。血の気が引いた顔面は蒼白だ。
「こ、こいつは、サ、サウロンだッ!」
ガキどもがチャンバラごっこをしながら叫ぶのを何度も聞いた!
「サウロン曰く、次に死ぬのはどいつだーッ」
こ、この若造は、ポイタイン騎士団を震撼させた狂戦士だッ!(**)
三人は息をするのも忘れ、怯えた目を見張った。
仲間が惨殺されても萎えることのない狂暴な闘争心が、巷の噂で膨らんだ鬼神サウロンの迷信的な恐怖の前に脆くも崩れ去る。
一斉に背を向けた山賊は、我勝ちに逃げ出した。
「ば、化け物だッ、あ奴は怪物だッ!」
元もと寄せ集めのならず者ばかりだ。倒れた仲間を一顧だにせず、恥も外聞もなく北側の森に駆けこんだ。
野盗が遁走すると、サウロンは倒れた三人の様子をうかがった。
リーダー格の野盗はすでに息絶えている。残る二人は耐え難い苦痛に呻きながら、手を伸ばしてか細い声で必死に助けを求めた。
「た、助けて・・・た、頼む」
サウロンは唇を噛んで剣を両手に握り代えて切っ先を下に向けた。何の躊躇いもなく、二人の心臓を次々に貫く。
助かる見こみはない。せめてもの長く苦しませずあの世に送るのが武人たる者の心得だった。
しかし、どうにもやり切れない・・・
その場に片膝をついて絶命した盗賊の目を閉じてから、王は沈痛な表情でうなだれた。戦闘の高揚感はとっくに消え失せて、血だまりの地面に転がる無残な遺体だけが残る。
俺が求めているのは戦いではない・・・
血で血を洗う争いを何度、繰り返したことか。戦いに勝っても、やるせない虚しさに苛まれるばかりだ。
瞑目したまましばしその場に
黒髪も衣装も土埃にまみれている。乱れた服を直して剥きだしの柔肌を隠し、猿轡を外そうと女の身体をそっと仰向けに返した。
うら若い女は黒い瞳をぱっちり開いて、怯えの色を浮かべてサウロンを見つめる・・・
その瞬間、時が止まった。
「我が同胞に伝えるのだ」
伝えるのだ、伝えるのだ・・・
鮮明に蘇った言葉が、脳裏に延々と木霊して延々と続く。
サウロンは惑乱した。
己が意志を失い、我知らず女の白い首に手を伸ばした。
* 「青い月の王宮」第36話「虜囚」
** 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第1話「ある夜のできごと」
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