第99話 異変 Abnormal Activity
イワクニ米軍飛行場。
垂直離陸が主流となった昨今、既存の滑走路はもっぱら大型輸送機と空中空輸機の離着陸にしか使用しない。滑走路の端にポツンと建つ格納庫も、久しく使われないまま老朽化が進み、近づく者は滅多にいなかった。
しかし、古びた格納庫とは打って変わり、地下の広々としたコンクリート製の部屋には、最先端機器の数々がずらりと並んでいた。壁一面に張り巡らせた結露防止パネルと断熱材から、応急的に改装した部屋とひと目で分かる。
中央のモビールスーツ一式がとりわけ異彩を放っていた。周囲に置かれた数々の機器とロボットは、科学技術の粋を極めた最先端装備の保守管理に欠かせない品々である。
この装備室は、最新テクノロジーの宝庫だわ。五千万ドル相当の装備と機器が揃っている。ロペス軍曹もたいしたものね!AIと機械型ロボットの力を借りるとは言っても、この場のすべての機器を使いこなすのだから。
この部屋を訪れる度に、ジャッキー・ラウは感慨深く思うのだった。
引きこもりから脱却した後、フリオの神経症は、彼を兵器工学の天才に変えてしまったようね・・・
「大尉はどこなの?」
開口一番、ジャッキーは尋ねた。神経信号伝達ユニットの最終調整に来てみれば、肝心の大滝の姿が見えない。
「つい先ほど来たのですが、ひと眠りすると言って仮眠室にいます」
元もと防空壕として造られた部屋だが、その後、核シェルター用の区画が隣り合わせに増設された。核攻撃や原発事故の初期内外被ばくをやり過ごせるよう、生活に必要な環境と備品が一通り整っている。ロペス軍曹は仕事に熱中するあまり、しばしばこの地下室で寝泊まりしているが、大滝は地下生活を嫌って基地本部の個室で暮らしていた。
「昼寝をしてるの、マイクが?珍しいわね~」
さも意外だと言わんばかりだった。大滝は根っからの戸外生活者で、昼間は身体を動かして活動するのを好む。ぐうたら昼寝を決めこむ姿は想像できなかった。
「ここ二、三日、外出していないようです・・・」
律儀な軍曹は年下のジャッキーにも敬語を欠かさない。しかし、その口ぶりは見るからに歯切れが悪かった。
ジャッキーは小首を傾げた。これまで海外で携わった数々の軍事作戦は、難度こそ高いが敵も目的も単純明快だった。ところが、日本での二度の出動には妙な展開がついて回る。
極めつけは二度目の任務よ!
機動スーツの装甲は全面が薄っすらと白く曇っていたのである。
あれは電撃痕よ!放射能反応も残っていた。軍用カーゴトラックに連結した除染ユニットを目撃したわ。あのユニットの中で、装甲に付着した放射性ダストを除去したのね。
汚染地帯に踏みこんだに違いない、とジャッキーは明敏に察していた。
でも、人っ子一人いない場所に、なぜ派遣されたの?高圧電流を浴びたのはどうして?
故あって大滝や軍曹に尋ねる気はさらさらないが、異様な事態が起きているのは確かだった。一番の気がかりは、予備バッテリースロットにこびついた血痕と、軍曹に頼まれた血液サンプルだった。大滝が負傷したと容易に推察はつく。けれども、二度目の出動の後、今日まで大滝と顔を合わせる機会はなく、怪我の程度は定かではなかった。
フル装備の機動歩兵が非戦闘地域で負傷したのに、保守管理担当者が隠蔽に加担するなんて、異常としか言いようがないわ!
この数カ月、日本で立て続けに起きた事件にまつわる不穏な噂は、クリアランス・レベル4のジャッキーの耳にも断片的に伝わっている。
マイクとフリオは、米軍が絡んだ国家規模の重大事に巻きこまれているのでは?
ジャッキーは当然の疑問を抱いた。だが、軍の機密に深入りするのは危険極まりない。有能なビジネスパーソンらしく、対人関係にもドライな一線を引いている。友情より出世を優先するのは当然で、民間企業でのキャリアを台無しにするつもりは毛頭なかった。
知らぬが仏だわ!
二人が何を隠蔽しようと尋ねなければ知らずに済む。加担したと疑われないためにも、疑問は心の隅に追いやって、命じられた仕事をこなせば済むことだ。
「マイクを呼んで来るわね!」
一向に姿を見せない大滝についにしびれを切らして、ジャッキーが言った。
「お願いします」
軍曹が遠慮がちな声を出した。
ジャッキーの怪訝そうな視線は気になるが、確証のない謎ばかりでは打ち明けようがない。しかも「何も尋ねない」と釘を刺されては、なおのこと言い出せなかった。
大滝の目の色が青く変わって以来、どうにも気持ちの整理がつかないのである。目の色の変異にはむしろ好奇心をそそられたが、問題は参謀本部への報告義務である。大尉への忖度との板挟みで、ロペス軍曹は中間管理職の悲哀とも言える悩みを抱えていた。
ジャッキーは特殊装備室奥のドアから除染室を通り抜けた。IDをかざして金庫室のような分厚い扉を開き、核シェルターに入った。空気清浄室の内側の扉を開くと、その先は放射能ダストが入りこまないよう陽圧室になっているが、平時には空気圧はかかっていない。
目指すは大人数を収容する就寝室だ。ドアは自動的にスライドして開いた。入口から中をうかがうと、ずらりと並んだベッドの一つに大滝が仰向けに寝転がっていた。
壁を何度かノックしたが、大滝は目を覚まさない。「しようがないわね~」とつぶやいたジャッキーは、部屋に入ってベッドに歩み寄った。
大滝は上半身裸だった。黒いビロードのような肌の分厚い胸が呼吸に合わせて緩やかに上下している。くっきりと盛り上がった胸筋に、思わず目が吸い寄せられた。
まるで大型の肉食獣だわ。この逞しい胸に女は弱いの・・・
いけない!私としたことが!
ジャッキーは本能的に芽生えた衝動を即座に振り払い、大滝の肩に手をかけて軽く揺すった。
「マイク、起きて!」
大滝は目を開いた。次の瞬間、いきなり左手が伸びてジャッキーの首を掴んだ。長く頑強な指を顎の直下に食いこむようにあてがい絞めつける。
「・・・あ、あゥッ、ち、ちょっと、マイクっ、やめてッ!!」
あまりのことに一瞬絶句したが、ジャッキーはすぐさま声を振り絞った。指が半ばしか回らないほど太い手首を両手で握り、必死で振りほどこうとしたがビクともしない。その間も大滝は不気味なほど瞬きもせず、虚ろな目で女の顔を見据えている。
と、唐突に左手が力なく開いた。全身が萎えたかと思うと、大滝は目を閉じて再び眠りに落ちた。
ジャッキーは喉を押さえて後ずさった。
な、何なのッ!私と分からなかったらしいわッ!・・・そんなことってあるの?
大きく喘ぎながら、茫然と大滝の姿を見やった。
「いったい何があったんですッ?」
IDで連絡を受けた軍曹は、あたふたと大滝に駆け寄った。瞳孔を押し開いて小口径のスポットライトを当てながら尋ねた。仕事柄、多種多様の小型機器と道具を常に携帯している。
「声をかけたら、いきなり首を絞められたのよ!やめてと言っても通じなかった。気が遠くなりかけて、撃退デバイスを起動したわ。素手で掴まれていたから、麻酔ニードルを発射したのね。マイクの体重だと十五分ほどで目が覚めるわ」
暴漢撃退装置は勤務先のハイテク企業の開発品である。AIが状況を判別して、自動的に最適の撃退手段を行使する仕組みだ。
テーザーやスプレーでは、私が巻き添えになった・・・
「やむを得なかったわ」とジャッキーは付け加えた。
「ジャッキーさんを襲うなんて、信じられないですよ!大尉はどうしたんでしょうか?」
大滝のIDで体調指標をチェックしながら、軍曹はうろたえて言った。しかし、ジャッキーは首を横に振った。恐怖と言うより腑に落ちないのだ。
「様子がおかしかったわ。狂暴な感じは全然なかった。変に冷静な顔だった。虚ろな目で私を見つめて何か言っていた・・・あれはイタリア語だわ!」
大滝の体調に異常はなさそうだ、と一安心して軍曹は立ち上がった。ジャッキーに近づいて小声で尋ねた。
「イタリア語ですか?・・・何と言ったかわかりますか?」
「状況が状況でしょう。よく聞き取れなかった。イタリア語なのは間違いないけれど、変に訛っていたし・・・」
ジャッキーは肩をすくめた。
多言語を使いこなす神経の太いビジネスウーマンは、さほど堪えた様子もなく、スーツの襟元を直して背筋を伸ばした。
「フリオ、私には守秘義務はあるけど報告義務はないわ。これ以上深入りするつもりもない!だから、後はあなたの判断に任せるわね・・・ひとつだけアドバイスよ。基地に籠っていたら、いくらマイクがタフでも気が滅入るわよ。気晴らしが必要だわ。でも、女は駄目よ!基地の外で襲いかかったら大ごとになるわ」
フリオはひた隠しにしているけれど、マイクに起きた異変には深い謎が秘められていそう・・・
賢明なジャッキーは。とっくに気づいていた。
マイクは私の首を絞めたが、圧迫しただけで攻撃的ではなかった。男の昂った性欲の気配は微塵もなかった。右手が光っていたのは、錯覚でなければ何だったの?
見たところ、負傷した様子も微塵もなかった。
ただ、あの目が・・・
かつて経験のない激しい情動が心の底で蠢く。凛としたキャリアウーマンの鎧に風穴が開いたかのように、甘く危険な香りが漂ってきたのだ。
その蠱惑に背筋がぞくっと震える。大滝の目を見た瞬間、底知れぬ深淵を垣間見たのである。
濃厚な闇にずるずる引きずりこまれそう・・・
ジャッキーは我知らず黒い瞳を潤ませた。
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