第98話 偽旗作戦 False Flag Operation
フードの男は仁王立ちでその場に凝固していた。
頭部の回線が断裂してAIの制御信号は途絶えたものの、スケルトンの四肢には揺るぎがない。
人間は脊髄神経を損傷したが最後、たちどころに随所に麻痺をきたすが、フェイルセーフ機能を備えたスケルトンは、頭部がもげたところで両脚の自立機能は損なわれない。四肢の関節にも制御AIが組みこまれているのだ。
フェイルセーフのプログラムにも、ロボット三原則が厳密に適用されているため、両腕も盤石の如く男の胴体を拘束したまま、しかし、呼吸困難や骨折を招かないよう圧力を抑えていた。
に、逃げるなら今だ!
ミッチェルはパニックに陥った。
逃走か闘争かの二択を迫られ、警備員を呼ぶ頭も働かない。血流が自動的に脳より身体に集中するため、顔面も真っ青だ。日焼けした皮膚にまだら模様が浮き出ている。
大量のアドレナリンが闇雲な逃避行動に駆り立てた。
這いつくばるようにして立ち上がり、よたよたと駆けだした瞬間、背後で「バキ、バキッ」と断続的に鋭い異音が響いた。
ま、まさか・・・
凍りついたように身体が自動静止する。過度の恐怖に逃走本能も遮断されて足がすくんでしまう。
飛び出さんばかりに白目を剥いて背後を振り返り、信じがたい光景に生唾を吞んだ。
スケルトンは絨毯の上に転がり、首が千切れて両腕まで失った無残な
黒装束の怪人は、その傍らで肩からもぎ取った腕を左右の手に握り、悠然と中佐を見据えた。
「ふォッ、ふォッ、ふォッ・・・」
フードに隠れた口元から、臆病者の体たらくを蔑む含み笑いが漏れた。
増幅された機械音が大理石の壁に不気味に木霊して、朗々とした低い声が中佐の耳を
「ジョンミッチェル、我われへの敵意を煽るのは許さない!ただちに活動を停止せよ。さもなくば、お前の首もねじ切ってやる!」
「ヒッ・・・たッ、助けてくれ~、だッ、誰か~!」
中佐は口から泡を吹いて、外聞もなく悲鳴を上げた。小太りの身体を揺すって駆け出した途端、首根っこをグイッと掴まれて引き戻される。
あっと言う間の出来事だった。
追いすがった侵入者は、百キロ近い中年男の襟元とズボンの腰を引っ掴み、軽々と後方へ放り投げた。羽毛布団でも扱うようなもの凄まじい
「グぇッ!」
三メートルほど宙を飛んだミッチェルは、潰されたカエルのように、哀れっぽい叫びを発した。
な、なぜ俺がこんな目に・・・
世のため国のため身を粉にしてきたのに、と天を呪った。
手前勝手な利己主義者は、絶体絶命の危地に立たされてもなお、己を省みる殊勝さとは無縁のままだった。
とその時、女の鋭い悲鳴が静寂を打ち破った。
「キャー、誰か、来てェーーー」
正気に返ったリンが必死に助けを呼んでいる。せわしなくIDを操作して、保安部に非常事態信号を送った。
男はフードに隠れた目で素早く視線を巡らせた。気配を探るかのように静止したかと思いきや、不意に踵を返した。漆黒のマントを翻して、連路を本館へと早足に取って返す。
ほぼ同時に、別館入口のドアがスライドして、警備主任が通路に飛び出した。状況を把握するや否や、銃を構えて暴漢の背中に向けて大声を張り上げた。
「止まれッ!止まらないと撃つッ!」
紋切り型の文句ながら、場慣れしたプロならではの威圧感に溢れていた。
男はピタッと歩みを止め、肩越しに警備員を見返した。
フン、とあからさまな侮蔑の仕草で顎をしゃくった直後、いきなり目覚ましいスピードで逃げ出した。
不意を突く挙動にも、警備主任は慌てなかった。むやみに後追いすることなく、銃を握る右手首を左手で支えて目線に合わせるや、躊躇なく発砲した。
スケルトンの惨状を目にして、危険人物と即断したのである。
紛れもない銃声に、中佐とリンは泡を食って絨毯にべったり身を伏せた。
アイサ―でもレーザーでもない!実弾だッ!
銃弾は逃走する襲撃犯の背中に命中した。穿たれた穴が翻るマントにくっきり残っている。しかし、男はひるまない。よろめきもせず急速に遠ざかって行くではないか。
警備主任は立て続けに発砲した。全弾が走り去る男の背中に吸いこまれる。
見事な腕前と言うほかない。
ところが、あろうことかフードの男はわき目もふらずに疾走して、通路を曲がって姿を消した。
絨毯に擦りつけた顔をよじって、一部始終を目撃した中佐は驚愕した。
ばッ、バカなッ!一発でその場に崩れ落ちて然るべきだ。それがどうだッ!六発食らってもびくともしないとは!防弾服でもあり得ないッ!
警備主任は素早く銃を装填して、辺りを
「大丈夫ですか?」
「・・・お、遅いぞッ!このホテルの監視カメラはどうなっとるんだッ!訴えてやるからなッ!」
助け起こされたミッチェルは、礼のひとつも口にするどころか、金切り声で主任をどやしつけた。極度の恐怖が怒りに取って代わり、突発的にヒステリーを起こしたのだ。
立場の弱い相手と見るや、居丈高に振舞って恥じることもない本性も露わに怒鳴り声を上げた。
長年、権力者の警護を担当すれば、こうした手合いにも慣れっこになる。強者には取り入り、弱者には鬱憤をぶつけて当たり散らす。
この手の中高年男性は、臆病な利己主義者と相場が決まっている・・・
警備主任はムッとした表情も見せず、型どおり丁重に答えた。
「申し訳ありません。折あしく本館のAIが定期点検中でして・・・あなたが主催した反ミュータント連盟の会合にVIPがお越しになり、別館の警備に人手を総動員したため。周辺の警備が手薄になりました。お怪我は?」
この男はホワイトハウスの警備担当官だ!
ミッチェルはようやく気づいた。大統領の側近となれば無下には扱えない。計算高く小賢しい頭がすぐさまフル回転した。主催者とおだてられ、たちまち機嫌まで治ってしまう。まことにもって現金な性格である。
「いやいや、大したことはありません。おかげで助かりましたわい」
如才なく態度を一変させ、警備主任に助けられて立ち上がった。
自力で起き上がったリンも歩み寄って声をかけた。
「私をかばって下さったのですね!おかげで助かりました!」
「なんと、あなたが彼女を助けたのですか!?さすがは軍人ですな。大統領にもご報告せねば」
警備主任は内心で苦虫を嚙み潰していた。
こんな奴を誉めそやさなければならないとは、文字通り歯が浮きそうだ。
傍らに立つリンにちらッと視線をくれた。同じ気持ちなのは間違いなかった。
「いやいや、これしきのこと!当然のことをしたまでですわい」
最前までのパニックもどこ吹く風、ミッチェルは俄然勢いづいた。頭の中で、「俺さま」がリンをかばってテロリストに立ち向かった、というストーリーに現実が都合よく置き換わったのである。
救急隊が駆けつけ応急手当を施す間、警備主任は部下を呼び寄せ周囲の警戒に当たった。
続いて警察が慌ただしく到着した。
簡単に事情を聴いた後、ただちに現場検証に取り掛かった。ホテルのスタッフも駆けつけ、現場は騒然とした空気に包まれた。
ほどなくして、別館最上階の豪華なペントハウスにも事件の一報が伝わり、五十人ほどの紳士淑女の間にどよめきが広がった。
事件を伝えたのは、控え室で待機していた統合参謀本部のダレス補佐官である。二カ月ほど前のムラカミ教授の講演会とは異なり、政府関係者はダレスただ一人で、来賓は財界の大物ばかりだった。
「ミッチェル中佐は無事ですが、大事を取って病院に搬送されました。お集まり頂いた皆さまには誠に恐縮ですが、講演に代えて反ミュータント連盟のプロモーションビデオをご覧いただきます。別館の警備は万全です。ご安心のうえ、視聴しながらパーティをお楽しみください」
ダレスは断固とした口調で続けた。
「現場からの情報によりますと、今日の恐ろしいテロは、ミュータントサイボーグの犯行との疑いが濃厚です。ミッチェル氏が彼らの存在を暴くのを恐れての犯行となれば、断じて許すわけには参りません・・・しかしながら、彼らの存在は政府内でも一握りの高官のみが知る極秘情報です。その点はご理解頂けることと存じます」
意味ありげな目つきで一同を見渡し、ダレスはそそくさとペントハウスを後にした。
残された人々は口々に興奮した声で話をかわし始めたが、世界一の大富豪ウィリアム・ベイツは、老獪な頭脳をフル回転させていた。世界を変えるハイテクと金の匂いを敏感に嗅ぎつけたのである。
ダレス補佐官は明らかにウソをついていたが、何を隠しているのだ?ミュータントサイボーグとやらは聞いたこともないぞ・・・だが、一連の事件と関わりがあるなら、莫大な政府予算が動く!
補佐官は我われの本質を見抜いていた。政府はここに集まった超富裕層の操り人形でしかないと認識して、暗に口止めしたな?投資の機会を与えてくれたわけか?ムラカミ教授の講演も主催したが、あの男は実に頭が切れる・・・
ベイツの目にはプロファイリング・レンズが光っていた。財力に物を言わせ、CIAにも引けを取らない情報網を張り巡らせているが、自ら現場に足を運んで総合的に判断を下す手間を惜しまない。現場を直に知るのが成功の鍵と心得ていた。
ボンボンの世襲大富豪とは年季がまるで違うのである。
一方、ダレスは足早に連絡通路に向かった。
陣頭指揮を執る警部と
「スケルトンの頭部から映像を回収しました。大統領に届けるよう手筈をお願いします」
警備主任が言った。
動画には実写を裏付けるデジタル透かしが埋めこまれている。言わば画像や映像の信憑性の証である。官公庁や大手企業はじめジャーナリストらが撮影機器に採用しているもので、AI生成フェイク映像が横行する情報戦を制御するには、欠かすことのできないテクノロジーだ。
「周辺の監視カメラは、AIの定期点検で停止中です。弾丸もすり替えました。六発とも金属装甲に弾かれたと鑑識結果が出るはずです。なお、病院は面会謝絶です。マスコミはミッチェルに近寄れません」
ダレスはうなずいた。
ホワイトハウスの主任警護官が経営する警備会社が担当したとあって、仮に警察やホテル側が細工に気づいたとしても、口をつぐむのは目に見えている。すべて計算通りだ、とほくそ笑んだ。
「いいぞ。中佐は口から出まかせのミュータントサイボーグが実在すると思いこむ。自分の手柄を強調せんがために、大統領にご注進に駆けつけるだろう。反ミュータント連盟の予算獲得には格好の事件だからな。大統領も首都にまでプライムの魔の手が伸びたと信じこむだろう。我われの思う壺だ」
あのお調子者めが!我われのシナリオを勝手に書き換えるとは!勝手な行動は許さない。メディアの取材を受けた日には、浮かれてノヴァの存在を漏らしかねないからな。面会謝絶は当然の措置だ!
ダレスは満足気に冷笑を浮かべたが、傍らの警備主任は戦々恐々と胸でつぶやいた。
些細な恨みも忘れない復讐心には身の毛がよだつ。いくら腹が立ったからと言って、何も
プリーストの超常能力をまざまざと見せつけられた思いだった。
ロボットの腕を引きちぎるのは、俺たちコマンダーでさえ到底不可能な荒業だ。プリーストは撃力を飛躍的に高める秘術を習得していると聞いたが、相手がロボットでなく生身の人間だったら・・・
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