第97話 フードの怪人 Black Hood
コロンビア特別区、通称ワシントンDC。言わずと知れたアメリカ合衆国の恒久首都には、ホワイトハウスと連邦議会はじめ政府機関が集まる。
歴史的建造物も数多く点在することから、連邦政府は一貫して美化運動に力を入れてきた。景観を損なう醜い高層ビル群は周辺部に遠ざけられ、瀟洒な建築物のたたずまいが、いやが上にも街に品格と趣きを添えている。
首都で旗揚げとは幸先がいい。金と名声が転がりこむぞ!
「反ミュータント連盟」を立ち上げたジョン・ミッチェルは意気軒高だった。大統領の口利きで、密かに富裕層の支援を取りつける機会にありついたのである。高級ホテルの迎賓館を会場に、資金集めのパーティを開催する段取りはトントン拍子に進んだ。
ホテルの本館と迎賓館は、広々とした敷地に伸びるL字型の連絡通路で結ばれていた。支配人に丁重に迎え入れられたミッチェルは、大物気取りだった。「俺さま」モード全開で、足取りも軽く主任コンシェルジュの案内で連絡通路に向かった。
赤い絨毯が敷き詰められた通路は大理石で覆われ、ステンドグラスが両側の壁にずらりと並んでいる。他に人影はなく静寂に包まれていた。
リンとか言ったな?清楚な東洋系もワルくないな・・・
バリアフリーの動く歩道もあるのだが、コンシェルジュが姿を見せると、中佐は歩きたいと伝えた。健康や省エネのためではない。薄汚い魂胆があった。明らかなセクハラ行為となると逮捕や訴訟になりかねない。が、歩きながらであれば弾みで触れたと言い訳が効くと、過去の経験で味をしめていたのだ。
由緒あるホテルの従業員は、安っぽいハイテクスーツなど着用しない。高級スーツのスカートから伸びる主任コンシェルジュの両脚は、アスリートのように引き締まっている。内心で舌なめずりしながら、病的なセクハラおやじの本性も露わに、傍らを歩くリンの腰に触れようとした瞬間、「ご覧ください!」と声を掛けられ反射的に手を引っこめた。
何とッ!
前方左手の壁際で、金属のオブジェが身じろぎしたのである。光沢のある骸骨に酷似した外形に見覚えがあった。
スケルトンか!どうして市街地の商業施設に、ロボット兵が配備されているんだ?重大な法律違反だぞ!
と、コンシュルジュが如才なく中佐に声をかけた。
「ミッチェル様、驚かれたと思いますが、軍事用ではなくスケルトンロボットのひな型です。と申しましても、警護能力はロボット兵に準ずるそうです」
リンはにこやかに説明した。
「な、なるほど、警備ロボか・・・」
武器を携帯せず内臓プログラムも民間用であれば、施設内での使用は違法ではないが、あの手のロボットは見るのもおぞましい!
ロボット兵ではないと分かっても、中佐は嫌悪感を拭い去れなかった。非武装でもスケルトンの殺傷能力は恐ろしく高い。ロボット三原則が機能しなくなれば、このホテルの数百人を短時間で殺戮できるだろう。敏捷性とパワーとスタミナで人間を遥かに凌駕するばかりか、ありとあらゆる戦闘術をプログラム一つで習得できるのが強みだ。
この女は軍人ではないからな。恐ろしさを知らんのだ!
ロボットの怖さは、プログラムを書き換えやハッキングで、瞬時に敵に回るところだが、中佐が
現に、人間と見分けがつかないヒューマノイド型ロボットは、公共の場には持ち出せない。万国共通の法律が施行された背景には、脳科学が実証した生物学的な要因があった。
人種差別をも生む本能的な警戒心は、外形が人に似ているほど
リアルな人型ロボットは、無意識の違和感と警戒心を人に抱かせるのである。そのストレスが人々の間に相互不信の種を撒く。
もっとも、ミッチェルは歴史や脳科学の造詣に鑑みて、ミュータントサイボーグなる架空の存在をでっち上げたのではなかった。どこぞのSF映画で見たサイボーグのイメージを元に、漠然と思いついたに過ぎない。
ところが、扇動者としての直感が閃いたのか、理に適った空想上の天敵を見事に捻り出したのである。当然ながら功を奏して、政府上層部の関心を大いに惹きつけた。結果が吉と出ると、たちどころに己の知的な発想の成果と、例によって都合よく解釈した。
一事が万事その調子で「俺さまはすごい」と自画自賛に走る。その点では、余人には真似のできない卓越した才能の持ち主なのである。
「ご心配は無用です。コントローラーで警戒モードに切り替えました。普段はロボットは使いませんが、あいにく今日は警備員が出払っているものですから」
いかにも不快そうな渋面に、腰に着けた小型機器を指さしながら、リンが気遣いを示した。
こんな男でもお客様だ。機転が利かないようでは、コンシェルジュは務まらない。咄嗟にスケルトンを起動して注意を逸らせ、セクハラを逃れたのである。むろん、ホテルの情報網は常習犯と事前に把握していた。系列ホテルでの前科が記録に残っていたのである。
その時、異変が生じた。
そいつがどこから現れたのか、中佐にはついに分からずじまいだったが、
最初に侵入者を感知したのはスケルトンだった。長い通路の先で静物のように佇んでいたスケルトンは、不審な人影を感知するや猛然と走り出した。男の攻撃的な服装に内臓AIが機敏に反応したのである。
その動きはあまりに唐突で、中佐は度肝を抜かれた。金属製の膝を高く掲げ、絨毯の上を音も立てずに疾走して来るではないか。電子の眼の暗く鈍い輝きに臆病風に吹かれ。思わずリンの背中に隠れるように身をかがめた。
しかし、スケルトンは二人の左側を風を巻いて駆け抜け、侵入者の前に立ち塞がった。
身がすくんだミッチェルは後方を振り返り、ようやく事態を呑みこんだ。
な、何だ、あいつッ!?コミックの悪役でもあるまいし、不気味な恰好をしやがって!
侵入者は漆黒のフードとマントに身を包んでいたのである。いわゆるローブクロークという衣装だ。
スケルトンに発話機能はないが、意図は明白に伝わった。警戒から警告モードに切り替わり、不審者が敵対行為をわずかでも示せば、即座に拘束モードに移行する構えだ。
両者は二十メートルほど距離を置いて、無言で対峙した。
男がマントを跳ねのけて両手を出した瞬間、スケルトンは突進した。マシーン型ロボットを含めても、二足走行でスケルトンの初速を上回る物体は存在しない。装備重量がネックとなり、機動歩兵ですら遅れをとる。しかも、ダッシュに備えて身構える必要がないため、その動作を事前に察知して対応するのは不可能だ。
肉眼にはロボットが瞬間移動したとしか映らなかった。先ほどのダッシュは、中佐とリンの不用意な動きに備えてAIが手加減したが、今度はフル加速をかけた。
瞬時に距離を詰め、男の手前で急停止する。加速、減速、停止のタイミングは絶妙だ。AIと先進ロボティック技術が見事に融合している。距離を詰める前に、男が武器を手にしていないと感知したAIが、警告モードに戻したのだ。
隠し持った武器を警戒して、我われが男の死角に入る位置まで距離を詰めたな!
こうして見ると、フードの男と背丈がほぼ同じだ。スケルトンはロボット兵より一回り小柄で、身長二メートルを切っていた。
軽量の最速モデルだ。もう逃げられんぞ!生身の人間を取り押さえる光景は、滅多にあるもんじゃない。こいつは見ものだ!
中佐は手に汗を握った。
「ゆっくり両手をあげてッ!」
コントローラを手にしたリンが叫んだ。中佐がちらっと眼をくれると、背後に隠れるように顔だけ覗かせている。緊張で声が震えていた。
防犯訓練だけで現場経験はないと見える。だが、仮に武器を持っていても、ヤツに勝ち目はまったくない!投降したら警備員を呼んで一件落着だ。非武装なら建造物侵入罪で済む。コスプレ好きが嵩じた人騒がせなガキに違いない・・・
が、二人は虚を突かれた。無謀にも侵入者はスケルトンに挑んだのだ。不意に左へ大きくフェイントをかけた。その後の敏速かつ巧みな反転は、人間相手ならまんまと功を奏したに違いない。
だが、スケルトンは合わせ鏡のように楽々と対応した。桁違いの反応速度だ。すかさず金属の両腕を伸ばして、男の胴体を拘束した。その動きは毒蛇の攻撃を想起させるほど滑らかで目にも止まらなかった。
「捕えたぞッ!・・・さっさと警備を呼べ!」
中佐は振り向いてリンに声をかけた。だが、その言葉も耳に入らず、リンは黒い目を真円のように見開き、前方を見つめている。
ミッチェルは反射的に向き直った。
黒装束の男は半ば抱き上げられた体勢を物ともせず、両手でスケルトンの頭部を掴んでいた。拘束されたまま背中を反らせて、ロボットの頭部を押し返す。フードですっぽり顔を隠した怪人が、金属の骸骨と組み討つ。アメコミさながらの異様な光景と言うほかない。
ミッチェルの顔にせせら笑いが浮かんだ。
無駄な抵抗と言うもんだ!大人の顔を掴んだ赤子も同然だ。
が、その笑みはたちまち訝し気な表情に取って代わった。ロボットの髑髏に酷似した頭部が、不意にじわっと後方に
ば、バカなッ!・・・
目を疑う光景だった。
次の瞬間、「ピシっ」と鋭い金属音を発して、スケルトンの首は百八十度折れ曲がった。接合部が全周断裂した頭部は、接続コードの束に支えられ、上背部にぶらりと垂れ下がった。輝きが失せた電子の眼が虚ろに中佐を睨んでいる。
ば、化け物だッ!
中佐は顔面蒼白になった。
「あわわッ」
言葉にならない叫びが、だらしなく緩んだ口元から漏れた。慌てふためいて、くるっと背を向け闇雲に遁走にかかった。背後に立つリンは避ける間もなく突き飛ばされ、「キャっ」と悲鳴をあげて転倒した。打ち所が悪かったと見え、そのままぐったり床に伏した。
中佐もバランスを崩してよろめき、床に尻もちをついた。腰を抜かして床にへたりこんだまま、恐怖に目を剝いて今にも失禁せんばかりだ。
倒れたコンシェルジュを気遣いもせずに、焦って視線を巡らせた。
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