第29話 幻影の女 Vision Of The Past
「女はね、本能的に性的な反応を隠すのが上手なの。男は違うわ。基本、自分から攻めるようにできているから厄介よね」
貴美がため息をつくと、ナラニが匠に尋ねた。
「タク、あの子の名は何と言うの?」
「美紀子だよ。遠藤美紀子。ヘッドチアリーダーで、教養学部キャンパスを牛耳っている。父親があの遠藤博士だから怖い物知らずなんだ」
「あらっ、VRテックの創業者の娘なの?」
貴美が驚いたのは他でもない。脳科学を応用してヴァーチャル・リアリティ空間を構築する超ハイテク企業で、ここ数年で世界的な大成功を収めているからだ。
「道理で生命力もとても強い子ね。だから、異種の魅力を敏感に感じ取れるの」
とうなずいたナラニは、不意に右手を伸ばして匠の右手首を握った。匠の目に
「記憶を探ったりしないから安心して。あなたとアロンダとキャットには、私たちに言えない秘密があるでしょう?それでいいの。第二世代はあなたたち三人に干渉しない。知らない方がうまく行くこともあるの」
第二世代の長老だけあって、これぐらいお見通しなんだな。
伽耶の存在を探られるのでは、と不安になった匠はほっとした。ナラニは匠の手の平を上に向け、左手で上から指を合わせるように包みこんだ。
その瞬間、匠は思わず「うわッ!」と叫んで目を大きく見張った。
突如として生々しい映像が脳裏に湧き上がったのだ。
それは恐ろしいほど淫らなイメージだった。
生々しいキスマークや噛み跡が点々と残る全裸の美紀子が、匠の首に手を回してウットリと焦点の定まらない目で見つめている。長い脚を匠に絡めると、滑らかな太腿で胴体を絞めつけながら熱くささやきかけた。
「ねえ、もっとして!お願い、めちゃめちゃにして!」
舌で赤い唇を舐め回すと激しく口づけしながら、汗に光るグラマラスな裸身を擦りつける。
「うッ、うわ~ッ、止めてくれーッ!」
匠は無我夢中で叫んだ。
ナラニの手を振りほどこうとしたが、まるで万力で固定されたように二人の手は離れない。
「タク、落ち着いて!オーブを起動するの」と、ナラニが言った。
「起動するたって、僕はヒーラーだ。自分とキャットを治した時しか、自力でオーブを出したことはないんだ!」
しどろもどろに答える間にも、幻影はますます強くリアルになってゆく。美紀子を組み伏せて覆いかぶさる寸前まで欲情に翻弄されてしまう。
「思い出して!自力でオーブを纏った時、何がきっかけだったか!」
ナラニの言葉に、二度ともニムエとアルビオラのイメージがトリガーになった、と匠は思い出し、咄嗟に深く息を吸ってアロンダとキャットの姿を思い浮かべた。
しばし間が空いたが、淫蕩な幻影を打ち消すように二人の姿が立ち現れると同時に、フワッと身体が浮遊感に包まれ脳裏にオーブの光が炸裂した。
計ったようにナラニが手を離すと、匠はソファにストンと腰を落とし仰向けにパタッと倒れた。
幻影も欲望も瞬時に消えて、世界はクリアになり光に満ちて輝いて見える。
「はぁー、助かった・・・」
深いため息をついて、お馴染みになった深いまどろみの中で、匠はぐったり身体を伸ばした。
「ねッ、タク。自分のオーブが見える?」
と、貴美が尋ねた。
見ると青い煌めきが混じった白く淡い光が全身を包んでいる。時折、スーッと光の線や点が現れては流れて消えて行く。
匠が自分のオーブをはっきり目にするのは、これが初めてだ。
光の粒子は放射性物質で、物質生成のプロセスを逆に辿って光に戻る、とタリスに聞いていた。第二世代はオーブを使って、放射性同位体を光や熱や電気に変換する能力を備えているとも。
身体を起こし、オーブを子細に眺めていると貴美が言った。
「言ってみれば和光同塵ね。その光を和らげその塵に同じうす・・・フェロモン現象が起きる度に、オーブを起動するの。すると徐々に異種のオーラは和らぐわ。ただ、オーブを人に感づかれないよう気をつけてね。光を和らげるところまでレッスン修了よ!とりあえず、フェロモン現象は半減するはずよ」
「えッ、レッスンって何のこと?」
匠が怪訝そうに尋ねると、ナラニと貴美は顔を見合わせて笑みを浮かべた。貴美がウィンクしたので、匠はようやく気づいた。
「あ~ッ、またはめられた!」
「そうね。家に着いてから、ずっとフェロモン現象を消す訓練を受けていたのよ」
ナラニが言った。
「ひどいじゃないか、よりによってあんな幻を見せるなんて!それも、美紀子をダシに使うなんて。ビビったなんてもんじゃない、トラウマになりそうだよ!」
匠が文句をつけるとナラニが
「タク、幻でも催眠術でもないの。あれは・・・あなたとあの子の過去生の記憶なの」
「えッ!?美紀子と僕の?そんなバカな・・・」
と、言いかけた匠はふと気づいた。
そう言えば美紀子に迫られた時、デジャヴュを感じたっけ。それに幻の中の美紀子は今の彼女とはどこか違っていた。
だが良く思い出せない。まるで思い出すのを心が拒否しているようだった。
「ところで、いったいどんな幻だったの?」
貴美が意味深な表情で匠に尋ねた。姉らしくもない露骨な質問に匠はうろたえた。貴美の目が好奇心で輝いているように見えて違和感さえ感じる。
「どんなって、そんな・・・恥ずかしくってとても言えないよ!」
「たぶん、あなたが見た中世の夢より昔の出来事でしょうね」
ナラニが口を挟んだ。学生ラウンジで美紀子の姿を目にした時から、類いまれな強いオーラを感じ取っていたのである。
生命力の強い人類の女性は、匠にとって強力な後ろ盾にも、危険な敵にもなり得る。何と言っても、匠はまだ覚醒したばかりだ。女のセンシュアルなオーラが強ければ、脳に支配されて第二世代の慎み深い意識が圧倒されることさえある。
しかも、過去生での深い関係が因縁になれば、今生で二人の間に何が起きても不思議はない・・・
でも、今は匠をこれ以上悩ませたくはない。
ナラニは懸念を振り払って笑顔を浮かべた。
「タク、お願いがあるの。講演会の前に大学の理事会と教授会に招待されているの。スクーターで送ってね」
「いいよ。パパラッチが待ち受けているから裏門で降ろすよ。ところで、僕はもう大丈夫なのかな?つまり、フェロモンの影響だけど?」
「カミが言った通りよ。まだ残っているから、何度もオーブを纏う練習をしてフェロモンのオーラを中和してね」
「ナラニやアロンダは、どうして僕のフェロモン現象に反応しないんだろう?」
「ナラニはオールドソウルだからよ。第二世代の長老たちは、あなたのフェロモンに惑わされないわ」
と、貴美が答えた。
「そうか。道理でサンクチュアリのアスカやキーリンは、全然反応しなかったっけ」
「その通りよ。それに第三世代の貴美とアロンダとキャットも、あなたの影響を受けないらしいわ」
ナラニが言った。
「それは助かる!キャットは娘だし、貴美は姉だし、アロンダは・・・」
匠が言い淀むと、ナラニがズバリと核心を突いた。
「あなたと寝ようとはしないのね?」
「実はそうなんだ・・・その気がないんじゃないと思う。彼女、何か心に引っかかっているみたいなんだ」
匠はため息をついた。サンクチュアリで一夜を共に過ごしたが、隣室のキャットの容態が気になっていたし、テレパシーを飛ばさないようアロンダに練習させられて、それどころではなかった。
もっとも、匠はアロンダつまりニムエと再会した瞬間から、すっかり千年前に戻った二人の関係に概ね満足していたのである。
今考えたところで仕方がないと、すんなり気持ちが切り替わった匠は、ナラニに向かって陽気な声を掛けた。
「では『ローマの休日』と参りましょうか、王女さま!」
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