第28話 モテる男のコロしかた Soften Light To Blend in Dust

 フェロモン現象の影響で女子に囲まれた匠は、ナラニの手引きで難を逃れ学生ラウンジを抜け出した。やれやれと一安心したところで、肩を並べて歩くナラニが初対面とは思えない気さくな口調で話しかけた。

「タク、講演会まで時間があるから家に戻りましょう。私はあなたの家から歩いて来たの。だからスクーターに乗せてね。アロンダが直したんでしょう?」

「アスカが報告したんだね、アロンダのことも?」

 匠が尋ねると、ナラニはニッコリうなずいた。

 なるほど、じゃあ、アロンダの存在はもう隠さなくても済む。

 第三世代の三人全員をナラニが把握したと分かって、匠はホッとしていた。ただし、伽耶の存在だけはまだ明かせなかった。


 二人は急ぎ足で駐車場に向かった。予備のヘルメットを被ったナラニは、女子高生のように溌剌として初々しい。楽しそうに後部シートに跨って、匠の腰に両手を回した。

 エア・スクーターは桜並木が両サイドに連なる通称「滑走路」を通って正門に向かった。ナラニはピンクのトンネルのように咲き誇る桜を眺めながら、黒目がちな目をキラキラ輝かせていた。


「カミ、お帰り!びっくりだよ、急に戻るなんてさ。それにナラニまで・・・」

 家に帰り着いた匠は、突然の出来事に絶句した。居間に入るなり、貴美に抱きしめられたのだが、いつもの姉弟ハグとはまったく勝手が違うのだ。

「あ~んッ、タクったら、なんて素敵なの~?」

 鼻にかかった甘ったるい声で、貴美がしなだれかかってきたのである。

 遠藤美紀子がフラッシュバックした匠は、しまった、フェロモン現象だ、と気づいたが遅かった。


「う、うわーッ!よせッ、カミ、僕たちは姉弟きょうだいだろーッ!」 

 気が動転して必死に姉を押しのけようともがいたが、大柄な貴美が首に両腕を回してしがみつくものだから、振り払おうにも振り払えない。

「あら?血は繋がってないでしょ!だから、いつでも男と女の関係になれるわ!」 

「なッ、何てこと言うんだ、カミ!よせったらッ、よせッ!・・・ナラニ、頼むから、助けてッ!」

 顔を寄せて熱っぽく囁きかける貴美に、匠は息が止まるほどうろたえて腰砕けになった。笑いを堪えていたナラニはとうとう我慢できなくなって吹き出し、貴美に軽やかに声をかけた。

「カミ、タクがショック死する前に離してあげて」

「あ~、タクの顔ったら!」

 貴美は弟から離れると、両手を叩いて身体を丸めて笑い転げた。二人の明るい笑い声に、騙されたとようやく悟った匠は、憤りよりも拍子抜けしてソファにへたりこんだ。

「ひどいじゃないか、あんまりだッ!死ぬかと思った・・・」

 大柄な女に抱きすくめられて迫られるのは、朝からこれで二度目だ。これが続いたらマジでショック死しそうだ!こんなに焦ったのは、生まれて初めてだ!


「ごめんね、タク。やり過ぎたわ。ほらッ、機嫌を直して!」

 貴美は弟の手を取って立ち上がらせた。匠もすぐに気を取り直した。第二世代になってからと言うもの、思いがけない展開が続いている割には、動揺してもたちまち気持ちが切り替わるのである。今この瞬間に意識がフォーカスするのは、自分でも不思議なぐらいだ。

「あ~、マジでビビった!ナラニは全然反応しないから油断したよ。でも、カミが元気で安心した!」

 実際、貴美は見違えるほど精気に満ちて溌剌としている。匠は良かったと胸をなでおろし、姉を抱き寄せて「お帰り!」と改めてつぶやいた。


「ありがとう。タクとナラニのおかげよ。ところで、もうSNSで拡散してるわよ~。桐嶋ナラニ、日本に里帰り。シティに出現、大学生と『ローマの休日』か?って」

 貴美は明るい声で笑った。所属のモデルエージェンシーが、宣伝のため里帰りをリークしたのだが、ナラニはとっくにお見通しだった。ハワイを経つ前に変装して、メガロポリス空港で待ち受けたメディアを、貴美と一緒に易々とやり過ごした。貴美のCIAでの偽装訓練も役に立ったのは言うまでもない。


「やれやれ、もう拡散か。ただでさえ参っているのに・・・」

 匠が肩を落として愚痴ると、貴美が気の毒そうな声を出した。

「フェロモン現象はキツイわよね~」

「えッ、カミも経験あるの?」

「第二世代全員なの。私たちはその気がなくても人類の男たちを魅了するの」

と、ナラニが言った。

 全員そうなのか!?

 匠には意外な事実だった。タリスから受け取った情報には、フェロモン現象は含まれていなかったのだ。


「知らなかった・・・だけど、変だな~、サンクチュアリの皆には何も感じなかった、つまりフェロモンは・・・」

「でしょう?なぜだと思う?」

「僕が不感症とか?」

と言うと、貴美が匠の額を左手で小突いた。

「ば~か!タク、ナラニと初めて会った時、どうだった?」

「見とれてしまったけどフェロモンじゃない。男子だけじゃなかった。女子もだし、何と言うか、純粋に憧れに近い感じだった」

「第二世代はね、人類よりずっと強いオーラを出しているの。でも、みんなフェロモン作用は消しているわ。魔女狩りの原因にもなったからなの・・・」

 ナラニは表情を曇らせた。

 天性のヒーラーでもある第二世代は、遠い昔から密かに人々を助けてきた。ところが、狂信的な聖職者たちは、自ら抑圧した欲望のはけ口も兼ねて、残虐極まりない魔女狩りを扇動したのである。

 人類の女性も含めて、大勢が犠牲になったおぞましく凄惨な歴史がある。


「能力を悟られないよう、第二世代は抵抗しなかったんだね・・・」

 眉をひそめて唇を噛んだ匠の言葉に、ナラニは無言でうなずいた。

 相手に「邪悪」「○○人」「異教徒」「魔女」「動物」などとレッテルを貼りさえすれば、人間は自らが信じる神や正義を振りかざし、他者を裁いて際限もなく残酷になり得る・・・

 神や主義を持ち出して、己の貪欲や非道な行為を都合よく正当化するのである。

 地球の生物の中で人類だけがなし得る残虐行為は、発達した大脳皮質が故に起こる。

「好戦的なチンパンジーの脳を受け継いだ人類を、平和な種に進化させるのがミレニアム計画の最終目的です」

 タリスがテレパシーで伝えた言葉が、匠の胸に強く印象に残っている。

 最も重要なメッセージであるのは間違いなかった。


「和光同塵と言うでしょう?オーラさえコントロールできれば、フェロモン現象は抑えられるわ。ただ、習得するに時間がかかるの」

 貴美が沈黙を破って話題を戻した。

「どのくらいかかるんだろう?」

 匠が尋ねると、ナラニは首を振った。

「わからないわ。あなたは男で私たち女とは違うから・・・」

「そんな!新学期だってのに、このままじゃ身動き取れないよ!」


「でも、フェロモンを一時的に消す簡単な方法ならあるの」

と、ナラニは匠の耳に顔を寄せて何やらささやいた。

「え~ッ!?そ、そんな無茶なッ!彼女と寝ろって言うの?まさか、本気じゃないよね?」

 思わず素っ頓狂な声を出した匠は、まじまじとナラニの顔を見やった。

 信じ難い提案を持ち出されたのだ。

 あろうことか、匠に迫ったチアリーダーと寝れば、フェロモン現象を抑えられると言うのだ。


 そんな事ができるワケがない、とさすがの匠も反発した。

「僕はアロンダと一緒にいたいんだよ。彼女さえいればいいのに、なぜ他の女性と!?」

「聞いて、タク。思い出してほしいの。あのパワフルな子に迫られた時にどう感じた?」

 何でまたそんなことを?

 匠は少しばかり苛立ったが、第二世代の長老が言うのだからしようがない。

 一時間ほど前の出来事を嫌々浮かべると、すぐに美紀子の身体の重みと温もり、化粧の匂いに混じって何とも言えない甘美な香りと熱い吐息がまざまざと蘇って、気持ちがモヤモヤとして身体が熱くなる。


「やっぱりね・・・」

 じっと匠を見つめていたナラニと貴美が異口同音に言った。

「やっぱりって、何が?」

 匠が尋ねると、二人は顔を見合わせた。

「タク、フェロモン現象は女を惹きつけるだけじゃないの。あなたの脳と身体も相手に反応するから一段と強まるの」

 ナラニが言った。


「そんなこと言ったって、男なんだからモヤモヤするよ・・・」

 ナラニを目にした時とは打って変わって、美紀子を思い出すだけで、情動脳である大脳辺縁系に支配された本能がうごめき出すのだった。


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