第27話 スリーピング・キャット Kitty Is Sleeping

 メガロポリスの東側、国道沿いのトンネル出口の退避スポットに、大型貨物トラックに偽装した軍用カーゴが駐車していた。

 運送会社の制服に身を包んだロペス軍曹は、だだっ広い助手席に寝かせたキャットの様子を窺がった。正体もなく眠りこんでいる。

 排水口から脱出した大滝がカーゴに戻った時、炎と煙と熱に激しい振動が重なったショックでキャットは気を失っていた。メカに詳しい軍曹が故障したマグネット機能を解除した後、大滝が麻酔銃でキャットを眠らせたのだ。トラックや軍曹を目撃されては困る。軍事機密は秘匿しなければならなかった。


「大尉、余計なことかも知れませんが、本当に良いのですか?」

 軍曹は右手を振り向いて、背後の貨物室の小窓越しに話しかけた。

「構わない。この娘の件は俺たち二人だけの秘密だ」

 ヘッドギアにすっぽり覆われた顔を寄せて、大滝がぶっきらぼうに答えると、軍曹は顔を輝かせて敬礼した。

「承知しました!」

 大滝に心酔するあまり、秘密を共有できる仲間と認められて軍曹は感激していた。

 大滝はヘッドギアの下でしようがないヤツだと苦笑いした。

「フリオ、何度言えばわかるんだ?いちいち敬礼は無用だ。わかるな?移民のドライバーと思わせるんだ。肩の力を抜いて軍人と悟られるな」

「了解です。道端で見つけて、携帯電話のロックをこの子の指紋で解除して、通話記録から最後にかけた番号に、自動翻訳の日本語でショートメールを返信したと伝えます。え~、そして英語が通じなければ、タブレットを使って同時通訳します。さらに、肩の力を抜いてリラックスして・・・」

 超合金製の人差し指を振りながら、大滝が「チッ、チッ」と舌打ちして見せると、軍曹は口を閉じて頭をかいた。

「フリオ、お前は無口で図太いトラック野郎なんだ。細かいことは気にしないが、女子供には優しい頼りがいのある男だ!いいな?」


 緻密な整備点検作業をこなす軍曹の特異な能力は、生来の神経質な性格あってのものと良く知っているから、大滝はやんわり釘を刺すに止めた。

 機動歩兵部隊には各国からプライドの高いワンマンアーミーが集まる。彼らの敬意を勝ち得ただけあって、大滝は部下の性格を見抜き、力を引き出すリーダーの資質を備えていた。


 ほどなくして、トンネルの出口から黒いエアバンが姿を現わし、退避所へ入って来た。大滝はイヤーパッドの感度を上げて、壁越しに人の声の周波帯を拾えるよう調整した。覗き窓を閉じてカーゴの中に身を潜める。軍曹はトラックから降りて助手席に回り、ぐったりしたキャットをそっと抱きかかえシンの車へ向かった。


「キャット!いったいどうしたんだ?」

 キャットの姿を認めたシンが驚いて駆け寄った。

「この子なら大丈夫だ。気を失っているだけだ。あんたがシンか?」

 軍曹が英語で尋ねると、シンは達者な英語に切り替えた。移民の多い西の都を仕切る裏組織の幹部ともなれば、日常会話で多言語を使いこなすようでないと務まらない。

「そうだ。いったい何があった?」

「道端に倒れていたんだが、ワケありとピンと来てな。ところが、俺は警官が大の苦手ときている。で、この子の携帯を見たら、暗号化されてないのはあんたの名前だけだったんでな。取り急ぎショートメールを送ったってわけだ」

 伽耶、アロンダ、キャットの三人は、互いの送受信記録が残らないようクリプトフォンに細工している。新人類の秘密を守るためだ。


 シンは軍曹に手を貸してキャットの身体を支え全身を隈なく見回した。顔もキャットスーツも黒く煤にまみれ、汚泥のような異臭を漂わせているが、見たところ怪我もなく呼吸も正常だった。


「あんたが助けてくれたのか?礼を言うよ!しかし、ひどい匂いだな。それに煤だらけだ・・・何があったんだ?」

「さあな、事情はわからんよ。俺にできるのはここまでだ」

 軍曹は肩をすくめて、ぶっきらぼうにテキサス訛りの英語で答えた。

「ありがとうよ!恩に着る」

「いいんだ、じゃあな!」

 慣れない演技でボロを出す前に切り上げようと、ロペス軍曹はそそくさと背を向けて貨物トラックへとって返した。

 しかし、シンはとっくに感づいていた。

 運送会社の制服こそ着ているが、あのドライバーの立ち居振る舞いは民間人には見えない。日本の運送会社のトラックなのに左ハンドルなのもおかしいし、今どきアメリカ人移民は滅多にいない。

 だが、余計な詮索はしないのが裏社会の流儀と言うものだった。


 タイヤ式の貨物トラックが緩やかに回転して、トンネル内に消えて行くのを見送り、シンはキャットの膝に手を回して抱き上げた。バンの後部ドアを開いてマットレスを引き出し、キャットを寝かせて毛布をかける。柔らかなファイバークロスで煤にまみれたキャットの顔をそっと拭いながら、ふと出がけに見たニュースを思い出した。

「そう言や、この先だったな?工場が爆発したのは。お前、いったい何をやらかしたんだ?」

 あどけなさを残す寝顔を見つめてつぶやいたシンは

「こいつは俺が守る」

と、精悍な顔を引き締めて心に誓った。なぜだが分からないが、キャットを守りたいという気持ちが、自然に心に湧いて来るのだった。


 

 大滝はモビールスーツ姿のまま、カーゴの中で超大型ソファに寝そべっていた。市街戦用迷彩の装甲は、レーザーと機銃の掃射を受けた痕跡も見えないほど煤と埃と汚泥にまみれている。

 カーゴ内は明るい照明が灯り、装備を着けたまま飲食できる設備まで整っているが、機動スーツは専用の装置とエンジニアがいなければ着脱できない。背負っていた破城槌や両腕の小型電磁波砲と麻酔ライフルは、ギア・シェルフに納めてあった。


  比較的小規模な虎部隊アジトへの急襲は、単独任務の「スウープ」だった。拠点を潰すには、何も「スイープ」つまり虎部隊を殲滅する必要はない。むしろ、外交上の大事を避けるため、犠牲者を出さないよう気を配った。

 日本の警察や自衛隊が出動すれば、非合法の諜報工作組織は、自爆して撤収すると承知の上で、大滝は重火器もレーザー砲も装備せずに乗りこんだのである。


 自爆装置の起爆前に予定通り撤退した大滝だったが、キャットの悲鳴を聞きつけて、急遽排水口からアジトへ戻った。

 人間の耳では到底聞き取れない距離でもヘッドギアには声が届く。通信妨害圏向けに開発された機動歩兵は、味方同士の交信に音声を多用するため、極めて精度の高い聴覚アンプをヘッドギアに組みこんでいる。さもなければ、キャットの命はなかっただろう。

 機動スーツのAIが赤外線映像を分析、位置を特定してアイシールドに「生存者確認」とテロップが出ると、大滝は躊躇うことなくアジトの西の端まで猛然とダッシュをかけたのである。


 あの娘、キャットと言う名か?そう言えば、キャットスーツを着ていたな。詐欺師の女と同一人物とはな・・・


 機動スーツの顔・体型認識機能の精度は世界トップレベルで、カメレオン迷彩を無効にする高解像度を誇る。娘の姿を視認した瞬間、ホログラスからコピーしていた例の地味なスーツ姿の女のデータと有意に一致したのだった。


 アジトは計算通り自爆、機動スーツが探知したバイタルでは、虎部隊は軽傷者だけで死者は出ていない。危うく生き埋めになりかけたが、行きがかりであの娘を助けたのも納得づくの行動だった。

 特殊工作任務中に、娘の存在を日本の警察に通報する訳にはいかない。しかし、たとえあの娘が民間人でも、拘束して米軍参謀本部の指示を仰がなければならない。実際、麻酔薬まで使った。

 その上、大滝にはあの娘から聞き出したいことが山ほどあった。西の都でペテンにかけて金を巻き上げた犯人で、ミュータントに襲われながらもマグレブから忽然と消えた。この国に来て以来、立て続けに身の回りで起きた謎めいた出来事と無関係のはずがない。


「なのに、なぜオレは衝動に駆られてあの娘を逃がした?」

 自問した大滝は薄々その答えに気づいていた。

 娘の青い瞳を見た時、何かが心の琴線に触れたのである。それはどこか懐かしく、まるで愛しい我が子と再会したような温かい感触だった・・・


 大滝はガバっと身を起こし唸り声を出した。

「畜生め!どうも調子が狂ってやがる」


 徹底した現実主義者の大滝は、感傷や抽象的な思索とは縁のない人生を送ってきた。曖昧模糊として掴みどころのない感情を持て余すぐらいなら、虎部隊のアジトを叩き壊して、波打ち崩壊する地下から間一髪抜け出す方が、よっぽど楽と言うものだった。


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