第25話 虎の穴 Demolition Man

 エア・バンはメガロポリスからスラム街を抜け、北へとひた走ってから一旦停止した。

 ウぃーンという機械音が聞こえた後、バンは右折して緩やかな坂を下り始めた。暗い地下トンネルを半時間ほどひた走って、照明が灯った広いスペースに到着した。


 トンネルの中でGPS信号が途絶えて正確な位置は分からないが、スラム街から北東へ四十キロほど離れた山間部に違いないとキャットは推測した。

 ところが、周囲の様子がおかしい。ただならぬ騒音が奥の方から響いて、目まぐるしく人が駆け回る音と、中国語と日本語の怒号が飛び交っている。

 なんだっちゃ、ここは?闇市で競りでもやっているみたい、と思ったキャットは、紛れもない銃声を耳にしてビクッと身をすくめた。

 バンからドライバーのタオが飛び降り、後部座席のリンと共に負傷した二人の仲間を運び出す気配が伝わってきた。

 タオの叫び声が響いて

「走れ!来るぞッ!」

と、ホログラスに文字が浮かびあがった。


 その直後、ドーンとバンの横っ腹に何かが激突した。

 車体は跳ね上がるように横転した。270度回転して底部をコンクリート壁に向けてドスンと床に落ちた。

 衝撃で息が詰まったキャットは、咳き込みかけたが必死でこらえた。ここは敵陣だ。幸いカメレオン迷彩に紛れて、回転するバンの底に貼り付いたキャットの姿を見とがめる者はいなかった。

 激しい振動で顔からホログラスが外れて壁際に転がり、中国語の同時通訳が使えなくなったが、日本語の叫び声ははっきり聞き取れた。


「なんて奴だ!エアバイクを放り投げやがったッ!」

「重いバンを横転させるとは信じられんッ!防弾装甲だぞ!」

 バンに激突したのはバイク?でも、二百キロ以上あるっちゃ・・・いったい何がいるの?

 キャットは様子を窺がおうとマグネット機能を解除した。ところが、キャットスーツはバンに張りついたまま離れない。

 おかしいっちゃ、スイッチが効かない!

 車体から身体を引き離そうとしたが、胴体から太腿までピッタリ密着した体勢では腕に力が入らない。

 ジタバタもがいているうちに事態は急変した。


「化け物だ!レーザーが通用しない!」

「どこから侵入した?」

「崩落で閉鎖した南側の排水路だ。いきなり隔壁を壊して突入して来やがった!」

 車体の底にくっついて暗い壁の間に取り残されたキャットの耳に、虎部隊の切迫した動きと叫び声に混じって、ズーン、ドーンと衝撃音が立て続けに響いて、その度に地面が小刻みに揺れる。


 怪獣が暴れているみたいだっちゃ・・・

 やっきになってバンから身体を引き離そうとしたが、強力なマグネットはびくともしない。


「負傷者をトンネルに運べ!急ぐんだ!長くは食い止められない!」

「エネルギー兵器は無駄だ。火器で撃ちまくれ!」

 虎部隊のリーダーの指示が飛んだ。

 タッ、タッ、タッと複数のマシンガンの音が激しく鳴り響いて、硝煙の匂いが壁際に転がるバンのところまで漂って来る。

「警察が騒ぎに気づきました。自衛隊も五分で到着します」

と、AIオペレーターらしい女の声が聞こえた。

 アジトのリーダーは素早く決断を下した。

「全員、直ちに撤収!自爆装置が起動した。残り五十五秒だ、急げ!トンネルの入り口が塞がるぞ!」

 矢継ぎ早に指令を出し、味方を順次トンネルへと向かわせた。

「一次ランデブーポイントで平服に着替えたら、医療班は負傷者をヘリポートへ運べ。残りの者はメガロポリスに散って二次ポイントで合流。急げ!俺たちは退避が終わるまでヤツの足を止める。全弾撃ち尽くせ!」


 虎部隊は三十人ほどいるらしく、マシンガンのスタッカートのような銃撃音に混じって、次々に足早に駆け抜けて行く靴音が聞こえた。


「自爆?ま、まずいっちゃッ!」

 キャットは焦った。

 アキラさん、言ってたっちゃ、急ごしらえだから振動に気をつけてって・・・

 顔をよじって辺りを見回したが、冷たいコンクリートの壁しか目に入らない。この状態でテレポートするには、自己イメージを身体だけに絞らなければならない。さもないと、キャット・スーツに固着したバンの重量に引き戻されて失敗する。

 追い詰められたキャットの脳裏に、アロンダと交わした会話が走馬灯のように蘇った・・・



 アロンダが偵察機からシーダハウスへテレポートした直後のことだった。

 カタリーナとアロンダとしては七年ぶり、アルビオラとニムエとしては千年ぶりの再会を果たして、抱き合って喜んだ二人は、伽耶のもてなしを受けた後、水入らずの時を過ごした。

 久々の対面でややギクシャクした空気をほぐそうとキャットが切り出した。


「ママ上、爆発寸前の音速飛行中によく集中できたっちゃね?」

「咄嗟にテレポートできるよう、伽耶に何度も練習させられたの。吹雪のスキーリフトや激流のラフティング、スカイダイビングで落下中とかね」

 アロンダは内心ほっとしていた。

 三か月前、冬眠から目覚めたキャットはアロンダの姿がないのにショックを受け、捨てられたと大泣きしたと伽耶から聞いた。差し当たって、テクニカルな話から入る方がはるかに気が楽だった。


「過激だっちゃね~」

 キャットはそこまでやるの?とたまげた。

「軍用IDにもGPSが内臓されているから、着けたまま移動したら生きていると知られるばかりか、テレポーテーションがバレてしまうの」

「それで、どうしたっちゃ?」

「機内でIDを取り外すか破壊するしかなかった。でも、偵察機のGPSが途絶える前にIDの信号が消えたらおかしいでしょう?その間が半秒以上あいたら、空母のGPS監視装置の誤差の範囲を超えてしまうの」


「二万メートルまで急上昇したのは、少しでも距離を延ばして、空母のアンテナ精度を下げたかったからよ。何度もお遊びで急上昇や急降下しては、管制塔から注意を受けていたから、誰も不審に思わなかった・・・スワンがまた悪ふざけしてるって思ったはず。でも、必死だったわ!爆発前の半秒間でIDを破壊して即テレポートするなんて、そんな!嘘でしょ・・・と信じられなかった。まばたきするほどの間にやってのけないと、爆発に巻きこまれるもの」(*)


 爆発物をセットした防護服と伽耶のメモを海岸に置いたキャットは、その後のスリリングな展開を夢中になって聞き入った。


「シティの優秀な日本人エンジニアのおかげで、起爆時刻を百分の一秒単位で設定できたの。時刻を同期したIDの残り時間が50になる前に、トランス状態に入って意識を数字に絞りこんだわ。右手から衝撃波を放つと、IDが粉々に飛び散るのがスローモーションで見えた。IDが吹き飛んだ時、数字は28だった。意識をシーダハウスに移してテレポートする直前、偵察機の床と側面がじわっと膨らみ、ひび割れが見る見るうちに縦横に広がった」


「爆発が起きたんだって思った時には、時間が元通り動き出して、わたしはここに移動していた。飛行服と靴と手袋は身に着けたまま、ヘルメットやシートベルトをすり抜けて跳んだの。自己イメージを操作したからよ」


 自己イメージ?使ったことがないっちゃ。着の身着のままでテレポートしたことしかないから。

 キャットは首を傾げた。すると、アロンダはこう言って励ましたのだった。

「高度二万メートルで酸素マスクは外せない。でも、マスクは緊急脱出ユニットを兼ねた与圧内部ピットにつながっていた。だから、念のためヘルメットだけでなく、酸素マスクも自己イメージから外したの。テレポーテーションで何ができて何ができないか、まだ、わからないことがいくつもある。でも、試行錯誤して経験を積めば上達するわ!」



 しかし、第三世代として目覚めてわずか四カ月のキャットは、七年前から訓練に入ったアロンダのような訳には行かない。自己イメージの使い方も分からないまま、絶対絶命の窮地に陥った。

 気づくと銃撃も止んで、虎部隊の気配はきれいに消えていた。


 爆発まで後何秒なのッ?

 動揺したキャットは、オーブを起動することさえできなかった。

 気持ちが焦って集中できない!

 パニックに陥ったキャットは、テレパシーを飛ばそうと、マスクを外して必死で悲鳴を上げた。

「お願い、助けてッ!!」

 しかし、誰も現れない。

 当たり前だっちゃ。伽耶もママ上もこのアジトに来たことがないんだから!パパ上にもちゃんと会ってないのに!

 まだ、死にたくない!

 キャットは半泣きになった。


 と、不意にバンがぐるりと回転して底部ホバーを上にゴロンと転がった。首をねじって顔を向けると、車体に手をかけて上から覗きこむ異形の化け物の姿が、涙で霞む目に映った。


「ロボット?違う!これって・・・モビールスーツ?機動歩兵だっちゃ!」

 こんなに大きいのに全然足音が聞こえなかった。うちが騙したあの大男なの?ヤバいっちゃ!でも、そんなこと言ってられない!

「助けて!爆発するっちゃ!」

 必死で叫ぶと、機動歩兵は装甲に覆われた頭を寄せて、キャットの青い瞳に見入った。むき出しの顔はカメレオン迷彩が効かない。


 その瞬間、アジトの奥からまばゆい光がほとばしり出て、腹にズシーンと堪える激しい爆発音が辺りを揺るがせた。

 真っ赤な炎が内部から噴き出て、四方へ渦を巻いて広がる。直後にトンネル入り口の天井部分で、第二の爆発が続いた。

 凄まじい轟音と共に、アジトの上部構造が雪崩を打って崩れ落ちた。



*「青い月の王宮」第2話「月の輝く夜に」

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