第24話 虎を噛む Cat Bites Tigers

 キャットはエアスクーターで五階の駐車場に入り、バイク専用ロットに突っこんだ。メガロポリス繁華街のまっただ中だが、週日の午後とあって駐車場の最上階は閑散として辺りに人影は見当たらない。一見したところうら若い事務員風の地味なビジネススーツの下に、アセンブリを内臓したボディー・スーツを纏っている。

 スクーターにも目立たないようアセンブリが組みこまれている。改良版カメレオン迷彩を起動して、スクーターの反射光を調節した。ピンクの塗装が黒に見えるよう色彩を固定した後。ヘルメットも同じように色を変えた。続いて前後のプレートをクルリとひっくり返して、車両ナンバーも変更する。

 アキラのおかげで、万事抜かりなく準備を整えられた。

 

 ショッピングモールへと続く空中回廊に向かって歩き出したところへ、黒塗りのエアバンが風を巻いて駐車場に入って来た。キャットは何食わぬ顔でバンとすれ違った。

 自動減速したバンのドアが音もなくスライドした。中から猫のような身のこなしで黒装束の二人組が飛び出し、足音も立てずキャットの背後に迫る。流れるようにスムースに疾走してあっと言う間に距離を詰めるや、一人が右手の麻酔銃をキャットの背中に向け発射した。

 

 瞬間、キャットは二人組の意表を突く爆発的な反応を示した。


 振り向きもせず高々とジャンプする。麻酔ニードルが深く曲げた両脚の靴底をかすめて飛び去ると同時に、駐車場の太い支柱を激しく蹴りつけて、後方へ鮮やかな二回宙返りを打った。膝を抱えこんでクルクルと回転しながら、敵の頭上を越えて背後に着地した。

 着地と同時に前方へダッシュをかけた。野生の豹のように猛然と二人組に迫る。ホログラスに隠した目は怒りに青く燃えていた。

 二度も同じ手は食わないっちゃ!この前のお礼よ、叩きのめしてやる!


 虎部隊エージェントの目に驚愕の色が浮かんだ。

 ホログラスの後方映像で襲撃を悟られるのは計算済みだったが、娘の超人的なアジリティは二人組を震撼させた。

 手練れの戦闘員とこれまで幾度も渡り合ったが、二人は常に相手を圧倒してきた。我われミュータントの特異なパワーとスピードに敵う者などいないと慢心して、前回とは別人のような娘の反応速度に、まったく心の準備ができていなかったのだ。

 マグレブでは麻酔銃を受けたとは言っても、この娘は戦闘訓練の片鱗も見せなかった。あの時は、右手に隠し持っていた武器を使われ取り逃がした。

 謎の武器だけを警戒するあまり、突如として見せた人間離れした動きに幻惑されたのである。


 未知のミュータントでなければあり得ない!我われ以外にも、コンバットミュータントがいたのか!?


 ジャンプや大技はご法度という鉄則を物ともしない駒落としのような動きに翻弄され反応が遅れた。わずか半秒ほどの遅延が勝負を決した。

 能力を悟られないようリープは使わなかったが、ミュータントの目にもキャットの動きは捉え切れなかった。


 一歩前にいた虎部隊エージェントは、瞬時に間合いを詰めたキャットが繰り出したシンプルな左ロングフックを右上腕でブロックした・・・はずだったが、あまりのスピードに目測を誤る。反応した瞬間、顎を打ち抜かれきりきり舞いしながら床に横転した。

 意識を失った仲間が床に転がる前に、右側にいた相棒は手にした麻酔銃を至近距離からキャットの腹を目がけて発射した。訓練通り命中しやすい胴体へ撃ちこんだ。

 しかし、発射と同時に小さく弧を描いたキャットの右脚が、男の右肘を直撃していた。「バキッ」と胸の悪くなるような鈍く乾いた音を発して男の右肘がへし折れ、麻酔銃がすっ飛んでニードルはまたも標的を逸れた。

 右肘関節が砕けた激痛をものともせず、男は左手で腰のレーザー銃を抜きざま、肘溜めで引き金を引く。が、踏みこんだキャットの右ショートアッパーが、一瞬早く顎に炸裂した。顔が歪むほどの打撃に男の頭はのけぞり、白目を剥いて駐車場のコンクリートに崩れ落ちた。

 不可視のレーザー光は虚しく空を切って、駐車場のコンクリート壁にポツっと小さな穴を穿って消えた。

 この間、二秒足らず。人間の反応速度を大幅に上回る勝負は、あっけなくけりがついた。


 キャットは用心深く二人に近づき、膝頭を靴先で蹴って反応を見た。二人が気絶しているのを確かめると、スラックスのポケット取り出した拘束バンドで手際よく手首と足首を縛ってつぶやいた。

「ここは狭いトイレじゃない。駐車場で襲撃したのが間違いだっちゃ。油断したっちゃね~」


 新人類第三世代が手加減なしで放った敏速の蹴りは、屈強なミュータントの肘をへし折った。

 なのに、うめき声ひとつあげないなんて・・・不気味なのは変わらないっちゃね。どういう精神構造してるん?


 伽耶の指示で西の都にとんぼ返りさせられたキャットは、いささかご機嫌斜めだった。ようやくパパ上に会えると思ったら、虎部隊のせいで余計な仕事が増えたっちゃ、とイラついていたため、思わず八つ当たりして手首でなく肘を狙ってしまったのだ。

「やり過ぎたっちゃ・・・再生医療で治るけど、虎部隊って医療保険に入ってるのかな?」

と、ちょっぴり反省する。

 肝心の匠はフェロモン現象でトラブって引きこもっている。数日前、第二世代の長老ナラニが大学から救い出したと聞いた。

 どの道すぐには会えないのだから、虎部隊に鬱憤をぶつけるのは筋違いだった・・・


 パパ上は変異したばかりだから、オールドソウルの助けが必要だっちゃね。できればナラニさんにも会いたい!さっさとこいつらのアジトを突き止めてシティに戻ろうっと!

 しかし、あっさり気持ちを切り替え、ビジネススーツを手早く脱ぎ捨て、倒れた二人組の顔に被せた。黒髪のウィッグもキャットスーツのヘッドカバーから引き剥がして傍に投げ捨てる。

 虎部隊のエアバンの底部ホバーの間に潜り込んで、アキラが改良したマグネット機能とカメレオン迷彩を起動してから、車体の下に貼りついた。マスクをするのも忘れない。

「この街は埃だらけでウンザリ!でも、虎部隊のアジトを突き止めるにはしかたないっちゃ」


 まもなく、人気のない駐車場に虎部隊のバックアップチームのバンが二台、猛スピードで飛んで来た。中国語の興奮したやり取りが聞こえ、キャットはイヤー・モジュールの同時通訳アプリを起動した。

「・・・二人をバンに運び入れろ!タオ、バンを運転して先に戻れ。リンも同乗して応急手当をするんだ。俺たちは女を探す。服を替えているから、体型認識プローブを使え。スクーターを見つけて身元の手がかりを探せ。行け!」

 キャットのホログラスに日本語と英語で、チームリーダーの言葉が浮かび上がった。


 二人組を運び入れたバンがホバーを吹かすと、駐車場に溜まった埃がもうもうと舞い上がってホログラスの視界が暗く翳る。キャットは息を止めて、発進したバンの下にピタッとヤモリのようにくっついていた。


 けれども、慢心したのは二人組だけではなかった。アジトに潜入したら後はテレポーテーションで消えればいいから楽勝だっちゃ、とキャットもまた事態を軽く考えていた。


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