第19話 CIA本部 Arlington
マンハッタンからアーリントンのCIA本部へ戻ったフーバーは、長官室の椅子に腰かけ、不機嫌そうに顔をしかめた。
今日の講演会では、科学哲学の専門家が科学が守るべき一線を主張するのではなく、科学が超えられない壁を強調したのが印象的ではあった。だが、科学技術では若返りは不可能と言う一方で、科学を超えた力を生命は持つと言う教授の主張は仮説に過ぎない。
若返りを求める権力者を、研究費目当てに取り込むつもりか?
ダレスの目論見の答えとしては、曖昧で漠然とした情報しか得られず、フーバーは少なからず失望していた。
投資家でも大富豪でもないフーバーは、未知の可能性に投資する資金も関心もこれっぽちもなく、髪の毛を復活させた部分若返りで十分満足している。
フーバーが心底むかついたのは、講演ではなく主催したダレス補佐官の存在だった。そうそうたる権力者たちが揃っているのを目にして、一回りも年下のダレスにただならぬ嫉妬心と劣等感を抱いたのである。
日本での作戦行動を巡ってダレスに圧力をかけられ、それがきっかけで講演会に招待されたフーバーは
そこへ持ってきて、ダレスの政治力をまざまざと見せつけられ、上昇志向が並外れて強いフーバーが激しく苛立つのも無理からぬことだった。
「だが、ダレスはどうやってマグレブ事件を嗅ぎつけた?極東支部に二重スパイがいるとわかったが、まさか、米軍も噛んでいるのか?そう言えば、あの二人のエージェントが虎部隊と指摘した第三者は、米軍関係者らしいと日本の局員から報告があったが?」
その時、秘書の声がホログラムモニターから響いた。
「長官、国防総省のメトカーフ大佐からお電話です」(*)
「つないでくれ、モニカ」
フーバーが応答すると、ホログラムに映し出されたメトカーフが口を開いた。
「アレン、久しぶりだな。結婚生活は順調か?」
「マーカス、元気そうだな。結婚はいいぞ!お前には向いてないと言ったが、前言を撤回したくなるほどだ」
「そうか?実に貴重な意見だから、じっくり考えるとしよう。ところで、一致する画像データがあったとメールをもらったんだが」
持ち前の温和な語り口で、メトカーフは用件を切り出した。
フーバーはつい先週、メトカーフから実に風変わりな依頼を受けていたのを思い出し、さっそく記録ファイルを開いてメトカーフに伝えた。
「例の調査の件だが、お前の予想通りだ。美術館から盗まれた絵の写真が、CIAのデータベースでヒットした。顔認識分析にかけたところ、爆発事故で死亡したパイロットの写真と、目鼻立ちの特徴が95.4%の確率で一致した」
「その盗難事件だが、いつのことだ?」
「今から七年半前だ。だが、それがどうしたと言うんだ?千年前の女王の肖像画だぞ。遠い祖先という可能性はあるが同一人物はあり得ない。しかもパイロットも死亡している」
講演会の不愉快な気分を引きずったフーバーは、ついその苛立ちをメトカーフにぶつけた。
「その通りだ、アレン。確かに同一人物のはずはないな」
メトカーフの冷静な声に、フーバーはようやく自分を取り戻した。好奇心が湧いてきたのである。
「七年前に盗まれた絵と、先々月に爆発事故に遭った海軍中尉か?お前のことだ、ただの思いつきじゃないな。何を探しているんだ?」
「言ってみれば職業病だ。君ならわかるだろう?諜報部に居ると、万事に疑い深くなって詮索せずにはいられなくなる。つい先日も、日本のマグレブでCIAの工作員が当局に拘束されたらしいが・・・」
日本での騒動をダレスに嗅ぎつけられたばかりだ。フーバーは再びイライラがつのるのを感じて、思わず声を荒げた。
「日本で起きた事件を、なぜお前が知っているんだ!?あの補佐官と言い、統合参謀諜報部は何を企んでいるんだ?」
「・・・ああ、あの男か?どうも虫が好かないね、私は苦手だ」
人の心を読むことにかけてはプロ中のプロだ。明敏なメトカーフは声のトーンから嫌悪を感じ取り、さりげなく誘導尋問をかけた。
「制服組のお前も奴を知っているだろう?ダレスはまだ若いが、副大統領の信任も厚い」
感情的になったフーバーは、メトカーフの誘導にうっかり乗せられ、ダレスの名を漏らしてしまう。が、すぐさまメトカーフにカマをかけて情報を探った。
諜報エキスパートならではの習い性である。
「マーカス、ダレスはスワン中尉が叙勲を受けた電撃作戦の黒幕だな?」
中東支局長から作戦経緯の報告を受け、ダレスがゴーサインを出したと知っているが、素知らぬ顔で尋ねた。
「ブラックイーグル作戦だな?ダレス補佐官が後押ししたという噂は聞いている」
メトカーフも只者ではない。慎重に受け答えて容易にはボロは出さない。フーバーはさらに踏みこんだ。
「あの作戦は日本のプライムが組んだ突入プログラムで成功したが、スワン中尉はネバダの無人機迎撃にも成功している。お前が指揮を執った作戦だな?」
「そうだ・・・スワン中尉は不世出の天才パイロットだった。不慮の事故で亡くなって残念でならない・・・」
メトカーフはフーバーにつけこむ隙を与えなかった。沈痛な面持ちで、会話の幕引きに元上司として部下の死を悼む言葉を口にした。
「・・・まったくだ。お前にとっても辛い出来事だったな・・・合衆国も得難い逸材を失った。改めて冥福を祈るよ」
フーバーもここが引き際と悟り深追いはしなかった。
しかし、この時、二人は共にスワン中尉の遺体が未発見という事実に想いを馳せたのである。
メトカーフとの通話を終えた直後、フーバーのイヤーモジュールにクリプトフォンの着信音が響いて、CIA極東支局員の声が飛びこんで来た。語学に堪能な日本人で完璧な英語を話す。
「極東支局の件だな?」
マグレブ事件を実行した極東支局の報告書は、この腹心の部下に密かに裏付けを取らせた。その結果、報告書には虚偽の記載がいくつか見つかったのである。
とりわけ、二人を虎部隊と指摘した第三者の存在が隠蔽されたと知り、フーバーは極東支局の二重スパイと虎部隊との繋がりを疑い始めていた。
「あの二人は経歴を偽っていました。虎部隊という確証はまだ得られませんが、中国の二重スパイとみて間違いなさそうです。また、極東支局のオフィサーが、二人の釈放後に連絡を取っています。再度、女を拉致する計画を立てているようです」
日本当局に拘束されるという想定外の事態に、フーバーは自らも日本政府に働きかけ、二人の工作員を釈放させたのだが、その後、二人は失踪した。
そこで、フーバーは一味の全貌を把握するため、逃走した二人に接触する極東支局のオフィサーを炙り出す計画を実行したのである。
「支局員のクリプトフォンに仕こんだのは、二人の声紋に反応して起動する盗聴ワームだったな?」
「はい、あの二人と通話した時だけ送信しますから、使用前に行う通常のプローブでは盗聴器があると分かりません。最近の通話によると、工作員の一人がマグレブで受けたレーザーの傷はすでに癒えているようです。ミュータントならではの驚異的な回復力とも考えられます」
この日本人の部下の報告は、実にテキパキとして淀みがない・・・
フーバーは満足気にうなずいた。
「よくやった!このまま泳がせて探ってくれ。現時点では残りの支局員も、全員容疑者だ。二回目の誘拐計画についても、動き出したら知らせてくれ」
「承知しました、長官」
「ご苦労だった、ミユキ」
通話を切ったフーバーは考えに沈んだ。
女の拉致は支局に潜む二重スパイ一味の計画だが、再度、誘拐を計画するとは、いったい女は何者か?そもそも、女の誘拐はCIA極東支部が独自に立案実行した緊急作戦で、フーバーは関わっていなかった。ダレスに指摘されるまで、支部に二重スパイが潜んでいるとは知らなかったのである。そう言えば・・・と、奇妙な偶然の一致に思い当たった。
プライムもマグレブの事件も講演会のムラカミ教授もすべて日本がらみか・・・
メトカーフがでっち上げた新人類説がふと頭に浮かんだ。
マーカスは日本のプライムの知名度を利用して、CIAの窮地を救ったが、本当にそれが目的だったのか?あいつが推薦したシティの潜入オフィサーも日本人だ。名前はカミーユドレフュス・・・ドレフュス?
フーバーは一瞬、宙を睨んで凝固した。
偶然のはずはない!
ブラックイーグル作戦は、CIA中東支局員を記憶探査から守るのが目的だった。そのオフィサーの名はパトリック・ドレフュスだったと思い起こしたのだ。
しかも、作戦を成功に導いたビアンカスワンも、日本で起きた事故で死亡している・・・
フーバーはとっくに偵察機爆発事故がフェイクだった可能性に思い当たっていた。ミユキはマグレブの監視カメラの映像を詳細に分析して報告書に記載している。光沢からウィッグと判明した髪の毛とホログラスに隠れて、顔認識分析から有意な結果は得られなかったものの、背格好が一致しないため、襲われた女はスワン中尉とは別人と判明している。
マーカスも中尉の生存の可能性に気づいているはずだ。ならば、なぜわざわざ悟られるような調査を依頼して来た?
さらに、二つの重大な疑問がフーバーを悩ませていた。
なぜ、米軍特殊部隊らしい男がマグレブ事件の現場にいたのか?
講演会に出席すればその男の情報を伝えるとダレス補佐官は約束したから、この件はいずれ明らかになるはずだった。
しかし、フーバーは当のダレスに対して重大な疑惑を抱いていたのである。
ダレスは「虎部隊と承知のうえで送りこんだ」と暗にCIAを非難したが、奴はどうやってこの私より先に虎部隊と知ったんだ?
支局の小規模作戦は支局長がゴーサインを出す。虎部隊を送りこんだのは極東支局に潜む二重スパイ一味で、二人のCIA工作員の正体が虎部隊とフーバーには事前に知る
思えば、数年前、副大統領は共同所有していた海外のレアメタル鉱山の所有権を大統領に売り渡した。ところが、その直後に政変が起き、新政府が鉱山を国有化したため、大統領は莫大な損失を被った・・・大統領と副大統領の確執はあの時に始まった。
政変は中国の後盾で起きたと
フーバーは深く腕組みをして、宙を睨みながら思案を巡らせた。
*「デザート・イーグル ~砂漠の鷲~」第10話「CIA長官」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます