第18話 大富豪の天敵 Rich Men's Enemy
高さ千メートル。
螺旋模様の外壁に覆われた三角錐状の超近代建築は、地震の恐れがない巨大岩盤の上に構築されたウォール街でも、とりわけ異彩を放つランドマークになっている。
この巨大銀行の本店、人呼んで「二十二世紀のバベルの塔」の地下のこじんまりした一室では、スーパーエリートのみが集う講演会が密かに開催されていた。
「この宇宙には中性子星、超新星の爆発、銀河同士の衝突とブラックホールの融合、星の消滅と誕生など、私たちの日常感覚からすれば、想像を絶する桁違いに規模の大きな事象が、今この瞬間も無数に起きています。宇宙全体を見れば、およそ生命が存在できるような環境は極めて少ない、と考えて間違いないでしょう。しかしながら、類まれなほど穏やかな環境に恵まれた地球でさえ、生物は幾度も大絶滅を繰り返してきました。現在も続く温暖化など取るに足らないほど、大規模な環境の変化が起きたからです」
ムラカミ教授の言葉に一同は、訝し気に眉をひそめたり腕を組んだりして、中にはあからさまにバカにしたように口を歪める者もいた。
著名な大富豪や政府高官もいれば、裏で動く無名の投資家もいるが、全員が高級スーツを着こんで富と権力と匂いをぷんぷんさせている。現実主義者で実利を重んじる彼らは、目先の利害、せいぜい十数年先までしか頭になく、宇宙規模の出来事など夢想家のたわごとと一笑に付していた。
いわゆる「ホモ・エコノミカス」、経済的利益を極大化する以外には、従うべき価値基準を持たない人間たちである。
けれども、勝ち続けなければならない、という強迫観念に憑りつかれているものの、生理的には一般人と何ら変わりはない。
極めて脆く儚い肉体に支配されている・・・
「幸い、人類発祥以降はそれほど大きな事象は起きていません。では、自然界では最も脆弱な種である人類はなぜこれほど繁栄できたのか?答えは明らかです。発達した大脳皮質と器用な手がもたらした人工世界です。私たちは自然界に適応するのでなく、科学技術で環境を変えて繁栄を遂げました。これは適者生存ではなく、不適者生存と考える人もいます」
聴衆の表情は侮蔑から反感にとって代わった。
不適者とは何ごとだ!人類は万物の霊長で、自然を征服できるのだ。その頂点にいる勝ち組こそが、この場にいる我々ではないか!
「しかし、果たして科学技術は万能でしょうか?ご存じのように、核融合発電はいまだに実用化できません。核融合を起こすため投入するエネルギーの方が圧倒的に多く、使い物にならないのです。そもそも中性子を遮蔽できて、かつ放射化しない物質などこの世に存在しませんし、核融合を持続するには恒星の持つ重力が必要です。けれども、科学は万能と妄信する人々は、諦めようとはしません。しかも、膨大な研究費に依存する研究機関や企業は言うまでもなく、政府予算から甘い汁を吸う投資家と政治家は、できないとわかっていても止めません。税金で広告費を捻出して、マスコミに提灯記事を書かせ、あたかもいずれは成功するかのように世論を誘導しています・・・これこそブッダの言う煩悩に他なりません」
莫大な政府予算に教授が言及すると、講演会場はあからさまな怒りに満ちた雰囲気に包まれた。
「この教授は、環境保護団体の回し者に違いない」とレッテルを貼らんばかりに、聴衆は一様に腕組みをして、鼻に皺を寄せて嫌悪感を露わにした。敵意と警戒を示す典型的なボディランゲージである。脳幹の反応から自然発生するこうした仕草や表情は、特殊な訓練を積まない限りまったく制御できない。
「さて、およそ百五十年前、極東で起きたアポカリプスには謎が多いのですが、新型高速炉の暴走がきっかけで起きたと考える研究者は少なくありません。少なくとも、それ以前の原発事故でも警告された通り、事故は将来のいずれかの時点で必ず起きると実証されました」
聴衆の反感を意にも介さず、ムラカミ教授は淡々と話し続けた。
この日系人の教授は鼻っ柱の強さでも定評がある。無知蒙昧で貪欲な政治家や官僚や企業家を、歯に衣着せぬ言葉で痛烈に批判してきた。ところが、ノーベル賞受賞者にして、惑星開発計画のチーフアドバイザーときては、有力者たちもさすがに引きずり降ろせない。
まさしく「出過ぎた杭は打てない」のだ。
「科学理論、科学技術への応用、実際の現場での運用は、それぞれまったくの別物であるということを理解できない人々は、根拠のない楽観論で原発を推進してきました。そして歴史は繰り返す・・・アポカリプスは完膚なきまでに科学万能信仰を打ち砕いた、と当時は言われたのですが、世代が代わると、人類は再び同じ陥穽に落ちるのです。世襲制度が遅かれ早かれ腐敗と没落をもたらすのは、皆さんもよくご存じだと思います」
この場の億万長者や権力者の中には、地位や資産を世襲で受け継いだ者が少なからずいる。また、科学技術信仰は殊にIT技術で成功を収めた起業家に共通するメンタリティでもある。教授は反感を承知のうえで、聴衆に向けて痛烈な皮肉を浴びせた。
「宇宙旅行はどうでしょうか?人類が他の惑星へ移住する目途はたっていません。宇宙線、気圧の変化、無重力に対して、人類の身体は到底持ちこたえられないのです。長期の宇宙滞在は不可能と証明されたにもかかわらず、いまだに夢の惑星間航行や移住計画に膨大な資金が流れこんでいます・・・結果はどうでしょう?現在、宇宙飛行のテクノロジーが、火星や金星でロボットによるレアメタル争奪戦に使われているのは、皆さんはよくご存じです。それらのプロジェクトで莫大な資産を築いた方が、ここにもおられるとお見受けしますが・・・」
皮肉ともとれる笑みを浮かべた教授は、言葉を切って水の入ったグラスに手を伸ばした。
「何だ、あいつは?誰が講演者に呼んだんだ!あれが二度のノーベル賞受賞者か?いまいましい環境保護論者どもの言い分と変わらんじゃないか!」
最前列に座る超大富豪ウィリアム・ベイツが隣の男に囁いた。
「教授をお呼びしたのは私ですよ、ミスターベイツ」
ベイツの言葉に苛立った様子もなく、隣席の男は穏やかな笑みを浮かべて答えた。さすがのベイツも言葉に詰まり、バツが悪いと見えて口を閉じた。
この男、いったい何者だ?
ベイツはその類まれな商才に富んだ鋭い頭脳で思い巡らせた。見たところまだ三十代だが、明らかに財界人ではない。82%の確率で軍事戦略部門所属の政府関係者と、ホログラム機能付きコンタクトレンズに分析結果が表示された。
だが、この若さで大富豪や大物投資家が集まるこの講演会を取り仕切るのは、不自然にも思える。遺伝子美容で部分若返り操作を受けている可能性もあるが、ベイツのレンズではそれらしい痕跡を検出できなかった。
この会場へ入るには、プローブや記録機能付きデジタル機器はすべて取り外さなければならない。しかし、抜け目のないベイツは、密かにステルスレンズをコンタクトに使い、人々の微表情を読み取ってはAIで自動プロファイリングにかけている。ビジネスを有利に運ぶには欠かせないツールである。
男はそれと知ってか知らずか、もの柔らかな笑みを浮かべてベイツにささやきかけた。
「続きをお聞きください。なぜ私が教授をお招きしたか、おわかり頂けると思います」
ムラカミ教授が口を開いた。
「さて、ここからが本題です。今日この場におられる皆さんは、社会的に著名な方も、表には決して出ない方もおられます。皆さんの共通点は何でしょう?ふた言でいいましょう、富と権力です。政治家もメディア関係者も軍人も、あなた方の敵ではありません。では、あなた方を脅かす敵は何でしょうか?」
教授は五十人ほどの聴衆を見渡しながら尋ねた。先ほどまでの反感もどこへやら、教授の言葉にいたく興味を惹かれて、居並ぶ投資家や経営者や政府高官は、訝し気に壇上を見つめた。
「ひと言で申し上げましょう。それは老化です」
ムラカミ教授のひと言に聴衆は虚を突かれたが、中には思わず深くうなずく者もいた。
「これほど遺伝子治療が進歩しても、我われは老化を克服できません。確かに、臓器の複製と移植、歯や関節の再生は可能になりました。また、難病の多くが条件さえ整えば完治する時代です。しかしながら、全身の若返りが不可能では、たとえ寿命が百五十歳まで延びたとしても、人生の半分以上が老年期という現実は変えられません。あなた方は、最新のバイオ・テクノロジーの恩恵を受けられる富をお持ちです。病気になれば最先端医療で治し、老化が進めば臓器を再生して移植できます・・・ですが、病気と治療、老化したパーツの交換を繰り返す。そのような老年期が自然な寿命と同じ七、八十年も続くのでは、貧しくとも老年期が二、三十年の方がむしろ幸いなのではないでしょうか?」
居並ぶ権力者たちはシーンとなって、教授の言葉に耳を傾けた。彼らが密かに恐れている現実を、まざまざと描き出されたからだ。
「多くの非真核生物と同じように、真核生物の動物でも、腔腸動物や扁形動物に老化は認められません。現在のテクノロジーなら、同じように哺乳類を老化しないように操作することも可能です。ところが、成長が止まらないという大問題が生じます。節足動物で甲殻類のロブスターなら、脱皮不全で死亡するまで若いまま成長を続けて百年以上生きられます。しかし、哺乳類はそうはいきません。骨格や内臓に負担がかかり、自然な寿命より間違いなく早く死亡します」
目に覆いかぶさるいぶし銀のような白髪交じりの豊かな長髪を片手で掻き上げ、言葉を継いだ。超一流の科学者にして哲学者の風格が、大物揃いの聴衆さえも次第に圧倒しつつあった。
「それでは、成長がピークに達する二十代前半へ若返りが可能だとしたらどうでしょう?たとえば、五十代になって脳と身体の衰えを感じたら、そこで二十五歳の心身に若返ることができるとしたら?」
会場はしーんと静まり返って、聴衆はいまや真剣に教授の言葉に耳を傾けていた。
ムラカミ教授は静まり返った聴衆を見渡して思った。
本当に優れた者は人に劣るだけの余裕があるものだ。勝ち組を自負するこの危険極まりない集団の中に、果たして何人いるのやら?
有力者から研究費や補助金を集めるのは、実は表向きの短期目標に過ぎない。
この講演会もまた遥かに重要な「計画」への小さな布石になるはずだ・・・
教授は二十二世紀を代表する天才科学者にして哲学者である。が、当の教授でさえ計画の全体像は把握できない。
それもそのはず、計画の存在はまだ確認できていないのだ。
理論的に存在すると導き出したが、決して公表はできない。計画に影響を及ぼす攪乱要因は少なければ少ないほど望ましい・・・
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