第17話 二重スパイ Double Agents
CIA極東支部長と、ミッションを担当したオフィサーの一連のやりとりは以下の通りである。
「消えた?消えたとはどういう意味だ?追尾カプセルを麻酔薬と一緒に皮膚に埋めこんだのに、どうして見失った?」
「わかりません。ですが、麻酔が効いた状態では遠くには逃げられません。マグレブの屋根に這い上がるだけで精一杯だったはずです。追尾装置は皮下注入式でした。外側から触れてもわかりません。仮に気づいても、素手で取り出すのは不可能です!」
「だが、マグレブのトンネル内は高電磁波が飛び交っているうえに、追尾装置の電波は、分厚いコンクリートで遮断されるだろう?」
「その通りです。ですから、まだトンネルから出ていないと思われます。麻酔薬で
「退避サイトで車両にプローブをかけたが、女は見つからなかった。現在、日本の捜査当局がトンネル内を東へ戻って捜索中だ」
「監視カメラの映像では、停車したサイトから非常階段を使って地上に逃げ出したのは、身元不明の男ひとりだけだ。偽名で乗車していたらしい。事件との関連は不明だが、直前に隣のバスルームに入っている」
「一緒に入った背の高い男が、CIA局員二名を倒したというのは本当ですか?」
「レーザーと麻酔銃で二人を撃ったのは事実だ。だが事件とは関りがなさそうだ。クリアランス・レベル6の政府関係者と判明した」
「では、女の行き先を突き止めるのが最優先ですね?」
「そうだ。日本の捜査当局も引き続き全面協力してくれる。見つかるのは時間の問題だろう」
CIA極東支局の動画は、このやりとりを最後に終わった。
CIA長官アレン・フーバーはモニターを切り、副大統領のレスター・ブレジンスキーと、統合参謀本部副議長の補佐官エドワード・ダレスに向かって話しかけた。(*)
「しかし、女は見つかりませんでした。追尾装置の電力が切れるまで一週間、くまなくトンネル内と周辺を捜索したにもかかわらずです」
「わざわざCIAのオフィサーを起用して、中国の虎部隊の仕業に見せかけたのも徒労に終わったわけか?」
ブレジンスキーが再確認するようにフーバーに問いかけた。
大統領のリチャード・ローズ三世に代わって、事情を聞くためCIA長官を呼び出したのである。ダレスは統合参謀情報部からアドバイザーとして呼び同席させた。副大統領は以前から有能なこの若手補佐官に目をかけている。
「副大統領、虎部隊がからんでいると言うあくまで噂のレベルに止めています。中国に知れると外交問題に発展しますので、慎重に事を運んでおります」
「だが肝心の女を捕り逃がしては、相手を警戒させただけで、ミッションは大失敗ではないか?」
副大統領の問いかけに、沈黙を守っていたダレスが横から口を挟んだ。
「そう思われますか、副大統領?」
なぜ、ダレスは憎らしいほど落ち着き払っているんだ?
フーバーは眉をひそめた。とても格下の補佐官とは思えないのである。
「他にいったいどう思えと言うのかね、ダレス補佐官?」
ブレンジンスキ―は痩せぎすの六十代前と思しい男で、スラブ系モンゴロイドの特徴を色濃く残す細い目が、やり手の山師特有の鋭い眼光を放っていた。部分整形を受けているという噂から、実年齢は七十過ぎとも言われている。
「副大統領。女は不可能なはずの脱出に成功して姿を消しました。それが収穫です。作戦は大成功と申し上げましょう」
ダレスの突拍子もない言葉に、ブレジンスキーもフーバーも一瞬あっけにとられた。
フーバーが我に返ってダレスに尋ねた。
「エドワード、君はこの結末を予想していたのか?」
「予想してはいませんでしたが、こうなればと期待していました」
「何だと?ダレス補佐官、聞き捨てならんぞ!君はミッションの失敗を望んでいたと言うのか?」
ブレジンスキーが思わず怒声を上げると、ダレスは動じる様子も見せず静かに言った。
「いえ、失敗ではなく、予想を上回る成功と申し上げています、副大統領」
「ダレス補佐官、それはいったいどういう意味だ?」
驚いたブレジンスキーが問いただすと、ダレスが言った。
「副大統領、私には仮説があります。しかし現段階では何も確証がなく、説明するのは時期尚早と思われます。しばらく時間を頂きたいのですが、いかがでしょう?」
ブレジンスキーは現大統領と組んでレアメタルとウランの利権を握り、今日の地位を築いた投資家である。冷徹な思考を巡らせるのに長け、攻め時と引き際を心得ていた。じっとダレスの目を見つめて深くうなずいた。
「いいだろう、エドワード。色よい報告を期待して待つとしよう。アレン、君もご苦労だった。後は二人に任せる。後で大統領に会うが、今回の件は収穫があったと伝えるとしよう」
立ち上がったフーバーとダレスはブレジンスキーと握手を交わすと、大統領執務室を後にした。
ホワイトハウスの地下通路を抜けて、ヘリポートに着いた二人は大型ヘリコプターに乗りこんだ。豪華な客室の安楽椅子に納まり、キャビンアテンダントから飲み物を受け取ったところで、フーバーが口を開いた。
「エドワード、副大統領も尋ねたが、予想を上回る成功というのはいったいどういう意味だ?」
「アレン、その質問に答える前に教えてほしい。日本の当局に拘束されたエージェントはどうなった?」
「なぜ、それを・・・」
と、言いかけたフーバーは気まずそうに黙りこんだ。
「秘密裏に解放した後、二人は失踪した。そうだろう?」
それは質問ではなかった。ダレスは続けた。
「本物の虎部隊だったんじゃないのか?二重スパイだった。そうだろう?アレン、君はそうと知りながら、二人に女を拉致させようとしたのか?」
ダレスが淡々とした口調で問いかける間、蒼ざめた唇を噛み虚ろな目で宙を見つめていたフーバーが重い口を開いた。
「何が知りたいんだ、エドワード?」
今回の拉致は極東支部が単独で行った作戦である。CIA長官のフーバーの
ダレスは単刀直入だった。
「虎部隊エージェントが装着していた鉤爪を、CIAは現場で回収している。拉致に失敗した場合に備えて、女のDNAを採取したはずだ。分析結果が出たら詳細を教えてくれないか?」
一介の補佐官がCIA長官の自分に向かって、ため口をきいて脅しともとれる要求を突きつけるとは、いったい何様のつもりだ!?
フーバーは内心カチンときた。
しかし、感情に左右されず目的本位に動くことによって、巨大組織のトップにのし上がったフーバーは、容易には感情に流されない。すかさず交換条件を持ち出した。
「・・・いいだろう。ただし、あの場に居合わせた米軍特殊部隊らしき男の情報をこちらに渡してくれたらの話だ」
すると、ダレスは間髪を入れず問い返した。
「条件はそれだけか、アレン?」
「エドワード、大統領と副大統領の確執に、過去の利権争いがからんでいるのはよく知っているはずだ。新たな火種を撒くのは何としても避けたい。互いの手の内を探り合うより、今は他にすることがあるんじゃないか?」
フーバーはダレスの問いには答えず、硬い表情のまま手厳しい口調で返した。踏みこんだ条件を持ち出せば、ダレスもさらに交換条件を出してくると読んでいた。
ダレスは感心したようにちらっと笑みを浮かべて言った。
「その通りだ、アレン。だが利害が一致すれば、大統領と副大統領は元の鞘に収まるだろう。そこでだ、君の最初の質問に答えるためにも、ある講演会に招待したいのだが、どうだろう?」
「手の内を知りたければ、講演会に来いと言うわけか・・・?いいだろう、喜んで出席しよう」
フーバーがようやく笑顔を取り戻して答えると。ダレスは満足げな笑みを浮かべ、座席の小型パネルに触れてキャビンアテンダントを呼び戻した。
鮮やかに赤く染まった夕焼けの空にくっきりと黒い影を刻みながら、高速ヘリはペンタゴンとCIA本部を目指して南へ飛び続けていた。
*「デザート・イーグル~砂漠の鷲~」第10話「CIA長官」
米中央情報局CIA長官アレン・フーバー
「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第4話「空母リチャード・ローズ」
米国防総省統合参謀本部副議長補佐官エドワード・ダレス
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