第14話 翔んだカップル When Samael Meets Nimue

 飛騨乃匠はあの運命の夜以来一週間というもの、外出せず家に引きこもっていた。


 貴美は冬眠から覚めた二日後の一昨日、思い余ってハワイへ旅立った。貴美が最も信頼するナラニが一緒なら、不安定な心身も回復するだろう。そう考えた匠はひとまず安心した。

 ところが、自分はと言うと、覚醒はしたものの心は平静過ぎるほど平静で、身体が軽いのを除けば、これと言って第二世代に進化した実感も乏しい。

 さて、これからどうしたものか、と貴美とは逆の意味で迷ってしまうのである。しかも、シティにいるはずのタリスやニムエから連絡があるはずだ、と期待していたのだがなぜか未だに音沙汰がない。

 その一方で、春休みも終わりに近づき、シティに戻った小田や真弓をはじめ友人たちからは、連日のように電話やメールが入ってくる。

「覚醒して皆に会ったら何が起きるのだろう?これまでの生活や人間関係をどう保っていけばいいんだ?自分はもう人類じゃないのかもしれない・・・」

 様々な想いが頭をかすめて、匠はボイスメールを残して電話には出ずに、メールにも返事を書けないまま放置していた。


 今朝も出かけるべきか迷っているところへ、貴美から電話がかかってきた。姉と確認した匠は、イヤーモジュールをオンにした。

「カミ!調子は?ハワイはどう?」

「タク、心配かけたわね。私ならもう大丈夫よ。ここへ来て落ち着いたわ!ところで、忘れ物があるの。調べてくれない?金庫に青い封筒があるから、中を見てちょうだい」

「いいよ、すぐ見る。で、それをどうすればいいの?」

 ところが、「ちょっと待ってね。かけ直すわ」と言うなり、貴美はいきなり電話を切ってしまった。

 慌ただしい姉の様子に少々びっくりしたが、元気になったと聞いた匠はほっとして、さっそく金庫を開けて封筒を引っ張り出した。

「いまどき、紙の書類か・・・」

と、つぶやきながら中に入っていた便箋を取り出した。貴美の手書きのメモだった。   

 目を通した匠は首を傾げた。

 なんだって、貴美は暗号解読用コードなんか用意していたのだろう?


 と、その時、IDにメールが着信した。貴美からだった。

 匠はメモの指示に従って、メールの添付画像を解読しながら、メモの余白にテキストを書き入れていたが、その途中で思わず叫び声を上げた。

「なんだってッ!ビビが・・・?まさか、そんなッ!!」

 そこで、ふと気づいた。貴美はどうやってアルビオラのことを知ったのだろう?

と不思議に思ったのである。

 不安定なカミを気遣って、あの三日間で体験した過去生の話はしていないのに・・・

 短い暗号メールには、こう書かれていたのだ。

「アルビオラ重傷。意識不明。オーブが使えない。オーブを転写できるのは家に侵入した人物。大至急探して」


  匠は激しいショックを受けて、すっかり気が動転していた。第二世代の冷静な意識も、愛娘を気遣うアトレイア公爵の居ても立っても居られない親心に圧倒されてしまう。

 その感情的な反応には違和感などこれっぽっちもなく、千年前からまるで時間が経過していないかのようだった。飛騨乃匠からサマエル・アテナイア公爵に、一足飛びに意識が切り替わったのである。


 とんでもないことになったッ!イルカちゃんを探すしかないのか?水曜日だから、スーパーでレジ係をやっているはずだ。でも、勤務は夕方から・・・それじゃ、間に合わないよッ!とりあえず店に行って彼女の居場所を尋ねるしかない。いや、ニムエならタリスの居場所を知っているのでは?だが、ニムエの居場所ときたら、皆目見当もつかない!

 ついに半ばパニックに陥った匠は、いら立って大声で叫んだ。

「ああッ、ビビが危ないっていうのに、ニムエはいったいどこにいるんだッ!?」


 と、いきなり何者かに後頭部をひっぱたかれて、反射的に後ろを振り向いた。


 背後に立っていたのは、何とピザ店の配達員のユニフォームを着たニムエその人だった。

「・・・ニ、ニムエっ!!な、なんだい、その恰好はッ!?」

 ぶったまげた匠はうわずった声で叫んで、思わずアロンダに場違いな文句をつけた。

「いきなり、何するんだッ!?千年ぶりの再会だっていうのにッ!」

「テレパシーはダメッ!あなた、無意識に使ってるわ!伽耶に使うなと教えてもらったでしょ?」

 アロンダは英語で手厳しく言い放ったが、その言葉には長年連れ添った夫婦のような気の置けない響きがこもっていた。

「テレパシー?そんな・・・僕はただ君がどこにいるか知りたくて必死で・・・」

と、匠も英語で返した。

 千年ぶりの再会だというのに、自分の弁解口調までがどこか懐かしく響くから不思議だった。


「とんだ再会になったわね。サマエル。動揺してテレパシーを飛ばすなんて、いったいどうしたの?」

 泡を食った匠の様子に、訝し気に眉をひそめながらアロンダが尋ねた。もっともアロンダににすれば、実は再会は二度目だし(*)、匠とは異なり、輪廻転生の記憶も新人類の自覚も備えている。千年ぶりの再会にも心の準備は万端だ。意識はあっさりニムエ・アテナイアに立ち戻っていた。


 前世の深い絆に結ばれた二人の相互作用とも言うべきか、双方に意識の転換が起きていた。しかも現世の人格とスムースに融合して、何ら混乱もなく現実に対処できる。二人はそのことを不思議とさえ感じなかった。


「ビビが大変なんだ。これを見て!」

 匠が手渡したメモを見たアロンダは顔を曇らせて叫んだ。

「何てことッ!!いったい、あの子に何があったの?」

「わからない・・・イルカちゃん、いや伽耶はどこなんだ!?彼女を探そうとしていたんだ」

「伽耶だったらいないわ。今朝から姿が見えない・・・サマエル、聞いて!あなたならオーブを転写できるかもしれない!」

 アロンダが匠に詰め寄った。

 

「何だって!?僕はまだ右も左もわからない!それに、第二世代だから伽耶のような力はないんだろう?」

 匠は冬眠の間にタリスこと伽耶が教えてくれた知識を思い返して言った。

「あなた、千年前にも彼女とコンタクトしたでしょう?わたしに隠してたわね!一週間前にも会ったでしょ。いい、伽耶が直接コンタクトしたのはあなただけなの!だから、オーブを転写できるとしたらあなたよッ!」

 アロンダが琥珀色の瞳で匠を睨みつけた。夫を尻に敷いていた威厳溢れる女王そのものだ。けれども、鼻面を取って引き回されるのに慣れ切っていた当時と同様、匠はまったく怖気づきもせずに言った。

「全然、意味がわからないよッ!・・・でも、ビビのためなら何だってやる!だけど、どうやってあの山麓まで行くんだ?」


 何が何やらさっぱり理解できないでいる匠の言葉を無視して、アロンダはにべもなく言い放った。

「さあ、私の手を握って。行くわよ!」

 訳が分からないまま匠が片手をつなぐと、アロンダの身体が突然ほの白いオーブに包まれ、その光は匠の身体を覆って一気に広がった。

「確かにあなたは光の血族ね。いいわ!これでテレポーテーションできる!」

 謎めいた言葉を吐いたアロンダは、かすかに微笑みを浮かべて匠を見つめた。


「ちょっ、ちょッと待ってくれッ!いきなり、テレポーテーションって言われても・・・」

 じゃあ、ニムエは僕のテレパシーを感じて、テレポーテーションでここに現れたのか?でも、その前にいつこの家に入ったのだろう?それにこのオーブだって・・・

「ニムエ、オーブで僕を包めるなら、君がビビを助けられるんじゃ・・・」

「黙って!集中できないでしょ!わたしはテレポーターでヒーラーじゃない。相っ変わらず、うるさい人ねッ!」


 アロンダがけんもほろろに匠をあしらった直後、二人の姿は忽然と消え失せた。



* 「青い月の王宮」 第29話 「人工知能の罠」



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