第11話 マグレブ Maglev
空前の大惨事「アポカリプス」によって、旧首都圏が壊滅して久しい。
寸断された鉄道は百年以上の時を経た今も、汚染地帯の地下を抜けシティを中継点に東西に延びる一本しか復旧していない。けれども、汚染地帯さえ抜ければ、東西に位置する都市を起点に、マグレブが北は北海道、南は九州まで、それぞれ一千キロ前後を二時間から二時間半で走行している。
上品なグレーのスーツに身を包んだ大滝は、西へと向かうマグレブの座席にもたれて物思いに耽っていた。この国に来て以来、鬱屈した感情を持て余しているせいか、大滝らしからぬ思考の堂々巡りに悩まされる。
抽象的な思考にはおよそ馴染みがなく、子供の頃から勉強のための勉強には見向きもしなかった。しかし、徹底した現実主義者の常として、サバイバル戦略や戦術には並々ならぬ関心を示して、人一倍の情熱を傾けて多くを学んだのだった。
マグレブは日本語でリニア新幹線とか言ったな。戦略的撤退のできない無能なリーダーは、太平洋戦争後も変わらないこの国のいわば伝統だ。世界で主流となったハイパーループでなく、時代遅れの計画に固執したか?
農耕民族らしく和を重んじるのは良いとしても、根回しに時間をかけるため、意思決定が遅れた挙句、決まって癒着仲間への利益誘導を優先させる。しかも、いったん決めた計画を変えられない・・・
勤勉でマナーの良い国民性には驚かされたが、無能そのものの政治家と、癒着で甘い汁を吸う経済同友会によく我慢できるものだ。
いくら国民が優秀でも、政治経済のリーダーが無能では、騎馬民族の伝統を受け継ぐ冷徹で有能な外資との競争には勝てない・・・
とりとめのない思考の罠にはまっても、特殊部隊員の習性まで見失いはしない。視線はホログラスの後方画像に映る尾行者の挙動を逐一追っていた。
全席ファーストクラスのスーパーマグレブには不釣り合いなアウトドア派の装いをした男は、野球帽を目深に被り無精ひげを生やして、大滝同様ホログラスで目を隠して最後部の座席に身を沈めていた。
組織的な尾行ではなさそうだ・・・
男はシティから地下鉄道で静岡のマグレブ駅まで追って来たが、単独尾行なのが大滝には腑に落ちない。
と、その時、車両前方で人が動く気配を感じ前方に視線を戻した大滝は、見覚えのある後ろ姿に目を見張った。
「あいつは、メガロポリスで地元のチンピラどもと組んで、三千ドルも掠め取った女じゃないか!」(*)
背後に尾行者、前方に詐欺師が乗り合わせるとは偶然とも思えないが、相手の出方を待つより、こちらから仕掛けるのが大滝の性に合っていた。女の姿が前方のコンパートメントに消えるや否や、大滝は席を立ち大型肉食獣のように滑らかな動きで後を追った。
片側に化粧室、反対側には個室トイレが並ぶ車両で、女は個室トイレに入った。その姿を遠目に確認した大滝は、化粧室の一つに入り、カーテンは閉めずに鏡を見ながら女が出て來るのを待った。
ところが、先に姿を見せたのは尾行者の男だった。帽子を脱ぎホログラス収納して、手話で「話がある」と合図を送ってきたのは、数日前に失踪したガーディアンのパートナー、中村だった。
大滝は無言でうなずいた。中村が女が入った隣の個室トイレに姿を消すと、人目がないのを確かめ後を追う。
「大滝、俺はガーディアンの暗殺者に狙われている!」
大滝が個室に入りドアを閉じると、中村は挨拶も抜きに唐突に話を切り出した。
「何だと?お前の口封じに、ガーディアン司令部が動いたってのか?」
「そうだ。危うく難を逃れたが・・・」
中村は言い淀んだ。命拾いしたのはあのウエイトレスのおかげだ。彼女が忍ばせたメモに、パートナーに例の標的の正体を教えるよう書かれていたのである。
元をただせば、大滝が簡単な暗殺に失敗したせいらしい・・・それなのに、なぜ俺が詰め腹を切らされるのか!?
恨みがましい気持ちにもなるが、ウエイトレスの正体が何者であれ、義理堅い性分の中村は、命を救われた恩義を重く受け止めずにはいられなかった。だが、新参者の大滝を信用できるはずもなく、自分が命拾いした事の顛末までは明かすまいと決めた。
「俺は何の落ち度もないのに、組織の都合で裏切られ逃亡者の身に落とされた!せめてもの意趣返しに、お前が欲しがっている標的の情報を渡してもいい。だが、知ったが最後、お前まで狙われるかも知れん。それでも構わないなら教えてやる」
中村が念を押したものの、大滝は動揺した素振りなど露ほども見せなかった。
「ガーディアンが俺を狙うってのか?それはないだろうよ。昨日付けでシティから西日本の米軍基地に転属になったからな。だが、お前の暗殺未遂も俺の転属も、あの若者の件が原因に違いない。何か裏がありそうだ」
あっけらかんとした大滝の態度と、急な転属先が米軍基地と聞いて中村はピンときた。ガーディアンのデータベースでは、大滝の履歴が伏せられていたのを思い出したのである。
仲間三人をあっと言う間に蹂躙した戦闘能力からしても、大滝は米軍特殊部隊の出身に違いないと確信したのだ。(* )
もっとも、同僚のうち二人は大滝の攻撃で倒れたわけではないが・・・俺は、回復した仲間のナイフ使いの名手から、見逃した事の顛末を聞き出した。この男は只者じゃない!
あの日、大滝の凄まじい雄叫びに我を失ったナイフ使いは、右手のセラミックナイフを大きく振りかざして襲いかかった。大振りの攻撃を相手がスウェイかダッキングでかわした瞬間、左手の袖から瞬時に取り出したナイフで腹部を抉る・・・
ところが、大滝はフェイクに引っかからなかったばかりか、身構えもせずに突っ立ったままだった。
右手のナイフは刃先は首の、左の刃先は腹の手前でピタッと止まった。大滝の両手が、魔法のようにガーディアンの両手首を握り止めたのである。
手首を掴んで止めるのは、ほぼ不可能な防御手段だ!
ナイフ使いは瞬時に大滝の力量を悟り、急所めがけて容赦のない右前蹴りを放った。
相手が常人なら一撃で悶絶していたはずが、大滝は楽々と左太腿でブロックしてのけた。
万力で絞めつけるような怪力に両手首の骨が軋み、思わず悲鳴を上げたナイフ使いが、反射的に頭突きを繰り出した瞬間、大滝はヒョイとうつむいたのだ。
「ぐゥぇー!」
自ら顔面を大滝の頭に激しく打ちつけ、ガーディアンは鼻骨と顎を骨折した。血まみれになって倒れ伏した。
残る一人は、中村も一瞬目撃した大滝の青く光る不気味な眼力にすくんで、脳神経に異常を来たした。
今も精神科に入院している始末だ。
脳裏に蘇るあの日の恐怖を振り払って、中村は苦笑いを浮かべた。
「つまり、イエスか?物好きなヤツだ。どう控えめに見ても、お前は米軍のエリートだ。データベースにないのは特殊部隊だからだな?黙って出世コースに乗ればいいものを・・・まあいい、所詮、俺には関係ないことだからな」
なかば投げやりに言い放つと、あらかじめ用意した四つ折りのメモを大滝に手渡した。
「読んだら破り捨ててトイレにフラッシュしろ。お前とは二度と会うこともないだろう。俺は米軍絡みの機密なんぞに関わるのは、まっぴらごめんこうむる。第一、今はそれどころじゃないからな!」
そう言い残した中村が、そそくさと個室から出ようとした瞬間、隣の部屋で鋭い金属音が響いた。
「何だッ!?」
中村の足がピタリと止まった。
「隣だッ!」
大滝は読み終えたメモを素早く破り捨てトイレに流すと、躊躇している中村を押しのけて化粧室を飛び出した。
隣には例の女がいる!
中から人が争う物音と唸り声が響いて来た。と、突然、警報が鳴り響いて、マグレブが急減速をかけた。屋根に異常を感知したAIが自動的に徐行モードに入ったのである。
大滝も中村も前方につんのめりかけたが、屈強な二人は楽々とバランスを取り戻した。両隣の車両から不意を突かれた客の悲鳴と怒号が響いて、マグレブは騒然とした空気に包まれる。隣のバスルームからも、したたかに壁に身体をぶつける音がして、低いうめき声と女のくぐもった悲鳴が聞こえた。
大滝は間髪を入れず動いた。
個室トイレのスライド・ドアを一撃で蹴破った時には、すでにレーザー銃を構えていた。中村もほぼ同時に銃を抜いて、二人は外側の壁に身を寄せて銃口を向けて中をうかがった。
二人の目に入ったのは意外な光景だった。顔を覆面で隠した黒装束の二人の男が、広々とした床に倒れ伏している。
女の姿は煙のように消えていた。
* 「青い月の王宮」第8話「機動歩兵の憂鬱」
** 「青い月の王宮」第23話「ガーディアン」
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