第8話 再会の夜 Reunion Night
ガーディアンの中村に先駆けてレストランを抜け出した暗殺者は、アタッシェケースをぶら下げて敷地の裏手に回った。
犯罪が極端に少ないシティには塀や柵の類はほとんどない。レストランの敷地も、見事に育ったゴールドクレストの植えこみに囲まれていた。
監視カメラを避けて木陰に身を潜め、手早く付け髭とカツラを外してアタッシェケースに放りこみ、取り出した全天候型ウインドブレーカーを、地味なスーツの上に纏った。
クルーカットの髪と軍人らしい怜悧な顔立ちは、アキラ・ミヤザキ米海軍大尉その人だった。ちょっと見は若手ビジネスマンにしか見えない。アタッシェケースから取り出した古めかしいトランシーバーを耳に、英語で交信を始めた。
「任務完了。ギリギリ外して撃ったけど、君の仲間は抜群にタイミングがいいね。それに演技も上手くて、不器用なウエイトレスが板についていた」
アロンダの返信を受けて言った。
「了解。それじゃ、すぐに地下鉄の駅から西の都へ向かうよ。実家にも近いからアメリカに戻る前に立ち寄れる」
アロンダの言葉にアキラは笑顔を見せた。
「僕もだ。愛してるよ!」
と、ささやき返して、トランシーバーを切った。
アロンダとの密会がシティ当局や米軍に知られないよう、一刻も早くシティを離れなければならない。
そのアロンダときたら、今からあのガーディアンを追跡して、パートナーの居場所を突き止めようとしている・・・
一年前のアキラならいくら想像を逞しくしたところで、こんな急展開は予想もできなかったに違いない。
春の雨が
アロンダに誘われて初めてシティを訪れてみれば、待っていたのは突飛な「任務」だった。使ったのは害のない疑似薬物とは言っても、暗殺者役を振られるとは思いもよらない展開だった。
アロンダアテナイアことビアンカスワンと夜を共にする度に、人生が大転換するんじゃ、たまったもんじゃないな・・・二度しか寝ていないから、まだ自分を保てているのかも知れない。これが続いたら身が持たないだろうな~。
奇抜にして危なっかしい展開にもかかわらず、ユーモア交じりに己の状況を見つめて苦笑した。アメリカ海軍航空隊では、生真面目な日本人ファイターパイロットとして人望が高いのだが、親しい仲間の間では、持ち前のウイットに富んだ感性が愛されている。
昨夜は、しかし、何という夜だったことか!
アロンダに信じ難い話を打ち明けられたのである。
一年前に知った過去生については、母親の影響もあって抵抗なく受け入れることができた。けれども、あの夜、薄々感じた彼女の秘密は、アキラの予想をはるかに超えていたのである。(*)
昨夜、熱く愛を交わした二人は、静まり返ったシーダハウスの二階で抱き合ったまま、ひと息ついて余韻に浸っていた。
ややあってアロンダが口を開いた。きれいに澄んだ茶色の瞳には、思いつめたような真剣な色が浮かんでいる・・・
「アキラ、どうやって軍用IDのGPSと生体反応を誤魔化したか、知りたいって言ってたわね?」(**)
「ああ、でも、気が向いたらでいいんだ。エンジニア志望だったから、好奇心で尋ねただけなんだ」
アキラはくびれた腰を抱き寄せてささやいた。
話すなら今しかない!
アロンダはじっとアキラの目を見つめ返して心を決めた。
「その前に・・・話したいことがあるの・・・この街の人工知能が進化した人類の存在を予言した話、聞いているでしょう?」
「うん、四、五年前だっけ?でも、すぐに日本政府とシティ自治政府が否定して、騒ぎは・・・」
すっかりくつろいでいたアキラは、何の気なしに返事をしかけた。
「わたしがそうなの!」
話の腰を折って単刀直入に切り出したアロンダに、とっさに意味がわからず、アキラは口をぼかんと開けて瞬きを繰り返した。
アロンダはアキラが口を開くまで待った。
何を言いたいんだろう、彼女は?
アキラは眉をひそめて頭を巡らせた。
一年前の夜、彼女の身体が淡い光に包まれるのを目撃した・・・あの後、科学論文から神秘主義の経典まで手当たり次第に調べたのだが、これと言って決め手になる情報は見つからなかったが・・・
ふと、驚愕の事実に思い当たった。
まさか、そんな!?
「・・・つまり、君は新人類なの?」
アキラの問いに、アロンダはこっくりうなずいた。
唖然としたアキラは、アロンダの身体から手を離し、ゴロンとベッドに仰向けになった。
なんてことだ・・・
しかし、アロンダの正体よりもはるかに衝撃的な事実に思い当たって、天井を見つめたまま、ようやく言葉を絞り出した。
「・・・じゃあ、偵察機が爆発した時、君は機内にいたのか!?」
爆発事故は偽装と知っていたが、遠隔操作で爆破したものと思いこんでいたのである。
「私が急にいなくなっても心配しないで」としか、聞かされていなかったのだ。
「ええ、そうよ」
アロンダが小さく答えると、アキラは向き直って言った。珍しく語気を荒げて叫んだ。
「ウソだろッ!?もし、失敗していたら君を失っていたんだよ!黙ってるなんてひどいじゃないか!」
「ごめんなさい、アキラ・・・」
アロンダの唇が小刻みに震えて、ハシバミ色の目に涙がみるみる溢れ出した。この温厚な日本人パイロットが、怒りを露わにする姿はかつて目にしたことがない。それだけに激しい罪悪感に襲われたのだ。
アキラはハッと我に返り、すぐさま手を伸ばしてアロンダを優しく抱き寄せた。
この若者は年に似合わず成熟しているうえに、一年前の出来事で心境が大きく変化していた。彼女の内心を察して、素早く気持ちを切り替えた。
持ち前のウィットを交えて、深刻になりかけた空気を和らげる。
「そうだよね・・・言えるわけないよ、新人類だなんて・・・テレポーテーションするから大丈夫よ、なんて」
穏やかに語りかけた。何ごともなかったかのような口調だったが、今度はアロンダが驚いて息を呑んだ。
「えッ!テレポーテーションしたって、どうして知ってるのッ!?」
「だって・・・君に聞いたから」
アキラがさらっと受け流すと、アロンダは叫んだ。
「わたし、言ってないわよッ!ひと言だって・・・あ~、こいつめッ!引っかけたわね~!」
「バレたか」
アキラがペロッと舌を出すと、アロンダはふてくされて寝返りを打ち背中を向けた。
「アキラのバカっ!もう知らないッ!」
と叫んで、シーツを頭からひっ被った。
「ごめんよ。緊張感に耐えられなくて、思わず口が滑ったんだ。でも、本当にテレポーテーションだったのか・・・」
と、アキラがなだめたが、へそを曲げたアロンダは、シーツの下からくぐもった声で叫んだ。
「知らないッ!あなたとはもう一生口をききませんからねッ!」
「アロンダ、謝るから機嫌を直して!・・・それとお願いだから、テレポーテーション、やって見せてくれない?」
その言葉にかんかんになったアロンダは、思わずシーツから顔を出して、アキラに向き直って食ってかかった。
「バカっ、裸なのにできるわけないでしょッ!」
アキラは待ち構えていたように彼女を素早く抱きしめ、優しく悪戯っぽい微笑みを返した。
「ずるいわ、その笑顔・・・」
アロンダは口を尖らせて文句を垂れたが、言葉と裏腹に涙がポロっとこぼれたかと思うと、わっとアキラの胸に泣き伏した。
新人類と知っても、変わらず自分を受け入れ支えてくれる、と悟って心の底から安堵したのである。
「あなたがいてくれて、良かった・・・」
後は言葉にならない。
アキラはアロンダを抱き止めたまま、無言で栗色の髪を優しく撫でていた。これまで以上に愛しく感じてもいたが、新鮮な驚きも覚えていた。
垣間見た大胆不敵な天才パイロットの素顔は、超能力を備えた新人類ではなかった。孤独に耐えながら折れそうな心を抱えている、ごく普通の女性だったのである。
* 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第1話「ある夜のできごと」第7話「きのうの夜は」
** 「青い月の王宮」第45話「アキラ」
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