第7話 ブラック上司 Boss From Hell

「なんてこった、俺としたことがコレを見落としていたとは!」

 ミッチェル中佐は、唸り声を漏らした。

 目を惹いたのは最後の短い交信である。スワン中尉が、日本の汚染地帯沿岸で小型の通信妨害装置を回収した直後のやりとりだった。

 この簡単なミッションから帰還する途中、中尉の偵察機は謎の空中爆発を起こした。


「ブラックスワンよりUSSRR。通信妨害装置を回収。電波を解除した。084時・・・訂正する、2004時、任務完了。これより帰艦する」

「USSRRよりブラックスワン。了解」


 中佐の目は「084」という数字に釘付けになった。

「軍人が午後八時四分をこんなふうに言い間違えるはずがない!」

 中佐の脳裏にビアンカと交わした会話が蘇った。

 エリート軍人だけあってビアンカは軍事関係の情報に興味を持って、中佐にも度々話をせがんだのだった。

 ある晩、夕食を共にしたミッチェル中佐は、SSRDこと「戦略科学研究開発機構」の話をスワン中尉にしてやったのだ。

 SSRDが使う暗号についても自慢げに蘊蓄をひけらかし、「084」が「特殊物体」、つまり、科学では未解明で技術的にも可能性は未知でも、兵器転用の見こみがありそうな物質や現象全般を指すと伝えた。

 言わば「その他」という分類だが、「特殊兵器」という意味もあると。

 すると、ビアンカは冗談めかしてこう言ったのだ。

「シティの人工知能が、超能力を持った新人類が存在すると推測したって報道されてました!じゃあ、その新人類も084ってわけですね?」

 バカバカしい都市伝説だ、と二人して笑い飛ばしたのを、中佐はありありと思い出した。


「今回の原因不明の爆発の直前に、何だってあの女は、よりによって084と言い換えた?いったい、何を言いたかったんだ?」

 目端だけは鋭い中佐は、思わず興奮して拳を握りしめた。

 こいつは俺の将来を左右する番号かも知れないぞ。もし本当に新人類とやらが存在するなら、国家安全保障に関わる重大問題に発展する。のし上がるビッグチャンスになるぞ!利用しない手はない!


「死んでしまえばそれまでと思ったが、いやいや、最高の置き土産を残してくれたな。ビアンカよ、安らかに眠れ!」

 中佐は皮肉っぽい笑いを浮かべた。


 あれほど目覚ましい武勲を打ち立てながら、ビアンカが大尉にも昇進できなかったのは、ひとつには中佐が手前勝手な報告書や査定書で手柄を横取りしたからだった。

 内心で女性を蔑視するこの男は、中尉が受けて当然の表彰を上層部に提案する推薦状さえ書こうとしなかったのである。そのくせ、武勲を伝え聞いた大統領の表彰にはちゃっかり便乗してホワイトハウスに大きな顔で乗りこむ始末だった。

 そればかりか、当日の離脱飛行にも難癖をつけていた。

「たとえ五千万ドルの最新鋭機を失っても、パイロットの命には代えられない、離脱と同時に機体を放棄して緊急脱出するべきだった」と、ビアンカの査定に書き加えていたのである。

 ところが、もっともらしい批判とは裏腹に、そのようなアドバイスはまったく与えていない。

 それどころか、内心では無謀な攻撃で高価な戦闘機を失えば、自分にも火の粉が降りかかると気を揉んでいたのである。

 最悪の場合は作戦は失敗した挙句、若いエリート・パイロットが多額の税金を投入した最新鋭戦闘機と共に撃墜されていた。そうなれば、推薦した中佐は責任を問われ、一生うだつが上がらないまま軍人生活を終えていただろう。


「それなのに、何だって俺はあの女の志願を認めて、中央軍司令官に強く進言したのか?」

 当時の自分の行動は我ながらどうも腑に落ちない。

 当時を振り返り、中佐はその鈍感で大雑把な心の片隅で漠然と疑惑を抱いた。


 スワン中尉は同期の海軍戦闘機兵器学校、通称トップガンの卒業生の中でも異例に若かったが、成績は僅差で総合三位とトップレベルだった。

 しかし、女性であることも手伝い、オペレーションのカギを握る単独ミッションへの志願が認められる可能性は薄い。そのうえ、最初の武勲が国家機密として秘匿されたため、中東に展開する中央軍の上層部は、スワン中尉の天才的な操縦技能を把握しきれていなかった。

 わずか一日足らずで決まった人工知能頼りの作戦が失敗するリスクも高い。

 ごり押しして失敗した日には、上司である自分が詰め腹を切らされるのは目に見えていた。

 ところがあの日に限って、スワンなら作戦は成功すると俺は確信した。そして、無謀と思われた作戦は、見事、奇跡的な成功を納めた・・・


「要するに、俺さまに先見の明があったってことだ!」

 だが、いつもの癖で自己陶酔に陥った中佐は、ふと感じた違和感をあっさり切り捨て、それ以上深く追及しなかった。

 情報統括官とは名ばかりで、小賢しい知恵と押しの強さを除けば無能を絵にかいたような男だった。

 成功は自分の実力、失敗は部下の責任、と心の中で相場が決まっている。

 海軍情報部をはじめ国家安全保障局や国防情報局から、アメリカ中央統合軍の司令塔であるUSSリチャード・ローズに派遣された有能な部下たちも、この自惚ればかり強い中佐にはほとほと手を焼いていた。

 現実を自分に都合よく捻じ曲げても、何ら良心の呵責を覚えないどころか、捻じ曲げている事実にすら気づかない。そういうおめでたい脳の持ち主がこの世にはいるが、ミッチェル中佐はまさしくその典型だった。


「あの作戦のおかげで、大統領はじめ政界の要人ともコネができたところに、新人類とやらが本物なら、桁違いの資金が対策に動くぞ。渡りに船ってヤツだ!俺にもいよいよツキが回ってきたようだ!」

 凡庸な野心に憑りつかれた中佐は、心の中で喝采を叫んでいた。


 想像力が欠如したこの男は、新人類など戯言ざれごとと頭からバカにしていたのである。ところが、何ごとも自分に都合良く解釈する性格で、スワン中尉が残した数字が幸運の女神が微笑んだ証にしか見えなかった。

 検証しようともせずに、唐突に新人類の存在を確信して、チャンス到来と舞い上がってしまったのである。


 万事この調子だから、ブラックスワン最期の交信が、中佐を駒に利用するロング・コン (*) の罠と気づく由もなかった。


 そのおめでたい性格を、スワン中尉ははなから見抜いていたのだった。



 * 長期間かける巧妙な策略や詐欺



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