第6章
第28話 同じように生きる
「それじゃあ、よろしくお願いしますね」
「はい、おそらく三日後には届くと思うので。このたびも、ありがとうございました」
「いえ、美味しいですから。こちらの成果は」
朗らかな表情でそう言われると、わたしも自然と頭が下がる。それがお世辞から来るようなものではないと、そう感じたからだ。
「それから、お仕事、頑張ってください」
「あ、ありがとうございます。頑張ります」
大げさに両手を握って見せると、女性は口元に手を当てて、笑ってくれた。
女性の背中が見えなくなるまで見送って、再び事務所に戻る。
するとパタパタと蓮花が駆け寄ってきた。
「おつかれっす先輩! またあの人来てくれたんすか?」
「うん、月末だからね」
「いいなー、そういう固定客がいて。ああいう人ってどこで捕まえてくるっすか? ナンパっすか!」
「違うよ。たまたま窓口で対応しただけ、ちょっと話が弾んじゃって、それで」
「やっぱりナンパじゃないっすか!」
うがーと、蓮花が吠える。
事務所内は心地良い雑談の声で埋まっていた。緊迫した空気はなく、どこか、学校の休み時間にも似ている。蓮花が吠えても、こちらを見る人はいなかった。
「かわいい人でしたもんねー、成人してるんすかね」
「してるんじゃない? 聞いたことないから分からないけど、指輪とかそういうのもなかったし、どうなんだろうね」
「指まで観察して、めちゃくちゃ気になってるじゃないすか・・・・・・」
ギク、と背中を伸ばすと、蓮花が呆れたように肩をすくめる。
「やっぱり独り身は寂しいっすよね」
「まあ、うん」
「別れて何年っすか?」
「丁度一年かな」
蓮花に弓梨のことを話したのは、冬か、春、どちらかだった気がする。雪解け水が綺麗な季節だったのは覚えているんだけど、近年、雪の降る降らないが不規則なのでこの記憶はあまりアテにはならない。
「おお、じゃああれっすね。先輩が社長にドカーって言って、庭を、ドカーってしたときと同じだ」
「ドカーって、そんなにわたしすごかった?」
「そりゃもう! ちょうかっこよかったっすよ? 殺気立ってる社長のお尻に、椅子で突撃したのは見てて爽快だったっす! 本当に覚えていないっすか?」
「覚えてない覚えてない、そんなの、想像しただけで恐ろしいよ」
わたしが、社長に刃向かうなんて、もしそれが事実なのだとしても、きっとわたしは恐怖で頭が真っ白になっているであろうから、記憶なんて簡単に抜け落ちていると思う。
「庭をドカーってしたのも?」
それも、よく分からない。蓮花の話によると、わたしは会社の庭にある雑草を一瞬にして更地に変えてしまったらしいのだけど、大雑把な表現をよくする蓮花のことだから、どこまで信じていいか分からなかった。
「どういう状況だったか覚えてない?」
「私もビックリしてて、鮮明には覚えてないっす。先輩に聞こうとしたけど、なんか内緒にって感じて誤魔化されちゃって、もしかして、教えてくれる気になったっすか!?」
「いや、わたしも知らないから」
「なーんだ」
席に着いたわたしを見て、蓮花は口を尖らせていた。
「はー、私もそろそろ欲しいなー、かれぴっぴ」
「蓮花なら簡単にできると思うけど」
「出会いがないんすよ出会いが!」
「合コン行ってるって、前に行ってなかった?」
「あー、あれっすか? もう全然ダメ。みんな下心丸出しで、ホントつまらなかったっす。先輩来なくて正解でしたよ」
「そうなんだ」
「はいっす。まあ、でもあれか、先輩は、来ないか」
蓮花はほんの少しだけ、寂しげな顔をした。
「そうだね、ごめんね」
「なんで謝るっすか! 謝ることなんて全然ないっす! そもそも戦場が違うっすから」
「戦場?」
「わたしは騎馬隊で、先輩は、射撃隊」
「よくわかんないよ、そのたとえ」
「私もさっぱり」
脊髄で喋ってるんだろうなと、快活に笑い飛ばす蓮花を見て思う。でも、誰も嫌な気持ちにさせないその脊髄は、きっとどこまでも真っ直ぐ、伸びているんだろう。
「げ、田代さんが来た。それじゃ先輩、午後も頑張るっす!」
「うん、じゃあね」
手を振って、ガチャガチャと椅子を引く音が遠くから聞こえてくる。
わたしも充分リラックスできたので、再び業務に戻ることにした。
「売り上げ、いい感じね」
隣に座った田代さんが、全員のデスクに貼られた売り上げ表を見て呟いた。
「また、例の人?」
「あ、は、はい」
「近くに住んでいる人なの?」
「あ、そ、それは分からないです。聞いたことないので」
「そう。今度それとなく聞いて、菓子折でも持って行きなさい。そういう付き合いが人脈に繋がっていくのよ」
「は、はい。分かりました」
あの方がここで注文をくれるようになってから、約半年。菓子折とか、そういうお礼をしたことは確かにまだ無かった。もう少し、込み入った話をしてみてもいいのかもしれない。なんだかビジネスマンにでもなった気分だ。本業は違うんだけどな。
カタカタとタイピングをしていると、田代さんの視線がわたしの顎元に突き刺さっているのを感じる。なんだろう、わたし、またミスしちゃったかな。
手汗が滲み出て、打っている文字も、ミミズのように蠢き、気持ち悪くなってくる。
何を言われるんだろう。緊張と不安で、心臓がバクバクと脈を打つ。
「体調は?」
「え?」
「体調はどうなの?」
田代さんと目が合う。シワの寄ったその目は、哀愁に満ちていた。
「い、今のところは、大丈夫です」
「先週みたいに、急に休まれたら困るから。今週末はかなり詰まってるの、分かるでしょ?」
「は、はい。その件は、すみませんでした」
先週、わたしは熱を出してしまって会社を休んでいたのだ。どうにも、この寒い時期は定期的に体調が不安定になる。
熱があるまま出勤すると、わたしの顔色を見た田代さんに怒られて、強制的に帰らされたのだ。
確かに、そうやって何度も休まれたらたまったものじゃないだろう。わたしの仕事を、誰かがやることになるのだから、それなりの負担をかけてしまうことは紛れもない事実だ。
反省と、それから後ろめたい気持ちで、わたしは俯く。
「みんな同じなんだから」
ドサ、と資料がデスクの上に積まれる。
「みんな同じように、疲れてる」
「・・・・・・はい」
「だから、さっさと終わらせて、帰りましょう」
わたしが顔を上げる頃には、田代さんはすでにモニターとにらめっこをして、茶封筒の整理をはじめていた。
田代さんは今年の夏に離婚したらしい。今は泉という名字に変わっているが、わたしたちはこれまで通り、田代さんと呼ぶことにしている。
そんな田代さんに帰りたい場所があるのかどうかは、わたしには分からない。
それでもこうして仕事を頑張れるのは、田代さんにもどこか、信念のようなものがあるからなのだろう。何度もわたしを叱った口元は、去年と比べるとやや垂れ下がっている。白髪も増えたようだし、摩耗しているものがないわけじゃない。
それでも、あんな言い方ないじゃんね、と蓮花と愚痴を言い合うときもいまだにあるけれど。手元に置かれた、空の栄養ドリンクを見ると、きっと、繋がっている部分が、一つでもあるのかなと、思ったりもする。
人はみんな、強さが違う。耐えられるものと耐えられないものがあり、できることとできないことがある。だから見送って、見捨てて、そういう人生を送りざるを得ない。
でも、目指す場所は同じだ。
それぞれ違うこの体と心を引っ張って、誰もが、自分が一番、自分らしくいられる場所を目指す。
だから、そう。完全に分かり合うことはできなくても、手を取り合うことは、できるはずだ。
「が、がんばりまう」
・・・・・・噛んでしまった。
わたしのそんな抜けた部分に、田代さんは一切触れてこない。
頑張ろう。
もう一度、心の中でそれを唱える。
頑張れるよね。わたしの体。
そう、問いかけるように。
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