第27話 心から笑え
それから電気を消すか消さないかで揉めたのは、わたしとしても予想外だった。そもそもなし崩し的に布団の中に潜り込んだ時点で色々と気を回せたらよかったのだけど、ぐずぐずの鼻を啜るのに必死で気づけなかったのだ。
「なんで啖呵切った方が泣いてるの?」
「ごめん、なんか。昂ぶっちゃって、変だよね」
「どうだろうねー、人間的に言うと、感受性豊かって言うんじゃない? そういうの」
結局、変かどうかは教えてくれないのだった。
けど、泣いたり苦しんだりできるのは、しっかりと痛みを感じられることだと思うし、それが自分だけでなく、他人のものも感じ取れるのなら、手を差し伸べるときの助けにはなるのかもしれない。
横になったわたしたちは、互いの顔を見ながら、輪郭に整地されたパーツを一つ一つ眺めていく。長いまつ毛。紅色の瞳に、薄い唇。シュッとした顎のラインに、粉雪のようにサラサラな髪。いいなーって、触れながら、思ったりしてみる。
「のんきだね」
これから心臓の贈呈式が行われるというのに、わたしの心は妙に安らいでいた。消える記憶、元の体に戻る不安。そういうものが、すぐそばにいるサレアの顔を覗き込むと払拭されてしまう。
きっとわたしはサレアとずっとこういうことがしたくて、こういうことってなんだろうって考えると、それはおそらく、溺れるような肌の触れ合いではなく、存在を確かめ合うような、謝礼の繰り返しのような、神聖で、温かいものだ。
見つめたまま、電気のリモコンに手を伸ばす。するとサレアが、そのリモコンを投げ飛ばしてしまう。壁に当たると、ケースが外れて電池が飛び出てくる。コロコロと、転がるそれを見てわたしは言う。
「そんな乱暴な」
「くひひ、よく見とかなきゃダメだよ。悪魔の所業っていうものを」
サレアがわたしの頬に触れる。サレアが笑うと、口から小さな牙が覗く。わたしはサレアの、そういう、動物的な部分に惹かれた。絵本に出てくるチェシャ猫に似ているし、蛇のような瞳孔も、動物的な部分に拍車をかけている。けれど、やっぱり、サレアの物事への興味や、一つ一つ確かめていくような仕草、それから、言動すべてが、自身の生死に関係している。その貪欲さがひどく動物的で、愛おしいと思ってしまう。
ならペットでもいいのかもしれないけど、あいにく、こんな小さな子に首輪をつけて連れ歩く趣味は持っていない。
「そんなにジロジロ見て、あたしのこと好きすぎだよ」
そう言って、サレアに首を引っ張られる。わたしのほうがペットになってしまいそうだった。
「サレアは、いいの?」
「いいのって、なにが?」
「わたしの心臓、もらってくれるの?」
「変なことばっかり聞くね。ざくろがくれるって言ったんでしょ? それとも、やだ、ざくろにはそのままでいて欲しいって、言って欲しかった?」
わたしは首を横に振る。
「違うよ。わたしが、人間に戻ったそのあとも、サレアはちゃんと、生きてくれる?」
「ざくろみたいに自分では死なないから大丈夫だよ。魔力が尽きたら、いずれ死ぬだろうけどね」
「やっぱり、考えは変わらない?」
「そこだけは、絶対に変えられない。あたしの生きる意味は、あたしだけの意味だ」
「そっか」
小さな体を、抱きしめる。
「ざくろこそ本当に、あたしに全部、捧げちゃってもいいの?」
「わたしはわたしの体を信じてるから大丈夫。・・・・・・なに? 心配してくれてる?」
言うと、腕の中のサレアは無理矢理体を動かしてわたしに背を向けた。
返事はいらなかった。ただ、逃げないでいてくれたら、それで。
「あったかいね、サレア」
うん。
そんなような、小さな声が聞こえた。
「こっち向いて」
もう一度、くるくると体を回してサレアがわたしの方を向く。ちょうど一回転だ。笑いかけると、サレアはくすぐったそうにして目をそらす。
視線の交わらない口づけも、それはそれで、互いの生きようを表しているかのようで、情緒のあるものだった。
繋がる箇所が一つある。それだけで、こうも誰かを想えるのか。これまでの恋愛を思い返すと、わたしはただ依存していただけだったのだと、ようやく気付く。
明かりの点いたままの部屋。でも、布団の中に入ってしまえば、結局のところ同じだった。
暗闇の中で熱を放つ、サレアがぽつんと、雨音のような声で呟く。
「これが、愛されるってことなんだ」
「うん。サレアは、わたしのこと、愛してくれる?」
「えー」
「なんでそこで悩むの」
「分からないし」
サレアがぎゅっと、わたしに抱きついてきた、ような気がした。
「愛とか、なんとか」
「教えるよ、きちんと」
本当にまだ、何も知らない。知りたがっていたばかりの、知る権利すら与えられなかった純潔に、肌を重ねる。サレアはわたしを見て、真似をする。
服を脱がせてあげると、物寂しそうに床に落ちたドレスをサレアは見ていた。
「ごめん」
謝ると、サレアがわたしの服をひっつかみ、脱がせてくる。怒っていた。
サレアのお腹に触れると、熱が籠もっていて、熱い。そこを触っていると、なにが楽しいのかと、冷ややかな目でサレアがわたしを見てくる。そんな目で見られると、やりづらい。
唇を押しつけると、サレアが僅かに小さな吐息を漏らす。突然だったから、準備をしていなかったのだろう。
膨らんだ部分に手を伸ばすと、サレアはくすぐったそうに身をよじらせた。てっきり無反応だと思っていたから、意外だった。
サレアは、肩で息をしながら、わたしの指先をジッと見つめて言った。
「愛し、あってる?」
息絶え絶え、という様子だった。
「うん。でもごめんね、王子様、だったら、よかったんだけど」
すると、サレアは首を横に振って、わたしの手を握った。
「ざくろに愛されてみても、まあ、いいけど」
不器用な物言いに、サレアを弄る手が早くなる。でも、それはあくまで、サレアに合わせてだ。
サレアに知って欲しい。誰かを愛する優しさを。わたしが抱いた、はじめての愛情を。愛する痛みと、愛される切なさを、知って、感じて、生きて欲しい。
何も知らないで生きるのは、苦痛だ。
割れ目に触れる。そこは、腹部の曲線にキレイに沿うように、滑らかだった。
「くひひ」
耳元でサレアが笑った。
「あー」
ため息のようなものを吐いて、わたしの唇を優しく吸ってくる。
至近距離で見つめ合うわたしたち。瞳に浮かぶ、僅かな水分が、星空のような輝きを生む。とても綺麗だった。
「絵本で見た奴だ」
気付けば朝になっていた。
一晩中、わたしとサレアは互いを求めた。
それなのに、どこも痛くない。羽毛に包まれたような温かさだけが、肌に残っている。
眠そうな目をしたサレアが、わたしの胸に触れる。するとそこから、白い糸が伸びて、奥に眠るわたしを、引っ張り出してくる。
「いい? ざくろ」
「うん」
わたしは起き上がることができずに、寝転がったまま答えた。
自分の胸から心臓が引きずり出されていく光景は何度見ても異質だ。そういう、非現実的な日々を、わたしは送ってきた。
そのせいで、現実の生活に影響が及んでしまうこともあった。社長に刃向かったときなんて、本当は冷や汗でいっぱいだったし、ああ、わたし終わったって思った。でも、それが誰かを助けることに繋がって、誰かの力になれて。誰かが、わたしを必要だと言ってくれた。
この心臓に、わたしは何度も助けられた。所詮借り物だけど、わたしは悪魔になることで、人間の生き方を、俯瞰的に見ることができた。
「同じなんてこと、ないよね」
人間は脆弱だ。
まだまだ未完成な生き物だ。
虫のように遺伝子に従った生き方もできないし、動物のように貪欲に生死を求められない。目の前のことと、自分の安寧と、精神の均衡に縋るばかりの毎日を送るわたしたちに「みんな同じだ」なんて言う権利はない。
生きる時間も、力も違う。顔も性格も、夢も理想も、何もかもが違うのに、弱り切った自分を埋めるように、同じを目指す。
右にならえで見た隣の人は、わたしとは違うのに。
「でも、同じ世界で生きてるんだもん」
それだけは変わらない。それだけは、みんな同じだ。顔とか体とか、心とか性別とか、そういうのに目を向けるのは揃うことのないピースを集めるくらいに、滑稽で、無意味な行為だ。
「そういうのなしにさ、みんな当たり前に、笑えるような世界ならいいよね」
「できるの? ざくろに」
「そのために、わたしはわたしを好きにならなきゃなんだ。もっと」
背中に突き刺さる視線は痛い。
刺すように冷たい向かい風は、心までもを凍らせていく。
後ろ指を指される。同情される。嗤われる。
大丈夫、そんなの気にしない。わたしはわたしらしく、前を向いて歩こう。都合のいいことだけ聞き入れよう。
そんな風に生きて、平気な訳がない。
痛いものは痛い。冷たいものは冷たい。それに耐えるのが生きるってことだ。
でも、耐え続けられる訳もないのが人間だ。
だからわたしたちは、支えられるものと、支えるべきものを探す。
せめてそのときだけは、忘れられるようにって。
そのときだけは、心から、笑えるようにって。
心臓が、サレアの中に入っていく。サレアはわたしを拒まない。それはおそらく、優しさからではないのだろう。
「ううー、頭くらくらしてきた」
「そりゃそうだよ、体から魔力が一気に抜けたんだから」
「うおえ、吐きそう」
「吐かないでよ、汚れちゃう」
「が、我慢するよ・・・・・・うべべ」
こみ上げてくるものを、なんとか喉で塞き止める。
するとわたしの頭上で、そよ風が通り過ぎたような、そんな音がした。
「ありがとう、ざくろ」
それはもしかしたら、サレアの笑った声だったのかもしれない。
「あたしのために、ここまでしてくれて」
頭に手を乗せられる。
柔らかいものが、薄れ行く意識の中、頭の上に乗る。その感覚は、いつ頃だろう、前にも、覚えがあった。
「もしかしたらあたしは、待ってたのかもしれない」
白い糸が、シーツに垂れる。
「それでいいんだよって、言ってくれる存在を」
酸っぱいものを飲み込んで、わたしは体を起こし、サレアを抱きしめる。
「それが、支えるってことだよ」
「・・・・・・うん」
「愛してるって、ことだよ」
「分かってる。もう充分、教えてもらった」
サレアが、落ちた糸を拾いあげる。わたしの胸と、サレアの胸が繋がっている。すごく神秘的で、幻想的で、童話のような景色だった。
「ねえざくろ」
「なに?」
「知ってる? 絵本は最後、キスをして、互いの幸せを誓って、終わるんだよ」
「知ってるよ。昨晩もしたでしょ?」
「もっかいしよう」
サレアのお願いに、わたしはつい笑ってしまう。
「キス魔だ」
「悪魔です」
「そうだね、あははっ」
笑うと、涙がこぼれる。
温かいこの空間は、潤いに満ちていた。
「あなたを愛しています、ざくろ」
その台詞は、まったく、いったいどこの絵本で覚えたのだろう。できれば教えてほしい。最近の絵本って、そんなに真っ直ぐで、恥ずかしい、純粋な言葉を使うのか。
「わたしもです、サレア」
それくらい真っ直ぐなほうが、いいのかな。
サレアになぞらえてわたしも、恥ずかしいくらいの台詞を口にする。
さすがのサレアも、耐えきれなかったようで、肩を揺らして笑い始めた。
恥ずかしい。でも、真っ直ぐだ。笑っているこの瞬間だけは、魔法にでもかかったように、心が軽くなる。
サレアも、同じことを思ったのか、キョトンとしてから、目を細めた。
自然に接近する唇。
魔法は、いずれ解けてしまうかもしれない。
でも、その魔法が解けても、生きていけるように。
心優しい魔法使いは、きっとそう思っていたんじゃないだろうか。
「生まれてきて、よかった」
震えた声は、薄れていく意識の中で聞こえた。
わたしを抱きしめる力が強くなった、それと同時。
白い糸が、プチンと、切れた。
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