第29話 背中を押してくれるもの
「いびゃあ!」
「え、どんな声出してるんすか先輩」
飛び上がったわたしを見て、蓮花が怪訝な表情をする。
「足の裏になんか刺さったみたい。なにこれ、木くず?」
わたしは仕事の一環で、倉庫の中にいた。ここには使い終わった台車や段ボール。それから、箱が無造作に陳列されている。
わたしはこれらを整理するために物をどかしていたのだけど、そのときに床に落ちていた木くずを踏んでしまったようだった。
「うわ、本当だ。なんでこんなところに木くずが落ちてるっすかね。スリッパ履いててよかったっすね、先輩」
「そうだね、まさか貫通してくるなんて」
お客様用ではないスリッパは、底が薄く、そもそもサイズも合わない。皮なんだか紙なんだか、耐久性に難ありなのだった。
「あ、多分これっすよ。この木材の奴が散らばってる。なんで誰も片付けないんだろ」
「危ないね。わたしたちで片付けちゃおっか。蓮花、箒とちりとり持ってきてくれる?」
「っす!」
パタパタと蓮花が階段を降りていく。そんなに急がなくてもいいんだけどな。
慌ただしい蓮花に苦笑しながら、わたしは素手で大きな木片を拾い上げていく。
「あれ?」
その中にひとつ、光る物があった。気になって拾い上げてみると、それはなにかの宝石だった。
なんだろう、これ。
エメラルド? にしては、薄い。透明感の強いそれは、触れているわたしの指すら鮮明に映している。
中には、なにやら白いものがふわふわと浮いていた。
「・・・・・・綺麗」
まるで雪が降っているかのような光景だった。光の当たり具合で、その鮮やかさは変わる。おもちゃではない、本物の宝石みたいだ。
「お待たせっす、先輩! それ、なに持ってるっすか?」
「あ、うん。なにかの宝石みたい。誰かが落としていっちゃったのかも」
「へー、綺麗っすね。中に白いのが見える」
「雪みたいだよね」
二人で小さな宝石をジッと見つめる。
「っと、そんなことより早く片付けなくちゃね。今日はこれで終わりなんだし」
「そっすね! うちの会社、忙しいときは忙しいけど、帰れるときは早く帰れるから、そういうところはいいっすよねー」
冬が過ぎ、まだ桜の咲かない春の頃。この成果センターの仕事は激減する。やることといえば、たまに入ってくる注文の対応と、社内の掃除、それから新しいチラシ作りだ。配達の人たちは昼頃まで営業に行き、パートの人たちは休みを貰っている。
夕方までいてもやることがないので、わたしたちはいつも通り、二時頃であがらせてもらうことになっていた。
「貰っちゃっていいんじゃないっすか? どうせずっと放置されてたものだし」
「うーん、いいのかな」
「もしだったら忘れ物窓口に置いておくとか。どっちでもよさそうっすけどね」
宝石を、もう一度間近で覗き込む。
白い雪、それがどこを目指すでもなく降り注ぎ、消えていく。まるで万華鏡を覗き込んでいるかのようなその景色は、すごく幻想的だ。
わたしは軽口で、「いっか」と笑ってポケットに宝石を入れた。
それを見た蓮花もまた同じく、イタズラっぽく笑って見せた。
桜が咲いていなくても、春の並木道は好きだ。これから頭を出そうとしているつぼみたちが、わたしを見上げて、見下ろして、また無言で、背伸びをする。
あれだけ頑張っているのに、それを誰かに自慢したりしないのは、すごいなって思う。健気で、一生懸命に咲くのは、わたしにはできないし、きっと、他の人も簡単にできることじゃない。だからこそ、咲き誇るって言うのかな。
わたしもそんな草花のように、いつか胸を張って生きられる日が来るだろうか。
むん、と胸を張ってみると、背骨が軋んだ。・・・・・・まずは姿勢を直さないと。
でも座りっぱなしな仕事だしなー、と。黒い椅子を思い出して、ハッとする。
そういえば、お得意様の方に今週会いに行くんだった。この前会社に来てくれたときに、今度是非お礼をということで話を付けたのだけど、緊張しっぱなしだったわたしとは裏腹に、女性は朗らかな表情で承諾してくれた。かしこまったわたしがバカバカしくなるくらいの柔らかさで、楽しみに待っていますと言ってくれた。
わたしより一回り背丈の小さい彼女だけど、その表情はすごく大人っぽい。妖艶なその雰囲気も含めて、あんな女性になれたらなと、思いを馳せる。
「花、買いに行こうかな」
菓子折りだけじゃ物足りない。彼女に合う花を渡したら、彼女はもっと綺麗に笑ってくれるんじゃないだろうか。
今日は晴れてるし、今のうちに買いに行こう。
思い立ったわたしは、帰りに近くの花屋に寄ることにした。
同じことを考えている人が多いのか、季節柄なのか、花屋はかなり盛況していた。人の間を通る際、花に触れてしまわないように気をつけながらどれにしようか目星を付ける。
けど、正直、わたしは花にはそこまで詳しくはなかったので、意味合いなどはあまり気にせず、見た目だけで選ぶことにした。
「あ、いいな。これ」
目に付いたのは、アザレアという花だった。名前だけは聞いたことがある。いろんな色があるみたいだけど、わたしは一番綺麗な、白のアザレアを買うことにした。
それはさっき宝石の中で見た雪に引っ張られているのかもしれない。
保存できるようラッピングしてもらって、わたしは早足で家を目指す。鼻をくすぐる香りが、気持ちを前向きにしてくれた。花ってどこか、そういう力がある。
エレベーターを使って、自分の部屋を目指す。ここで暮らしはじめて、もう3年も経つ。エレベーターのボタンを押す手つきはすっかり慣れてしまって、見なくても自分の部屋がある階のボタンを押せるようになってしまった。
ポケットから鍵を取り出して、ドアノブに手をかける。
「あ、れ?」
しかし、まだ鍵を開けていないドアノブに抵抗する力はなく、ゆっくりとドアが開いてしまった。
な、なに? もしかして、鍵かけ忘れた?
それとも空き巣だろうか。
疑心暗鬼になりながら靴を脱ぐ。そこには一つ、二つ、わたしの知らない靴がすでに並んでいた。
リビングからは光が漏れていて、中からは話し声が聞こえる。
その声を聞いた瞬間、ああ、空き巣ではないと確信する。
それと同時、わたしの、すべてを奪っていった人だと、震える手のひらに汗が滲んだのが分かった。
ゆっくりとドアを開ける。
話し声がピタッと止んで、そこにいた人物と、目が合った。
「・・・・・・弓梨?」
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