第20話 無機質な殺意
どこにでもと言ったのに、ファストフード店に入ろうとするとサレアは足を止めてわたしを睨み付けた。わたしも元々入る気などなかったので、不満気に目を細めるサレアを見ると満足して踵を返す。
人混みをかき分け、反対側へ向かうため駅中に入る。長い階段を上るサレアは、まるで自分を見せつけるかのように優雅な所作で髪を靡かせた。裸足のまま歩くせいでサレアのかかとは赤くなっている。靴も買ったほうがよかったのかもしれない。サレアは気にしていないけど、見ていて痛々しかった。
自信に溢れた表情のサレアは、痛みを我慢しているのか、そもそも感じていないのか。分からないけれど、誰もがそんなサレアをすれ違いざまに見ていた。
好奇、疑心、尊敬にも似た憧れに含まれた、同情。感情の嵐が吹き荒れている。摩耗するものはない。サレアは気にせず歩く。
同伴するわたしは、少し恥ずかしかった。同時にわたしにも視線が来る。わたしはサレアのように美しくも幻想的でもない。ごく普通かそれ以下の人間が背伸びをしているだけだ。人の目を惹き付けるものなど一つもありはしない。
「ねえ、サレア」
ひとしきり歩いて、帰り道にさしかかったところで先を歩くサレアの肩を叩く。
しかし、わたしが言うよりも先にゆるやかに振り返ったサレアが口を開いた。
「お姫様みたい?」
「え」
「あたし、キレイだった?」
サレアは笑っていた。いつもの、意地悪そうな笑みではない。絵本を眺める少女のような、キラキラとした笑顔だった。
「うん、似合ってる。でも、ちょっと派手すぎるかな、やっぱり。ハロウィンはもう終わっちゃったし」
空はいつのまにか閉鎖的な灰色に染まっていた。雪が降り始めると、人通りも少なくなる。冬の静寂はいまだ健在だ。蕭々と降る白い結晶の、わさわさとした音ですら聞こえてくるような、無音。サレアの髪に雪が乗ると、海に水を一滴垂らすように溶けていく。目の前の純白を眺める。ギュ、ギュ、と。雪を踏む音がする。
淀みのないその足取りを見て、サレアは別に、自分の格好を誰かに見せたかったわけではないのだと気付いた。
「好きなの? そういう服」
「絵本に出てくるお城とか、お姫様とか、そういうのが好きでね。ずっと着てみたかったんだ。なんか、あれだね。動きにくい」
不満げに両腕をあげるサレアはどこか楽しそうだ。
「勝手に着ちゃえばよかったのに」
「見えないからって? ざくろは幽霊になったら悪さをするタイプだ」
お星様になって誰かを見守る存在には、たしかになれそうにない。幽霊や透明人間になったら、きっとわたしは、自分のやりたかったことを満足いくまで続けるだろう。
人、世間、社会。そういうものから向けられる冷ややかな視線がなくなるのなら、わたしはお星様になんてなっている暇などない。
「サレアは見られてたよ、すごく」
「知ってる。羨ましかったのかな? くひひ、なら着ればいいのにね」
「さすがに無理だよ。似合う人は限られてるだろうし。店員さんも言ってたでしょ? サレアが特別なんだよ」
「たしかに、ざくろには似合わないね、この服は」
「でしょ?」
「着るなとは、誰も言ってないけどね」
「自分が着たくないんじゃないかな」
どこか他人事のように言ってしまう自分に気付くと、それ以上会話が続かなくなってしまう。自分が嫌いだ。俯瞰した自分が嫌いだ。自分が大好きな人間だってそりゃいるだろうけど、自信もなく、鬱屈に俯いているわたしのような人間だっている。
似合わない、ふさわしくない。おかしい、間違っている。もちろん、直接言われたわけじゃない。ただ、感じる視線や触れた空気に、そういう毒気のようなものが含まれているのは事実だ。何年も前から、ずっと、それに囲まれて生きてきた。
負い目や後ろめたさを感じながらも、うるさい黙れと生きられないわたしをどうやって好きになれるというのだろう。
そんな自分がドレスを着て星を歩く姿を想像しても、心は躍らない。
「サレアは」
サレアは、どうなの?
そう聞こうとした。
わたしの目の前でサレアは立ち止まる。どうしたんだろうって近寄ってみる。
サレアの背中から、なにかが生えていた。翼でも、尻尾でもない。それらは今、隠れている。
鋭い。棒状。銀色。赤い、汁が、伝っている。
冷たい鉄が、サレアの血を吸って光っている。
それはどんどんとサレアの背中を貫いて、まるでバターに突き刺すように、奥を目指した。
ごぽ、とサレアが何かを吐き出す。赤黒い血が白い地面に落ちる。青かったドレスもどんどんと血に染まり、破れた部分から切り口が見えた。
「真正面からの接近にも気付かないとは、少し油断しすぎなんじゃないか。ヨルカトン=ヘル・アーマゲウス」
サレアに刺さった物の柄のような部分が現れると、それを握る手、次いで大きな体躯が水面に揺れるように映し出された。
え、とわたしは口にする。
それは明らかに人間ではなかった。容姿を見て判断したわけじゃない。ただ、その男から溢れ出す、無機質な殺意というものがおよそ人間の抱きうる感情ではなかったのだ。矛盾したそれは、サレアの小さな体躯を貫いても消えることはない。
「あ、さ、サレア!?」
いきなり現れた男の持った剣にサレアが刺された。その事実をようやく咀嚼すると、わたしは大きな声をあげた。
「やはり魔力も底を尽きているようだな。治癒もできないか?」
剣がサレアの体を抉っている。暴れ回る冷徹な刃に、血肉が悲鳴をあげるように飛び散っている。
「話してる途中に割り込んでくるような空気の読めない悪魔が、まさかいるとは思わなくてね」
「それは失礼。異端生物には無礼を働いてもいいものだと思っていたものでな」
男が剣を引き抜くと、サレアの体は引き裂かれた紙のように地面に落ちた。起き上がろうとするサレアの頭を、男が踏み抜く。
「警告はしたはずだ。それだけでも気は利かせたつもりなのだが、不満だったか?」
男がサレアを見下ろす。サレアは地面に体を伏せたまま、肩を震わせた。
「くひひ、不満はないよ。そっちにしてみれば、たしかに、獲物が二人も並んで歩いてたら絶好の機会だろうしね。仕事熱心でなにより、尊敬するよ。すごいね」
「貴様に称えられる器など持ち合わせた覚えなどない。それに、今から滅びる肉体からかけられる言葉など侮辱以外の何ものでもない。称えるのならせめてその口を閉じるといい」
「まだあたしに勝つつもりでいるの? 力関係もわかんなくなっちゃたか、寒いと頭も働かないね」
「ほとほと警告というものが通じないらしい。それとも、自分以外の言葉を言葉以外の雑音にしか感じていないのか?」
男が言った次の瞬間、周りに無数の人影が現れた。
そいつらは男と同じ、人間ではない。しかし、その辺をただ歩いているだけの悪魔とは違う。明らかに、上位の存在だった。
「だから貴様は異端生物に成れ果てるしかなかったのだ。哀れな悪魔よ」
「ああ、言ってたねそういえば。あんまり無愛想だから友達なんていないものだと思ってた」
「同胞だ。我々は種だ。力を合わせて成り立つのが生物だ。思考を重ね合い、遺伝子を受け継いでいくのが進化だ。貴様のような裏切り者とは違う」
周りのそいつらも、同じように剣を持っていた。切っ先をわたしに向けると、再び、無機質な殺意が研ぎ澄まされて伝わってくる。
「そこの女も、同じだ」
「わ、わたし、ですか」
つい敬語になってしまう。サレア以外の悪魔と喋るのは初めてだった。
「元人間、牡丹山ざくろ。貴様は死ぬその直前、何かが原因で魂を悪魔と分け合った。それは我々悪魔の間でも確認されている現象、生まれ違いという」
「う、生まれ違い・・・・・・?」
「そうだ。貴様は生まれてはいけない存在だ。この世界には二種類の生き物しか存在できない。そのどちらでもない貴様は、歪みとなり、いずれ世界の崩壊を招く。故にここで処分しておかねばならない。これは警告ではなく、宣告だ」
わたしを睨み付けるその瞳は、造形物のように美しい。あらゆるものを凌駕するように美しい。美しいほどに、不気味だ。
そう言っている間にも、踏みつけられたサレアが再び吐瀉物を地面にまき散らした。
いつも軽妙な佇まいをしているサレアからは想像できないほどに弱々しい。抵抗する力もないのか、投げ出された腕は雪に乗ったままピクリとも動かない。
「魔装具でも着けていれば、治癒に使う分の魔力もあっただろうに。だが、それも貴様の選んだ道だ。恨むなら自分を恨め」
サレアから流れる血は止まらない。悪魔なら、魔力があるなら、なんだってできる。そんな希望が、わたしの中から煙のようになって消えていく。
サレアが死んじゃう。
冬の冷たさとは違う寒気が、背筋を駆けた。
「聞け元人間、こいつはサッキュバスに生まれながらも精気を忌み嫌い、一切摂ろうとしなかった異端生物だ」
「え?」
ふいに男がわたしに話しかけてくる。
「喰うべきものも喰わず、生きる意味を放棄し、周囲から何度矯正されようと我が儘を通し続け、魔界から追放された魔王の娘なのだ」
魔王の娘。サッキュバス。その二つがどうにも繋がらない。しかし、だからこそ、生まれ違いなんて呼ばれ方をしているのだろう。
「異端生物の未来はただ一つ。淘汰だ。種に紛れず。種を残せず、ただ自らが抱く一方的な切望に身をかまけた末に訪れるのは何物でも無い、自然界が必要としない存在を排除するだけの淘汰が待っている。見ろ、現にこいつは、魔力も失い、飛ぶことも、傷を癒すこともできなくなりこうして地に伏せている。どれだけ偉大な魔王様の元に生まれたとしても、生まれ違えてしまえばこうも弱々しく成れ果ててしまう」
男が剣をサレアに突き刺した。サレアが雪を握りながら、小さく掠れた声を漏らす。
「だが、それはなにもどうしようもない問題ではない。生まれ違えど、矯正すればすむ話なのだ。それを拒む者は淘汰されるが、受け入れるものは、やがて世界に溶け込み、整然と生きることができる。牡丹山ざくろ、貴様もここで死にたくはないだろう」
目の前に、手が差し出される。
「貴様の心臓をよこせ」
「し、心臓?」
「そうだ。そこに、悪魔の魂が混ざっている。悪魔の力を宿しているなら、取り出すことも容易だろう」
いつかの日、サレアがわたしの胸から心臓を引っ張り出したことを思い出す。
「そうすれば貴様から悪魔の力は消え、元の体に戻れる。悪魔の力を宿していた頃の記憶は消えるだろうが、もしそうなれば、我々は貴様を殺す必要などなくなるのだ。無駄な殺生は生物としての価値を下げるだけだ。そうだろう? 我々は決して、獣ではないのだ」
「そうしたら、さ、サレアはどうなるんですか」
何を聞いているんだろう。
男の言うとおり、わたしは死にたくない。もう死にたくなんてないのだ。
心臓を差し出せば、わたしは元の人間に戻れる。この訳の分からない景色も視界から消え、これまで通りの、正直で、冷酷で、無骨な世界の元で、叱咤怒号の中、すみませんすみませんと頭を下げながら目の前の書類とにらめっこをする日々が始まる。
「サレア・・・・・・ああ、名前か。こいつは半悪魔ではない、純粋種だ。貴様のように融通は利かない」
「殺すんですか」
「言っただろう。これは虐殺ではない。淘汰なのだ」
「・・・・・・」
正直、わたしにはこの男の言っていることが痛いほどに分かってしまっていた。
間違った道、生きる意味。そういうものを背負いながら、わたしは愛というものを一心に受け、そしてまた、誰かに伝えてきた。
そういう人間は、きっと自然界からしてみれば、本当に、なにかの行き違いで生まれてしまった生き物の模造品にしか過ぎないのだろう。失敗作は処分していかなくては、埋もれてしまう。理にかなっている。頷ける。
「さあ、渡すがいい」
テーブルの上に置かれた手紙は、まるで世界からの挑戦状のようにも感じた。
理不尽なことばかり起こる社会は、世界からの怒りのようにも感じた。
殺せって言われた。
ムカつくなら殺せって、囁かれた。
その通りだと思う。口で言っても聞いてくれない。聞く耳なんて誰も持ってくれない。
喉が裂けるまで叫んでも、身が削れるまで苦しんでも、誰も分かろうとはしてくれない。
なら殺すしかない、手を出すしかない。争うしかない。互いに忌み、嫌悪し、牙を剥き陣地に引きこもったまま手の届かないところから罵詈雑言を浴びせるしかなかった。
「安心しろ、痛みはない」
自分の胸に手をやる。
こんなわたしが、できるわけがない。怯え、恐れ、戦くばかりのわたしにできることなんて一つもない。自信、自尊心、自己肯定。手の届かない場所にあるそれらは、わたしを見下ろし、笑っている。
着づらい服。着てこなきゃよかった。変に巻いたせいで、毛先が気になって仕方が無い。頬に雪が触れるたび、メイクが落ちるんじゃないかって気が気でない。
今のわたしは、少し着飾りすぎている。スーツじゃない、弓梨に言われたかわいい服でもない。背伸びをした、ちょっとオシャレで、大人っぽい、本当にわたしのなりたかったわたしだ。
わたしのしたいことってなんなんだろう。押しとどめていたわたしの心ってどこにあるんだろう。
足下で倒れているサレアを見下ろす。
サレアの言うとおりだ。
わたしはやっぱり、見守るだけの星にはなれそうにない。
泥臭く、息を荒げて、歯を食いしばって、妬み苦しみ羨み悲しみながら、これまでの自分ができなかったことを、やってみたい。
男と目が合う。
その瞳は悪魔らしく冷徹な殺意を帯びているが、そこに映るわたしもまた、悪魔のように、不適に笑えているのかもしれない。
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