第19話 どこでもいいから連れてって

「これなんかどう? 黒系の意外と似合うと思うんだけど」


 サイズはSのものを選んだけど、痩せ型のサレアには少しゆったりしすぎているかもしれない。後ろに紐を通せばピッチリ締まるかもしれないけど。


 サレアは服を受け取ると飛びながら袖を通し始めた。


「え、え」


 その様子をわたしが口を開けて見ていると、首をスポンと出したサレアがくすくすと嗤いながらわたしを見下ろした。


「透明人間じゃないんだから、服だけ浮いて見えるなんてことはないよ」

「そ、そうなんだ」

「魔力で可視できないようにしてるだけだから服もちゃんと消えるよ」


 着替え終わったサレアは両腕を広げて「どう?」と首を傾げてみせる。思ったよりも乗り気なサレアがかわいい。今朝も思ったけど、やっぱりサレアはメイクやファッションに興味があるのかもしれない。


 履いてないように見える股下には言及をしないでおき、率直な感想を述べると、サレアには黒系はあまり似合わなかった。魔装具と呼ばれる普段の格好が黒だからいいかなと思ったけど、あれは特有の禍々しさがあったから映えていただけみたいだ。それに似たものを探すとなると、コスプレショップにでも行かないといけない。


「他のにしようか」

「似合わない?」

「他にいいのがあると思う。着ぶくれしないような冬コーデとか。ほら、このノーカラーのコートとか」


 わたしが広げていると、サレアは器用に袖を通す。


 うーん。色合いは合っているんだけど、角張ったシルエットがあまりサレアらしくない。淡い色でなおかつ、丸みを帯びた服を探すことにする。そうなると、ワンピース系統の方が似合うだろうか。それならばわたしの専門分野なので任せて欲しい。


 ――ざくろは小柄なんだからワンピースにしときなよ。


 専門分野、というには少し受動的すぎただろうか。空気を吸ってるからといって空気に詳しくなるわけじゃない。わたしは結局、弓梨の言いなりになって、弓梨の欲した人物になりきっていただけだ。


 それが心地よかったのも事実だったし、指示に従って服を着ればかわいいと言ってくれるからつい嬉しくなってしまったのだ。


 ケーキのロウソクに火を灯すように、自我は明るく、溶けていく。いつかの自分を忘れて、その手に撫でられたら、満足してしまう。


 単刀直入に物事を告げる弓梨の佇まいが好きだった。けど、それは今思えばわたしのことを人形としか思っていなかったのだろう。なんでも思い通りになる人形で遊ぶのは、最初のうちは楽しい。けど、いつしか生の感情と肉声が欲しくなるときが来る。それが去年の冬のことだ。わたしはあっという間に捨てられてしまった。


『・・・・・・男の人だよ』


 それがまるで、お前はいつまで人形のままなんだと言われているようで、辛かった。


 好きになられることに必死なわたしと弓梨の間には、大きな溝がある。その温度差が、わたしの心を死体のように冷たくしていったのだ。


 わたしの着ていたような白のワンピースをサレアに着せる。襟元に白のレースが付いていて、ボタンまでもが白に染まっている。ホワイトストーンを思わせる明るい色はすごくキレイだ。体躯にピッチリと張り付くようなデザインもサレアに合っている。胸元もキツくなさそうだ。ああいう服は、手を上げたりする動作がしづらくて仕方がない。


「どう?」


 聞くと、サレアはやはり口元を三日月のように歪めながら言った。


「似合わないね」

「そう?」

「あたしに服を着せたいならもっとふさわしい服を持ってきてよ」


 箱入り娘のようなことを言い出した。いいけどさ。


 誰かに何かを頼めるような物言いはわたしにはできないものだ。お願いとも指示とも違う中間に置かれたそれを、わたしは図々しいと呼んでしまうが、他の人からすればそれは至極当然のコミュニケーションなのだろう。負い目ばかり感じて生きてきたわたしとの違いだ。


 わたしも、自分の思いを喉が焼けるまで叫べるようになれたら、もう何かを失うこともないのだろうか。


「これもやだー」


 サレアはすっかり味を占めたみたいで箱入り娘を楽しんでいた。わたしが何を持ってきても首を横に振る。わたしが少しでもため息をつけば、楽しそうに笑う。いい性格をしてる。かわいければ何をしても許されると思っているんじゃないだろうか。


 ワンピースもダメ。部屋着みたいなパーカーもダメ。レザースタイルのなんかもう、ライダースーツみたいな服もダメ。これはダメでもいいけど、さてさてこのお姫様を満足させるには骨が折れるとわたしもごっこ遊びに付き合ってあげる。


 お姫様、お姫様か。


 わたしは面白半分、そしてもしかしたら一番似合うかもしれない半分で、奥の特設コーナーから服を持ってきた。大きすぎて、持つとわたしの体が八割埋まる。


「くひひ、今度は何を持ってきたの?」


 余裕綽々とするサレアの前にわたしが突きつけたのは、ドレススタイルのワンピースだった。ドレススタイルとは言っても、ほとんどドレスみたいなもので、どこかのブライダル企業とブランドのタイアップ商品だ。普段使いできるように露出は少なめだが、青を軸にした色合いは、少々カジュアルというか、まるで絵本の中に出てくるお洋服みたいだった。


 売れ行きは余り具合から言って微妙なところだろう。決して悪いデザインではないのだけど、着るには勇気がいる一品だ。


「どう?」


 これでサレアがどう反応するかが楽しみだった。頬を赤らめて恥ずかしがってくれたらかわいいし、いつものように笑われてしまったらそれまでなんだけど。


 サレアは特に目立った反応は見せず、黙ってその服に頭を突っ込んだ。


 スポンと出てきたサレアの頭。髪は乱れ、長い前髪が鼻先で解れている。左右非対称になったシルエットはフランス人形のようでかわいらしい。わたしとは、貫禄が違った。


「ご感想はどうでしょうか、お姫様」


 わたしはあえて芝居がかった言葉でサレアの手を取ってみる。触れた手はとても小さく、雪を掴んだかのように冷たい。


「サレア?」


 しかし、話しかけてもサレアはぼーっと鏡に映った自分を見ているだけで返事をしない。


「どうかされましたか? お客様」


 それでわたしまでもぼーっとしてしまったものだから、心配した店員さんから声をかけられてしまった。


 虚空に話しかけるわたしはどう見ても変人だ。なんとか弁解しようと口をもごもごとさせるが、店員さんの視線はわたしの後ろにあった。


「よくお似合いですよ。もしかして、外国の方ですか?」

「え?」

「すみません、すごく素敵な髪色だったので。サイズはいかがでしょうか」


 店員さんはほころんでからサレアに話しかけた。


「大丈夫、ピッタリだよ」

「それはよかったです。派手めなので着るのが難しいんですが、ここまで映えるのはお客様が初めてですよ」

「くひひ、それって褒めてるの?」


 サレアは店員さんの顔を覗き込むようにして笑う。店員さんも驚きからか顔を赤くして黙ってしまっていた。


「お、お会計でお願いします。これ、このまま着ていくので、値札だけっ。ほら、サレア、行くよ」


 小さな手を引っ張る。シースルーになった腕の部分は星が散りばめられているような柄になっていて、そこから伸びた手は、細く、頼りない。本当に、お姫様みたいだ。わたしは到底、王子様にも執事にもなれない。なる気もないんだけど、となると、わたしは召使いか、平民だ。生まれた時からすでに壁で隔てられた存在が結ばれる、そういう物語は嫌いじゃない。


 サレアはわたしに手を引かれると、つま先で歩いて付いてくる。会計を済ませて、店の外に出るとどっと疲れが押し寄せてくる。


「私以外にもやるんだね、あれ」

「あれって?」

「顔を近づけて、ぐーって。下から見てくるやつ」

「してほしくない?」

「・・・・・・しないほうがいいよ。びっくりしちゃうから」


 言うと、サレアの顔が視界に突然現れて、長いまつげに覆われた瞳がわたしを見上げる。そうされると、わたしもあの店員さんみたいに黙りこくるしかなかった。


「ねえサレア」

「どこか行こうよ」


 そんな服でよかったの? 


 そう聞こうとする前に、サレアの言葉に遮られてしまう。


「まだまだ時間はあるでしょ?」

「まあ、あるけど。どこ行くの?」

「どこでもいいから、あたしを連れてって」


 今度はサレアがわたしの手を握ってくる。連れてってと言っているくせに、わたしを連れ歩く気満々だ。


 窓ガラスに映るわたしとサレアの姿は、一際目立っている。サレアも、そしてわたしも誰かに見られている。突き刺さるもの。抉られるもの。山ほどあった。


 誰かに見られるためにメイクをして、服を着ているのに、誰かの視線を忌避してしまうことがある。見て欲しいという思いと見ないで欲しいという思いは、きっとわたしの理想と現実と、尻すぼみな勢いが生み出しているのかもしれない。途端に人の視線が気になりはじめる。どこか変じゃないか。やっぱり目元とか、いじりすぎたんじゃないか。コーデもよく見たら似合ってないんじゃないか。知り合いとうっかり鉢合わせたら笑われるんじゃないか。


 心が錆び付いていくかのように鈍重になる。


 俯くと、そこにはわたしの手を引くサレアがいる。


 サレアの格好も奇抜の奇抜だ。正直、家で着る分にはいいけど街中で着るようなものじゃない。今だって好奇の視線がこれでもかというくらいに集まっている。


 確かにその服はかわいい。でも、かわいすぎる。そのかわいさは誰もがとっくのとうに捨てたものだ。現実離れしている、常識的じゃない。誰もそんなもの着ていない。磔にされた価値観は、決して変わることはない。


 それでもサレアは顔を下げることなく、心なしか足取りは弾んでいる。


 姿だっていつのまにか見えるようにしてくれてるし、それはきっと、かわいい服を着たかわいい自分を見て欲しいということなのだろう。


 わたしにはそんな図々しいというか・・・・・・自信に満ちあふれた行動はできない。


 でも、そんなサレアの後ろ姿は、手以外のものも引いてくれる、そんな頼もしさがあった。

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