第15話 夜を裂く

 家には自分で帰った。魔力の余韻があるせいか、わたしは普段の倍以上の速度を出して走った。壊れたゼンマイおもちゃのようで不気味だったけど、疾走感と共に駆ける外の景色はプラネタリウムのように綺麗だった。


 マンションの階段をスイーッと不自然な挙動で昇ると、わたしの部屋のドアが自然に開く。投函口に投げ込まれるチラシのように、わたしは玄関で伸びていた。


「おつかれざくろ。感想は?」

「げ、激動の一日」


 無事仕事を全部終わらせたわたしは、寝起きのようにぼーっとしていた。無理に動かした手足に筋肉痛のようなものは感じないけれど、頭に余熱が残ったようにのぼせている。


 リビングまで匍匐前進で向かい、リモコンで電気を点ける。部屋の中はまだ掃除が行き通っておらず今朝食べたトーストの食べかすが椅子の取っ手に乗っかっていた。


 幸い明日は日曜日だ。掃除はそのとき、ゆっくりやろう。


 ソファの真下で、仰向けになる。何かをやり遂げてしまうと、目的地を失ったかのような虚無感が胸中に渦巻く。これからどうすればいいのか、あれでよかったのか、納得に近いものは生まれず、延々と同じ場所を行ったり来たりする。その先に答えがないと分かってはいつつも、無駄なこの時間が疲労しきった心を癒やしてくれる。


「結構上手だったよ、魔力の使い方。すごいじゃん」


 サレアに褒めれても、本人は人を小馬鹿にするように笑っているのでそれを真に受けることができない。いっそ下手くそノロマと罵ってくれたほうがいいのだけど、それを口にするのは少々危ない気がして口をつぐんだ。


「ホットケーキも十倍の速度で作ってよ」

「絶対焦げちゃう」


 真っ黒のフリスビーが百枚できあがって、サレアはそれでもいいのだろうか。全部たいらげたあとに、絞め殺されそうだ。


「ゆっくり作らせて。あと、素もそんなにないから多くは作れないよ。冷蔵庫には昨日のスープの余りがあるはずだけど」

「それはいらない」

「そうですか」


 お嬢様みたいだ。となるとわたしはメイドさん? 誰かに仕えるほどの忠誠心がわたしにあるのだろうか。


 わたしにあるのはもっと薄汚い、独占欲とか承認欲求とか、そういう粘ついたものだけだ。悲しいことに。縋るときにしか使えないその感情は、平常時はできれば蓋をしておきたい。


 よっこいしょと体を起こして棚からホットケーキの素を出す。するとそのとき。


 ピンポーン。


 と、チャイムが鳴った。


 誰だろうと思いカメラを確認すると、そこにはそわそわと落ち着かない様子の虎刺さんが映っていた。


 あれ、なんで虎刺さん?


 疑問に思いつつわたしはエプロンを外してドアを開ける。


「あ、ち、チッス!」


 どうしたの?


 そう声をかける前に虎刺さんが飛び上がった。


「あ、あの! 付けてきたとかそういうんじゃなくて! 会社に行ったらもう鍵が閉まってて田代さんがちょうど来てくれてでも先輩がいなくて電話もでなかったから社長室にあった面接の書類から住所調べさしてもらってまだここにいてくれてよかったですこんばんわっす!」

「え、ええっと?」


 虎刺さんは目をぎゅっと瞑って捲し立てるように話す。腰を深く折って何度何度もお辞儀をしていた。


「虎刺さん落ち着いて。えっと、わたしの家は、面接のときの書類で調べたって?」

「は、はいっす! 先輩変わらずキレイでした! 髪伸ばしたんすね、じゃなくって、勝手に見てすみません! 住所しか見てないんで!」

「それはいいんだけど、それで、どうして急に? 用事があるなら電話でも」


 そこまで言って気付く。そういえば作業の邪魔になるかもと思ってスマホの電源切ってたんだった。


「あ、あの、すぐに伝えなきゃいけないことがあって」


 虎刺さんは思い出すように首を傾げてから、指折り数えていた。そこには伝達を任された事項がうねうねと浮かんでいるのだろう。


「さっき田代さんが社長の家に殴り込みにいったんっすよ」

「そうなんだ殴り込みに・・・・・・ええ?」


 いきなり物騒な話だった。


「やっぱり先週の労働量とかがおかしいって、働かせすぎだって、直接言いにいったみたいで、それで社長を言い負かすことができたらしいんす。そんで、田代さんが一度会社に戻って社長に頼まれた書類を取りに行ったら、私とばったり会ったって感じで」

「言い負かしたんだ」


 まあ、田代さんも社長に負けず劣らず声は大きい。言い合いの場を想像すると、ぞっとしない。


「一応来週から一人一人順番で有給を取っていこうって話になって、まずは先輩を休ませようって、田代さんが」

「え、田代さんが?」

「はいっす。また体を壊して早退されても困るからって。先輩、体の調子は大丈夫っすか?」

「うん、それは大丈夫」

「よかったっす! それを今日のうちに伝えておきたくて」

「そっか、ありがとね、虎刺さん。でもそれなら日曜日に電話でもよかったのに」

「あ、いえ。実は用事はそれだけじゃなくって」


 虎刺さんは手に持ったもこもこを渡してくる。受け取ってみると、それはわたしのマフラーだった。


「返しそびれちゃって。先輩、あの日は手伝ってくれてありがとうございました」

「全然いいのに。わたしこそごめんね、地面をその・・・・・・引っぺがしちゃって」

「あはは! 大丈夫っす! 痛快でした!」


 訝しまれると思ったが、虎刺さんはいつも通り、快活に笑い飛ばしてくれた。


「それに今日会社に行ったら処理し終わった書類がドッサリ置いてあって、田代さんと一緒に驚いてました。すごいっすね・・・・・・あれもその、ドワーってやったんすか?」


 ドワー、草むしりのときのことだろうか。


「う、うん。あの、そのことは一応内緒にしておいてもらっていい?」

「えー、どうしようかなあ」


 内緒にしてと頼まれることは予想済みだったのか、用意したような表情で見上げられる。


「じゃあ、私のこと名字じゃなくって、名前で呼んでください!」

「え、それだけでいいの?」

「はいっす」


 なんだ。てっきり身代金でも要求されるのかと思った。


「ええっと」

蓮花れんげっていいます」

「あ、そっか。蓮花さんね。ごめん、ロッカーで文字は見たことあるんだけど読み方が分からなくて」

「大丈夫っす! それに、呼び捨てでいいっすよ」

「それは、同僚としてどうなんだろうね・・・・・・。じゃあ普段は蓮花って呼ぶけど、会社では今まで名字呼びで。それでもいい?」

「・・・・・・! あ、ありがとうっす!」


 なんの間だろう。虎刺・・・・・・蓮花は花が咲くようにぱあっと笑った。


「あんまり名字が好きじゃなくて」


 頬をかく蓮花はどこか照れているようにも見えた。


 別に変だとは思わないけど、珍しいのは事実だ。


「わ、私も・・・・・・!」

「うん」

「・・・・・・・・・・・・!」

「え、なになに?」


 前のめりになったまま口がもにょもにょとしていて面白い。蓮花は首をぶんぶんと横に振って元の位置に戻った。


「なんでもないっす! 用事はこれだけなんで。突然お邪魔してすみませんでしたっ!」

「ううん、わざわざありがとう」


 今気付いたけど蓮花はやけに軽装だった。ワインレッドのセーター一枚で身を包み白い息を吐き出している。足踏みを初めて、それからピタっと止まる。


「あの、先輩」

「なに?」

「仕事、辞めたりしないっすよね」

「え」


 いきなりどうしてそんなことを聞くのだろう。


「どうだろうね。辞める気はないけど、社長にあんなこと言ったから、クビかも」

「・・・・・・そ、それは嫌っす!」


 蓮花が犬みたいに飛びついてくる。


「もしかしたらの話だよ」

「もしかしてもっす! もしそんなことになったら、今度は私が社長と戦うっす!」

「ええ!? そんなことしなくていいよ」

「平気っす! 私、学生の頃は陸上やってたんで、えっと、その・・・・・・長距離は得意なんで!」


 社長と追いかけっこでもする気なのかな。


 陸上部らしい、短い前髪が風に揺られて靡いている。


「いいよ、別にわたしがいなくなっても会社にとってどこまで痛手じゃないだろうし」


 いつも怒られているような足手まといなわたしだ。いなくなって清々する。目障りな人間がいなくなる。役立たずが消える。もしかしたらその方が、会社のためにもなるのかもしれない。


 どうせわたしは一人だ。冷たい世界で抗うことを諦めたどうしようもなく弱い人間だ。だから毎日のように怒られるし、愛想を尽かされて好きな人にも逃げられてしまう。


 わたしの末路なんて、きっと道路に寝そべって泣いているくらいが丁度よかったのだ。


「そんなことないっす!」


 蓮花が一際大きな声をあげる。


「そんなことないっす、先輩がいなくなったら、痛いです、通風です!」

「通風って」


 ビールは苦手なんだけどな。


「わたしがいっつも怒られてるの見てるでしょ? ミスばっかりだし、すぐ風邪も引くし、わたしは邪魔なだけだよ」

「違います! 先輩が怒られるのは、みんな先輩に頼りすぎてるだけっす! なんでもかんでも先輩に押しつけて、先輩、どんなに責任感のある仕事でもやってくれるから、それでいつのまにか先輩に頼り切りになって、先輩ばっかりがやるようになって・・・・・・! 今じゃ先輩にしか分からない仕事ばっかりじゃないですか! それでしわ寄せがいって、また先輩が怒られて、先輩は悪くないのに・・・・・・!」

「だからそれもわたしが未熟だから」

「絶対違うっす!」

「蓮花・・・・・・」


 どうしてこの子はこんなにも一生懸命なんだろう。ハッキリと否定できる姿は、少し羨ましい。波に流れていくだけのわたしとは違う。それも性格とか、生き方とか、そういう直しようのないものから来ているのかもしれない。


「絶対絶対、違うっす! だって先輩を褒めてる人もたくさんいます! みんな嫉妬して先輩本人には言わないかもしれないけど、更衣室で、そういう話してるの、私聞いたっす! 先輩頑張ってるって、いい新人が入ったねって」

「・・・・・・そう」

「私だって、先輩がいたから頑張れた! ほんとは社長に草むしりを命じられたあの日、もう本当に悲しくて、苦しくて、悔しくて! 仕事なんか辞めたいって思った! もう、どこかに消えてしまいたいって、真っ暗な気持ちになった! でも、先輩が声をかけてくれたから踏みとどまれた! 先輩の巻いてくれたマフラーが温かかったから、絶望せずに済んだ! まだ、こんな風にあったかい場所があるんだって」


 蓮花は泣いていた。


 なんで泣くんだろう。


 悲しいことなんてないのに。


 なんでわたしのために、そこまで怒ってくれるの?


 だってわたしはなにもできやしない、ただの役立たずなのに。


「先輩が必要なんです!」


 夜を裂くような声だった。


「私には先輩が必要です! 会社には先輩が必要です! みんな、先輩を必要としてます! 先輩、先輩はすごい人なんです! 先輩じゃなきゃできないことがいっぱいあります! だからどこにも行かないでください、先輩・・・・・・!」


 震える唇を押さえ、その声を受け止める。


 大きいな。


 でも、広い。どこまでも続き、何もかもを蒼に染めていく、広大な空みたいな、声だ。


「もし先輩ばっかりに仕事が行くようだったら私が手伝います! 先輩が今度誰かに理不尽な怒られ方してたら私が加勢します! 任せてください! 私、もう逃げないって決めたんで! あの田代さんだって、怒りすぎっすよね! なんであんな言い方しかできないんだろう! 嫌味っぽいっていうかなんていうか、それも私がなんとかします! 殴り合いになったって構いません! それだけのものを、先輩から貰ったんです」

「・・・・・・草むしりしただけだよ。借り物の、力だよ。所詮」

「でも、誰かを思いやる気持ちを思い出しました。誰かに牙を向けてばかりの日々の中で、大事なことを先輩から教わりました」


 わたしが、誰かを思いやる? でも・・・・・・。


「私、そういう人間になりたいっす。先輩みたいな、誰かの心の支えになれる人間に」


 顔をあげた蓮花は晴れた表情をしていた。


「長居しちゃってごめんなさい。それじゃあ先輩、おやすみなさいです。本当に、ありがとうございました!」


 真っ直ぐ、そう言い切って、蓮花は小走りで消えていく。


 わたしはドアを閉めて、壁に寄りかかっていた。


 淡い照明が、今はやけに物足りなく感じてしまう。


 シャッターを切るように投影された静止画が、脳裏に漂っている。モノクロのフィルムは焼け付いたように滲んでいる。そこに色などない。多くの叱咤怒号が記憶を嫌なものへと変えていく。見たくないものばかりのアルバムは、燃やしてしまっても構わない。


「どうしたの? ざくろ」


 サレアがよりかかったまま動かないわたしを不思議そうに見下ろしてくる。


 わたしは照明を見つめたまま、答えた。


「言ってくれないとさ」

「うん」

「言ってくれないと分からないよ、そんなの・・・・・・」


 瞬きをするたびに、まつげについた水滴が視界を潤わせていく。


「だってずっと、一人だって思ってた。わたしなんて、なんの役にも立てないんだって、思ってたのに」


 それなのに。


『先輩が必要なんです!』


 わたしは気付けば、誰かに必要とされていた。蓮花の言い分からして、それはずっと、ずっと前から。


「ざくろ、泣いてばかりじゃ水分なくなっちゃうよ?」

「うん、うん・・・・・・でも、ごめんね、今は・・・・・・」


 どうにも、泣きやめそうにない。


「サレア」

「なぁに?」


 わたしはこぼれる涙を手で拭うこともしないまま、喉を震わせた。


「死ななくて、よかった」


 この体がなかったら、どうなってたんだろう。何も知らないまま、悔し涙を流したまま、四肢を引き裂いて、真っ赤に染まって、気付きもしないまま、最後まで憎んで怯えて悔やんで、死んでいただろうか。


「わたし、なんであんなことしたんだろう」


 それを想像すると、怖くて足が竦んでしまう。


 屈んで頭を抱えるわたしの目の前に、サレアのつま先が見える。


「よかった・・・・・・死ななくて、よかったよぉ・・・・・・」


 泣きじゃくりながら、何度も安堵した。


 いまだある意識と体に、感謝をした。


 本当に体の水分がなくなるんじゃないかと思うほどに、わたしは泣き続けた。


 その間、サレアは一言も喋らなかった。

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