第14話 血も涙もある
「くひ、くひひひ」
土曜日。わたしは大量の書類に囲まれていた。
「わ、笑わないでよ・・・・・・」
「だってざくろ、自分で自分の首を絞めてるんだもん。そんなことしてなにが楽しいのかなって思って」
「別にそういうんじゃないってば」
本来休みである社内はひどく静かだ。紙をめくるだけでも幕が開いたかのような大きな音がして、どうにも落ち着かない。やはりというか、終わらせなければならない仕事は山どころか宇宙ほどもあって、ああ宇宙ってどこまで続いてるんだろうやっぱり無限なのかな、なんて考えたあとに机の上を見るとそのまま気を失ってしまいそうになる。
サレアの言うとおり、なんであんなこと言っちゃったんだろうと憂える。社長に刃向かう勇気も度胸もないはずなのに。つい口走ってしまった自分の唇 に触れるといやにかさついていた。
リップを塗ってから天井を仰ぐと、さあやるか、という気分にはなれなかった。
正直、この体なら何をしたって楽勝だろうと思っていた。しかしサレアの言うとおり魔力というのは無限ではないらしく、ここのところ無理をさせすぎた体は明確にSOSの鐘を鳴らしていた。
だ、怠い・・・・・・。
それに頭が痛い。常にお腹がぎゅるぎゅる鳴って胃がキリキリと締め付けられるようだ。食べ物を食べても、その苦痛は治まらない。魔力を欲しがっているのかもしれないが、わたしにはそれを摂取できる気管がないらしいので、自然回復を待つしかないとのこと。
「悪魔なのに悪魔っぽいことしないからそういうことになるんだよ」
「悪魔っぽいことって、なに?」
「例えば人の寿命を奪うとか、家を燃やすとか、あとはそうだね、意味もなく虐殺してみたり」
「ええ、無理だよそんなの・・・・・・サレアはそういうことするの?」
サレアは空中で一回転して、逆さまのままわたしを見た。
「くひひ、怖い?」
「いや、うーん・・・・・・どうなんだろう。怖いというか、よくないなーって」
わたしがどうこう言える問題じゃないのだろうけど、黙って肯定するのは難しい。
「それよりもわたし、サレアのこと怒らせちゃったと思ってた」
「怒る? どうして?」
「前にサレアが、その、なんかしようとしてたからわたし邪魔したでしょ? そのとき、サレアがわたしのこと睨んでたから・・・・・・」
「なんだ、そんなこと。大丈夫だよ。あたしは全然怒ってない。ちょっと殺しちゃおっかなって思っただけで」
それってやっぱり怒ってるってことなんじゃ・・・・・・。
「やっぱり、悪魔っぽいことしなくちゃダメなのかな」
言ってしまえばこの力は借り物というか、棚から落ちてきたぼた餅を拾い上げただけのものだ。それをわたしがなんのリスクもなしに、というのは少し都合がよすぎる気がした。
「本当はね。でもいいんじゃない? 悪魔の道を外れるのもまた、悪魔の所業だよ」
サレアは意外にも肯定的な意見をくれた。
特にその辺はこだわる必要はなというか、どちらかといえばモラルの問題なのだろうか。悪魔のモラルとは。
「にしても、それは今日中に終わるの?」
サレアが山積みになった資料を見て首を傾げる。
「正直、終わらないと思う。処理は全部同じだから難しくはないんだけど、十人以上の仕事だからね。さすがに量が多すぎるよ」
社長は機嫌が悪いと無理難題を押しつけてくる傾向がある。社長からしたら仕事を終わらせられるかどうかはどうでもよく、その人が困り果てさえすればそれでいい。社長はそういう人だ。
話し合いや譲り合いの存在しないやり口はどうかと思うけど、分かっていながら突っ走ったのはわたしだ。虎刺さんがいる手前、先輩面でもしようとしたのだろうか。
今までそんなこと一度もしたことないのに。なんでだろう。
「あたし、はやくざくろの作るホットケーキが食べたいんだけど」
「あ、そっか。最近全然作ってないもんね。好きなの?」
「食感がね、腸みたいで」
なんの、とか、そういうのは聞かないでおこう。
それにしても、サレアがこっそりわたしの料理を楽しみにしてくれているとは意外だ。サレアは確かめるように食べ物を物色しているけれど、そういえばホットケーキだけはもぐもぐと普通に食べていた記憶がある。
「いいこと教えてあげよっか。ざくろ、このあいだ足を速く動かしたでしょ?」
「火曜の朝のこと?」
「そう。それと同じ要領で手も速く動かせるよ、当然だけど」
「手も? そうなんだ」
まさかゴキブリみたいに地面をカサカサ這って帰れとでも言うのだろうか。
そう思ったけれど、よく考えたら合致がいった。
「そっか。手を速く動かせれば、この仕事も片付けられるんだ」
サレアは頷く。
「魔力を注ぎ込めば十倍の速度を出すことも可能だよ。ざくろの力じゃ同じ作業の繰り返し程度にしか使えないだろうけど」
「ううん、日付ごとに分けて、クリップで留めてくだけだから難しいことじゃないよ」
「それならできるね。まあ、うまく制御しないとざくろの頭が焼き切れちゃうだろうけど」
「こ、怖いこと言わないでよ」
「あたしがきちんと持ち帰るから大丈夫」
「なにを!?」
くひひ、とサレアが笑う。
でも、どっちにしてもやるしかない。やるしかない? 本当に?
ここでやーめたと放り投げてもわたしが来週社長に怒られて、またみんなが残業の日々に戻るだけ。わたしがもしここでがんばるぞって背筋を伸ばしたら、みんなは残業しなくて済む。失敗すると、持ち帰られちゃうらしいけど。
リスクとリターンは前者のほうがバランスが取れている。後者を選ぶ理由は、特にない。
「うん、わかった。やるよ。わたしも早く帰りたいし」
あれ。
帰ってやることなんてあったっけ。待ってくれてる人ももういない。そもそもわたしの生きる楽しみってなんだったっけ。
「じゃあ教えてあげるから、こっち向いて」
サレアが降りてきて、わたしの頬に手を添える。爪が赤い。ネイルだったら是非行き着けのお店を教えてもらいたいところだが、そうではないのだろう。
「ざくろにできるかなぁ」
「不安になるからやめてよ・・・・・・」
「くひひ、失敗したら死ぬまで動き続けるからね。止めてーって、言う暇もないから」
ぞぞぞ、と背筋が凍る。
でも、サレアならなんとかしてくれそうな、そんな期待もしてしまう。
「ねえサレア」
見つめ合ったまま、わたしは言う。
「昨日さ、わたしのこと押してくれてありがとう。最初はなんてことしてくれたんだって思ったけど、あれは勇気づけてくれたんだよね、きっと」
わたしは多分、最初から社長に言ってやりたいという気持ちはあった。でも、そんなこと言う勇気なんてないから、尻込みしながら傍観することしかできなかったんだけど。
サレアがわたしを社長とごっつんこさせてからは、わたしもやるしかないという気持ちになれた。
「違うよ、あたしはただざくろの困った顔が見たかっただけ」
「それでも、ありがとう」
サレアがそう言っても、わたしが救われたことは事実だ。
「ふーん、いいけど。じゃあお礼に、ざくろは何をしてくれるの? 手を食べさせてくれるの? それとも足? 舌?」
「え、そんなのだ、ダメだよ!」
「くひひ、悪魔にお礼をするってそういうことだよ」
恐ろしい。麻酔はしてくれるのだろうか。そういう問題じゃないか。
でも、サレアはこうして今もわたしに魔力の使い方を教えてくれようとしている。早く家に帰ってホットケーキが食べたいからというのもあるからかもしれないけど。
「ねえ、サレア」
「なに?」
わたしのこめかみを手で押さえるサレアに、問いかける。
「どうしてサレアはわたしのことを気にかけてくれるの?」
サレアとの出会いは突然だった。最初は田代さんを殺せとか、そんな物騒なことを言ってきたことが始まりで。でもそのあとはわたしにいろんなことを教えてくれたりした。
わたしにはサレアがそうやって平気で人を殺したりするような悪魔には見えなくて、つい助けられているような気持ちになってしまっていた。
「ほら、目瞑って」
サレアに言われた通り、視界を閉ざす。すると頭の中に熱いものが流れ込んできて、その流れに沿うように意識を向けると、手が自動的に動き出す。筋肉や神経で動かしているような感覚とはまるで別物だった。
会社に遅刻しそうになったときに走ったあの感覚に似ている。これが魔力で動かすということなのだろうか。
やがてわたしの意識は朦朧としていき、動かす指先だけに集中するようになる。
「ざくろがどうなろうが興味ないよ。あたしは悪魔だからね、くひひ」
眠りに就くような心地の中で、そんな声が聞こえた。血も涙もない。そういえば悪魔って血出るのかな。・・・・・・泣くの、かな。
考えながら、落ちていく意識に従う。
フッと暗闇に落ちる際。
頭の上に優しい感触が乗った。そんなような、気がした。
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