第8話 心臓を潰す
ここは倉庫だ。周りは物ばかりで、人はいない。
けど、声は確実に、わたしめがけて飛んでくる。
「だ、だれ?」
聞いたことのない声に、わたしは戸惑ってしまう。
辺りを見渡しても、人影はやはりない。それでも、声は聞こえ続ける。
『殺しちゃったほうが早いよ、お姉さん』
「ちょっと牡丹山さん? そんなところでなにしてるの? 話はもう終わったんだったら戻ってきてよ」
現れたのは田代さんだった。わたしがあまりにも戻るのが遅いから心配・・・・・・のわけないか。
きっと小出さんになにか言われ、渋々呼びに来たのだろう。
「ご、ごめんさい。すぐ戻ります」
目元を拭って、田代さんを追う。
「えっ?」
「・・・・・・なに?」
思わず声を出してしまうと、田代さんも戸惑ったように足を止めてこちらに振り返る。
すると田代さんの後頭部を追うように、影がくるりと回った。
田代さんの背後にいたのは、雪のように真っ白な髪をした少女だった。目元は猫のように鋭く、どこか絵本に出てきたチェシャ猫を連想させる。紅色の瞳は蛇のような瞳孔を持ち、口の端には鋭い牙が見えている。
なによりも驚いたのが、その少女の背中には黒い翼が生えていて、しっかりと宙に浮いていることだった。
『コイツだよ、コイツ』
声の主は、やはりその少女のようだった。
少女は田代さんの後頭部を指さしながら、口を三日月のように歪ませて笑っている。
『お姉さん怒られてたでしょ? その箱使ったの、コイツだよ』
「え、田代さんが?」
「は? なに?」
「あ」
田代さんが怪訝にこちらを見て、わたしの視線を追う。しかし、田代さんは飛んでいる少女を通り過ぎてそのまま一回転、わたしのところへ戻ってくる。
もしかして、見えてない?
この光景には見覚えがある。そうだ。今朝もこんなことがあった。
ってことは、この少女も、もしかして、あの化け物たちの仲間ってこと? それにしてはやけに人間っぽく、かわいらしい容姿をしている。しかし、人間っぽいといってもそれは形だけで、幻想的なその色合いは、現実で見られるようなものではなかった。
少女は企むような笑みを浮かべたまま、どこからともなく宝石のようなものを取り出して、わたしに見せてきた。
『ほら、このおばさんの姿もバッチリ映ってる。お姉さんは悪くないよ。悪いのはぜーんぶ、このおばさん』
そこに映し出されていたのは倉庫で一人、箱を出している田代さんの姿だった。
田代さんは箱を怠そうに引っ張りだそうとしているが、途中で面倒になったようで、手前の箱を持って倉庫を出て行ってしまった。それは、洗っていない箱だ。
倉庫には金曜日にしか入ってこないクリーニング屋さんの荷物も置いてあるので、その映像がいつのものなのかはすぐに分かった。
じゃあ、今回クレームをもらった学校の荷物を担当したのは・・・・・・。
「あ、あの。田代さん」
「悪いけど急いでるから、用事なら早く済ませて」
田代さんの鈍重な瞳がわたしを睨み付ける。
「クレームをもらった学校の荷物、田代さんが用意してませんでした?」
「はあ!?」
言うと、田代さんはなにかに弾かれたように大きな声を出した。
「証拠はどこにあるの!?」
「え、それは・・・・・・ないですけど」
少女が見えないのなら、映像の映る宝石も視認できないだろう。
「じゃあただの言いがかりじゃない。やめてくれる? あたしは金曜日忙しくてこんな倉庫来てる暇なかったんだから」
そう、だったかな。
田代さん、たしか金曜日は手が空いてるから、他の人の手伝いを主にやってたはずなんだけど・・・・・・。
「あんたも覚えてるでしょ、あたし夕方は中村さんと社長室の掃除してたし、それに――」
「あ、ご、ごめんなさい。べつに田代さんのせいにしたわけじゃなくて、ただ、そうだったら、申し訳ないって思って、わたしがうまく説明できなかったせいで、大事になっちゃって」
わたしがそう言うと、田代さんは剣呑だった雰囲気を崩して、わざとらしくため息をついた。
「いいわよ別に。それにクレームっていったって、報告書まで書けとは言われてないわ。ただあちらの校長先生が、どういう経緯で入ったのか知りたいって言ってるだけだから」
「そ、そうなんですか?」
それを聞いて、わたしも少しホッとする。
「だから、牡丹山さんもこれから気をつけてくれれば、それでいいから」
事が済むなら、それでも、いい・・・・・・のかな。
『コイツ、自分がやったってバレる前になかったことにしようとしてるよ』
そこで、少女が耳打ちをしてくる。
『お姉さんも分かってるんでしょ? ホントは。人間の、とってもとっても、醜~いトコロ』
「さ、分かったらさっさと戻るわよ。小出さんにはあたしも言っておくから」
『ね、ムカつかない? なんで正直に生きるお姉さんだけイヤな思いして、このおばさんみたいにズル賢いヤツが得してるの?』
田代さんと、少女が、同時にわたしを見る。
『殺そうよ、こんな人間。お姉さんにはその力があるんだから』
「その力って、なんのこと?」
『そこにある木材を見て』
少女に言われた通り、倉庫の壁に立てかけられた木の板を見る。
『念じて』
優しくなった声色が、粘ついた液体のように、耳の中を通り、脳に直接入り込んでくる。
『思い出して』
思い出す。
『死のうと思った、昨日の夜のこと』
昨日の夜。
『頬が裂けて、血が流れて、頭が弾け飛ぶ、あの感覚』
夜風が染みる、その感覚。
『世界が嫌い。世界が憎い。世界から逃げたい。でも、世界がなくなっちゃうっていうのなら、それでもいい』
それでもいい。
『自分を殺せるってことは、他人も殺せるよね? だって』
だって。
『自分を否定する存在が、邪魔なだけなんだから』
バチン!
静電気のような音がしたかと思うと、倉庫に立てかけてあった木材が木っ端微塵に弾け飛んだ。
「な、なに!?」
田代さんが驚きの声をあげる。わたしも、呆気にとられていた。
『くひひ、上出来上出来。あとはほら、それをそのおばさんにやるだけだよ? お姉さん』
「これを、田代さんにって」
『人間なんて心臓潰しちゃえば死ぬんだから、簡単だよ』
田代さんの胸の奥。肋骨の奥。どくん、どくんと鼓動する心臓が見える。
それをさっきみたいにするだけで、田代さんは、この世からいなくなる。
わたしのなにもかもを否定してきたこの人が、わたしの目の前から消えてなくなる。
田代さんが、わたしを睨んでいる。
一人でぶつぶつ呟いているわたしを怪訝に思っているのだろうけど、それをわたしには言及してこない。誰も、手など差し伸べてくれない。心配してくれない。
毎晩のように苦しんだことも、心も体もズタズタになったことも、冷たい世界に身を投げようとしたことも、誰も知らず、興味もない。わたしは一人だ。誰にも必要とされていない。
わたしが死んでも、誰もなにも思わない。
これまで必死に生きてきたつもりだった。
昔は楽しいことも楽しいと感じられた。喜怒哀楽を持っていた。楽しい思い出や、甘酸っぱい思い出もある。それらがすべて灰のように風にさらわれ、残ったのが現実という空っぽの受け皿だ。
朽ちていくものだけが朽ちていくこの世界は、あまりにも正直すぎる。
嘘でもいいから、手を取って欲しかった。嘘でもいいから、慰めて欲しかった。助けて、誰か助けてって。一度でいいから、喉が焼けるまで叫ばせて欲しかった。
視線を遮るように手を突き出して、震えた声で言う。
「ごめんなさい、田代さん」
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