第6話 視界に映る異形たち

 外は幸い晴れていた。


 近所のコンビニの横を通ると、この前と同じ犬が柵の近くでおすわりをしていた。目が合って、触りたくなるも、今はそんなことをしている場合じゃない。それにまた飼い主の人に怒られてしまうかもしれないし。


 そう思っていると、ワン! と大きな鳴き声が聞こえた。


 見るとさっきの犬が、なにかに向かって吠えているようだった。


「なに、あれ」


 あの温厚そうな犬が吠えるなんてよっぽどだな、と思い視線を向けると、そこには紫色の体毛を纏った犬がいた。いや、本当に犬? 体格的にはどちらかというと熊に近い。牙はむき出しになっていて、目は血走っている。というか、首が三本もある。


 そりゃ吠える。


 吠えるだけ勇敢だ。わたしなら泣く。


 そんな意味のわからない存在と犬が威嚇しあっているところに、飼い主の人が買い物袋をぶらさげて近づいてくる。


「あら、どうしたの、そんなに吠えて」


 しかし飼い主の人は目の前にいる大きな犬? に目もくれない。


 あんな大きくて、非常識な体をしているのに気付かないはずがない。


 たしかに熊のように筋肉ムキムキの犬種はいるけど、それにしたって首三本はおかしい。


「わたし、まだ寝ぼけてるのかな」


 多分この記憶は昔やったゲームか、読んだ漫画のどこかから引っ張り出されたものに違いない。夢というのは過去を好む。


 それにここで立ち止まっていられるほど時間に余裕はなかった。


 わたしは剣呑な咆哮を背に受けながら横断歩道を渡る。赤信号になり、手前で止まって息を吐く。


 すると、隣で止まっていた人が赤信号だというのに歩きだそうとして前につんのめった。うん、たまにあるよね。ボーッとしてるときとか。


 わたしもよく、まだ青信号になっていないのに歩きだそうとして、それを誤魔化すように伸びをしたりする。


 共感のようなものを抱いていると、その人が再び前につんのめる。それは自分から歩き出すという仕草よりはどこか、誰かに押されているようなものに近かった。


 わたしはつい気になってその人の背後に目を向けた。


「へ」


 そこにいたのは緑色の体をした小さな生き物だった。体格はほぼ人間で、鼻は長く目に焦点はない。耳まで裂けた口を歪ませて、そいつはその人の背中を押していた。


 な、なにこの生き物。


 小さいのに、知性を感じて気味が悪かった。その人を押しているのも、どこかイタズラでやっているようにも見える。


 その小さな生き物とわたしの、目が合う。


 わたしはぴょんと飛び上がる。あちらは長い舌を口から覗かせて、鋭い爪を見せてきた。


 青信号に変わったのを確認してから、わたしは急いで横断歩道を渡った。


 夢にしては、ちょっと長くない?


 それに幻覚と現物が混ざったような感覚で、気持ち悪い。さっきの人だって、きちんと人だった。そこにいる。生きている。現実だ。じゃあ、その背後にいた、生き物は?


 おそるおそる、振り返ってみる。


 そこでわたしは、あまりのおぞましい光景に思わず大きな声をあげてしまう。


「ひっ」


 横断歩道を通って歩いてくる人。行き交う車。空を飛ぶ鳥たち。


 次いで、歩いてくる小人。三本首の犬。コウモリのような翼を生やした二足歩行の生き物に、空飛ぶトカゲ。人の顔のついたカニに、三メートルほどもある背丈をした鬼。


 他にも無数の口のついた芋虫みたいなのとか、浮遊する大きな目玉とか。そんなような異形の化け物たちが、そこかしこで彷徨い歩いていた。


「え、え?」


 なに、なになになに?


 なんなの、これ。


 まったく意味が分からない。


 これでも夢の続きだというのなら、わたしはきっと起きることはないのだろう。これは重傷だ。悪夢なんかじゃ説明がつかない。脳にひどい損傷があるかもしくは、この世界がどこかおかしいかのどちらかだ。


 その化け物たちは横断歩道を歩く人の合間を塗って移動している。歩く人たちがその化け物に気付く様子はない。


 もしかして、わたしだけに見えてるの?


 化け物は人と目を合わせようとしない。それなのに、どうしてか立ち止まったままのわたしのことは見てきて、目が合うと、カカカカカと乾いた声で笑い始める。


 触手、角、牙、爪、様々なものがわたしめがけて伸びてくる。それに捕まったらどうなってしまうのか、想像もつかない。


 今朝見た悪夢のように、死ぬのだろうか。それとも、もっとおそろしいことが待っているのだろうか。


 一匹の化け物が、わたしの顔を覗き込み、ニタニタと笑っていた。


 異臭がする。皮膚は岩石のようで、顔は醜い。丸太のように太いその腕に掴まれたら、新聞紙を潰すようにわたしは小さく丸まってしまうのだろうか。


 わたしが顔をあげると、その化け物はわたしに興味をなくしたようにどこかへ行ってしまった。


「なんなんだろう、いったい」


 化け物たちが蔓延る目の前の景色が信じられなくて、でも、信じようとするほどの気力もあるわけじゃなかった。


 会社に着くまでの道のり、変わらず化け物たちはいた。目が合うたびにこちらに寄ってきて、品定めするようにわたしを見ていく。犬がにおいを嗅ぐのにも近いその行為は、結局なにかに繋がるものではなかった。化け物たちはわたしを食べようとしたりはせず、日常の中に溶け込むように、またどこかを目指し歩き始める。


 変なモノが視界に入ってばかりで、気が滅入る。わたしの悪夢はどうやら想像以上に長いようだ。


 それから更衣室で着替えて、事務所に入るころには始業ギリギリで、早速田代さんに怒鳴られてしまった。間に合ってはいるんだけど、きっとそういう問題ではない。


 世界には、社会には、会社には、人には、それぞれのルールがある。たとえそれが理不尽であろうと、頷く重力を持っていないと削がれていくのはこちらのほうだ。


「なんか言ったらどうなの!」


 悪いのはわたしだから言い返すこともできなかった。朦朧としていた意識が冷水でもかけられたかのように覚め始める。


 歯を噛みしめながら怒号に耐えていると、ふと窓の向こうで化け物が空を飛んでいるのが見えた。そこは会社の庭のはずだけど・・・・・・なんだかどんどん増えてきて、今にも窓が割れそうなほどギュウギュウに詰まっていた。化け物が。


「ちょっと聞いてるの!?」

「あ、あの、あれ・・・・・・」


 わたしが窓の外を指さすと、田代さんもその先を視線で追う。


「なんか、いません、か」

「はあ? いないけど・・・・・・それよりも!」


 理不尽な罵倒の嵐は、逃げ場を探すわたしの意識を容赦なく叩き落としていく。


 そこではじめて、これは悪夢によく似た現実なのだと、気付いたのだった。


 


 


 

 

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