必勝の赤
小蔦あおい
必勝の赤
我が家の勝負飯は、きつねうどんと決まっている。
それがいつからなのかは分からない。でも、そうなったきっかけは妹のソフトテニスの中学総体だったように思う。
試合前日の朝、妹は母に今夜はカツ丼が食べたいとせがんでいた。
女手一つで私たち兄妹を育てている母は家事と仕事にPTAとかなり多忙だ。我が儘を言うんじゃないと私が注意しようとすると、母はドンと胸に拳を打ち、私に任せな! と得意げな顔をしていた。
しかしその日晩、食卓に並んだのは赤いきつねが三つ。
なんで赤いきつねなのかと口を尖らせて妹が尋ねると、母は笑いながら赤色は縁起が良いから! と豪語した。
某うどん県出身の母は、赤いきつねの中身は紅白を表した白いうどんに赤い七味が入っていて縁起が良く、さらにお揚げを食べれば諸願成就のお稲荷さんのご利益が授かれるとのたまった。
こじつけにも程があると私は苦笑いを浮かべていたが、少々純真なところがありすぎる妹はその言葉を真に受けた。
だが私は知っている。今日のスーパーのチラシで、赤いきつねが特売だったことを……。
けれども不思議なことが起こった。いつもは二試合目で敗退する妹がまさかの準優勝を果たしたのだ。大喜びで帰ってきた妹に、母はカツ丼よりもご利益があるでしょ? と、にんまりと微笑んでいた。
それからは勝負前に食べるのはもっぱら赤いきつねになった。
うだるような暑さの夏も、指先が凍てつくほど寒い冬も。必ず家族揃って、食べた。
私の大学受験においても、大事な局面ではいつも赤いきつねがでてきた。
試験前の夜に食べるうどんはまた格別で、食べれば身体の芯まで温まり、母と妹の声援は心の奥にまで染みわたった。
あの頃を思い出すと受験勉強の辛さよりも、自分を励ましてくれる二人の優しさがじんわりと心に広がってぽかぽかとした気分になる。
二人の応援もあって私は第一志望の大学に見事合格を果たした。進学を機に一人暮らしを始め、そのまま社会人になった。
妹は専門学校を卒業して就職したし、母もまだバリバリ働いているが毎月の仕送りは欠かさない。
今日の午後は大事な取引先との契約がある。
デスクの上にあるのはもちろん、赤いきつねだ。
お湯を注いでできあがるのを待っていると、隣の席の後輩がサンドイッチを囓りながらこちらを覗いてくる。
――今日は勝負の日なのに、気合い入れなくて良いんすか?
私はフッと笑うとカップの蓋を開けた。
ほわほわと立ち上る湯気からは鰹だしの良い香りがして食欲をそそる。うどんの上にのっているきつねのお揚げは、だしを吸い込んでふっくらとしていた。最後の仕上げに七味唐辛子を振りかける。
――いただきます。
私は、手をあわせから割り箸を割ると、うどんを勢いよく啜った。変わらない味が口の中に広がると、同時に応援してくれる母と妹が頭を過った。
気合いは、充分に入っている。そして負ける気はしない。
だってこれが我が家の勝負飯なのだから。
必勝の赤 小蔦あおい @aoi_kzt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます