10 王の素質


「……クソ、逃したかッ!!」


 アルカナムが、地団駄を踏んで憤然と大声を張り上げた。

 迸る怒りが如く、全身からぼわぼわと炎が溢れ出ている。

 

「というか……ッ!!」

 

 俺に気づいたらしいリアレ兄さんが、声を上げて一直線にこちらに駆けつけてきた。

 ガバッ、と、勢いのまま俺を抱きしめる。想定外の彼の行動に、思わず目を見開いた。

 

 温もりが、肌を伝って俺を包み込む。


「闇の中にいたの、まさか……カレアだったのか。怖かっただろ。……もう、大丈夫だからな」


 更に強く抱きしめられ。

 わしゃわしゃと、髪をぐちゃぐちゃに掻き回される。

 

「体は大丈夫か……? 怠くないか? ……ヤツに何も、されていないんだよな?」

 

「大丈夫だって。……心配し過ぎだよ、兄さんは」


 こしょばゆくて素っ気なく答えると、リアレはほっと胸を撫で下ろした。


「なら良いんだ。とにかく……」

 

 ぽんぽん。頭を優しく叩いて、リアレは貴族らしくない、無邪気な笑みをニカッと浮かべた。


「……頑張ったな。やるじゃん、カレアも。……本当、俺の知らない内に強くなったんだな」


「いえ。……まだまだこれから――」


「――貴様だったのか……ッ!!」


 地が揺れるほどの怒号が響き渡って、口をつぐんだ。

 射殺すような鋭い眼差しを浴びせられ、少々後ずさる。 


 アルカナム。

 父が、握った拳をわなわなと震わせてこちらを見ていた。


「と、父さん……? なんでそんな怒って……っ」


 リアレの声を遮って、アルカナムが俺の胸ぐらをガッと掴んだ。

 体が簡単に宙に浮き、足がぷらぷらと垂れ下がる。

 

 ゼロ距離で、アルカナムがつばを散らして叫んだ。

 

「何をしていた……ッ!! あの闇の中で、何をしていたッ!!」 


「ぁ、が……ッ!!」

 

 服で首が締まり藻掻く俺を、アルカナムは思い切り地面に叩きつける。

 全身を駆け抜けた衝撃に、ケホケホと俺は咳き込んだ。

 

 激昂するアルカナムを見上げ、俺は息を整える。

 

 ……なんだ、こいつ。急に……。イカれてんだろ……体中痛えし、まじで……。

 口から垂れたよだれを拭う俺を見下しながら、アルカナムがまた口を開いた。


「立ち向かったのか……? ゴブリン・ロードに対して、貴様は一度でも剣を振るったのか……ッ!! なぜ逃したッ!! なぜ、奴の転移を邪魔しなかった!! あれほど近くにいた貴様が……なぜ、何もしなかったんだ! 恐れか……怠惰か……? なぜ、何もしなかったッ!!」

 

 覇気にあてられ、怯む。

 反抗するようにアルカナムを睨みつけ、俺は言葉を返した。


「私が何かをしたところで、ゴブリン・ロードには何も効果が――」


「――ふざけるなッ!!」 


 俺の声に被さって、アルカナムが大声を張り上げた。

 もう一度、胸ぐらを掴まれ持ち上げられる。

 

 ぐらぐらと俺の体を揺さぶりながら、彼は魔力を帯びた怒りを俺に浴びせた。


「敵わないと分かっていようと立ち向かうのが……アーネスト家たるものだろうッ!! ……魔法もろくに使えない。病弱で剣も振るえないッ!! 嘲笑われてもヘラヘラ笑う……。肝心なところで立ち向かわないッ!! ……だったら貴様は……」

 

 アルカナムは、俺を掴む腕に更に力を入れた。 

 照明に透かすように天高く掲げ、鋭い目つきで俺を見上げる。


「……貴様には一体何が出来るのだッ!! 何も出来ないッ!! アーネスト家たるもの、トップを走らねばならない!! 【王】としての責任を持って、誰よりも強くあらねばならないッ!! カレア、貴様は言っていたな……。二年前、【王】になりたいとッ!!」

  

 ハッとなった。

 胸の奥底が熱く灯る。

 

 そっと、胸に手を当てた。

 カレア・アーネスト。お前は……ずっと、俺がこの体に宿る前からずっと、【王】を目指していたのか? 

 

 ギリッ、と奥歯を噛みしめた。

 思い出していたのは、少し前のこと。廊下で、使用人達がひっそりと話していたことだった。


「――魔法も剣もダメダメな落ちこぼれという話だそうだ」

「――どうやら、『穢れ子』らしい。おぞましい話だよな」

「――大丈夫だって。……カレア様はもう、【王】候補からも外れてるらしいからな」

 

 一体、どれほどの屈辱だった? 味方が誰もいない中で。落ちこぼれだと蔑まされてさ……。

 

 ふいに、脳内に記憶が雪崩込んだ。

 それは、カレア・アーネストの記憶だった。

 

 最後、彼が見た景色。それは、満天の星空だった。

 

 骨のような腕で、彼は。

【王】になりたいと。憧れの父のようになりたいと希い、星空にみっともなく手を伸ばした。届かないと、知っていながら。

 

 そして、誰にも見られずに。

 誰にも認められず、たった一人。報われないまま、死んでいくのだ。

 

 ……一体、どれほどの悲しみだった?

 想像して、ギュッと力強く拳を握りしめた。


 アルカナムが、俺に告げる。

 

「……貴様のような弱者が【王】になるなど……夢を見るのも大概にしろ」

  

 そして、興味なさげに俺から顔を背けた。

 振り返って、こちらに背を向けて彼は言う。

 

「貴様はやはり……アーネスト家には必要ない。貴様のような小心者に、【王】の地位など相応しくない。カレア。二度と、俺にその貧相な面を見せるな……。いいか、これをもってして――」


 風が吹いた。

 ひどく、冷ややかな風だった。

 

 風に乗せるように、アルカナムは俺に告げた。

 

「――貴様を、アーネスト家から追放する」と。

 

 コツ、コツ。

 足音が少しずつ遠のいていく。無情なほどに、残酷なほどに。

 

 別に……俺は構わねぇよ。

 貴族やめて、自由に力を付けて、むしろそっちのほうが楽なくらいだ。

 

 だけど、それでも……。


「――貴様のような小心者に、【王】の地位など相応しくない」


 いつの間にか、拳を握りしめたまま立ち上がっていた。

 だって、ここで追放されたら……叶えられねぇじゃねぇか。 


 カレアの夢が、叶わなくなるじゃねぇか……。

 それにな、こっちはあの日、約束したんだよ。 

 

 カレアと俺、二人で【王】になろうって。

 その約束を、破るわけには行かねぇだろうが……ッ!!


「父さん――ッ!!」

 

 そんな俺の声を遮って。

 

「――それはねぇんじゃないですかね……アルカナム様」

 

 聞き覚えのあるしゃがれ声に、ハッとなっていた。

 アルカナムが、そっと立ち止まる。 


 アルカナム直属の配下。

 近衛騎士団、副団長――ロッゾ。

 

 アルカナムを批判したのは、他でもない彼だった。

 剣を杖にしてアルカナムの元までふらつきながら歩く彼は、にへらと笑いながら声を振り絞る。


「あいつが落ちこぼれ……でしたっけ? 本当にあいつをそう思っているんなら、あんたはとんだ節穴だぜ……」

 

 ピクリ。

 アルカナムが、少しだけ体を仰け反らせた。

 

 首だけを振り返らせ、ふらつきながら歩くロッゾをじっと見据える。

 

「おいテメェロッゾ……アルカナム様になんて言葉を、ムゴォッ!?」


 駆け付けて来た赤髪の男の口を手で覆い隠すと、ロッゾは笑った。


「ステータスオール【1】の落ちこぼれ……。しまいには、剣の腕もダメダメでしたっけ? 確かに……昔はそうだったのかもしれませんが。……今のあいつは、そんなんじゃねぇ。というか、初めて見たっすよ……俺は。【炎球】を5つ同時操作とか……5歳児がなせる技じゃねぇ……」

 

 ガッ、と、強くアルカナムが目を見開いた。

 ゆっくりと俺の方を向いて、値踏みするように視線を浴びせる。 


 アルカナムのそんな動揺を見て、「へへっ」とロッゾは余裕そうに笑ってみせた。


「あいつは、きっと……あんたが『落ちこぼれ』だって、そう突き放している間に、急速に成長してきたんすよ……。燻りもせず、沈みもせず。ただ、寡黙に、静かに……牙を研ぎ続けていたんすよ。5歳児が、っすよ? 尋常じゃねぇっての。なのになんで、父親であるアンタが、ずっと気づかないままなんすか……。なんでまた、そうやって何も見ないで突き放すんすか……」


 ロッゾが、「うぉっと……」と言いながら、ふらついて足を絡ませて転びかけた。

 バルハザクの一撃が応えているのだろう。体はボロボロで、というか、今にも気絶してもおかしくない勢いだ。 


 だがしかし、彼はそれでも立って進んでいた。

 静かに、その場の誰もが彼を見ていた。


「しかも、5歳児がっすよ。……俺は、正直震えが止まらねぇ。こんなヤベーやつが、まだいたんだって。……俺は、あんたを尊敬してる。ゴミ同然だった俺を拾ってここまで育ててくれたあんたに、感謝だってしてる。けど……これだけは、認められねぇ」 

 

 ようやくアルカナムの前まで辿り着いたロッゾは、もたれかかるようにアルカナムの肩に手を置いた。

 ニッと、挑発するように笑う。震える腕をこちらに向けると、人差し指を立ててこちらに向けた。


「……あんたが認めねぇなら、俺が認める。あいつは間違いねぇ。……【王】の素質を持っている」


「ふっ」またも、小馬鹿にするようにアルカナムが鼻で笑った。


「戯言が――」


「――戯言じゃねぇ。なぁ、そうだろ……?」

 

 ロッゾが笑みを保ったまま、振り返って剣を掲げた。

 周囲を見渡して、彼は叫ぶ。


「そうだろう、お前ら……。見てたはずだ、テメェらも、感じたはずだッ!! 俺達は、あいつが現れて希望を取り戻した!! たった一人、しかもあんなガキが登場しただけで、ガラッと戦況が変わっちまったッ!! お前らも感じただろ……あの瞬間、心に火が灯るのをッ!! ……なぁ、そうだろテメェらッ!!」

 

 誰かが、ロッゾに続いて剣を掲げた。

 革切りに、次々と辺りの騎士達が剣を掲げ始める。

 

 思わず、俺は息を呑んでいた。

 胸が高鳴っている。視界が開けていく。 


「アルカナム様……私も、同じように思いますッ!!」

「彼は決して……落ちこぼれなんかじゃありません!!」

「考え直してください、アルカナム様ッ!!」


「「「――アルカナム様ッ!!」」」


 騎士達が、一斉に叫んだ。

 大地が揺れるほどの唸り声が、部屋中に轟く。

 

 それを見て、ロッゾが勝ち誇ったようにアルカナムに笑ってみせた。


「ほらな。……凄えだろ。こんだけの騎士の心を、5歳のガキが奪っちまったんだぜ……? これを見てもあんたは……あいつを追放するって言えんのかよ……」

 

 アルカナムが、静かに俺を見つめた。

「ふんっ」下らない。そうとでも言うようにロッゾの腕を振り払い、彼は振り返ってこちらに背を向ける。


「アルカナム様……ッ!!」

 ロッゾが、怒り気味に声を荒らげた。

 

 しかし。

 アルカナムは、不意に立ち止まった。背を向けたまま、口にする。


「……考え直そう。少し、俺も頭を冷やす必要があるようだ」と。


 誰もが、息を呑んでいた。

 ロッゾが、口角を吊り上げてニィッ、と笑う。


「まさか……」

「それって……」

「つまり……」

 

 騎士達のざわめきに答えるように、アルカナムが「ふっ」と笑った。


「……カレアの追放を、取り下げよう。まだもう少しだけ、ここに居させてやる。ただしだ、カレア……」

 

 彼はまた、コツコツと足音を立てて歩き始めた。

 歩みを止めぬまま、彼は告げる。


「――俺の期待を、裏切るなよ」

 

 思わず、胸の奥底から喜びが湧き上がった。

 他人の体だ。別に、俺はカレア・アーネストじゃねぇ。だが、それでも。 


 嬉しさを噛み締めながら、俺は立ち上がっていた。

 父の背に向け、俺はすーっと大きく息を吸い込む。


「父さんッ!!」

 

 スタートラインに、たった感覚。胸が弾んだ。楽しい人生が始まる。死ぬほど心が躍る、冒険譚の幕が上がる。そんな予感が、ふいにした。

 俺は、叫ぶ。


「僕は」と。


「僕は……【王】を目指します!! 待っていてください……。すぐに強くなって、僕が貴方を……越してみせますからッ!!」 


「ふっ……。簡単に付け上がりやがって」

 

 なんて不満が聞こえたが、俺には心底どうでも良かった。

 

「ぷ、はっ!」

 

 笑い声とともに、強引に引っ張られ肩組みを強いられる。

 ……リアレだ。

 

「だったらライバルだな、カレア」

 

 リアレが、笑みを浮かべる。

 けれど、今までの無邪気なそれではなかった。

 

 もっと、熱のこもったもの。

 リアレが、宣戦布告とでも言うように、俺に告げた。


「負けねぇぜ、俺は。お前がとんでもないくらい凄えやつだってことは、俺もようやく理解できた。……油断はしねぇ。本気で行くぜ、カレア?」


 それに対して、俺もまた、ニッと笑って答えた。


「ええ、望むところです」と。

 


 

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