9 お待ちしておりました、魔王様


「ミツケタ、探し、マシた、よ……。マオう、サマ……ッ!」

 

 ハッと息を呑んだ。

 恐怖に絡め取られた足を、咄嗟に動かす。


 魔王ガイアスの俺だったら、あのレベル瞬殺だっただろう。

 だが、今は違う。……勝てるレベルじゃねぇ。諦めるとかじゃない。 

 

 1%の余地もない。

 

『見つけた。探しましたよ、魔王様』、あいつはそう言っていた。

 だとしたら……気付かれているのか? 俺が……【〈奪〉の魔王】ガイアスだと。


「シ――」

 

 シル。

 そう叫ぼうとして、喉が詰まった。 


 遥か遠くにいたはずのゴブリンが、いつの間にか眼前でニタリと笑って俺を見下ろしている。

 

「むぐっ!?」

 

 口を閉ざされ、体を抱え上げられた。

 瞬間……、魔力が動く気配。


「テンイ、マホウ」

 

 ゴブリンがそう口にした瞬間、血の気が引いた。

 ……転移魔法ッ!?


 まずい、持ってかれる……ッ!!


【フレア】では、このゼロ距離。

 自滅の恐れがあるから使えない。

 

 なら……。

 魔力を腕の辺りに集中させて、力を貯める。 


 身体強化一択だろッ!!


 ゴブリンの腕を掴み、力任せに振り払う。

 一瞬の攻防。ぐるり。ゴブリンの腕の中で体を回し、拘束からもがき抜け出した。 


 距離を取っても無駄だ、すぐ追いつかれる。

 だったら、今の内にッ!!


「【炎球】ッ!!」

 

 炎球を宙に上げ、そのまま雑に爆破させる。

 無意味ではない。 

 

 なぜならこれで、俺の元に注目が集まるッ!!


「なぜ、テイコウを……!」

 

 ゴブリンが駆け出し、またも俺を抱え上げた。

 すかさずそこに一閃。白髪が揺らめき、ほんのりと花の匂いが鼻を掠めた。


「カレア様に、なんの用が……?」 


 シルだ。

 斬りつけられたゴブリンの右腕から、血飛沫が上がる。 


 だが、浅い。

 足りない。


「ジャマするな……サルが」

 

「なっ!?」

 

 シルの腕を引っ掴み、ぶんっ、と勢いよく投げ飛ばす。

 投げられたシルは、その勢いのまま数十メートル先の壁に背を打ち付けた。 


 ……【速度】特化とはいえ、元冒険者をこんな軽々と。

 まずい。まじでやばい。……このままじゃ、為す術もなくやられるッ!?


「手を離せや、クソゴブがッ!!」

 

 煩い怒鳴り声。剣の平らな部分で、誰かがゴブリンの額をぶっ叩いた。

 ガンッ!! 強い衝撃で、ゴブリンの足が少し地面に食い込む。


 赤色の髪が、視界で揺れた。 

 

 ――副団長、ロッゾだ。


 ゴブリンがよろめき、俺から手を離す。

 ギロリとロッゾを睨みつけ、腕を振るった。


「ウットウ、シイ!」

「それは、てめぇだろうがッ!!」

 

 腕を弾き、そのままロッゾはゴブリンの懐に潜り込んだ。

 勢いを剣に乗せ、首をかっさく。スパンッ。軽快に、ゴブリンの首が跳ねた。 


 ころころ、生首が転がる。

 それを見て、ロッゾは首を傾げた。


「なんだ……終わったのか? 案外呆気ねぇな……?」

 

 ……甘い。

 チッと舌を打って叫ぶ。


「終わりじゃないッ!! まだだッ!!」


「あ? でもほら、完全に死んで――」

 

 ロッゾが口を止めて、目を見開いた。

 何かを感じ取ったのか。すかさず、転がっているゴブリンの死体に剣を突き刺す。 

 

 がしかし、無意味だった。

 

 闇。闇だった。

 ゴブリンの死体から溢れ出て、闇が辺りに蔓延した。

 

 やがて、形もクソもなかった闇が、少しずつ、ゴブリンの形に変わり始めた。

 闇はそして、鎧となり、ゴブリンの姿を覆い隠す。闇の騎士、そう言ったほうが相応しい見た目だった。

 

「……嫌になるな。貴様のような、中途半端な雑魚は」

「……ぐ、ぁ!?」


 闇の騎士が、軽々とロッゾを吹っ飛ばす。

 一瞬だった。呆気なさ過ぎて、笑いたくなったくらいだ。


「貴様、ロッゾ様をッ!!」 

「奴を狙え! 大トリだッ!!」


 辺りの騎士がこちらを見て、飛び掛かろうとして、しかし足を止めた。

 

 ……誰もが、きっと感じていた。

 闇の騎士から溢れ出る、あまりにも強大な魔力を。


 思わず、笑い声が漏れる。

 敵の正体に、笑わざるを得なかった。

 

 ゴブリンの姿しといて……おいおい、てめぇかよ。


 その姿に、俺には見覚えがあった。

 配下だったから? 違う。……逆だ。

 

「なぜ、私を拒むのですか。……イザク様」

 

 ――イザク。

 

 かつて、この世界を支配していた五大魔王の中の一つで。

 そして、俺がぶっ殺した魔王の中の一つ。

 

 ――【〈祈〉の魔王】イザク。

 

 5大魔王の中でも最も家臣が多く、人間にも信仰するやつがいたほどの……別名、教祖。

 信者が増えれば増えるほど強力になっていく、厄介な魔王だ。 

 

 そうか、そうだったのか。

 カレア・アーネストが、死んでしまった原因。病弱な理由。 


 前々から、カレアとは別の、魔物臭い何かの気配は感じていた。

 だが、まさか。


(……お前だったとはなぁ、イザクッ!!)

 

 体の内側で、何かが燃え上がる気配がした。

 魔力が、ぶわりと膨れ上がる。


 俺の魔力じゃねぇ。

 ……イザクのやつ、俺の体を乗っ取ろうしてやがるッ!?

 

 がしかし。

 何かがその魔力にぶつかり、覆い被さった。

 

 目を瞠る。

 ……カレア・アーネスト。

 

 俺の体の内側で。

 カレアが、イザクを抑え込んだのだ。

 

 ……やってくれるじゃねぇか、お前ッ!!


「なぜなのですか、イザク様ッ!! ……復活の報せを聞いて、私は貴方を助けようと……っ!」

 

 叫ぶ闇の騎士に、最大限馬鹿にするように、心の奥底から嘲笑って告げた。

 

「俺はイザクじゃねぇ。つまりな……テメェの魔王は、乗っ取ろうとした俺に逆に負けちまったんだよ」と。


「笑えるだろ? なぁ、そうだろ? 【黒騎士】バルハザク。……そんでいつ、お前は【〈イザク軍〉七騎士】最弱の存在から、ゴブリンになったんだ?」


 ゴブリン――もとい【黒騎士】バルハザクが纏う闇が、さらに濃く、大きくなっていく。

 ……俺が知っている姿と違う。つーか、俺がイザクをぶっ殺したときは、そこまで強くなかった。

 

 イザク直属の配下【七騎士】。

 イザクと共に世界を恐怖の渦に陥れた、騎士の風貌をした七体の魔物。

 

 そこで飛び抜けて最弱だと言われていたのが、こいつ……【黒騎士】バルハザクだ。

 俺なら、デコピンでも倒せたレベルだった。だが、なんだ、これ……。 


 こいつ多分、【〈祈〉の魔王】イザクの3倍は強くなってんぞ……。

 

 クソッ……。

 

 体が動かない。

 あまりにも大きすぎる魔力に、押し潰されている。 


 誰かが、悲鳴を上げた。

 泣き声が、どこからともなく聞こえる。


「……あ、が……」

 もがき苦しむ声が、近くから耳に入った。

 

 ゴブリン、人間。

 無差別に身動きを封じられ、辺りに静寂が訪れる。

 

 膨れ上がる闇が、少しずつ俺とバルハザクを覆い始めた。やがて、完全に闇の中に隔離される。

 静寂を打ち破って、バルハザクが怒号を上げた。


「貴様、なぜ私の名をッ!! ……イザク様に、何をしたッ!!」

 

 ふいに入口のあった方に顔を向けて、俺はそっと息を呑んだ。

 魔力を這わせ、闇に被せるように魔力でドームを作り上げる。

 

「何もしてない。ただ……あいつは俺を乗っ取ろうとして、失敗しただけだ」


「イザク様が……そのような失敗を――」


「しちまったんだよ、それが。お前の心酔する魔王は、その程度だったってことだ。……まじで笑えるだろ? たかが人間のガキに、抑え込められちまったんだぜ?」


「うるさい、黙れ……黙れ小童がッ!!」


「ガイアスにやられて、信者がゼロになって……力を丸々失っちまったんじゃねぇのか?」


「黙れ……」


「それか、そもそもイザクがその程度だったってことかもな?」


「黙れ……ッ!!」


「なぁバルハザク? 見損なっちまっただろ? ……イザクが、ガイアスどころか人間のガキにも負けるような、クソ雑魚でさぁ!!」


「だから、黙れと言っているだろう――ッ!!」


 バルハザクが怒りのままに、俺に剣を振り下ろす。

 がしかし。俺は余裕綽々の笑みで、バルハザクに言ってみせた。


「時間稼ぎに早く気づけよ。……本当、教祖と信者揃って雑魚だな」と。


「それとも俺の魔力で……闇の外の魔力の動きを感知出来なかったのか?」


 この闇のドームを更に俺の魔力で覆い隠すことで、外部の魔力の流れを遮断する。……こいつレベルならいとも簡単に見破ることが出来ただろうが、怒りで我を忘れたか。

 

 なんにせよ、俺の勝ちだ。


【避難所】。

 述べ1万人は収容できる大広間に、野太い声が轟いた。 


 それは、天にも昇るような大声。

 ――【王】の声だ。


「我が魔力は、炎の精霊王のもとに……。朽ち果てぬ炎よ、燃え尽くせ……ッ!! 【インフェルノ】ッ!!」

 

 バルハザクの瞳がキラリと光った。

 闇が少しばかり晴れる。薄らいだ闇の向こうに、煌めく赤色がはらり見えた。


 風を巻き込み、大地を揺らし。

 龍の如き流動を持つ炎が、凄まじい勢いでバルハザクに迫っていく。

 

「クソッ、【王】アルカナムかッ!! 邪魔をするな……【斬月】ッ!!」

 

 バルハザクはしかし、いとも簡単に飛来する龍を模した炎を闇の剣でぶった斬る。

 すかさずそこにもう一つ、炎の鳥が飛び掛かった。

 

 誰かが叫んだ。


「アルカナム様……それに、リアレ様までッ!!」

 

 ……なるほど。だとしたら今の後追いで来た炎の鳥は、リアレ兄さんのか。

 召喚魔法。珍しい……面白い魔法を使うな。

 

「ゴブリン・ロード……ッ!! 何故姿を現したか知らんが、ここに来たからには逃さぬぞッ!!」


【王】アルカナムが――父が叫ぶ。

 思わず、俺は「は?」と口に出しかけた。 


 ……ゴブリン・ロード?

 こいつが? バルハザクが、ゴブリン・ロードだったってことか!? 

 

 必死になって笑いを堪えた。

 こいつ、本当笑えるわ……ッ!!

 

 仮にも魔王の片腕だった男が、最弱種であるゴブリン族の王を名乗っているとか……って、でもあれ?

 バルハザクって、鎧被ってるから分かんなかったけど……ゴブリンなんだっけ? そんな話も、聞いたこともあったっけ……?


「あぁ、イザク様……すみません」

 

 バルハザクが、酷く震えた声で、涙ぐみながら地面に膝をついた。


「私が……不甲斐ないせいで……ああ、ああ……ァ、ぁ、また、まただ……まただまただまただッ!!」


 闇はより濃く。

 声に、憎悪の色が乗る。


「……また、私は……貴方を……。弱いせいだ、私が、さらに、強ければ……ッ!!」

 

 闇が蠢き、辺りに蔓延し始めた。こちらに向かってきていたアルカナムが、縛り付けられたように足を止めているのが見える。

 ゆっくりと、バルハザクがこちらを向いた。


「今回は……失敗だ」と。「イザク様も復活していないようなら、それでいい。だがな……覚えておけ、カレア・アーネスト……」

 

 ギロリ。

 兜の奥に見える血走った目と、ふいに目が合った。 


 思わず息を呑む。

 そして、バルハザクは酷く冷徹な声で俺に告げた。


「貴様だけは、この手で殺す……。主のためにもだ。あぁ、待っていて下さい、親愛なるイザク様……。私の心は、いつまでもあなたと共にある……。さらばだ、カレア・アーネスト……またお前に会える日を、楽しみに、楽しみに――」

 

 闇が、バルハザクを包み込んだ。


「クソッ、逃すなッ!!」

 

【王】アルカナムの一声で、足を止めていた騎士が闇に向かって駆け出す。

 が、しかし。

 

「――心底楽しみに、待っている」

 

 ふわり。

 闇は呆気なく、瞬く間にその場で霧散した。 


 無論、バルハザクの姿もなかった。

 

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