8 ロッゾ騎士団
「クソッ、どうなってんだこれ、まじでッ!!」
「わ、分かんないですよぅ!! 本当、雪崩のように敵が、うわ、うわわわわわ!?」
「おいテメェ、ロッゾッ!! ユイちゃんが死にかけてんだろ!! さっさと助けてあげろゴラァッ!!」
「うっせぇ! 俺だってそうしてぇ気持ちで山々だっつーの!!」
――【避難所】。
総勢1万人もの人間を収容できる、貴族らしい大部屋。
いいや、そこは部屋というよりも【闘技場】と言ったほうがしっくりするような場所だった。
入り口はたった一つの細い道で、出口もまた一本の道のみの大胆な造りの部屋。
避難してきた貴族や来賓の客たちは、上部の観戦スペースに送り、騎士団は決闘場の部分で魔物を食い止める作りだ。
観戦スペースへと繋がる階段は、決闘場の最奥にしかない。
この緊急事態すらも余興してしまいそうな避難所の作りは、【王】アルカナムの傲岸不遜な性格をよく表していた。
ここが破られるはずがない、そう過信された作りだ。
その通り。確かにそこは、近衛騎士団 / 副団長ロッゾの指揮する部隊によって強固な守りを誇っていた。
貴族たちもまた、緊急時にも関わらず、観戦スペースから騎士の命懸けの戦いを観ながら、一種の娯楽に興じているかのような興奮を覚えていた。
……初めの方は。
「おい騎士団テメェら!! 何やられてんだよ!!」
「こっちに一匹でも魔物寄越してみろ!! 今後一切、剣を握れると思うなよッ!!」
「剣を振るうことしか出来ん無能共が、今くらい役に立たんか!!」
観戦スペースから飛ぶのは怒号ばかり。
最前線で剣を振るう赤髪の騎士――【副団長】ロッゾは、チッ、と舌打ちをして怒りのままに叫んだ。
「ざっけんなゴラァ!! こっちだって、真剣なんだよ馬鹿野郎!! 貴族でもなんでもいい! 誰でもいいから加勢できるやつは加勢しやがれ!!」
「この……ッ!! 副団長だからといって、生意気な!!」
ロッゾの足元に、観戦スペースから魔法が飛んでくる。
ブーイングの嵐。まだこれを、貴族のお偉い方は娯楽の一種だと楽しんでいるのだろうか。
「こっちは……命懸けだってのに!!」
「ロッゾ、イライラしてんじゃねぇぞゴラァア!! ぶっ殺すぞ!!」
「だ、駄目ですよぅ、喧嘩は! 最期の最期に喧嘩して終わりなんて嫌ですよぅ! みんなで仲良くして死にましょうよぅ……!」
「……確かにその通りだけど、ユイちゃんめっちゃ諦めとるがな!!」
「だ、だってぇ……」
一本道の入口から雪崩込むのは、最弱種ゴブリン――しかし、そのユニーク個体だ。
入口が一本道であるという作りから、道から出てきた魔物を一匹ずつ複数人でぶっ叩くのがここの定石の戦い方だった。
だが……こうも雪崩込まれては、そのような戦法はまるで通じない。
述べ500名の騎士は決闘場に散らばるゴブリンを相手取るべくバラバラになり、あちこちで1対多の状況が生み出されていた。
すでに、決闘場には1000以上のホブ・ゴブリンが溢れている。
これが通常の個体であったなら話は別だが……全てユニーク個体。通常のゴブリンがEランク、ホブ・ゴブリンでD、さらにユニークとなるとBランクにも届きうる個体だ。
本来、ロッゾによる指揮でまとっているはずである騎士団は、ロッゾ本人がゴブリンに押されている現状、ほぼ半壊しかけていた。
「これ……本当にまずいんじゃ……」
「お、お終いだ……。お終いだろ、こんなの……」
「た、たかがゴブリンにやられてんじゃねぇよ、それでも騎士団か、アンタら!!」
絶望的状況。
誰もが終わりだ、そう思うその中で。
その男は、ニィッ、と父親譲りの下卑た笑みを浮かべて立ち上がった。
「――みっともないぞ、騎士団ッ!!」と。
辺りがざわめく。
叫び声を上げた声の主を見て、その誰もが目を瞠っていた。
誰かが叫ぶ。
「ぐ、グランツ様……!?」
アーネスト領、次期【王】候補、次男アルト、三男カレアを抜き、長男リアレに次ぐ有力候補者。
金髪のキノコヘアが特徴の彼は、人々の注目を集め、腰に手を当てて叫んだ。
「何をしている……!! 我が父の近衛兵なのだろう!! ゴブリン如きにやれるなぞ、無様な姿を晒しているでない! これだから、雑魚は嫌いなのだ! もういい……俺がやる!!」
「は……?」
ロッゾは、呆気にとられていた。
「今あのガキ……なんて?」
「俺がやるって……言っていたな」
顔が青ざめた。
リアレに次ぐ優秀な逸材。グランツに対するロッゾの評価は、又聞きではあったがそうだった。
だが、なんだあれは。あの、自尊心の塊は……。
(リアレ様の、リの字もねぇぞ……!)
グランツは、ゆっくりと、下卑た笑みを引っさげたまま観戦スペースから降りていく。
彼の頭にあったのは、名誉、それただ一つだった。近衛騎士団ですら相手にならない敵。それを瞬く間に倒したとすれば、グランツの名は大いに世に轟くだろう。
リアレ兄さんを越して、【王】候補最有力者にだってなれるかもしれない。
きっと、父さんも認めてくれるはず。
それに、それに……。
(ああ、目に見える。カレアの、羨む姿が……)
じゅるり。グランツは妄想を膨らませ、唾を啜った。
なに、大丈夫。
相手は単なるゴブリンだ。全く……これだから雑魚は嫌いなのだ。ゴブリンなんぞにやられるようで、何が近衛騎士団か。
グランツは足元の騎士の死体を蹴ると、ふっと鼻で笑ってみせた。
「雑魚が……俺の足を汚すでないぞ」
そして、下卑た笑みのまま剣を天に掲げてみせた。
「いいか、見せてやろう。剣聖に見初められ、魔法の才覚も十分な俺の実力を。いいか、覚えておけ皆の者! 俺が、俺こそが次期【王】――グランツ・アーネストだッ!! 赤よ、炎よ。燃え滾り、あだなす者を焼き払え――【フレア】ッ!!」
グランツの手のひらから、ぷしゅっ、と霧のような炎が噴射される。
その炎はゴブリンを包み込み、グランツはそれを見てほくそ笑んだ。
ほら、簡単じゃないか、と。
(これで、俺の権威を世に示せ――って、あれ?)
焦燥。なぜ、なぜだ。
グランツは、目の前の事態を理解できず後ずさっていた。
炎を振り払い、余裕の表情で、ゴブリンが2つ足で立っている。
おかしい。なぜだ。ゴブリンは、最弱のはずだろう……。これは、何かの間違い。何かの……。
「普通のゴブリンじゃねぇ! ユニーク個体だよ! ガキ、貴様なんぞに戦える相手じゃない! さっさと、大人しく上に戻ってろ!!」
グランツは拳を握りしめた。
屈辱。屈辱だ。
「俺が戦える相手じゃない……? うるさい、黙れ、黙れ……ッ!!」
脳裏にちらつく、リアレの顔。
グランツを軽々とあしらい、転ばせたあの日のリアレの姿。
グランツの中の肥大化したプライドは、止まることを知らなかった。
「ふざけるでないぞ!! 今のは何かの間違いだ!! 赤よ、炎よ。燃え滾り、あだなす者を焼き払え【フレア】! ……赤よ、炎よ。燃え滾り、あだなす者を焼き払え【フレア】! ……あ、赤よ……ほのお、よ……」
少しずつ、ゴブリンとグランツの距離が縮まっていく。
まずい、まずい、これは、何かの間違えだ。
グランツはいつの間にか、その場に倒れ込んでいた。
ゴブリンを見上げ、目に涙を滲ませる。視界が曇っていて、世界がぼやける。
恐怖。安全地帯で貴族らしく裕福な生活を送ってきたグランツの、生まれて始めて覚える死の予感だった。
グランツの喉から、か細い声が漏れる。
「ああ……誰か……た、助けろ……俺を、助けろ……!」
「クソったれ……ッ!! 誰か、グランツ様を助けろ!!」
「了解しました! 今すぐ助けに……ッガァ!?」
「私が向かいま……って、きゃっ!? い、いだ……ぃ……っ!」
グランツを助けようと走り出した団員が、一斉に背後から殴られ血肉となっていく。
生首がいくつか飛ぶのが見えて、ロッゾはクッと奥歯を噛み締めた。
(あのガキさえ……こなければ……ッ!! ここまではならなかったッ!!)
ロッゾは焦燥する。
グランツ様は、腐っても【王】の息子。
死なせるわけには行かない。
例え憎くとも。守らねば。
ロッゾがそう思う一方で。
グランツは舌を打った。
彼を助けようと走り、しかし呆気なくゴブリンにやられていく騎士たちを見て、顔をぐちゃぐちゃにして叫ぶ。
「何をしているッ!! 」と。「貴様ら……俺が死んだらどうなると思ってるッ!! お前らの命に代えてでも……俺様を救い出さんか!」
ロッゾはゴブリンを振り払うと、地面を蹴った。
怒りが、ロッゾの胸の奥底から湧き立つ。
(お前を助けるために、死んだんだ……。なのになんで、あいつは……そんな態度でッ!!)
だが、分かっている。グランツ様の命が、己の命よりも尊いものであることを。
醜くても、憎くとも。
襲いかかるゴブリンのその全てを無視して、駆け出す。
――守らねば……この命に代えてでもッ!!
「どけッ!! 邪魔だゴラァッ!! たかだかゴブリン風情が、生意気な……ぁっ、ガッ!?」
一撃。ゴブリンの振り払った棍棒が、ロッゾの腸をえぐり潰す。
カチッ、という視界の点滅と共に、ロッゾはその場で蹲っていた。
無謀だった。迫りくるゴブリンの山を無視して突き進むなど、無謀すぎたのだ。
誰かが叫んだ。
「ろ、ロッゾ様!!」
「ロッゾ様がやられた……!」
「な、ふ、副団長……!」
「も、もう……終わりだ……終わりだ……こんなの……」
大将の不在。その不安は、一気に戦場に蔓延していく。
騎士団の士気は、大いに下がっていた。
ロッゾの側近である、眉間にシワが寄った男が叫ぶ。
「ロッゾ! 起きろ……!! テメェがいねぇと、この騎士団が機能しねぇだろうが……ゴラァ!!」
その声を聞きながら、ロッゾは己の意識が暗闇に沈んていくのを感じていた。
俺が戻ったところで、もう終わりだ。グランツ様も、きっと死ぬ。
あちこちから、悲鳴の叫び声が上がる。
惨状。
(終わりだ……)
ロッゾは、まどろみに身を任せて思った。
(ロッゾ騎士団は、ここで壊滅す――)
――ズッガァアアアンッ!!
爆音が鳴り響いた。
誰もが、手を止めて爆音の方を見ていた。
コツ、コツ。
大きな足音を立てながら、入口の方から誰かが歩いてくる。
というか……。
「ゴブリンの生成が……止んでいる?」
入口の方から、また、一つ声が聞こえた。
「さあ……飛べ、シル」と。
「仰せのままに……カレア様ッ!!」
ぶぉん。
風を切って、一人の少女が道から飛び出す。
そして少女は、ゴブリンの群れに身を投げる勢いで突っ込んだ。
「ばっ、馬鹿な……無謀だぞッ!!」
誰かが叫んだ。
その通りだ。無謀だった。
少女は呆気なくゴブリンに囲まれ、そしてこの後、為す術もなく殺されるのだろう。
……なんの助力も、なかったら。
「踊れ炎……【
入口の方から、拳大の炎の球が飛んでくる。
そしてそれは……5つも。
「一度に……5つも!?」
「馬鹿言え、炎球はそんな魔法じゃねえッ!!」
「だったら、どのように……ッ!?」
「というか……」
5つの炎球が、5体のゴブリンにぶち当たる。
「グギャァ!?」ゴブリンは悲鳴を上げながらよろけた。
瞬間だった。
風を裂く音と共に、ゴブリンの首がいつの間にか、5つ宙に舞っていたのだ。
バタバタと倒れるゴブリンの中から、返り血を浴びた可憐な少女が姿を表す。
騎士団は、思わず瞳を奪われていた。
「一体……何者なのだ……」と。
「あの少女は……そして、あの魔法の使い手は誰なのだ」と。
入口の方から、またも聞こえてくるコツコツという足音。
やがてそこから姿を現したのは、金髪の少年だった。
誰も、彼の姿を知らなかった。
名も知らない、やせ細った髪の長い少年だった。
誰もが、彼の姿に釘付けになっていた。
少年は剣を天に掲げ、叫ぶ。
「諦めるなッ!!」と。
「近衛騎士団なのだろう……ッ!! 【王】に期待されて、そこに立っているんだろうッ!! だったら、諦めるな! ゴブリン如きにやられて……【王】の顔に泥を塗る気かッ!! 立て……立ってそれで――」
少年は飛び出すと、ゴブリンを一体軽々と斬り伏せる。
そして、ニィッ、と、まるで魔物のようにおぞましい笑みを浮かべた。
「――俺に続け……雑魚共がッ!!」
辺りが騒然となる。
一体誰なのだ、と。あの少年は、何者なのだ、と。
しかし。ピキッ。その叫びに、ただただ苛立つものが一人いた。
ロッゾだった。彼はぴくぴくと体を震わせると、怒りのままに「うがぁああああ!!」と叫んだ。
痛む体を叱咤して、歯を食いしばって立ち上がる。
「おいテメェコラガキッ!! 今なんつった! ゴブリン如きだぁ……? ユニーク個体だぞ、普通のゴブリンじゃねぇ! 分かってらぁ……。分かってんだよ、んなの! 【王】の顔に泥を塗ってたまるかって……」
ロッゾは、思い切り大剣を振り上げた。
風が巻き起こる。周囲一体の空気が、ぶぉん、と歪んだ。
「俺だって、分かってんだよ馬鹿野郎ッ!!」
ズドン。
たった一振り。
大剣を振るうだけで、暴風が吹きすさぶ。
巻き起こる暴風は数百のゴブリンをさらい、壁にぶち当たり弾け飛んだ。
それは魔法ではなかった。
単なる、超パワー。
副団長――ロッゾの意地である。
「……ハッ。誰だか知らねぇが、まあまあ助かったぜ。喝が入った……。……あんた、名前は?」
金髪の少年は、髪をかき上げてニッと笑った。
「――カレア。カレア・アーネスト。……アーネスト家三男にして落ちこぼれの、弱くて情けない男だよ。今は……な」
その声は、観戦スペースには届かなかった。
だが、ロッゾの耳には、確かに聞こえていた。
ロッゾは、思わず笑っていた。
「ふはっ、ふははっ、ふははははッ!! なんだ、なんだなんだなんだ……おもしれぇじゃねぇか」
ニィ。
カレアに笑い返して答える。
「そうか。……こいつは、今のうちに媚でも売っとくかぁ?」
ギラつく笑み。
またも暴風。
復活したロッゾはもう、止まることを知らなかった。
それだけじゃない。
「【王】の顔に泥を塗るなッ!!」
「俺達は、近衛騎士団だろうがッ!!」
「あの人に認められて、ここに立っているんだろうがッ!!」
少年のたった一度の激励。
ただそれだけで、騎士団は勢いを取り戻していた。
瞬く間に、ゴブリンの軍勢が蹴散らされていく。
活気づくその場。
「行ける……行けるぞッ!!」
「なぜか分からんが、ゴブリンの生成が止んでるッ!!」
「このまま押し切れッ!!」
一転攻勢。
彼らは、止まることを知らなかった。
しかし、少年――カレア・アーネストだけは、静かな瞳で戦場を見渡していた。
彼は、不可思議な気配を感じ取る。
(いる……)と。(この中に……いやがる……)
そして彼は。
とあるゴブリンを見て、視線を止めた。
少年のが目が、瞳が、瞳孔が。ゆっくりと、見開かれていく。
そのゴブリンはカレアを見ると、目の真横まで口角を吊り上げた。
「――ミツケタ、探し、マシた、よ……。マオう、サマ……ッ!」と。
静かに、カレアは、いいや……【〈奪〉の魔王】ガイアスは息を呑んだ。
(やっぱいやがった……。【魔王級】の、魔物)
――ゴブリン・ロード。
そいつはもうすでに、この戦場に足を踏み入れていた。
そして、カレアのことをまっすぐに、恋い焦がれるように見つめていた。
殺そうとしていたグランツから、視線を外しながら。
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