7 人はいつも

【避難所】とは、近衛騎士団・副団長が番をする、緊急時に城で働く召使いなどが逃げ込む安全地帯のような物、らしい。

 

 副団長は、世界有数の剣の使い手でもある。

 そして、彼の指揮する隊もまた精鋭揃い。だから、よほどでない限りあそこは破られない。そう、シルは言っていた。


「【避難所】まではあと数十メートル先です、が……」

 

 キュッ、とシルがブレーキを踏む。

 振り返って、俺の口を手で塞いだ。


「……道なりにゴブリンがいます。2体。170cmほど……あの背丈は、通常個体ではありません。……ユニーク個体です」


 ……ユニーク個体か。

 

 ユニーク個体――突然変異体ともいう。

 魔物がそれに至る理由はいくつかある。

 

 窮地に陥り覚醒することもあれば、元より突然変異体として生まれてきたものもいるし、膨大な魔力を身に宿すことで至る場合もある。

 

 数は少ないが……大抵が元のそれよりも強力で、厄介だ。


「なぜ、こんな奥地にまで。……迂回して行きましょう。あれを相手取るのは、私でも少しばかり――」


「――うわぁああぁああ!!」

 

 突如として聞こえてきた悲鳴に、思わず呆気にとられていた。

【避難所】の方から、いくつもの悲鳴が聞こえてくる。


「おい、騎士は何をしているッ!!」

「お前ら、魔物を通したらどうなるか分かっているのか!!」

「ぞ、増援を願うッ!! 戦える者は、手を貸して下さいッ!!」

「なんだこいつら……なぜ、こんなにも強い……ッ!?」


 ……おい、おいおい。どうなってんだコラ。

 ……【避難所】は、副団長がいるから安全、違ったのかよ。

 

 やっぱり、駄目だな、人間は。

 俺が魔王の頃から……てんで駄目すぎる。


 シルが、俺の手をギュッと握って押し黙る。

 そして、ゆっくりとこちらを向き直って、俺の瞳の奥をじっと見つめた。


「いいですか、カレア様」


 彼女は、訥々と言葉を繰り出す。


「道を戻って、真っ直ぐ進んで突き当たりにある階段を下ってください。……裏口があります。そこから、逃げるのです。……街のメインストリートにある冒険者ギルド……そこに向ってください。そこに、私の師がいます。……私の名を出せば、匿ってもらえるはずです」


「……じゃあ、シルは?」


「私は、応援に向かいます。……安心してください。シルはすぐに……カレア様の元に戻りますから」 


 ああ、本当……。


「それでは、どうかご無事で……」

 

 覚悟を決めたように、名残惜しそうに俺から手を離し駆け出すシルの後ろ姿を見て。

 俺は、ギュッと拳を握りしめていた。 


 ずっと、ずっとそうだ。

 俺が、魔王だった頃から。

 

 ……本当、人間ってやつは、てんで駄目すぎる。


「ハァアアッ!! 【スラッシュ】ッ!!」

 

 道を塞ぐユニーク個体のゴブリンの虚を突き、ゴブリンの背に一太刀を浴びせるシル。

 だがしかし、すぐさま、もう一体のゴブリンに振り払われた。

 

 壁に叩きつけられ、呻き声を上げながらも、シルは歯を食いしばって立ち上がった。

 

「この程度……ッ!!」

 

 一閃。

 超高速で、シルが駆け出す。

 

 目にも留まらぬ斬撃で、ゴブリンが一体瞬く間に斬り伏せられた。

 だが……。


「……ハッ!?」 

 

 もう一体のゴブリンが、そのスキを待つはずもない。

 頭上。シルの頭上に、丸太ほどもある棍棒が降り注ぐ。 

 

 はぁ。

 それを見て、俺はため息をついていた。

 

 目を瞑り、己の死を受け入れたように体を震わせるシル。

 ……本当、馬鹿だな。人間って生き物は。ずっとそうだ。ずっと、見てきた。

 

 こいつらは――

 

 魔力を、足に注ぐ。

 ぶっ飛ぶイメージで……足から魔力を、開放する、そんなイメージで。

 

 思いっきり、地面を蹴る……ッ!!

 

「そいつに手を出すんじゃねぇ……下等種族がッ!!」

 

 ――人間は、いつもいつも、最後、誰かを助けて死にたがる。

 

 なあ?

 お前もかよ、カレア・アーネスト。

 ……そんなに、シルが大切だったか?

 

 俺の体を一瞬でも奪ってまで、飛び出そうとするなんて……。

 

 だがまあ、奇遇だな。


「また、俺と一緒だよ」

 

「グギャ!?」 


 振り返ったゴブリンが、俺を見てガッと目を見開いた。

 硬直。体を止めて、棒立ちで俺を見つめる。

 

 まさか、本能で怯えちまったか……?

 ……俺が、魔王ガイアスだって気づいて。


 ははっ。楽しいなぁ、やっぱ。

 ……こういう、雑魚を蹂躙する瞬間は。

 

「どいてろ……雑魚がッ!! 【フレア】」

 

 ひゅるり。風を巻き込み、手のひらの前で炎の渦が巻き起こる。

 それは、瞬く間にゴブリンを包み込んだ。

  

 ……だが、今の俺の力じゃあ致命傷にはならねぇよな。

 

 すかさず、俺は叫んだ。


「シル……ッ!!」

「え、な、なぜ……カレア様が……?」

「今はそんなことどうでもいい。……まずは、目の前のこいつをやれッ!!」


 ハッとなって、シルが剣を握り直した。

 瞳に、光が宿る。

 

「申し訳ありません。そして、助太刀感謝致します……カレア様」

 

 一太刀だった。

 炎の渦に翻弄され暴れるゴブリンの首が、スパンッ、と軽快にぶっ飛んだ。

 

 ゴブリン二体が、地にひれ伏す。

 どうやら……これで終わりらしい。 


 ふぅ、と息を整えた。

  

 人間は、いつも、誰かを助けて死にたがる。誰かを助けるために、死地に赴こうとする。

 魔物にはない感情だった。死にかけたら、同族だとて蹴落として生き残ろうとするのが魔物だ。別に、それが非情であるというわけではない。……合理的な判断だ。

 

 人間は、愚かだ。そう思っていた。

 己の死を厭わず、誰かを助けようとする。

 そんなの、馬鹿のやることだと。 


 だが。

 シルが死にかける姿を見て……俺も、咄嗟に飛び出していた。 


 なんとなく、気持ちが分かった気がするな。


「なぜ、逃げなかったのですか、カレア様……」

 

 悔しそうな顔で、シルが言った。


「私を」俯いて、続ける。「……私を、信用なさってくれなかったのですか」


 あんなに震えた体で飛び出して……信用なんて出来るわけ無いだろ。

 とは思ったが、それを言うのは酷というものだ。 

 

 ただ俺は、ニッと笑って、シルに言った。

 

「僕が身を滅ぼさずとも、強くなれると証明出来たら?」 


 ハッ、と、シルが目を見開いて息を呑んだ。


「……そしたらシルは、僕の教育係になってくれるんだろう?」

 

 ふ、ふふっ。

 楽しげに、シルが笑った。


「変わられたのですね、カレア様は。……随分と、見違えました。本当、底の見えぬお方です」

 

 風が吹いた。

 そっと、風が頬を撫でる。 


 変わった、か。

 そりゃそうだ。だって俺は、カレア・アーネストではないのだから。

 

 でも、どうだろうな。

 心の奥底に眠る、もう一つの誰かの感情。

 

 それは、俺が初めてこの体に宿ったときは、全く別のそれだった。

 ……確かにまあ、成長しているのかもな。

 

 カレア・アーネストも。


「カレア様の才能を、ここで終わらせるには勿体なさすぎます」


 目を細めて、シルが笑った。


「この騒ぎが終わった後は……なりましょう。私が、カレア様の教育係に」

 

「……そうか。だったら」 


 立ち上がり、俺は【避難所】の方を向いた。


「さっさと終わらせないとね、この騒ぎを」


 

 

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