4 二人で

 シルから聞いていた。

 アーネスト家は、ここ【迷宮都市】セイレンの西区を管理する上級貴族である、と。

 

 そして、俺には兄が二人、弟、妹が一人ずついることも教わった。

 

 となると、背丈の小さな彼は……俺の弟――グランツ・アーネストに当たる人間か。


「まだ生きていたんだな、兄さん」

 

 刺々しいグランツの言葉に、俺は顔を歪める。

 そうか。どうやら……カレア・アーネストが病弱であることを知っていて、その上で馬鹿にしているんだろう。

 

 胸の奥底から、怒りが湧き上がってくる。

 

 ――俺のものではない、誰かの怒りが。 


「もしかして、勉強でもしていたのかい? 馬鹿だねぇ、兄さんも。先が短いのに、勉強なんてする意味ないじゃないか」

 

 憎たらしい笑みを浮かべ、グランツは腹を抱えて笑い始める。

 なるほど。かなり下に見られているようだ。普通はあるであろう兄に対する敬意などは、微塵もないといった様子だ。

 

 グランツは、更に続ける。


「兄さんじゃあ、何をしても意味がないよ。だからほら、諦めて死んじまったらどうだい? 大丈夫だよ。出来損ないの兄さんに代わって……優秀な僕が、この家を継いであげるからさ」

 

 ギャハハハハ。グランツの笑い声が、部屋の中で反響した。

 胸の奥で、グツグツと怒りが唸る。俺のものではない、怒りだ。そうか、怒ってんだな、お前は。あいつが憎いのか? うざったいのか?

 

 なあ……カレア・アーネスト。

 

 俺の心の奥底で眠っているもう一つの感情に、俺は問いかける。

 すると、ひとりでに拳が動いた。

 

 ギュッ。強く、拳を握る。

 

「僕ね、【剣聖】に剣の腕を褒められたんだ! 君ならいつか、偉大なる剣士になれるだろうってね! それだけじゃなくて、もうすでに【フレア】だって使えるんだ! 落ちこぼれでもうすぐ死んじゃう兄さんとは……ぜんぜん違うんだよ?」

 

 静寂。張り詰めた緊張感の中。

 グランツが、チッ、と気に食わないとでも言うように舌を打った。


「なに、その目。嫉妬? 見下してるのか……? ……んだ、それ。笑えるよ、本当。ちょっと小突いただけで倒れちゃうような兄さんが、僕を見下すとか……ッ!!」

 

 グランツが、勝手にバカにされたと勘違いして、こちらに飛び掛かってくる。

 すぐさま、シルの声が聞こえた。


「カレア様……ッ!!」

 

 しかし。

 

「――それで、俺が何だっけ……?」 


「う、わぁ!?」 


 殴りかかってきていたグランツの腕を逆に掴んで引っ張り、足を引っ掛けて転げさせる。

 ズドンッ。音を立てて顔から地面に倒れ込んだグランツは、数秒そのまま動かなかった。

 

 ……弱いな。本当に【剣聖】に褒められたのか?

【剣聖】っつったら、あれだよな。人間軍にいた、結構厄介だった剣士。……あのレベルの人間が、こんな奴を認めるとは思えないが。

 

 やがて。

 グランツは唸ると、「この……落ちこぼれのくせにッ!!」と怒号を上げて飛びかかってきた。

 

 がしかし。


「やめろ……グランツ」

 

 すぐさま、誰かが彼を諌めた。

 ドアの奥から、もう一人新たな人物がやって来る。鋭い目つきをした、金髪の好青年だった。若くして筋肉は膨れ上がっていて、瞳からは自信が垣間見える。

 なるほど。……もうすでに、『現場』を知っている人間だな、これは。


「り、リアレ兄さんッ!」

 

 振り返って、グランツが叫んだ。

 リアレ兄さん……。そうか、彼がリアレか。

 

 アーネスト家の長男にして、齢17にして騎士団に所属している実力者。

 このままいけば、いずれは順調にアーネストの名を継ぐ逸材だろうと、シルが言っていた。

 

 涙を目に滲ませながら、グランツが叫ぶ。


「だ、だって……カレア兄さんが、落ちこぼれのくせに、僕のことを馬鹿にしたんだ……! しかも、暴力まで……ッ!!」


「分かった、分かったから。……グランツ、お前は先に食堂に行ってろ」


「な、なんで、まだ――」


「――グランツ……。あまり、兄さんを困らせないでくれ」

 

「わ、分かったよ……」


 しょぼくれた顔で、グランツが背を向けて歩き始める。

 それから。「……覚えてろよ、カレア」と、『兄さん』呼びはどこへやら、敵意向き出しの目で告げてから部屋から出て行った。

 

 すぐさま、シルが駆けつけてくる。


「大丈夫でしたか、カレア様。……お怪我の方は? 体調は?」

「大丈夫だよ、シル。なんともないさ」

「……し、心配です。それに、さっきのは、一体……」

 

 口を猫のようにさせ、今にも泣き出しそうな顔で俺の体をぺたぺたと触るシル。

 どうやら……本気で心配なのだろう。いつも無感情って具合なのに、たまに取り乱すから彼女は面白い。

 

「久しぶりだな、カレア。元気にしてたか……?」


 屈み込み、リアレは俺に視線を合わせる。


「お久しぶりです、リアレ兄さん。僕は、思いの外元気ですよ」


 お久しぶり、というか俺にとっては初対面なのだが、カレア・アーネストにとっては見知った顔であろうから、一応お久しぶりと答えておく。

 すると彼は、快活な笑顔で俺の頭をぽんと叩いた。

 

「そうかそうか。少し前まではベッドから一歩も動かなかったのにな。元気になったな、カレア。……まるで、人が変わったみたいだな」

 

 ギクッ。思わず顔がひきつる。

 ガハハと彼は笑ってみせた。


「まあ、元気ならそれでいいんだ。カレアには……少しでも長生きして欲しいからな」

 

 しんみりとした雰囲気が流れる。

 グランツといい、リアレといい。なんだか……物言いが奇妙だな。

 

 まるで……『カレア・アーネストが死ぬことが確定している』みたいな。

 ただの病なら……治る余地もあると思うのだが。

 

 リアレはずかずかと部屋に踏み入ると、散らばっている本の山を見渡す。

 その中の一つを拾い上げて、彼は言った。


「【騎士道:入門編】か。……懐かしいな。俺も読んだよ、これ。難しかったろ? 一人で読んだのか?」

「いえ、シルが……シルフィさんが、一緒に読んでくれて」

「なるほどな。にしても6歳にしてここまで本を読み漁るとは……カレア、中々やるなぁ」

「いえ、ただ外に出られないので暇なだけですよ」


 6歳……か。

 なんか、唐突に俺の年齢が把握できたな。そうか、まだ6歳だったのか。……もう、6歳か。 


 約束の日は、15歳の誕生日。

 あと10年とない。……時間は限られている。焦るな、正直。


「それで、兄さん達はどうして突然ここに?」

「いや、別に用はなかったんだが……グランツのやつが急に入っていくもんでな」

「あー……」

 

 なるほど。

 俺を馬鹿にしようとドアを突き破っていくグランツを想像して、思わず苦笑した。

 

「でもまあ、グランツもさ……あんなだけど、悪い奴ではないんだよ。ただ、焦っているんだ、あいつも。分かってくれないか……?」

「ええ、分かっていますよ。大丈夫です。そこまで気にしていませんから。それに、いつかは超えてやるって、思っていますから」 


 笑って答えると、リアレは目を見開いて驚いてみせた。

 

「お前……いつかって……」


 そこまで言って、彼はとっさに口をふさぐ。

 それから苦渋の表情で頷いて、ギリッ、と奥歯を噛みしめた。


「そうか……。超えられるといいな、カレア」

 

 奇妙な静寂。それから、リアレが口を開くことはなかった。

 

「おい、リアレ……何をしている。今日はお前の生誕祭なのだぞ。……主役がおらずどうするというのだ」

 

 ドアの奥から、険しい顔をしたガタイの良い男がリアレを呼ぶ。

 すると、リアレは咄嗟に振り返った。


「ごめんって、父さん。すぐ行くよ。……それじゃ、またな、カレア、シルフィ。元気でな」

 

 わしゃわしゃ。

 頭を撫でて、リアレは部屋を後にする。


 父さん。そうか、あの男が、俺の……。

 カレア・アーネストの、父親――アルカナム・アーネスト。


 父は俺の姿を値踏みするように見ると、「ふっ」と鼻で笑う。


「無駄な努力をしているようだが、やめておけ。時間の無駄だ。……落ちこぼれなのだから、大人しくしてろ」

 

 ……ああ、そうか。

 胸の奥底で、誰かが叫んでいる。泣いて、理不尽を叫んでいる。 


 父はリアレと同じように本を一冊拾い上げると、「下らん」と言って床に叩きつけた。


「【魔法入門編】など、お前が読んでどうなるのだ。そもそも、シルフィ……」

 

 低い声色で、怒りを含ませて彼はシルに言う。


「お前にお願いしたのは、あくまでこいつの監視だったはずだろう。……無駄な肩入れなぞしよって、同情でもしたか……?」

 

 しかし。シルは、「いえ」といつも通りの無表情で首を横に振ってみせた。


「ただ……ここで終わらせてしまうには、勿体ない才能だと……」

 

「下らん。……余計なことはするな、いいか、分かったな……シルフィ。冒険者とはいえ、現状の貴様はただのメイド。……我が家の事情に、首を突っ込むでない」

 

 それからシルは何も言わなかった。

 父は最後に、俺のことをじっと見つめて。


「なぜ……こんな失敗作を生んでしまったのか」と、はぁ、と深くため息を付いた。

 

 背を向けて、去っていく。

 ただ。また、まただ。胸の奥底で、唸っている。叫んでいる。

 

 失敗作だ……?

 なんだ、それ。家族だろ。家族じゃないのかよ。

 

 俺には、何があったのか分かんねぇけどさ。

 もしかしたら、すごい、事情があるのかもしれねぇけど、でも、でもさ。

 

 なあ、カレア・アーネスト。

 ……あいつが、憎いのか?

 

 そうか。だったら……。

 

「俺と同じだよ」

 

 いつの間にか、地面を蹴っていた。

 想像する。大地を砕き、天候をも変えるような一撃を。想像して、魔力を右腕に注ぎ込む。 


 身体強化。

 ……付け焼き刃だけど、様になったッ!!


 ズドン。

 父の背中に、思いきり右拳が突き刺さる。 


 が、しかし。

 まるで、びくともしなかった。 


 父はため息と共に振り返ると、こちらを見下して鼻で笑う。


「魔に穢れた落ちこぼれ風情が、無駄に力をつけて思い上がったか。……おいシルフィ。お前が付け上がらせたせいだ。さっさと躾けておけ」

 

 そのまま、父は去っていった。

 遠のく背中を、じっと見つめる。

 

 あまりにも、強大だ。まだまだ、全然力が足りない。

 ……あいつはきっと、乗り越えるべき壁の一つだ。そう思った。

 

 配下達に勝とうと思ったら、あいつに負けているようじゃだめだ。

 つーか、そんなことよりも。


 ……シンプルに、このまんまじゃ悔しいだろうが。 


「なあ、シル」

 

 背を向けたまま、俺は訊く。


「もう一つ、わがままを聞いてほしんだ」と。


「――僕を、強くさせてほしい。……大丈夫。病気になんて、負けないから」

 

 なあ、カレア・アーネスト。

 心の奥底に眠るもう一つの心に、俺は問いかける。


 グランツに煽られたときも、父にバカにされたときも。

 お前は、確かに動こうとした。俺の体を奪って、あいつらを殴ろうとしていた。

 

 でも、さ。

 ……お前、逃げただろ?

 

 まだ、怯えてるのか? グランツと父が、怖いのか?

 

 もう、大丈夫だ。

 だってお前にはもう、俺がいる。

 

 二人で強くなろう。

 やってやろうぜ。

 

 落ちこぼれとか、病気とか、まだ俺は何も分かっちゃいないけど。

 ……ここからが、正真正銘、俺とお前との始まりだ。 


 カレア・ア俺達ーネストの逆転劇の、幕開けだ。

 

 

 

 



 

 

 


 

 

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