3 魔法の使い方


 あれからまた一週間。

 シルフィは「いけません。魔法の使い方を学んだら……無理をなさるおつもりでしょう?」なんて頑なに魔法の本を持ってきてくれなかったが、しかし。


 上目遣いで俺がお願いすると、彼女はすぐに折れた。


「仕方ありませんね……カレア様は」

 まあ、なんというか。チョロかった。


 だがしかし。

 本を持ってきて貰った……はいいが、そこで問題が発生した。読み書きが出来なかったのである。


 人間から手紙が届いたことはよくあったが、思い返せば、全て配下に読ませていた。

 そういえば、読み書きなど、しかたこともなかったのである。

 

 故に。

 

 西日差す、無駄な装飾で彩られた静けさの漂う部屋の中。


「ねぇ、シル。これはなんて読むの?」

「こちらは……『りんご』ですね。果物の名前です」

「ふーん。じゃあ、これは?」

「こちらは『ぶどう』です。こちらも果物の名前ですね」

 

 俺は、シルに読み書きを教わうようになっていた。

 読み書きを学び始めてから一週間は経つが、もうすでに、それなりになら読めるし、書けるようになっている。

 

 事あるごとに、シルは大げさに驚いてみせた。


「素晴らしいですね、カレア様。初めてすぐでここまで読める人は、大人でもそういませんよ」と。

 

 まあ、舐めてもらっては困るというものだ。

 身なりは一端のガキではあるが、中身はこの世界を一度は征服しかけた魔王なのだ。教養はなくとも、経験値が違う。


 それからまた一週間。

 簡単な本なら、苦なく読めるようにはなっていた。 


 ただ、まだ魔術に関する本を読むのは難しい。

 だがそれも、シルという辞書を隣においておけば、それなりに読めるものだった。

 

 まずはこれから。

『初心者用、猿でも分かる魔術入門編』である。

 

 ずっと気になっていたのだ。

 人間は、いかにして魔法を使うのか、と。

 

 彼らの魔法は、どれも綺麗で整っていた。がしかし、その分……威力に欠けた。

 それもそのはずだろう。


「……ステップその1、詠唱により魔法のイメージをつけてから放つ、か。人間らしいやり方だな……」


「何か言いましたか、カレア様」


「いいや……なんでもない」


 ページの脇には、【『入門編』基本的な詠唱一覧】も書いてあった。


『フレア』赤よ、炎よ。燃え滾り、あだなす者を焼き払え――フレア。

『ウィンドウ』風よ走れ、大地を駆けろ――ウィンドウ。

 

 といった具合に……だ。

 詠唱によりイメージを固定化させ、魔力に記憶を定着、安定して魔法を放つ、という仕組みなのだろう。

 

 だが、それじゃあ出る威力も出ない。

 魔法に大切なのはイメージだ。イメージ、すなわち……心だ。 

 

 目の前の敵を殺す、そのくらいの熱量を持って、それができるくらいの『フレア』をイメージする。

 思いの丈が伸びるほど、魔法の威力は上がっていく。

 

 そして、魔力には色がある。

 人間はまだ、このことに気づいていないらしい。


『赤』ならば『情熱』

『青』ならば『冷徹』

 

 魔力の色によって、適応する思いの丈は異なる。

 俺の場合は『ピンク』だ。


『楽しめば楽しむ程、威力が上がっていく』魔力。

 それが俺の魔力だった。

 

 それから、入門編は一通り読み終わった。

 分かったことは一つ。

 

 ――人間は『詠唱』に囚われすぎている。 


『詠唱』の速度、正確無比さ、それが魔法の出来に繋がると本気で思っているのだ。

 全く、馬鹿である。


 詠唱なんてなくたって。

 

「【フレア】」

 

 ボッ、人差し指の先に火が灯る。

 ……魔法は、簡単に使えるのにな。


 恐らく、幼い頃からそう教わっていくせいで、『詠唱』のイメージに囚われ、『無詠唱』が使えなくなるのだろう。 

 

 唯一、俺が知らないことも書いてあった。

 どうやら……人間には【適正属性】なるものがあるようだ。適正属性以外の属性の魔法は、得てして使えないらしい。

 

 俺の、カレア・アーネストの【適正属性】は『炎』らしかった。

 

 しかし、たった一つ、【適正属性】を増やす方法もある。

 

 ――各属性の精霊王に認められるほどの偉業を成す。

 

 それによって、【適正属性】は増えていくのだとか。

 奪って魔法を使っていた俺が知らないわけだ。 

 

 でもまあ……面白そうじゃねぇか、このシステムも。

 

「……か、カレア様」

 

 シルが、驚いたような顔でこちらを見ている。

 あ、不意にそう思った。


「今、魔法を……」


 やっちまった。

 額に手を当てながら、俺は「あはは」と誤魔化すように笑う。


「試しに詠唱してみたら、急に出てびっくりしちゃったよ……」

 

 シルは、心底驚いたような顔をしてこちらを見ていた。

 しかし、シルは、それ以上言及しなかった。


「無理はなさらぬよう」とも、彼女は言わなかった。

 じっと、見定めるように、俺の瞳を見つめていた。


 まあ……少々調子に乗りすぎたな。

 これからは気をつけるとしよう。

 

 それから、また一週間。

 シルは、時たま姿を消すようになった。今までべったりだったのに、洗濯だとか、食器洗いだとか、他の者に任せていたものを急に自分でするようになったのだ。 


 そのすきを見計らって、俺は魔法の特訓をするようになっていた。


「【フレア】ッ!!」

 

 部屋が爆発しないよう、しかし、確かな威力を持つように。

 ミリ単位の調整をして、火球を生み出す。 


 そして、それを消えぬように指先で保つ。

 集中力、持久力、想像力、その全てにアプローチする特訓だった。 


 しかし。ボッ。音を立てて、数秒もせぬうちに火球は消えた。

 そもそも弱々しい頼りない炎だったというのに、持続力もこの程度とは……先が思いやられるな。

 

 だがまあ、初めはこんなものだ。

 繰り返せば繰り返すほど、魔法の精密さは上がっていく。

 

「家事、終わりました。カレア様」

「ありがとう、シル。ねえねえ、次はさ、魔物について知りたいんだ」

「分かりました。では、オーソドックスなゴブリンから――」

 

 シルがいる間は座学を学び。

 シルがいない間は魔法を扱う。

 眠る前は魔力を枯渇させ、魔力増強の特訓を兼ねて眠る。

 

 効率的ではないが、確かに少しずつ、魔力面は成長しつつあった。

 また、情報も集まってきてはいる。

 

 どうやらカレア・アーネストは、ここでは『落ちこぼれ』と呼ばれているらしかった。

 たまに顔を合わす召使いから送られる視線は、どれも奇異の視線だった。まるで、不吉なものを見るような。


 落ちこぼれで病弱。

 なんとなく、家族から放置されている理由が分かった気がした。 


 ――それから、いくつか月日は過ぎ去って。

 

「【フレア】……ッ!!」 


 ひゅるり。

 風が巻き起こった。

 

 風の中心に炎が浮かび、やがて渦上に広がっていく。

 神経を研ぎ澄ませ、炎に絶えず魔力を送り続ける。

 

 部屋に被害が及ばない程度の大きさで留めて……微調整、微調整――


「――家事、終わりましたよ、カレア様」

「わぁ!? し、シル!? って、う、うわ、うわわわわわ!?」

 

 ――ズガァアァアアン!!

 

 魔法が暴発し、炎が収縮し爆破する。

 ぽろぽろ。灰が頭に降り注いだ。

 

 ただ、流石と言うべきか高級家具。多少焦げている部分も見受けられるが、ほぼ無傷だ。流石、手先だけは器用な人間だ。褒めてやろうじゃないか――


「――カ・レ・ア・様……?」

 

 にっこり。

 握るドアノブを軽々バキッと折ったシルが、狂気的な笑みでこちらを見ている。 

 

「あはは……良い笑顔だね、シル。可愛い顔が台無しだ」


 そう微笑み返すと、シルは頷いて目を細めた。

 ああ、うん。これ、あれだ。


「魔法は使ったらいけませんと、何度言ったら分かるんですか、カレア様ッ!!」

「わ、わわ、やめろ、やめてくれシルッ!! 大体、僕も何度『ノックをしてくれ』と言っているか……あ、あ、や、やめて、まじで、頼むシルッ!!」

 

 抱え上げられ、ベシッと、尻を弾くように叩かれる。

 痛え……クソ痛えッ!!

 

 この女、加減を知らねぇッ!?


「はぁ、はぁ……カレア様は、本当……悪い子ですねぇ……!」

「う、うぁぁぁあああ!? シ、シル? なんか目が怖いというか……よだれ垂れてるし……!?」

 

 魔法を使うことがバレると、こうして一時間にも渡る容赦ない尻叩き地獄が続くのだが……これについては多くは言わない。ただ、これのおかげでいくらか魔王としての威厳が薄れたことは確かだった。

 

 ただ。 

 ステータスを見て、俺は微笑む。


 

Status───────────

カレア・アーネスト 人間


〇魔力 :5

〇身体力:2

〇精神力:4

────────────── 

 

 どの数値も……結構伸びてきているな。

 順調だ。そう思った。ただ、順調な日々ってのは、結構突然、終わるものらしく。

 

 それはある日。

 いつも通り、シルに読み書きを学んでいる最中のことだった。


 ガンッ。思いっきり、ドアを蹴り開けられた。

 一体誰が。振り返る。するとそこにいたのは、背丈の小さな少年だった。サラサラの金髪を眉上の辺で切り揃えている彼は、こちらを見て笑みを浮かべると、馬鹿にするように言ってみせた。

 

「まだ生きていたんだな、兄さん」と。

  

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