第107話 ヒーツジではない何か(第三者視点)

「チロルさんこんにちは」

「ああ、これはこれはエルヴィスさん自らお越しいただいて――」

「いえいえ、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。それで……例の物は?」


 裁縫職人であるチロルの店にエルヴィスがやってきて挨拶も早々に本題へと入る。


「すでにお預かりしています」

「そうですか。早速見せていただけますか?」

「分かりました」


 エルヴィスはチロルに案内されて倉庫の中に入った。


「これは……!?」


 エルヴィスは山のように積み上げられた高品質の毛玉を見て言葉を失う。


 アイギスがまたやってくれた。彼の心の中はそんな気持ちで一杯だ。


「これがアイギスさんが持ち込んだヒーツジの毛

「本当にそうだと思っていますか?」


 断言しない言い方でアイギスから預かっている毛玉を見せるチロルに、エルヴィスがニッコリと笑って尋ねた。


「確かに系統はヒーツジの毛に近いですが、まるで別物ですね」

「そうです。これはヒーツジの毛ではありません」


 チロルの言葉に満足そうに頷きながらその意見を肯定する。


「やはり……」


 エルヴィスが否定したことで自分の鑑定眼が正しかったことを理解するチロル。


 今まで扱ってきた経験からヒーツジの毛がどういうものか理解している。しかし、今回扱った毛はヒーツジとは思えないほどの手触りと弾力、そして何よりもすぐに分かるほどに心の底からの安らぎと心地よさをもたらすその効果は明らかにヒーツジの毛とは一線を画していた。


「似ていますが、質が違いすぎます。この毛はヒーリングシープの毛です」

「それって伝説の種族じゃないですか!?」

「はい。その伝説の羊で間違いありません。私が鑑定しましたから」


 何事もないように毛の正体を述べるエルヴィスに、チロルは驚愕で目を見開いた。


 ヒーリングシープは実際にその姿を見た人はいないと言われるほどに希少なヒーツジの一種で、もはや想像上の存在だと思われていた。


 そんな動物の毛が目の前にあるとなれば驚くのも無理はないだろう。しかもそれが本物だと保証されているのなら尚更だ。


「まさか……この毛が全て伝説の毛だとは……」

「チロルさんの事は信頼しておりますので、言わなくても分かっていると思いますが、この素材をちょろまかしたりしないようにお願いしますね」


 毛玉の山を見上げて呆然とするチロルに、エルヴィスが釘を刺す。


「滅相もない。私はこの仕事に誇りを持っております。そんなことは裁縫の神に誓っていたしません」

「すみません。私も商人なもので一応言っておかねばなりませんから。気を悪くされた申し訳ありません」


 チロルがブンブンと首を振ってから神に祈る仕草をして答えると、エルヴィスは申し訳なさげな顔で頭を下げる。


 エルヴィスとしては腕のいい職人であるチロルにこんな事は言いたくはないが、人はどうしても欲に目が眩む生き物。


 たとえ信頼があったとしても商人としてそれに盲目的に甘えてはいけないのだ。


「いえいえとんでもない。伝説の毛ともなればどれだけの価値があるか分からない物。慎重になるのは当然でしょう」

「そう言っていただけると助かります。それじゃあ、その毛で作った布団を見せてもらえますか?」


 アワアワと両手を振って慌てるチロル。そんな彼に丁寧に感謝の事を告げてから布団の案内を依頼した。


「分かりました。ついてきてください」


 チロルはそう言ってエルヴィスを連れ、アイギスに納品予定の布団を置いてある場所に移動した。


「ほわぁ……こちらです……ほわぁ」

「ほわぁ……これはとんでも布団ですね……ほわぁ」


 別室で椅子に座り、運ばれてきた布団を受け取るエルヴィス。チロルもエルヴィスも布団を持つと蕩けきった顔になってしまい、力が抜けそうになるが、なんとか堪えながら話を進める。


「はい。私もこの布団を作っている途中で何度寝そうになったことか、それほどに癒しの効果が高いんです」

「それもそのはずですよ。この布団で寝ると三時間で体も心も全てが健康になり、全ての疲れを消してしまう効果がありますから。その上、一度寝れば一週間寝なくてもいいくらい元気になります」


 チロルが布団の持つ力を力説すると、エルヴィスが鑑定結果を伝えながら、その力を肯定するように首を縦に振った。


「とんでもない布団が出来上がってしまいました……」

「そうですね。ただ、アイギスさんが持ってくる素材ですからね。これほどの効果があってもおかしくはありません」

「アイギスさんって凄い方なんですねぇ」


 チロルはエルヴィスから全幅の信頼を置かれているアイギスに感心する。


 自分ですらまだまだ信頼されていないという状態なのに、すでにエルヴィスが信頼しているアイギスという人物の凄さを改めて実感した。


「そうなんですよ。私の商会で今一番のお得意先ですからね」

「はぁ~。一個人でカーン商会一番とはこりゃあぶったまげますな」

「それだけあの人が持ってくる商品は素晴らしい物が多いんですよ。ヒーリングシープ毛と同じようにね」

「確かに」


 俺はアイギスの凄さを共有してお互いに笑いあうのであった。

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