第2話 山の中

女の子が玄関から入ってきた。突然のことで俺はビクッとしてしまった。

その子は俺を見て一瞬硬直し、甲高い声を上げた。


「うぇぇぇっ!」

「珍しく声を出したな」ハハハと師匠は笑った。


じろじろと無遠慮に視線を向けてくる。俺より少し年下だろうか。肩までの赤い髪だった。

師匠は簡単に俺のことを説明した。


「というわけで、コイツの名はトレン。わしが付けたんだ。良い名だろう?」バシバシ俺の肩を叩きながら、嬉しそうに笑っている。

「ユニも自己紹介するといい」

「……」


ユニと呼ばれたその女の子は、やはり喋らなかった。


「今日は大奮発だ。普段は飲まんが酒も飲もう」


テーブルの上には何かの肉の塊、白いスープ、パンそして赤い液体がグラスに入って並んでいる。

夕食のあいだ、師匠はずっと話をしていた。自分の過去の剣士としての働きを語ってくれた。

見たところまだ現役の剣士だ。なぜこんな山奥で隠居生活みたいなことをしているのだろう。俺は質問してみた。

師匠はウッと言葉に詰まり、それから微笑んだ。


「人には色々あるものだ」


それ以上言葉はなく、教えてはもらえないのだなと理解した。師匠もある意味、引きこもりなのでは?

ユニは全く喋らない。時々俺に睨むような視線を送ってくるだけだった。



「トレン、たまには外、出てみない?」

「いやだ」

「どうして嫌なの?」

「……」

「話してくれないと、こっちもどうしたらいいか」

「……怖いんだよ、亜人とか色々」

「うん、わかる。でもそのために修行を」

「ほっといてくれよ!」

「……でろ」


師匠の声から優しさが消えたので、布団から顔を出して覗いてみた。人殺しの目をしてやがる……これは比喩ではない。国の剣士時代に本当に殺してるからな。

俺は跳ね起きて、身支度を整えた。


師匠は剣の稽古をつけようと張り切っているが、俺は戦いたくなんかない。そんな事態に陥りたくない。

そこで俺は魔法に活路を見出した。修行も室内でできそうだし。

師匠に魔法を教えてほしいとお願いした。


「駄目だ。わしは魔法は全然でな」

「そうなんすか」

「魔道具があれば魔力を流すだけで何でもしてくれるからな」師匠はそう言ってから剣を抜いた。

「戦闘のために二つだけ極めた。まずは炎を刀身に纏わす」


突然、師匠の剣から炎が上がった。


「す、凄い」


何の仕掛けもない。ノーモーションで火がついた。それもかなりの火力だ。カッコ良すぎる。是非やってみたい。


「まぁ見た目は派手だが、実戦で使ったことはない。しかしこっちは便利だ」


剣を振ると、五メートルは離れた樹が幹の途中で斜めにずれ、上部が音を立てて落ちた。


「切ったんですか?」

「斬撃を飛ばした。剣から離れるほどに威力は落ちていくがな」


これがあれば接近せずに戦える。逃げやすそうだ。


「誰でも魔力は持っておるが、その性質を変化させれる者は少ない。さらに魔術師と呼ばれるほどの者は数万人に一人。わしも訓練していくつか性質変化できただけだ。こればっかりは持って生まれたものが大きい。その点、剣はいい。修行すれば誰でも上達する」

「それでもやってみたいです!」


師匠は不満そうな顔をしていたが、基礎を教えてくれることになった。


が、俺には全く才能がないことがわかった。

自分の中の魔力の流れを感じろ、と言われてもさっぱりわからない。

色々試したが、子供でも扱える魔道具すら俺は使えなかった。夜の明かりも食材を煮炊きする調理器具も、魔力で動かす魔道具なのだが使えなかった。

つまり家事も手伝えないものが多い。そんな人間はかなり珍しいらしい。師匠は面白がり、ユニは役立たずは死ねっという目で見てきた。



結局、師匠と向かい合い木刀を振り、ときに刀を振った。師匠の強さを感じる日々であったから、外に出るのも徐々に慣れていった。

いつの間にかそれが日常になる。何者かもわからない俺には他にすべきことがなかった。


師匠は美しかった。

容姿の話ではなく(凛々しいつり目に、高く通った鼻筋と端麗だが)剣を持つ姿が。ただ立っているだけでもそこに太い軸を感じる。しかし柔軟さもある。太刀筋もとてつもなく疾いのに水の流れるような柔らかさがある。いつも向き合いながら感動していた。


ユニは相変わらず口を聞かず、日中何をしているのかもわからない。

一度、朝早く水を汲むために外に出てみると(師匠がいないからこの時間が一番怖い)、ユニが地面にひざまづいていた。

まだ赤い太陽の光を受ける姿が神聖なものに見えて、俺は息を殺して眺めた。

目を瞑り、握った両手を額につけている。俺の気配に気付いたのか、振り返った。地面から何かを拾ってから急いで立ち上がった。


「何をしてたんだ?」

「見ればわかるでしょ」


さっぱりわからないから訊いたのだが。これ以上は機嫌を損ねそうなので黙ることにした。俺に背を向け歩き出したが少しして立ち止まった。こちらを見ずに言った。


「本当に何も覚えてないんですか?」

「ああ……君は俺のこと、何か知ってるのか?」

「あなたのことは知りません」

「そうか」


赤髪が遠ざかるのを見送りながら、彼女が何か隠している気がしていた。


それから俺は刀を振った。鳥の鳴き声がして遠くから水の流れる音がする。何度も振っているうちに恐怖は薄らいでいく。

ひとりになると自分が一体何者なのかと考えてしまう。

でもそれを知ってしまうと逃れられなくなりそうで怖い。知らなければ、ただ剣を振る自分でいられる。



あとになって、もしかするとユニは腹でも痛かったのかと思いあたり、師匠に話すと

「それは礼拝だな。このシャウラ王国に伝わるケフィウス教のものだ。敬虔な信徒は朝晩の礼拝を欠かさんからな。地面を掘ってロザリオを置くんだったかな。わしは熱心ではないからしたことないが。まぁわし、色々と少数派だから」


師匠には漁や畑、薪割りなども教わりながら、たくさんのことを話した。剣やこの国のことも教えてくれた。


「で、お前はどうなんだ?ん?同い年ぐらいの女の子とひとつ屋根に暮らして、気になるだろう?」

「いやほぼ喋ったことないんで。可愛いとは思いますけどね」

「あれは色々あったのだと思う。初めて目を覚ましたとき、ユニは酷く怯えていた。名前しか教えてはくれんが、とにかく取り乱してお前を心配していた」

「そうなんですか」

「優しい子なのか、お前が大切なのか。今の様子を見ると、単純にわしが嫌われているのかぁ?」と首を傾げる。


意外な話を聞いた。俺が大事なんて、そんなふうには見えない。しかし俺とユニは全くの無関係とは思えない。二人で行き倒れていたのだから。


「だから今度はお前が助けてやれ。自分を生かし、そして人を生かす。剣の至るべきところはそこだ」

「俺も時々睨み付けられるんですけど……でも俺たちはどうしてこんな山の中に倒れてたんですかね」

「何らかの魔術災害にあったか、どこからか逃げてきたか。わしも気になって、まだトレンが寝ている間に近くの集落に調べに行ったが、何も変わったところはなかった」

「……」

「気にしても仕方あるまい。お前の記憶が早く戻ることを祈ろう」

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