第7話 夫であった侯爵は語る(3)

 結婚生活は穏やかだった。

 私の両親との仲も非常に良かった。

 と言うより、マゼンタが母にひどく懐いたのだ。


「私ね、家事をやっても母からけなされるだけだったのよ」


 ぽつりぽつりと口にする彼女の母親像は、普段の我が家の両親を知る身からすれば、異様としか言い様がなかった。


「兄が学校に行くために私は奉公に出されたんです」


 八歳の頃からの小間使いと学友を兼ねた住み込みは、それでも多少なりとも賃金が発生したのだと。その大半を彼女は家に送っていたとのこと。

 そしてその金は兄の学費に消えたのだと。


「兄はそのことをたぶん知りません。母が言うものではない、と私に言いましたから」


 だがマゼンタの兄は実際知っていた。なおかつ母親がそのことを自分に知らせない様に娘に言っていたことも。


「マゼンタは絶対に家に帰らせるようなことが無いといいと思います」


 義理の兄になった男はそう言った。


「自分は何もできなかった。できるのは、この先母がマゼンタに口出しすることを抑えることくらいです」


 そのためには何でもする、と彼は言っていた。

 妹のおかげで結婚もできた、妻も感謝している、と。

 彼の家庭にはすぐに子供も総勢四人できた様だが、常に笑いの絶えない家庭らしかった。


 だがマゼンタにはその兆しは全く無かった。

 幾つかの理由が考えられた。

 まず我々の間にさほど多くの夜の営みが無かったということだ。

 お互い求めることがさほど強くなかったということがある。

 次に彼女自身の身体。

 子供の頃の栄養が同じ年頃の貴族の女性に比べ良く無かったことから、どうも月々のものが不規則だと本人は言っていた。

 そして何より、マゼンタ自身はさほど子供を欲しがっていない様に見えたのだ。

 家庭教師をやってきた反動だろうか。私や義両親との生活を非常に楽しんでいるように見えた。

 私は私で、それはそれで良いと思っていた。

 彼女は侯爵夫人としての役目を理解しており、それをまた生真面目にこなそうとしていた。

 実際彼女はそれに関しては文句無しだった。

 母に教わり、相応しい姿、態度、言葉遣い、社交と何かと学ぶべき新たなことに貪欲だった。

 二年足らずで彼女は「侯爵夫人」として社交界に出しても充分通用するようになった。

 ただ、彼女にとって一つどうしていいのか判らないことがあった。

 それは妹のエレーナのことだった。


 エレーナは小さな頃から優秀だった。

 それも多方面に。

 普通の令嬢が学ぶべきことは無論、学問、音楽、絵画というものに格別その才能を見せた。

 特に絵画制作の腕は素晴らしかった。

 令嬢のたしなみどころではなく、本格的な画家の道を選び、それが通用…… どころではなく、王都のコンクールで優秀な成績と残し、実際売れ行きも良いというものだった。

 宮中からも部屋に飾る絵を所望されたり、壁画を依頼されたりとあちらこちらから引っ張りだこだった。


 そんな妹が、五年前に妊娠して戻ってきたことからどうも歯車がずれはじめた。

 元々マゼンタは「エレーナ」に関しては、普通に義理の姉の顔ができるのだ。

 だが画家の「エレネージュ」に関しては、どうしても訳がわからない、という顔になる。

 努力して顔を作ろうとしても、上手くいかないのだ、と嘆くことが多かった。

 それだけに彼女が普段は王都で暮らしていることにマゼンタは安堵していた。


 ところが、よりによって結婚せず、子供だけ作り戻ってきたのだ。


「どういうことなんでしょう……」


 妻は唖然としてその知らせを聞いていた。


「何故相手のひとと結婚しようとなさらないのでしょう? できない方なのかしら? それは正しくないわ」


 正しくない。

 この時から彼女はこの言葉をあちこちに散ればめるようになった。

 それでもまだ、出産後しばらくは別邸の方に妹は暮らしていたので良かった。

 その間は創作活動も一休みというところだったのだ。

 だが子供がある程度育ち、創作活動に復帰するということで、本宅に戻ってきた。

 それがまずかった。

 まあ生活は共にはしない。

 妹は元々離れにアトリエがあったから、そちらで独自の生活をしていた。

 ただそこに友人達がよく来るのだ。王都から彼女を訪ねて。

 彼等は皆、王都で有名な芸術家達だった。

 芸術家らしく、時間の感覚だの、衝動に任せた活動だの、そういったものが離れでは行われることが多かった。

 マゼンタからすると、非常に「正しくない」生活が、敷地内で行われていたことになる。


 そこで彼女は唐突に「エレーナの双子をうちの養子にしたい」と言い出した。

 正直、エレーナが戻ってきた時につれてきた双子に対し、マゼンタは異様な程に執着した。

 それまで子供が好きではない、という態度があからさまだったのに対し、双子に対しては、その逆だった。

 母はそんな彼女を見ながら不安げにため息をついた。


「何かね、あれは子供達に恋しているかのようだわ」


 それは私からもそう見えた。


 やがて「うちで引き取りたい」という言葉を頻繁に口に出すようになった。

 私は双子の父親を母から聞いていたから、それは絶対にできないことを知っていた。

 それはマゼンタには言えない秘密でもあった。

 下手に知る者が多いのはまずい類いのものだったのだ。

 だがそれがまずかった。

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