第6話 夫であった侯爵は語る(2)

 八つ。

 と言えばまだ私が何かと乳母に世話をやいてもらっていた頃だ。

 妹もまた然り。


「そこで十六までの八年、なかなかに我が儘なお嬢さんの相手をしながら、お嬢さんと同じかそれ以上の教養や知識を身につけたんだから大したものだ。なのに向こうの母親ときたら、その時から――、いや今もだがね、家に送金しろ、とうるさいのだと」

「子供にたかるのですか」


 私は露骨に不快感を示した。

 おや、と伯母の表情が面白そうに変わった。


「そうなんだよ。大変なことさ。ところがマゼンタは、いつもこう言う。『私のような者が必要とされるんですから仕方ありません』『私が言うことをちゃんと聞いていれば、お母様もいつかは私に優しくしてくれるんじゃないかと思うんです』。だと。ああ何ってこと!」


 伯母は両手を挙げた。


「そういう親ってのはね、搾り取るために子供を痛めつけるんだよ。私がいくら送金なんかしなくていい、と言っても聞きゃしない。いつもこの調子さ。あの娘だってもう年頃だというのに、結婚させないでずっと搾り取るつもりかね!」


 そう言ってちら、と伯母は私の方を見た。


「ねえダグ。貴方あの娘と付き合ってみる気はないかい?」

「え」


 唐突な申し出に、私は言葉を無くした。


「別に結婚しろとかそういうことを言ってるんじゃないよ。ただ貴方はともかく女っ気がないから、夫としての条件はいいのに、何かしら敬遠されてるんじゃないかしらね?」

「釣書でいつも断られてますよ」

「そこであきらめてしまうのが、何だねえ。お互いお付き合いの勉強と思って少しくらいお茶などしてみるのも良くないかね?」


 そして改めてまじまじと見てみると、確かにとても子爵令嬢には見えなかった。

 着ているものは実に質素。

 いや、明らかに一昔前の形のものだった。母親のものを自分の身体に合うように仕立て直したのだろう。

 女性の外見に疎いと言われている私ですら判るくらいである。これは酷い。


「せめて、あの服をもう少し」


 思わず口から出てしまったようだ。

 すると伯母は「あらあらまあまあ」とばかりに手を叩き。


「それなら一度貴方見繕っておあげなさいよ。うちからの特別プレゼントとして」



 そんなこんなで私はマゼンタと付き合うようになった。

 伯母の公認である。と言うより、このままでは私は一生結婚しないのではないか、と本気で母からも心配されていたようだ。

 半年がところ交際していたら、両親が一度連れてくるように、と言ってきた。すなわち、結婚相手として扱っても良い、という印だった。

 だがそれにはマゼンタの方が難色を示した。


「勿体ないです。家庭教師となど、身分違いです」


 彼女はそう言った。


「何故? 貴女は確かに家庭教師だが、身分はちゃんと子爵令嬢だ。うちと縁組みするにさして問題がある訳ではない」


 私にしては驚くほど強引に、話をすすめていった。

 彼女も私のことを憎からず思っていることは判っていた。

 何と言っても彼女は、「真っ当な暖かい家庭」を作るのが夢だ、と言っていた。

 そしてその一つの要素として私が入っていてもおかしくはないということも。


「ですが私の実家が」

「その辺りはうちで話をつける」

「そんなこと…… 勿体ないです」


 このやりとりでまた半年続き、両親に顔を見せることができたのは、結局出会って一年後、両親はいつになったら見せてくれるの、と私を責め立てる始末だった。

 マゼンタの実家の子爵家に関しては、父が相当しっかり調べさせた。

 子爵自体は可も無し不可も無しという人物だった。

 ただ極めて運が悪い。

 何かを選択する時に何故か逆引きをしてしまうという体質だった。

 マゼンタの兄は仕事仲間の平民女性と結婚間近だったが、なかなかその資金が実家への仕送りで貯まらずに困っている状態だった。

 この二人に対しては、父が話をつけてくれた。

 子爵には可も無し不可も無しな領地の管理人を頼むことに。

 そして兄の方には、結婚が可能なように、小さな新居を用意させてもらった。

 この二人は素直にこちらの申し出を受け取ってくれた。


「本当にありがたい。このままではマゼンタは嫁き遅れどころか老嬢になってしまうだろうと思っていたんだ。不甲斐ない父親で申し訳ない……」

「ありがとうございます。小さいながらも、マゼンタの里としても何とかなるようにがんばっていきますよ。ただ」


 兄の方がここで、懸念を口にした。


「母が何というか……」


 そう、彼女にとって最大のネックは母親だった。

 結婚を申し込んだ時も、既に成人年齢は過ぎているというのに「母の意向」をちょっと不思議な程に気にしていた。


「お母様は私など結婚できる訳がない、といつも言っています」


 彼女は私からやや目をそらしながらそう言っていた。


「そんなこと」

「いえ、私もそう思ってます。こんな、決して綺麗でもない、可愛げの無い娘をもらってくれる男性など、と」

「それでは私の気持ちはどうなるんだい?」

「貴方はとても良い方です。だからきっと私のことなど気の迷いなのです。母もそう言ってました」


 何故そこまで母親の判断を全てだと思うのか、私には判らなかった。


「よござんす、私がその辺りは話をつけましょう」


 困り果てた私に、伯母はそう言ってマゼンタの雇い主でとしてでも、母親に話を通しに行った。

 のだが。


「……ダグ、どっかあの女は奇妙な感じがするんですよ」


 常にはきはきとした伯母が、どうも歯切れの悪い言い方をした。


「反対だったんですか? 話は通らなかったかと」

「そこがよく判らないのですよ。単純な金目当ての時とも今一つ違うようで。ひどく」

「ミルダ(母のことだ)も引っ張り出した方がいいですかね」

「母が望むのなら」


 結果として、母はどういう手段を使ったのか、マゼンタの母親に了承させたということだった。

 そして私達は結婚した。

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