1章 19話 元勇者アリシヤ01

「お兄ちゃん、お兄ちゃん起きてよ」


いつからそんな優しい言葉を覚えたんだ? 我が妹沙耶奈よ。

いつもは玲音と呼び捨てしてお兄ちゃんとは

一度たりとも呼んだことはなかったよな。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんったら、もう~、寝ぼすけさんなんだから」


リアル妹がいたので今まで妹属性は持ち合わせてはいなかった。

けどそんなに優しくされたら、本気でお兄ちゃん妹属性に

目覚めちゃうぞ。愛しちゃうぞ。


「このお兄ちゃんの変態。まだ狸寝入りしているんだったら、

 もう容赦しないぞ。痛みを噛みしめて、現世の果てまでぶっ飛びなさいっ。

 ドロップキッッーーーーク!!」


やっぱりお転婆の沙耶奈のままかよぉーー。


「ひぇぇーードロップキックは痛いからややめってえっーー」


「誰がそ、そんなはしたない真似をするものですか?

 ちょっとは暴れないでじっとする我慢もあなたは覚えなさい」


ふと目に飛び込んできたのは短髪に髪を切った沙耶奈がいた。

膨よかが印象的だった沙耶奈の胸がかなり萎んでいるように見えて、

ただクツクツと必然と怒りの感情だけが込み上げてくる。


「僕をいや家族をよくも偽乳で騙していたな?

 彼氏か? 彼氏に色気づいていつもパットで胸を偽装していたんだな。

 それで彼氏にバレて振られて髪を切ったっと。

 巨乳で肩が凝るとか谷間に汗をかいて嫌だとか全てが演技だったのかよ?」


「もーしもーし、あのう聞こえていますか?

 あら、ダメみたいですね。ご臨終です。どうもお疲れ様でした」


輝く光が消えて、近くにあった沙耶奈の顔がまた忘却の彼方へ消えていく。


「ごめん、沙耶奈いや沙耶奈様、妹様」


「……沙耶奈って何だかとても懐かしい響きがする。

 ごめんね。走馬燈の中でずっと私のことをあなたはと妹勘違いして

 いただけだったのよね」


「行かないで下さい。お願いします、沙耶奈様。何でもしますから」


「でも女の子には胸のことは言わない方がいいわよ。

 例え血の繋がった家族でもね。

 この慈悲深い私さえ、死にかけているあなたを見捨てようとしたから。

 私とあなたじゃ全然似てないからとても複雑な家族だったのね」


「どうか僕を置いていかないでくれ、沙耶奈」


「私は沙耶奈じゃないアイシヤ。

 でも今だけは妹の沙耶奈さんになってあげるから

 頑張って生きたいって願い続けてね、お兄ちゃん」


「沙耶奈っ、沙耶奈はどこ?」


「お兄ちゃん、沙耶奈はここにいるよ。だからじっとしててね」


「……うん」


ぬるま湯にずっと浸かっているような心地よさ。

これが僕になかったマナの力ってヤツなのか?

眠い、眠いよ、パトラッシュ。ただ僕は眠たいんだ。

もし生まれ変わったら僕はこの世界を救う本当の勇者になりたかったんだ。

でもそれってもしかしてロザリナ姫たちに復讐したかっただけなのかな?

違う、違う。ただスフレやナディたちと一緒にもっとおしゃべりしたかった

ただそれだけなんだ。モニター越ししか玲音はお友達がいなかったもんね。

ああ、何も反論も出来ないよ事実だから。

またパチパチと焚き火の音が聞こえてくる。

これが世界をループさせて新しい道を切り開く死に戻りって

チートスキルの発動なのか?

今度の人生は焚き火から離れないでおとなしく日が昇るまで待つよ。

それで決まりだね、玲音、ガンバレっ。

また僕を置いて行かないくれ、姉さん。


………………


…………


……


相も変わらず周囲は薄暗い緑の自然ばかりで。

何度も同じ展開ループして永遠に絶望を繰り返すと思っていた。

でもまだ人生の終止符は打たれなかったようで、


「そろそろお腹減ったでしょ。お肉食べる?」


焚き火の前で楽しそうにぐるぐるとお肉を焼いている魔物ハンター顔負けの

軽鎧を着た戦士コスプレをした沙耶奈がいる。


「まさか? 沙耶奈も勇者としてこの世界に召喚されたのか?」


僕が違って召喚されたイレギラーなら、血の繋がった文武両道の沙耶奈が

この世界を救う真の勇者だったってことも十分にあり得るわけで。


「……少し前はみんなから勇者様って称えられたこともあったんだ。

 でも、それも過去の話ね。新たなる魔王に破れて、

 もう私はお払い箱かな?」


「あはは、それで償いのために伸ばしていた髪の毛を切ったってわけか?

 覚えているか? 沙耶奈。お前が小学生の低学年の時ぐらいに

 男子とケンカして負けて泣きながら髪を切っていたよな。

 でも次の日にはその負けた男子にリベンジマッチを挑んで相手を

 ボコボコにして親が家に怒鳴り込んでさ。凄く大変だったよな」


胸まであったツヤツヤの潤った沙耶奈の髪。

今度は腰まで伸ばすんだって、あんなに笑って家ではしゃいでいたのに。

少しでも兄である僕が妹である沙耶奈を励ましてやらないとな。


「お兄ちゃんは長い髪の女の子が好きなの?」


「お兄ちゃん?? ……お前沙耶奈じゃないだろ? いったい誰だよ?」


決して沙耶奈はお兄ちゃんなんか気の利いた言葉は

死んでも口にしない強情なタイプだと子供の頃から知っている。

それに軽鎧で胸元が分かりにくかったけど明らかに沙耶奈の胸が平坦で薄い。


「私は沙耶奈だよ。信じてよ、お兄ちゃん」


「沙耶奈はもっとグラマーで胸も大きくて、凄く可愛い自慢の妹なんだぞ。

 一緒に暮らしてきたこの兄の目を見くびってもらっては困るんだよ」


本当は一重なんだけど怪しげな通販サイドで買った美容器具で強引に

二重にしている大きい瞳に艶のある長い髪が特徴の沙耶奈。

小学生から高学年から胸が大きくてそれがコンプレックスだった沙耶奈。


「もしかして私にケンカ売っている? さっきにも忠告したけど

 女の子にデリケートな胸のことは言わない方がいいって教えたわよね。

 お兄ちゃん」


偽沙耶奈がドンドンって僕の胸を容赦なく強打する。


「痛い、痛い、もし傷口が開いたらどうするんだよ?

 もしかしてお前って正体って男、いや男娘なんじゃ……」


「せっかくあなたを勇気づけるために妹まで演じてあげたのにもう知らない。

 あんたなんかとっととくたばっちゃぇ。

 そ、そしたら私のした善意の有り難みが少しでも理解できるわよ」


「……ごめん、アリシヤ」


高く上がった握りこぶしが急加速に止まり、目に涙が浮かべるアリシヤ。


「あれ違った? アメリアいやアリアスだったかな??」


「……もう最初ので合っている。

 あの瀕死の状態でよく私の名前を覚えていたよね?」


「ああ、何となくだけどふと思い出したんだ」


僕の手を握ってお兄ちゃん、お兄ちゃんって沙耶奈が言うはずのない言葉を

ずっと休まずにかけてくれてたアリシヤ。

そんな優しい女の子を忘れたらきっと罰が当たるって、

また天国にいる姉さんがこっそりと僕に教えてくれたんだ。

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