第23話

「龍二が大丈夫って…言うわな、これじゃ…にしても、神殺しの剣かぁ…そんなものを透…いや、玄武が持ってたなんて知らなかったよ、俺!!」

「俺だって知らなかった」

 目を輝かせて単純に喜ぶ大輔を、心の中で羨ましく思いながら、聖は再び透の姿を見た。

 全身黒の甲冑と、血に塗れたような剣を持つその姿は、神の遣いというよりも、悪魔の化身と言った方が相応しい。むろん、聖はそれを厭わしく思っている訳ではない。むしろ『神』を殺そうとしているこの場面には、よりふさわしい姿だと考えていたりもしたのだ。

「…………」

 けれど反面、これまで何も知らなかった、教えられてもいなかったことに、なにかもやもやする複雑な心境でもあった。ゆえに、聖は大輔のように、素直にはしゃげずにいたのである。

「くそっ、あとで問い詰めてやるからな…!」

 しかし、すぐにそんな場合ではないと、思考を切り替えた聖だった。


「貴様っ、貴様が神を殺すだと!?わしを…わしの力を…させぬ!させぬ!!」

 新たな触手を中心核から生み出したラーヴァーナは、懲りずにそれらを透へ向かって差し向ける。しかし、もはやそんな小手先の力による攻撃など、透の前では無力に等しかった。

「やったあ!透っ、すっげえ!!」

「大輔、俺らも行くぞ!!総攻撃だ!!」

「よっしゃあ!!」

 透の剣と光で失われた触手は再生できない。そのことに焦りを感じながらも、ラーヴァーナは四人へ対する攻撃を、触手での物理攻撃から神霊力によるものに切り替えた。本来の半分の力とはいえ、さすがに神の霊力による攻撃は熾烈を極めたが、

「おのれっ、おのれっ、貴様らも飛竜も、なぜわしの邪魔ばかりするのだ!なぜ!!」

「哀れな奴だ、貴様は!神に逆らうつもりで、その実、意のままに操られているのが、なぜ解らないんだ!!」

 厄介な再生力を無効化した今、四人は互角以上に戦うことが出来た。神の力が持つ無限の再生力も、透の剣で傷付けられるたびに失われていく。

 もはや勝負の行方は見えていた。

「嘘だ嘘だ嘘だ!このわしが、神であるこのわしが、負けるはずが…!」

 ラーヴァーナは己の敗北しつつあるこの状況を、信じられぬ思いで見つめていた。

「往生際が悪いぜ!ラーヴァーナ!!」

 素早く中心核に切り込んだ聖が、しろがねを灰紫の繭に突き立て、そのまま力任せに斜め上へ切り上げた。緑の血が噴水のように、傷口から吹き出していく。続いて透の容赦ない一撃が、ラーヴァーナの眉間に叩き込まれた。

「ぐああああああああっ!!」

 耳をつんざく悲鳴。そして激しく身もだえる本体から、放射状に黒い光が放たれた。光を吸収するそれは、止めどなく放出され続け、その都度、ラーヴァーナを包む本体が小さくなっていく。

 そうして、まるで空気が抜けるように黒い光が出尽くすと、そこにはあの醜い繭状の物体はなく、ただ、人の姿へと戻った羅刹王だけが残っていた。

「おのれ…おのれッ」

 筋骨たくましい巨体は自らの血に塗れ、広く厚い肩は荒い息に乱れている。眉間からは血が吹き出し、未だ怒りの消えやらぬ顔を、真緑のまだらに染めあげていた。

「もうやめるんだ、ラーヴァーナ。お前の負けだ」

 憐れみを込めた透の言葉も、もはや彼には届いていない。憎しみ、怨念、殺意、そういった暗い感情だけが、今の彼を支えるすべてであった。いや、あと、もうひとつ。

「あっ!?ま、待て!!」

 彼の心の片隅を占めた想い。そのたった一つの想いが、死に瀕した彼の身体を動かせた。

ラーヴァーナは残る力を振り絞ると、再び次元の壁を越えたのだ。

「追うぞ!!みんな!」

 そう言い残して真っ先に透が消え、続いて聖達も溶けるように『神座』から消える。今の彼らにとって、単身次元の壁を越えることなど、たやすいことであった。


「いたわ!!あそこよ!!」

 ラーヴァーナの残した軌跡を追って、次に現れたのは、彼があれほど憎んでいた天界でも、人界でもなく、砂漠化しつつあるかつての楽園──神霊界であった。

 ナーガルジュナの上空に出現した四人は、ほぼ自由落下状態で地上へ向かうラーヴァーナを発見し、即座に追跡を開始した。

 その彼らの背後から突然、巨大な竜の頭部が現われ、並行して降下し始める。

「うっひゃあ~!!」

 唐突な出現にびっくりしたのか、大輔が気の抜けた声を上げた。

同じく聖も、冴月も、まじまじと竜の顔に見入ってしまう。

 確かに神座のスクリーンに映し出された映像で、その巨大さを目にしてはいたが、実際に目の前にするとやはり驚かずにはいられなかった。なにしろ竜の目だけでも、彼らの身体の倍はあるのだ。味方と解っていても、少々ビビってしまうのも無理はない。

「龍二!!奴の急所はどこか解るか!?」

 ただ一人、平然と竜の頭に飛び乗った透が、弟に対する口調そのままで巨大な竜に問いかけた。

『彼の体内のどこかに、飛竜の竜珠が取り込まれてる。それを壊して。そうすれば彼は、この呪いから解放される』

 皆の頭の中に聞こえてきた声は、確かに龍二のものであった。

「竜珠を!?だがあれは、真竜の命なのだろう?そんなことをして」

『僕は真竜族じゃない。もちろん飛竜もね。だから大丈夫』

「しかし…あれを体内に持っていたから、奴はお前から神の霊力を吸収し、なおかつ扱うことが出来たんだろう?神の代理人であるお前達と、なにか繋がりが無ければ、そんな真似ができるはず…」

 姿が変わっても相変わらず心配性な兄を、一瞬、竜の目が笑うような視線で見上げる。が、すぐに厳しい表情に戻ると、透の迷いを断ち切るようきっぱりと言った。

『確かにあれは僕の力だけど、でも、僕の魂には繋がってない。僕を信じて、兄ちゃん』

 弟の言葉に込められた『強さ』に驚いて、透は竜の姿を改めて見下した。

 その時、彼の瞳には、小さな体を真っ直ぐに伸ばし、これまでにない強い意志を大きな瞳に宿して、兄に微笑み返す龍二の姿が映っていた。

「わかった。奴のことは俺に任せろ。お前はあとのことを頼む!」

『うん!任せて!!守るよ皆を…世界を!!僕の力の限り!!』

 満足げに笑った透が、竜の頭から飛び降りる。見ればこの短いやり取りの間に、かなり距離が縮まっていた。神霊力で増幅し、一気に加速した透は、瞬きの間にラーヴァーナへ追い付く。

「羅刹王!これで最後だ!!」

「邪魔を…するなあああ!!」

 『螺旋』を閃かせた透を見るや、ラーヴァーナは腰の剣を抜き放った。これまで数え切れぬほど多くの血を吸ってきた大剣が、神霊界の光を受けて輝きを放つ。


 最後の戦いはこうして、透とラーヴァーナ、二人の一騎打ちとなった。


 激しい剣戟が、空中で火花を上げる。二人とも剣の技量では一歩も引かず、その腕前はほぼ互角とみられた。だが、真の力を解放した透と、満身創痍でもはや気力のみで戦うラーヴァーナとでは、体力や持久力などあらゆる点で雲泥の差がある。

 それゆえラーヴァーナは次第に、思うように動かぬ体に焦り始めた。


 そしてそれが、透に勝機をもたらす要因となったのである。


「……見えた!!」

 研ぎ澄まされた心眼が、ラーヴァーナの内で光る竜珠を捉えた。透は素早く螺旋を水平に構えると、焦りによって生じた隙を狙って、身体ごとそこ目掛けて飛び込んだ。

「ごああああああああっっ!!」

 次の瞬間、崩壊の螺旋は、見事にラーヴァーナの胸を貫いていた。


「やった、透っっ!!」

 勝負の行方を離れて見守っていた大輔が、透の勝利を確信して歓声を上げる。聖も、冴月も、ホッとした顔で、その様子を見詰めていた。

 そんな彼らのすぐ横を、巨大な竜が空を駆けるように通り過ぎる。

「龍二……!?」

 何をする気だ。そう、問う間もなく、龍二は──創世の竜『螺旋』は、ラーヴァーナを抱き締めるように、その長い胴体の中心へと包み込んだ。次の、瞬間!!

「うわっ!?」

「きゃあ!!」

 閃光が断末魔を上げるラーヴァーナから溢れ出し、神霊界全体を覆い尽くしていった。何もかもが光の中に呑み込まれ、やがて何かが割れる音と共に、世界は白に染まった。


 無限に続く白の世界。


 空中で投げ出された感覚を最後に、すべての呪縛が解かれていく。

 上下の感覚も、時間の概念もなく、肉体という束縛すら失って、四人は頼りなく彷徨った。


 そして彼らはそこで、確かに『それ』を見た。


 『それ』は一人の男の、忘れ難い過去の思い出なのか。

 それとも世界が彼を憐れんで、最後に見せたただの幻だったのか。

 今となってはもう、誰にもわかりはしない。


 たった一人を、除いては。



 夕焼けの空が、美しい紅に染まっていた。

 王城の白さが紅の色に映えて、夢のような風景を醸し出している。

 

 夕日に染まる王城の前庭にある小さな森で、そんな世界を見詰めている男がいた。

足元には小さな男の子がいて、何やら真剣な表情で彼に話しかけている。

「そんでね、俺、大きくなったら絶対、五彩竜に入って、飛竜様をお守りするんだ!!」

「ほう、そうかそうか。そうなるには、よほど頑張らねばな」

「わかってらあ!!見てろよっ、すぐにおっちゃんよりでっかくなってやるんだから!」

「はははは。そうか、楽しみにしておこう!」

 よほど楽しかったものか、男は声を上げて笑うと、小さな未来の戦士を片手でひょいと抱え上げた。驚いてじたばたする男の子を、構わず自分の肩の上へと乗せる。すると男の子の身体は、男の広く厚い肩にすっぽり収まってしまった。

「子ども扱いすんなって!!」

「ははは。すまん、すまん」

 軽くあしらわれてむくれていた男の子は、男があまりに嬉しそうな顔をしていたので、なんとなく『ま、良いか』という気分になったようだ。機嫌を良くした顔で、再び先刻の話を蒸し返し始める。

「んでさ、おっちゃんはなんか夢あんの?」

 覗き込むようにそう問われて、男は勿体ぶった様に笑って言った。

「ん?わしの夢か?わしの夢はでっかいぞ」

「え?え?なんだよ、教えてよ」

「わしの夢はな、この美しい世界を、もっともっと美しく平和で…お前のような子供たちが、安心して暮らせる世界にすることさ」

 顔を覗き込んだ男の子は、いつもニコニコと楽しそうだった男の顔に、怖いくらい真剣な表情が浮かんでるのを見た。ただでさえ厳つい男の顔は、より迫力を増して鬼神のごとき容貌と化している。

 だが、男の子は知っていた。こんな時の彼の瞳には、笑っている時の数倍も、優しさと温かさに満ち溢れていることを。そしていつも思っていた。


 彼の視線の先にあるものを、いつか自分も見てみたい、と。

「あ………っ!?」

 その時、森の外れから、未だ世界を知らない少年の目に、広大な世界が飛び込んできた。


 見たこともない山々、湖、渓谷、自然の数々、行ったこともない異国の街と、そこに住む人々。目も眩むほどの鮮やかな風景が、次々と少年の脳裏に焼き付いていった。


 夢かも知れない。幻かも知れない。

 けれどそれはもしかしたら、未来の彼が、見たものなのかも知れない。


「すっげえな、おっちゃん!!なんか俺、すげえ感激しちゃった!」

「そうか。わしもな、お前の夢に感激しておるぞ。男の子はそうでなくてはな!」

 男の厳つい顔が再び、温かい笑顔で満たされる。


 この瞬間を、男の子は生涯、決して忘れないだろうと思った。


 真っ赤な太陽が、ゆっくり緑の地平線へ沈んでゆく。

夜空が星で瞬き始めるまで、二人はそうしてずっと同じ世界を見続けていた。


 太陽の輝きの片鱗が、山の向こうへ消えるまで。ずっと。


 そしてまた、世界は白に染まった。

四人の意識も、次第に混濁していく。

悲しい記憶を置き去りにして。


 遠い、遠いどこかで、音楽が流れていた。


 いつか聞いたことのあるような、優しく、温かい、不思議なメロディ。


 それは、泣きたくなるほど美しくて、悲しい、心に染み入る音楽だった。

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